イジメてんじゃねーよッ!!!
なんで俺はあの時、そう
いや、分かってる。その理由。誰よりも、俺自身が。
※ ※ ※ ※ ※
彼女は昼休憩、給食の時間、いつも教室から姿を消していた。
どういう
なんと云うか、気にならなかったんだ、なぜか。
そんな彼女が、午後の授業が始まる直前、ジャージ姿で教室に戻ってきた。
体育もやっていないのにジャージ?
いや、引っ掛かるのはソコじゃない。
髪が、彼女の、その真っ直ぐなサラサラの黒髪が、なぜか今は濡れていた。
不自然、を通り越して、違和感。
なんだろう。普段、彼女を気にしたこともなかったのに、なぜか妙に気になる。気のせいかも知れないけど。
彼女とは、実は保育園から一緒だ。
家が比較的近い、ってのがある。
保育園から小学校、そして、この中学まで一緒。考えてみれば、長い付き合い。
――なのに。
全然、話したことがない。
いや、以前は話していた。いつくらいだったか……
思い出した――
小学二年生の時、だ。
その時までは彼女とよく話してた。
どんな話?
他愛もない話。
――でも、楽しかった記憶がある。
そうだ!
公園。
学校帰りに、俺は彼女と公園に行った。いつものように。
古びた公園の遊具を、いつも二人で楽しんでいた。その時も。
確か――
――シーソー。
俺は彼女と一緒に、シーソーに乗っていた。
ぎったんばっこん、とその遊具の、一体ナニをそんなに面白がっていたのか、今となっては覚えていない。
俺はグッと踏ん張って、自分の
彼女は向こう側で悶えるように、俺を浮かそうと体重を掛けてたっけ。
俺はけらけらと笑い、思い切り、自分で飛び上がるように大地を蹴る。その勢いで彼女が座っている側は激しく地面に叩き付けられて、顔をしかめる。
そうだ、それがなぜか妙に楽しかったんだ。
彼女はムキになって、体重を掛けるんだ。でも、小さい彼女の抵抗を、俺は踏ん張り、また、思い切り飛び上がるようにして彼女に尻餅をつけさせた。
ちょっとしたいじわる……
彼女の、その悔しそうな表情が、なんとも云えなくて。
そんなことを、どうでもいいことを、いつもやってたっけ。
でもその日は、ちょっと違ったんだ。
日が傾いきカラスが鳴き始めた頃、多分、俺の方からだったと思うけど、帰ろう、って云った。遅くなると彼女の両親が心配するし、俺も怒られる。だから。本当は、もっと遊んでいたかったんだ。もっと。
その公園で遊ぶ時、俺達は奥の滑り台の下側に、ランドセルを置いて遊んでいた。いつも、2つ並べて。俺のは黒、彼女は赤。彼女のそれはピカピカと輝く情熱的な赤。
でもその日、なぜか彼女の赤いランドセルが見当たらなかった。
いつも一緒に置いておくんだ。その日も、一緒に置いたはず。
特段、疑問を抱かず、俺と彼女は辺りを探した。
公園中のいろんな遊具の上を中を。ベンチを、植え込みを。設置されてた公衆トイレの中も、近くの川の方まで。
でも、見当たらない。
夕日は一層傾き、東の空に夜が首を
確か、俺は大きな声を上げていたと思う。
彼女にあっちを探せ、俺はこっち、と。走って走って、公園中を、隣接道路を、探し回った。
俺は手を、肩を貸し、立たせた。今日一日、一度も使っていない清潔なハンカチを、公園の水飲み場で濡らし、彼女の膝に当てさせた。
彼女はなにか俺に云った気がするけど、早くランドセルを探さなきゃと焦って、その場を離れた。
必ず、いつも滑り台の下に置くようにしてあったんだ。そのランドセルが、いくら探しても見当たらない。どこを探しても。意味が分からない。不安。
急に――
急に俺は、“怖く”なった。
誰かに盗まれたんじゃないか、って。持ち去られたんじゃないか、って。
もし、彼女のランドセルが盗まれたとしたら……どうして、一緒にいたのに、俺が注意を払わなかったんだ、って叱られるんじゃないか。
そもそも、学校が終わった放課後、小学校低学年の二人が夕方まで寄り道をしてるのは、どういうことだ、って。
なんで、女の子と遊んでいるんだ、と。
うちは親というより、祖父が厳しかった。すぐに怒るし、怒られたら
時間が経つ。東の空を染め上げる墨に、星々の
多分、探し始めて一時間も経っていない。
でも、凄く長く感じた。
彼女のランドセルを探し出さなきゃという使命感は、いつしか恐怖感に支配され、俺はパニックに
低学年の小学生が持ちうるキャパシティーはとっくにオーバーヒートし、俺は思考より本能に
――逃げた。
何か、悪さをしたわけじゃない。
だと云うのに、怒られる/叱られる、という恐怖に
俺は悪くない、と自分を言い聞かせて――
俺が家に着いた時、それは子供にとっては十分な夜だった。
親に叱られ、祖父にどなられ、俺は泣きながら食事をしたっけ。
正直、記憶が飛び飛び。
あまり、詳しく覚えていない。その後のことは。
翌日、俺は教室で、いつもと変わらぬ彼女の姿を見た。
彼女のあの、真っ赤なランドセル、ちゃんとある。
――そっか、見付かったんだ。
なんとなく、そう思った。
でも、それ以上、詮索しなかった。
だって、詮索したら、俺が逃げたのが、逃げ出したのがバレてしまうから。
彼女は、俺の
恐らく、
その挙動、表情、それだけで、そうと分かる。彼女の考えは、顔を見ただけで分かる、それくらい一緒に過ごしてきたんだ。
だが、俺は避けた。距離を置いた。話し掛けられないように。
公園から逃げ出した俺は、気恥ずかしくて、彼女と顔を合わせられない。逃げ出したことを責められでもしたら、俺はもう、どうなってしまうのか分からない程、罪悪感に苛まれていた。
約束なんてしたことなかったけど、いつも自然と二人で行っていた公園への寄り道は、その日を境に消滅した。
今思えば、アレが俺にとって、初めての黒歴史だったのだろう。
今の今まで、忘れていた。
毎日、毎日、保育園の時から一緒に帰って、公園で遊んでいた彼女との思い出。それを、今まで忘れていた。いや、封印していた。その記憶を。あのたった一度の
午後の授業、クラスで一人だけジャージ姿の彼女。その不自然に濡れた黒髪。暗い表情。
注意して見れば、いや、注意せずとも、よくよくおかしい。机の上には彼女自身とは無関係のラクガキまみれ。教科書はボロボロ。サイドにかけたバッグにはゴミが詰められいる。ジャージにも不自然に割かれた
あまりにも不自然、誰の目からみても異常。
なのに、先生はいつも通りの授業。クラスのみんなも取り立てて変化はない。
触れない。誰も。一言も。馴染んでいる。その異常な姿が、日常の中に、なぜか溶け込んでいる。
俺も、今まで気付かなかった――
――いや、気付いてはいたんだ。
そう、見てみぬフリをしていただけなんだ。
彼女が、クラスからハブられているのを。目立つ女子グループからイジメられていることを。
目立つ女子グループとやんちゃな男子グループは仲が良い。
そのグループ達が、クラスを、その空気を“支配”していたんだ。
考えもしなかったが、俺はその気味の悪い空気感に
もし、俺が彼女を擁護したら、今度は俺が標的にされる、という恐怖感に。
俺の正義感は、小学二年の時の、あの公園の出来事以来、消失したんだ。
俺は、あの黒歴史の失態を、またも繰り返していたんだ。
気付いた。気付けたんだ。
でも、行動に起こせない。
彼女に、彼女に近付き、彼女を助ける言葉も態度も、なに一つ示せない。
卑屈過ぎるちっぽけな俺はただ、米粒程にも満たない正義感に心を痛め、罪悪感をひしひしと感じながらも、本能的なリスクの回避を求め、今もまた、逃げていた。
俺は彼女に対し、クラスのみんなに対し、なにも云わない、を選択したのだった。
そして彼女は――
――学校に、クラスに、姿を現さなくなった。
それから一ヶ月ほど経った時だろうか。
クラスに彼女の姿がないことが、日常となったその日、突然の発表が担任からなされた。
その内容は、彼女が転校する、という内容だった。
その発表はごく短く、ほぼ一言で終わった。
僅かにクラスでもざわついたが、授業が始まると強制的にその話題は掻き消された。
俺は、耐えられなかった。
その事実に。およそ、考え得る、予想できる範疇の内容だと云うのに、その衝撃は胸を貫くほど。
一時間目の授業なんて、頭に入らなかった。
もやもやが、大きなうねりを上げ、その衝動を抑えられきれなかった。
俺はトイレに行くと云って退席した。
授業を抜け出し、学校を抜け出し、走った。
無心で走った。
行き先は――彼女の家。
もう何年も彼女の家に行ったことなんてない。通りかかったことさえ、ない。
でも、彼女の家がドコにあるかなんて、分かっている。知っている。忘れようはずがない。
長距離走が苦手な俺が、脇腹が痛くなり、息があがることさえ意も介さず、とにかく走った。彼女の家へ。
行ったところで何もない。
でも、そんなこと、どうでもいい。
とにかく、俺はとにかく、彼女に、彼女の顔を見たかった。
奇跡――
大きな箱トラが、彼女の家の前につけられている。引っ越し業者のそれ。
その近くに、記憶の片隅にある見覚えのある人が。
彼女の、彼女のお母さん、だ。
汗だくで息も絶え絶えの俺は、彼女に会わせてくれ、と懇願した。
彼女のお母さんは、俺を、幼い時の俺の面影を覚えていてくれた。
おかげで、すんなりと、彼女を呼んでくれた。
玄関から出てきた彼女は、彼女はキラキラしていた。
いつもクラスの
開放感からなのか、新天地への希望からなのか、彼女は、そう、彼女はあの幼き日に見た明るい笑顔の姿を、満面の笑みを俺に見せてくれた。
彼女の姿を一目見た瞬間、俺はもう耐えられなくて、耐えられなくて、泣いた。
「ごめん」――
一言、ぶつぶつと云うように、それしか云えなかった。
多分、俺は酷い
泪を流し、鼻水まで垂らし、
泪でかすむ先、彼女も困惑した表情を浮かべているのが分かる。でも、感情が抑えられず、俺は泣きまくった、あの時のように。
――そうだ。
公園で彼女のランドセルが見当たらなくなった時、探しても探しても見付からなかった時、あの時も俺は泣いていたんだ。
どこを探しても、どんだけ探しても、どこにも彼女のランドセルがなくて、見付からなくて、くやしくて、くやしくて。彼女が悲しむ姿を見たくなくて、もう必死に探したのに見付からなくて。
彼女に、大好きな彼女の前で泣くなんて、そんなみっともない姿、俺はしたくなかったんだ、
彼女へのいらずら、いじわるは、彼女に対しての男らしさを履き違えた幼さ故。だから、彼女の前で泪を流すなんて、そんなかっこ悪いマネ、できやしないのに。
恥ずかしい。でも、そんな恥ずかしさなんて、今もあの時も関係ない。泪が止めどなく
そんな泣きじゃくる俺に、そっとハンカチを差し出す彼女の一言。
「……泣かないで」
無造作に彼女の手からハンカチを奪い取り、泪を拭いた。
泪を拭いたら、少しだけ落ち着いた。
鼻を
「……ごめん」
「ありがとう」
え!?――
彼女からの意外な一言に、俺は困惑。
なにに対して、彼女は俺にその言葉を発したのか。
意図が、なぜ、ありがとう、なのか分からない。
「いつも、わたしのこと、気に掛けてくれて、ありがとう」
――えっ!?
どういうこと!
俺は、俺は、俺はずっと、ずっと、ずっと君のことを、無視していたのに。忘れていたのに。
「ありがとう、やっと返せた」
なにを?――
なんの話……
――あっ!?
このハンカチ。
あの時、転んで膝を擦り剥いた彼女に差し出した、俺のハンカチ。
どうして、こんな古いモノを?
「洗って返すね、って約束したから」
――ああ。
そんなことを云われた気がする。
濡れハンカチを膝に押し当てさせた時、耳元で。
昔話――
中学生の俺達が、それを昔話と呼ぶのは、少しおかしいのかも知れないけど、彼女は懐かしい話をしはじめた。
「もう、あの時は本当にビックリしたんだよ!
駄菓子屋のおばちゃんからランドセル渡された時、一緒にあったメモ見て、ちょっと感動しちゃったんだから、ね」
――なんの話、だ?
駄菓子屋のおばちゃん?
ああ、いつも公園帰りに寄る駄菓子屋のことか……
あッ!!
俺はいつも放課後、公園に行くまで、彼女のランドセルも一緒に持って歩いたんだっけ。ちょっと距離があるから、重いランドセルを彼女に背負わせたままだと可哀想だから。
あの公園は、学校からの帰り道にあるわけじゃない。
一度、県庁のある
だから、学校と家の間にある駄菓子屋の前を二度、通り過ぎるんだ。
そうだ、あの日――
俺は、彼女にいらずらをしてやろうと思ったんだ。
駄菓子屋のおばちゃんは、いつも店の前を歩く時、声をかけてくれた。
だから、彼女をビックリさせてやるつもりで、彼女のランドセルをおばちゃんに預けたんだ。
なんで、今の今まで忘れてたんだ?
――違う。あの時、既にあの時、忘れてたんだ。彼女のランドセルがなくなったその事実が、楽しい一時を過ごしていた俺にとってはあまりにも衝撃過ぎて、自分で仕掛けたトラップに俺自身が引っ掛かり、泪ながらに探しちまったんだ。そのどうしようもないくらいの気恥ずかしさに後で気付き、俺は押し潰されちまったんだ。
自らの記憶に蓋をするほど、に。
おばちゃんにランドセルを預かってもらう時、きったない字で書いたメモも渡した。帰り道、彼女にランドセルを返す時、一緒に渡してくれって。
メモの内容は――
「ドッキリ大成功!
バーカ!なくなったと思った?
でも、本当に困ったことがあったら、俺にいえよ!絶対、助けてやるからさ!!!」
彼女は、俺の書いたメモの内容を代読した。
なんで、そんな昔のこと、覚えてるんだ。
「ハンカチは返したから、ね――でも、メモの方はもらっておく、ね」
なにを云ってるんだ。
メモの方?
あんな昔のメモなんて、もしかして、まだ、持ってるのか??
「メモ……まだ、あるの?」
「うん、大事にしまってある、よ」
「――そ、そうなんだ……でも、だったら、なんで――」
「――困ったことなんて……一回もなかったから。一回もなかったから、助けて欲しいことなんて、なかったから――本当、だよ」
笑顔。
輝くほどの。
その笑顔の彼女の瞳から、一条の泪が頬を
「困ったことなんて、なかったの。それよりも、困らせちゃう方がイヤだから……」
「……」
「急に引っ越し決まっちゃったから、なんの話もできなかったけど――」
「…………」
「わたしは困ったことなかったけど、もし、困った人がいたら、わたしの代わりにその人を助けてあげて、ね」
「――」
「わたし、信じてる、から――」
「……」
「――わたし……○○だったんだから、ね」
「……俺も……○○だ」
「――うん、知ってた!、よ」
「……」
彼女、満面の笑み。
なんて、切なくも強い、明るい笑顔なんだ。
俺は臆面もなく泣きじゃくった。
そんな顔を、俺に、今の俺に向けるなんて――卑怯――だ。
そして、俺も――卑怯――だ。
強いな、彼女は。
それに比べ、俺はなんて弱いんだ。
俺も、強くならなくちゃ。
彼女のように。彼女のようなひとのために。いや、自分のため、か。
――痛む。
心が、ずきずき、と。
とうに忘れたはずの、冷たく冷え切った心が、今、熱く、熱く、ふつふつ、と。
戻らない時に、
そして、彼女に、
さよなら。
俺の思い出に、
あやまちに、
さようなら――
初恋に、
――ありがとう。
※ ※ ※ ※ ※
「おいッ!なにやってんだ!」
「えっ!?ナニ、コイツ?カンケーないでしょ、アンタ」
「やめろ、そんなこと!!!」
別のカモを見付けたアイツら。
他人のバッグに生ゴミを詰め込み、スマホで動画を撮ろうとしてる、その派手な女の子に、強めに注意する。
いつもの連中。手に負えない。今までであれば。
だが、今は違うんだ――俺がいる!
「おめぇー、つまんねーこと、すんなよ!」
横から野太い声。
ソイツと仲の良いヤカラみたいな男子が凄んでくる。
分かり易い構図。派手なヤツと調子に乗ってるヤツ。
その無意味な暇潰しというヒエラルキーとその構築、そんなつまんねーモノこそ、他にはない。
「つまんねーことしてんのは、おめぇーたちの方だろ!」
――ガッ!
殴られた。
すっげー、いてぇーよ、くそっ!
このバカヤロー共、すぐ手を出してきやがる。ムダに体デケーだけの、このヤロー!
すっげー痛ぇーよ、泣き出したいほど。
でも、さ?
こんな痛み、なんてことねーんだよ。
心の奥底に刻まれる痛みに比べれば、なんてことねー。
彼女の前以外では、もう泣かねー。
泪は、そんな下らねーことに流すもんじゃねー。
足が
ヤツには仲間がいる。そいつらも手を出してくるだろう。
でも、それでこっちが勝手に
ああ、分かってんだ。
そー云うやり口。きったねー、クソみたいなやり口。
退くわけねーだろ。
勝ち負けじゃねーんだ。
ただ、退かねー、ってヤツが一人でもいたら、そうと周りが分かれば、もう、その立場を続けられねーからな!
見せてやるッ!
負けたっていい。
退かねー!
曲げねーぞ。
困ってるヤツを、俺は助けんだ!
イクぞ!!!
「イジメてんじゃねーよッ!!!」
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