末期ガン ~ 浅い夢の果て ~

 色のない世界は、こんなにも陰鬱だったんだな――


 でも、雨上がりの雲間から差す日の光は、やはりあたたか。

 少し、窓を開けてみるか。

 吹き込むそよ風に、土を濡らしたなんともいえない香りが、かすかに鼻をくすぐる。

 ああ――

 以前、こんな感覚になんて、俺は気付きもしなかったな。


 冴え渡る。俺の感覚が、感性が、存在が、研ぎ澄まされている。

 そうか、この感覚こそが、人生なのか。



 どうか、この浅い夢よ、醒めないでいてくれよ。もう少しだけ――



   ※   ※   ※   ※   ※



「祐子、ちょっと話があるんだ――こっちに来てくれないか」


 驚いた顔つき。

 それもそのはず、俺が彼女の名を呼ぶなんてこと、ここ何十年もなかった。

 呼ぶ時はいつだって、“母さん”。

 そう、彼女は、息子の母さんなんだ。俺の妻ではなく、俺の息子の母親。

 いつしか俺は、彼女を、母さんと呼ぶようになり、それが常だった。

 そんな俺が呼ぶ、久し振りの彼女の名。

 察しのいい彼女は、それだけで事の重大さに気付いている。

 気付いてはいるが――いつもと変わらない口ぶり。


「なに?忙しいのに……」


 いや、すまない。

 料理の最中に。

 俺はいつも晩酌をする。

 ただ、メシを喰うだけと違い、酒を飲むヤツってのは、長い。

 7時ちょっと前から椅子に座り、俺はいつものように、さして興味もないテレビをつけ、まずはビールをグラスにそそぐ。

 彼女は、文句の一つもわず、つまみを作ってくれる。

 彼女もまた、酒を飲む。

 グラスに注いだビールを台所に置き、ちびちびと飲みながら、つまみを作ってくれるんだ。

 格別美味い、ってわけじゃない。でも、丁度いい。酒にあうんだ、これが。いや、俺にあわせてくれているのか。


 息子も飲むには飲むんだが、彼は食事がメイン。

 俺が飲みはじめてから1時間程度してから斜め前の席に腰掛ける。

 夕食が出てくれば、小食な彼は20分程度で夕食を食い終わり、自分の部屋に戻る。

 仲が悪いわけではない。だから、テレビを見ながら、彼も一、二杯、酒を飲み、他愛の話をする。

 そんな、なんでもない日常。ごくありふれた光景。


 ただ、今日だけはちょっと違う。

 息子が来る前に、彼女に話すことがあるんだ。

 俺にとって、いや、みなにとって、多分、重要。

 だからこそ、まずは君に、だ。


「まず、結論から話す。驚かずに聞いてくれ」

「……なに?早くして」

「ガン、だった」

「……――」


 直腸癌。

 酷い便秘が続いていた俺は、あまりの腹痛に病院に行った。

 はじめ、下剤をもらったのだが、一向に良くならない。

 そんな時、会社で耐えられない程の腹痛に苛まれ、救急病院に運ばれた。

 彼女もそこまでは知っている。

 腹痛ごときで検査入院とは、やたらと仰々しい、なんて思っていた。それは彼女も同じだ。

 その検査結果。医師に呼び出されたもんだから、何事かとは思ってはいたんだが、予想以上に酷い報告。

 それが、直腸癌。

 巨大な影が脊椎近くにまで及ぶ、かなり進行したもの。

 医師は言葉を濁したが、ステージ4で間違いない。


「入院しなければならない。医者は手術できると云っていた。心配するほどでもない。ただ、ちょっと手続きが必要だから、おまえにも知っておいてもらおうかと思ってな」


 気丈な彼女が、かすかに震えている。

 あれこれ聞いてこない彼女に、この時ばかりは感謝している。

 なにせ、俺自身、焦っている。正直、酒の力でも借りなければ、冷静に話せたもんじゃない。それくらいにまでは、追い込まれている。

 この年でガン。しかも、進行している。ややもすれば、俺はすぐにヤラレちまうだろう。だが、まだ、手の施しようがある。少なくとも、手術で取り切れさえすれば、根治の可能性だってある。

 諦めたら、そこで負け、だ。


「……会社の定期検診で分からなかったの?」


 至極当然の質問。

 分からなかった。

 いや、数年前、血便があったことは知っていた。だが以前、痔の手術をしたことのある俺は、それを軽んじてしまった。

 まさか、ガンだとまでは思っていなかった。

 しかし、気付いた時、いや、否応なく気付かされる自覚症状が現れた時には、既にリンパ節にガン細胞は撒き散らされていたんだ。


 全ては俺が悪い。

 黒酢を飲んで健康を保つだの、野菜をたらふく喰って健康的だの、甘いものを喰わないだの、ビタミンを取るだの、サプリだの、そんな民間療法のような健康維持なんて、なに一つ役立たなかった。

 予兆を、あったにも関わらず、スルーした。

 俺の浅はかさが、家族みんなに迷惑をかける。


 ――すまない。




 思い起こせば、俺の人生、いつだってみなに迷惑をかけてきた。

 親父に勧められた公務員への就職を蹴り、自らの意志で証券マンになった。

 まさか、証券会社が潰れるなんて、思ってもみなかった。

 だが、彼女との出会いは、その証券会社に勤めていた時のことだから、そういう意味では俺の選択は間違ってなかったんだ。


 倒産した会社から放り出された俺は、しかし、十分な貯金があったんで自ら商売をし始めた。なんの変哲もない営業会社。営業を天職だと思っていた俺にとって、それは苦痛どころか、遣り甲斐の塊だった。

 最初は上手くいっていた。彼女を楽しませるに十分な旅行にも連れて行けたし、小さいが家も持てた。息子も生まれ、何もかも順調だった。


 だが、人生なんてもん、どこでなにが起こるのか分からない。

 ちょっとしたつまづきから、会社は傾き始め、気付いた時には手の施しようもなかった。丁度、今の俺の健康状態に近しい。

 俺は会社を畳み、旅行代理店に就職した。勿論、コネ、でだ。

 いい年した男が、真っ当な転職先など、ありはしない。

 営んでいた営業会社の取引先であったその旅行会社は、落ちぶれた俺を快く受け入れてくれた。

 感謝してもしきれない、それくらい恩義がある。


 身を粉にして働いた。

 そこそこ年を重ねた異業種からの中途採用の俺が、今の会社で存在を示す為には努力が必要だった。

 営業は得意だったが、慣れない業種での営業に加え、資格を取るのが実に大変だった。成績を上げながら、資格取得の勉強、これには語学の習得も必須だった。

 自身で経営していた時とは比べものにはならないが、それでもなんとか生活できるだけの収入を得ることができた。


 恐らく、この頃、女房には迷惑をかけたと思う。

 傾いた会社を脱却しようともがき、転職後の死に物狂いの勤務。この時期、彼女との喧嘩が絶えなかった。口論ばかりしていた。

 上手くいかないのは自分の不甲斐なさだと云うのに、彼女に当たっていた。

 無論、彼女に暴力を振るうことはない。俺は、女に手をあげるのが嫌いだ。でも、物に当たってしまった。趣味だったオーディオ機器を幾つもブチ壊してしまった。

 その壊したゴミを片付けるのは彼女。

 なんとも――気恥ずかしい。


 専業主婦だった彼女にも働きに出てもらった。

 家のローン返済に加え、まともな生活を維持、息子の教育費を捻出するには、俺の収入だけでは心許こころもとなく、彼女にも稼いで貰う必要があった。

 彼女は、なぜかその申し出に、イヤな顔ひとつしなかった。

 俺の尻拭いだというのに、いつもは些細な言い争いをしてきたのに、なぜだかその意見には、反論しなかった。


 にも関わらず、甲斐性なしの俺は、彼女が仕事で帰宅が遅くなると、罵った。

 飯が遅いだの、風呂に湯がはってないだの、電灯が切れているだの、掃除が雑だの、シャツのアイロンがまだだの、スーツの皺が気になるだの。それはもう、明らかに俺自身が抱えているストレスの捌け口。

 しゅうとめの小言を思わす、ろくでもない指摘。

 以前だったら反論する彼女だったが、働きに出てからの彼女は、俺の罵声を静かに受け入れた。


 当初、俺は彼女の様子の変化に、われのない満足感を得ていた。

 しかし、プライドばかり高い社畜に成り下がった俺は、無闇に警戒心が強まり、それが猜疑心さいぎしんとして顕現けんげんした。

 そう、彼女の浮気を疑った。

 外に働きで出た彼女は、キレイになっていった。

 まるで、出会った頃のように、キラキラと美しく、光り輝いていた。

 どんどん綺麗になっていく彼女に、男の存在を疑った。


 罵った。

 過去、一番なほど。

 なんの根拠も証拠もないが、あまりにも美しく変貌した彼女に、俺は有りっ丈の罵詈雑言を浴びせた。

 彼女は、その全てをいなしていた。

 そんな裏切り、するわけがない、と。

 俺は、なぜだか、そのさまが鼻についた。

 そして――


 彼女を、女房を、はじめて殴ってしまった。


 誇りに思ってた。

 どんなに我が儘、傍若無人に振る舞ってきたとはいえ、女房に手をあげるような真似は絶対しない。一生、そんなことはない、と。

 だと云うのに、あっさりと、己の暗く濁った妄執が、その禁をいとも容易く破ってしまった。

 ――痛感した。

 男の嫉妬ほど、見苦しいものはない。

 アリもしない間男の存在に嫉妬し、長年連れ添った彼女の言を信じなかった。

 俺はもう、狂っていたんだ。いや、腐っていたんだ。

 人間の姿をしたゾンビ。生ける屍。そう、心はとうに死んでいた。

 それが俺なんだ。


 俺はもう、ダメなのかも――


 そんな折、突然、俺を襲ったのが、ガン、だった。




 俺は入院した。

 手術できると聞いてはいたが、今すぐに手術できるわけではない、と。当然といえば当然。検査が必要だ。逸る気持ちとは裏腹に、検査検査の毎日。

 ようやく手術できると聞かされたのは、入院してから2ヶ月近く経っていたっけ。

 待ったかいもあり、手術は全て順調、上手くいった。

 医者は、ガンを取り切れた、と断言した。

 人工肛門になりはしたが、退院することができた。家に帰れるのが、こんなにも嬉しいなんて、想いもしなかった。


 勿論、それだけで全てが終わるわけじゃない。

 退院した後、頻繁に検査と抗がん剤治療のため、通院する。

 抗がん剤の副作用が少なかった俺だが、それでも日々やつれてゆく姿に、内心、怯える。


 1度目、2度目の検査は順調だった。

 だと云うのに、3度目の検査で転移が見られた。

 検査の度、転移が見付かる。

 始めは、胃。手術で取る。1/3、胃を摘出。

 次は、大腸。これも無事、摘出。これで一生、人工肛門になってしまう可能性が高くなった。

 今度は、肝臓。小さな2つのガンを難無く摘出。

 そして、肺。これもまた、右肺中葉ごと、取り切る。


 全て問題なく、ガンは取り切れている。

 患者の中では俺は若い方。だから、手術に耐え得る体力がある。

 順調だった。

 だったのだが――

 なのに、転移がみつかる。

 検査の度に現れる小さな影に、俺の精神はガリガリと削られ、手術の度に体力を失い、やがて、抗がん剤の副作用も顕著になり始めた。

 爪はふやけ、手足の皮は剥け、粘膜という粘膜がカサつく。指先は痺れ、冷たいものに触れられない。関節がきしみ、度々吐き気に襲われる。白目は黄ばみ、頭髪が抜ける。筋肉は衰え、肌から艶は失われ、血管が細くなっているさまが分かる。

 まるで、ミイラ、だな。

 心のゾンビはいつしかミイラの姿になり、もはや、俺が誰なのかさえ分からない。


 俺の意気消沈振りに対し、女房も息子も、俺に諦めるな、と発破を掛ける。

 もう治る、次で治る、もうほとんど治っている、と。

 ああ――

 俺も諦めたわけじゃない。負けるつもりはない。こんな病気なんかに。

 まだまだ、頑張れる。少なくとも、ガンは取り切れているのだから。


 だが、胸腺に転移した時、手術ができないと宣告された。

 それは胸腺以外への転移があることの裏返し。

 もはや、抗がん剤治療でしか対処できない。

 内蔵に水が溜まる。苦しい。ガンとはまた別に、通院。その貯まった水を抜く。

 最初、抜いた水にガン細胞はなかった。しかし、次に水を抜いた時、無数のがん細胞が検出された。

 気管支への転移も認められた。食欲がない。それどころか、固形物が喉を通らない。

 もう、標準治療は終えた。残るは、ゲノム医療のみ。


 ――ああ。


 いよいよ、かもな――




 俺は退院を希望した。

 医師もそれを妨げない。

 自宅療養での通院は、思いの外、あっさりと受け入れられた。

 ――そして、

 久し振りの自宅。

 変わってない、な。


 ダイニングテーブルの、いつもの俺の席につく。

 久し振りに、酒が飲みたいな。

 いつ以来だろうか?

 ビールって気分じゃない。もっとかぐわしい香りが、情熱的な香りが欲しい。

 そう、ブランデー。

 ブランデーがいい。

 息子に訊ねる、ブランデーがないかどうかを。

 マーテルのコルドン・ブルーがある、と。

 ちょっと冷蔵庫で冷やしてくれ、と頼む。


 ブランデーを冷やすなんて、って思うかも知れない。

 ただ、常温だと、恐らくその芳醇な香りにせ、吐き出してしまう可能性がある。

 それ程、今の俺の消化器官は、いや、体全体が弱っている。


 ああ、コレだ。

 このスミレの花のかおり。

 美味い。

 良かった――まだ、美味いと感じることができる。

 俺はまだ、生きている!


 いつもだったら、10時頃まで、ここで飲む。

 だが、体力がないせいか、妙にダルい。

 息子が食事を終えるよりも早く、女房に連れられ、寝室に向かう。

 ははっ――

 俺の枕。

 まだ、置いてあったのか、こんなもの。


 女房に手伝ってもらい、パジャマに着替える。

 なんか、凄く疲れた。

 済まない、ちょっと横になりたいんだ。

 ああ――ありがとう。



「祐子――こっちに来てくれないか」


 隣りに、祐子が横になる。添い寝。

 久し振り、だ。

 祐子の顔を、こんな間近で見るのは。

 十数年ぶり、いや、もっとだろうか。

 こいつ、小顔、だな。こんなに、小顔だったっけか?

 整った顔。くっきりとした二重に鼻筋の通ったその顔。美形、だな。

 こりゃ、さぞ、若い頃、綺麗だったろうに。勿論、その頃のおまえを、俺は覚えてるんだけど。


「祐子――随分ずいぶんとお前、くたびれた顔つきになっちまったな」

「ふふ、お父さんほどじゃないわよ」

「そうか?」


 ああ、そういや、会社に行けなくなってから、ろくに鏡見てなかったな。

 精々、歯を磨いて顔を洗う、その時に少しだけ鏡を虚ろに覗く、それくらいか。そうだな、髪をセットするなんて、もうしばらくしてなかったな。


「1つだけ後悔してることがあるんだ――」

「……なに?」

「謝らなきゃいけない」

「……なにを?」

「一度、おまえに手をあげたことがあったろ」

「ああ、うん、そうね――」

「アレ、後悔してるんだ……こんなにも尽くしてくれるおまえを、馬鹿みたいに俺は怒って手をあげるなんて。すまなかったな、祐子」

「そう?あたしは全然、気にしてないけど。それどころか、嬉しかった、かな」

「……え?嬉しかった??」

「うん。だって、それくらいあたしのこと、気にしてくれてたんでしょ?」

「……ははっ、気にしてた、か。みっともないよな。嫉妬してんだ、ありもしない浮気に、さ」

「だからよ。それが、嬉しかった」

「…………そうなのか?」


 驚いた。

 そんな風に思っていたなんて。

 やっぱり、母さんには勝てない、な。

 ずっと家庭を守ってきてくれた。

 俺を、息子を、いつも見守ってきてくれた。

 共働きになっても、彼女はイヤな顔一つせず、家事をこなしてくれた。

 俺はプライドばかり高く、外を見てはイライラし、内を見ては傲慢だった。

 俺のが年は上なのに、全く、こいつのほうが遙かに大人だった。

 本当に、いい女、だ。

 ダメな男の俺が云っても説得力はないか――


「覚えてるか?」

「なにを?」

「俺がおまえに告白した時のこと」

「うふふ、覚えてるわよ。忘れるはずがないでしょ?」

「そうなのか?」

「そうよ。だって、お父さん、ひどいもの」

「……ああ」

「あたしの顔が好き、って云ったのよ?ふつう、そんなふざけたこと云う男性、いないのもの」

「ああ……そういうもんなのか、な?」

「当たり前でしょ。ふつう、内面をほめるものよ。顔が好き、ってそんな外見的な話だけで好きって云われてもビックリするでしょ、子供じゃないんだから」

「……じゃあ、なんでそんな俺と付き合ってくれたんだ?」

「うん?」

「……ん?」

「――嬉しかった、から」


 ――嬉しかった、か。

 まったく――

 そのセリフは、こっちのもんだ。

 泣けてくるよ。そんな風に想っていてくれたなんて。

 だが、泪は出ない。副作用のせいか、涙腺も乾ききっている。泪の一筋も出やしない。まあ、今はその方がいいんだけどな。

 恥ずかしいだろ?

 男が泪するなんて。


「……」

「……ねぇ、お父さん?」

「……ん?」

「覚えてる?」

「……なにをだ?」

「初めてお父さんと行った旅行のこと」

「――ああ、もちろん。上高地、立山黒部だ」

「お父さん、歩くの速いから。一人でどんどん行っちゃって、ね。あたし、置いてけぼりにされちゃって」

「……ああ」

「ついて行くのに必死だったんだよ」

「……そっか――すまなかった」

「でも、お父さん、必ず立ち止まって待っててくれた、ね」

「……そうか?」

「うん。嬉しかったんだ、お父さんが待っててくれるの」

「――ああ……」


 もう、大分昔の話。

 だが、鮮明に覚えている。

 恥ずかしかったんだ。

 こいつの隣りを歩くのが。

 母さんは、綺麗だったからな――

 俺なんかが隣りを歩いてたら、母さん、笑われちまうさ。


「……」

「……ねぇ、お父さん?」

「……ん?」

「覚えてる?」

「……なに?」

「あたしの誕生日に贈ってくれた、お父さんの作った曲のこと」

「――ああ、もちろん……今想えば、恥ずかしいことしちまったもんだ」

「お父さんのギター、下手っぴだったね」

「……ああ」

「笑い堪えるの大変だったんだよ」

「……そっか――ごめんな」

「でも、嬉しかったなぁ」

「…………そうか?」

「うん。また、聞きたいな」

「……――ははっ……」


 ――また……

 聞かせてやる、さ――

 あんな下手なのでよければ。


「ねぇ、お父さん?」

「……――ん?」

「一緒に、ね。一緒に、あげようか?」

「――……」

「だって、お父さん、一人じゃなんもできないじゃない?」

「……――」

「向こうで一人ぼっちになったら、部屋散らかしっぱなしになっちゃうでしょ」

「…………」

「それに、お父さん、寂しがり屋だしね」

「……バカ云うな。アイツが……あいつが嫁さんもらって、孫生まれたら、誰が世話するんだ」

「あら?そんなこと、あの子の将来の奥さんがちゃんと面倒みるでしょ」

「……バカ云うな。アイツは俺の息子だぞ……子供の面倒なんて嫁さんに任せきりにしちまうだろ。嫁さんが可哀想だ」

「あら?あの子は、あたしの息子でもあるのよ?ちゃんと面倒みるに決まってるでしょ?」

「……ああ、そうだった……な」


「ねぇ、お父さん?」

「……――ん?」

「あたしも一緒にか?」

「……――バカ云うな」

「置いてけぼりにされたくないから」

「……待ってるよ」

「待ってる?」

「――ああ、アイツが、みんなが、おまえのことを待ってるんだ。もう、俺についてこなくていいんだ」

「――――……」

「……――」

「――……」

「ねぇ、お父さん?」

「……――――」

「……ねぇ、お父さん?」

「――――――あ……」

「――お父さん?」

「――――あいしてるよ、祐子……」

「お父さん……」

「――――――」




 すすり泣く声にならない声。

 ふるえる肩に、そっと手を差し伸べる。そんな簡単なことさえ、もうできない。


 もっと――

 いや、

 ――もう少しだけ、

 生きたい。


 そして、君に胸を張って云いたいんだ、

 ありがとう、と。


 叶わぬ夢。


 楽しかった俺の、


 浅い夢は、終わりを告げる。

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男たちのうた(短編集) 武論斗 @marianoel

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