第59話 星空の下で

 あれから、ガイは、正式にティザーナ国王の座を継ぎ、国民の後押しを受けながら、約一年かけて新体制を整えた。そして、軌道に乗ってきた頃、婚約を発表したのである。相手はフローアン女王の養女であるリル・ホフマンだ。レイズ政権になってから敵対していた両国が再び手を取り合うことを象徴するかのような文句なしの組み合わせだと言われた。

「楽しみだなあ」

 結婚式は、ガイの希望で国境にあたるザルク村の教会で執り行われることとなっている。国境なら、どちらの国からでも参加できるという配慮でもあった。そんなわけで結婚式前夜でもある今日、ガイは久しぶりに故郷に帰ってきたのである。緑豊かな村が見えてくると、やはりほっと心安らぐ。

「おめでとうございます!」

 ティザーナ王国から馬を飛ばしてきたガイは道行く人々に祝われながら、村に入った。ティザーナ王国だけでなく、フローアン王国までお祝いムードに包まれているとサーシャから聞いてはいたが、予想以上の盛り上がりにびっくりした。色々な人に話しかけられて、全然前に進まない。

「まずい。リルとの待ち合わせの時間に遅れる……!」

 街の人と話すのは楽しいが、ほどほどにしないと今日はリルとの大事な約束がある。ガイは、人通りの少ない道に入り、こそこそと待ち合わせの場所へ駆け出したのだった。


 ガイよりも先にザルク村に来ていたリルは、宿屋の一室から外を眺めていた。眺めているだけでも、村を歩く人々がお祝いムードで浮かれているのがよくわかる。

「さて。そろそろ行くか」

 そろそろガイもザルク村に着く時間だ。ガイに指定された場所に行くため、外に出る。もう夕方だが、飲めや歌えやのお祭り騒ぎ状態の街に繰り出す。宿屋がある村一番の大通りをはじめ、いつも静かなザルク村がこれでもかというくらい盛り上がっていた。

 リルは、結婚式でガーウィン国王の妻として紹介されることになっている。だから、まだ両国の国民にリルの顔は割れていないのだ。つまり、今日が周りを気にせず堂々と街を歩くことができる最後の日でもある。大勢の人で賑わっている大通りを北に向かって進んでいると、

「いよいよ明日ですな」

 片手に大きなビールジョッキを持ったアランと彼を支えるかのように腕を組んでいるジュエルに出くわした。アランはすでに酔っているらしく、腹の底から出しているような豪快な声で笑っていた。つられてリルまで笑顔になる。

「私が選んだドレスですもの。明日は世界で一番美しい花嫁さんになれるわよ」

 ジュエルが満面の笑みで微笑む。結婚の報告をしたとき、若い子におしゃれをさせるのが大好きなジュエルは自分のことのように張り切り、一緒にウェディングドレスを決めてくれた。素地はいいが、おしゃれにあまり興味がないリルは今回もとても助かったのである。

「ありがとうございます」

 自分が花嫁になれるなんて去年の今頃は思ってもみなかった。しかもこんなに大勢の人に祝ってくれている。夢のようだった。

「それじゃあ、独身最後の夜を楽しんで!」

 アランがいつの間にかビールジョッキとは反対側の手に葡萄酒の入ったグラスを持っている。

「もう。あなたったら」

 浮かれて酔いしれているアランをジュエルが呆れたように諫める。子どもを亡くして落ち込んでいたというが、2人ともようやく立ち直ってきたみたいだ。いくつになっても手を取り合い、寄り添って生きていけたらいいなと思う。陽気なアランたちと分かれ、リルは再び人でごった返す大通りを進んでいった。

「幸せそうで何よりだ」

 大通りを抜けて広場に出ると、白いベンチにイルマ夫妻が腰かけていた。ミカミの腕の中には先月生まれたばかりの赤ちゃんが抱かれていた。赤ちゃんはお祭り騒ぎの村に動じることなく、ミカミの腕の中ですやすやと眠っている。

「かわいいですね」

 柔らかそうな頬を思わずつんとつつきたくなる。赤ちゃんは女の子らしく、フリルのついた優しいピンク色の服を着ていた。

「そうでしょう? 抱っこしてみる?」

「い、いいのですか?」

「もちろん。むしろ未来の王妃様に抱っこしてもらえるなんて、光栄だよ」

 戸惑っているリルにミカミがそっと赤ちゃんを渡す。小さいけれど、ずっしりとした命の重みが伝わってきた。しかし、リルが抱っこしてすぐに、母親と違うことに気づいたのか赤ちゃんが目を覚まして泣き出してしまった。

「ははは。王妃様に抱かれるのは恐れ多いってさ」

 赤ちゃんもびっくりしたようだが、リルもびっくりした。慌ててイルマに赤ちゃんを返す。

「もう。からかわないでくださいよ。ファナック宰相」

 イルマの腕の中におさまると赤ちゃんはぴたりと泣き止んだ。イルマもぴたりと固まる。

「どうも慣れないな。宰相っていう呼び名は」

 イルマは去年からずっと城に残り、財政をはじめ、基本的な政治体制を整える手伝いをしてくれていた。そのため、ガイが宰相に任命したのである。

「頼りにしていますよ?」

 最初のうちはよくけんかしていたようだが、最近は仲良くやっているらしい。イルマがいてくれるとなんだか心強かった。

「それはどうも」

 照れているのかイルマがぶっきらぼうに答える。

「これからもよろしくね」

 素直になれない夫に代わり、ミカミが優しくおっとりと答える。

「こちらこそ」

 幸せそうなファナック家と分かれて、再び北へと歩き出す。明日はリルたちを祝福してくれるであろう教会の鐘が見えてきた。日はすっかり傾いたが、やはり今日は落ち着く気配は微塵もない。

「結婚式前日に稽古でもどう?」

 教会の前には、屈強な男たちを連れたリュクスがいた。リュクスは将軍に任命され、ティザーナ軍を取り仕切っている。根がまじめなだから、上の指示には忠実に従ってしまうリュクスだけど、上にいるのがガイだからか最近はずいぶん穏やかになった。雪女と呼ばれていたのが遠い昔の出来事のようだ。

「練習熱心だなあ。こんなところでも」

 と言いながら、リルも実は試合をしたくてうずうずしていた。しかし、さすがに結婚式前なので、花嫁らしく自粛している。

「当たり前でしょ? まだあなたに勝っていないのだから」

 将軍になってからというもの、なかなかそんな時間が取れないものだから、リュクスも試合をしたくてうずうずしているらしい。つんとしていて素っ気ない言い方だが、これもリュクスなりの愛情表現である。色々なことがあったけど、ちゃんと仲直りした今、リュクスは大切な幼なじみであり、剣のライバルであることに変わりなかった。

「わかった。ティザーニアに戻ったらやろうよ」

 レイズに痛めつけられた傷もすっかり治ったことだし、戻ったら久しぶりに剣を持つのも悪くない。

「約束よ!」

「うん!」

 リュクスの弾んだ声を聞いて、リルまで嬉しくなった。うきうきしながら、先を急ぐ。だいぶ道草をしてしまったが、間に合うだろうか。速足で進んでいると、

「田舎にしては立派な教会じゃのう」

中心部を抜けて、ゆるやかな坂道に入ったところで教会を眺めているサーシャに出会った。ティザーニアにある教会ほど大きくもないし、ステンドグラスや装飾で華やかなわけでもない。

「村のシンボル……らしいですね」

 前回来たときには、ここでガイと結婚式を挙げるなんてこれっぽっちも思わなかった。人生はいつどこでどうなるかわからないものである。

「そうらしいのう。鐘の音は少々うるさいが……悪くない造りじゃのう」

 教会は、れんが造りの重厚な趣ある姿で今日も静かに佇んでいる。あの時は、昼と夜に奏でられる鐘の音が耳障りでならなかったが、今のリルには心地よく感じられた。

「そうですね」

 サーシャと一緒に教会をまじまじと眺める。明日はここが村同様、賑やかになるのだ。それを想像するとなんだか心ときめいた。

「それで? 花嫁がこんな時間にどこへ行く?」

 サーシャが疑いの眼でリルに尋ねる。

「ガイから結婚式前に幸運の花を見に行かないかって誘われたんです」

 1年前の今日。初めてこの村の丘で幸運の花を見た。あの時の感動を今もリルは忘れられない。

「相変わらず自由な男じゃのう。しっかり手綱を握れよ?」

 ガイはもともと面倒見がよくて、優しい性格だから、国王になっても自分の心の赴くままにのびのびとしているだけで仕事はさくさくと進む。リルからしてみると、それは、一種の才能のようなものだった。

「任せてください」

 ガイのおかげで城の雰囲気もずいぶん変わった。街の雰囲気もずいぶん変わった。これからもどんどん変わっていくだろう。その変化をリルも一緒に見届けていきたい。

「じゃあ、あとは若い2人で楽しめ。年寄りは眠いから寝る」

 サーシャはそう言い残して、暗闇へと消えていった。

 ガイから指定されたのは、村の北側にある村長の家の近くの大きな楠の木の前だ。

「ここでいいよね……?」

 背後に幸運の花畑に続く一本道がかすかに見えるだけで、周りには楠の木以外何もない。村の喧騒をものすごく遠くに感じられるくらいの場所だが、本当にここで合っているのだろうか。なんだか不安になっていた時、

「兄貴! お帰りなさい!」

 ひょっこりと楠の木の空洞からラティオが顔を出した。

「び、びっくりした!」

 ラティオに不意打ちされて寿命が縮まる。

「あれ? リルさんじゃないですか。兄貴は?」

 相手がガイではないとわかると、ラティオは心底残念そうな顔をした。

「なんじゃ。ガイはまだなのか?」

 その隣からひょっこりと村長が顔を出す。

「まだみたいですね」

 驚かされて、残念そうな顔をされるなんて貧乏くじもいいところだ。人のことは言えないが、ガイはどこで油を売っているのだろう。今日、仕事はしないと言っていたはずだが。

「ところでリルよ。ガイから聞いて、わしは思い出したぞ」

 木のうろの中で大樹がぽんと手を打つ。

「何を……ですか?」

 ガイは何をタイジュに吹き込んだのだろう。リルはきょとんと首を傾げた。

「20年前、わしが泊めたのはお前の母親であるエレナ・アーノルドだったのじゃ。思えば、この辺りの豪農の家系図の研究をしている歴史学者だから、研究のために家系図を見たいと言ってやってきた風変わりな客であった」

 レイズから真相を聞かされた今なら、話が繋がる。リルの父親であるルイスと母親であるエレナはマリーとガイを助けるために、きっと周到に用意していたのだろう。

「そうでしたか……」

 暗殺者は、自分の幸せを顧みず、ひたすらレイズに忠誠を尽くして働かなければならなかった。だからこそ、リルの両親は家族を持つことに憧れ、その姿をガイたちに重ね合わせたのだろう。

「じゃが、何せ美しかったもので、わしはめいっぱいもてなしてしもうたわい。ラティオの両親も病で亡くなったばかりでのう、よく遊んでくれたから、助かったのじゃ」

 タイジュが頭を掻きながら笑う。

「血筋ってやつですね。どっちも」

 リルが美しいのもラティオが女に尽くすのも先祖代々伝わってきた遺伝子というところか。なるほど。ラティオの言うことにしては的を得ていた。

「泊めてくれたお礼にと言って、これを置いていったのじゃよ」

 タイジュはそう言ってごそごそと懐から何かを取り出した。

「これは……?」

 ガイが持っていたペンダントによく似た赤い石が持ち手の部分についている立派な短剣だ。石がついている部分の反対側には、王家の紋章が描かれていて、金で作られた鞘がきらきらと輝いていた。

「ガイから話を聞いて調べてみたら、大昔は父方、母方ともにティザーナ王家に仕えていた立派な騎士だったようじゃ。これはその中でも主席に当たる騎士が国王を守るために持っていた剣らしい。いつの間にか没落して、ああなってしまったようじゃがのう」

 家族について何も知らなかったリルは目からうろこが落ちるような想いだった。あの忙しい日々の中で、いつの間にガイは手を回していたのだろう。

「そうだったのですね……」

 ガイが大切な物というペンダントを羨ましく思っていた。自分にもそんなものがあると分かっただけでも嬉しい限りだ。

「形見としてやろう」

 タイジュはにこりと笑うとリルに短剣を手渡した。

「よろしいのですか?」

 渡されるままに受け取ってしまったが、本当によかったのだろうか。

「うむ。本来、それはリルが持つものじゃからのう」

 そう言われても、タイジュに渡したものだから、タイジュが持っておくべきなのではないだろうか。返そうとすると、

「じいちゃんが持っていても宝の持ち腐れですから、気にすることないですよ」

 ラティオがタイジュの隣で爽やかに笑う。

「これ。ラティオ」

 狭いうろの穴でぎゅっとくっついている2人はなんだか小動物のようで、とてもかわいらしかった。

「ありがとうございます」

 隣で見ているとなんだか和やかな気持ちになる。血が繋がっている家族というのはいいものだなと思った。

「今はフローアン王家の養女じゃが、本来のルーツも決して恥じるものではない。胸を張ってリルらしく生きていくとよい」

 リルらしく……というタイジュの言葉に想いを巡らせる。王妃になったら剣はなるべく持たないつもりでいた。しかし、そういうことなら、やっぱり本能に従うことにしよう。

「はい!」

リルは心を決めて、短剣を懐にしまった。やっぱりリルには剣が必要だ。今となっては一心同体なのだ。ガイに何かしようとする輩がいたら、これで守ってあげようと思う。

「それにしても、兄貴、遅いですねえ……まさかザルク村で迷うなんてことはないと思うんですが……」

 話がひと段落したところで、ラティオがぼそりと呟いた。

「わからんぞ。6年も経つと微妙に村も変わっているからの」

 村長がしっかりと蓄えた白いあごひげを触りながら唸る。

「そうですねえ……」

 ガイは、筋金入りの方向音痴だ。その気持ちはリルもわからなくもない。3人で思案していると、

「ごめん。遅くなった!」

 ばたばたとガイが楠の木の前に駆け込んできた。

「兄貴! おめでとうございます!」

 ラティオが再び空洞の中から笑顔で叫ぶ。

「なんでラティオがいるんだよ!」

 ガイもリルと2人きりだと思っていたらしく、ラティオの登場に驚いていた。

「墓参りに行くと言うから、驚かそうと思って待っていたのじゃ」

 タイジュが生き生きとその隣で喋り始めた。まるで少年に戻ったかのようだ。

「村長もこんなところで一緒に騒がないでください」

 ガイが口元に人差し指を当てて、騒いでいる2人に静かにするよう注意する。しかし、

「静かにはしていられないですよ。なんといっても、今夜は前夜祭ですからね」

 ラティオは相変わらず騒がしい。一方、

「お前が妻をめとる日が来るとはのう。感慨深いものじゃ」

 タイジュは目に涙を浮かべて、物思いにふけっていた。

「とにかく……今日はお忍びだから大人しくしていてくださいよ」

「はあい」

 ガイとラティオたちのやりとりはいつ聞いてもテンポがいい。苛立った時に聞いていると、なお苛立つ時もあるが、心穏やかな時に聞くと、癒される。

「全く。好きなこと言って……行くぞ。リル」

「う、うん……」

「末永くお幸せに!」

 笑顔で大きく手を振る村長とラティオに見送られて、一本道を上がっていった。幸運の花畑はもうすぐだ。

「悪いな。遅くなって。今日は仕事しないつもりだったのに、なかなか終わらなくてさ。村に着いたら着いたで、色々な人に捕まるし……」

 村長とラティオが見えなくなったのを見計らって、リルと手を繋ぎ、言い訳をし始めた。言いたいことは山ほどあったが、大きな手に包み込まれると、幸せな気持ちになって、細かいことはどうでもよくなってきた。

「ううん。それより仕事は大丈夫なの?」

 あれから1年経ったが、まだやることは果てしなくあるらしい。いつ見てもガイは忙しそうだった。

「とりあえず落ち着いた……かな。まあ、リュクスはおっかないし、イルマも相変わらず嫌みっぽいけど。あとは帰ってから片付けるよ」

リュクスもイルマも数々の修羅場をくぐってきた強者だ。ガイだけでは手に負えないだろう。

「なんかわかるかも……」

その様子が目に浮かんでくすりと笑う。

「……だろ?」

ガイもつられて笑ってくれた。

変化のない一本道もガイと一緒ならどこまでも行ける。ガイと話すのは楽しくて、あっという間に幸運の花畑に着いた。

「きれい……」

 花畑では、1年前の今日と同じように白い小さな花たちが一面に咲き誇っていた。今回は夜だから、頭上には満天の星が輝いており、花たちは満月の光に照らされて神秘的な雰囲気を醸し出していた。

「夜の幸運の花もいいだろ?」

 前回以上に美しい光景に感動して見入っていると、ガイが満足そうに笑っていた。

「素敵だね」

 そう言いながら、花畑の間にある道を2人で並んで歩く。ガイは歩きながら、適当に花を摘み、あっという間に花冠を作ると、リルに手渡した。墓石にかけるのはリルの仕事……ということらしい。

「今度、教えてよ。花冠の作り方」

 手品のように一瞬にして作るから、リルもなんだか作ってみたくなった。

「おう。来年は、手取り足取り教えてやるよ」

 嬉しそうにガイが微笑む。これは説明が長くなりそうだ。

「楽しみにしているよ」

 来年もこの先もずっとガイとそばにいられるのだ。もう急がなくていい。この人と一緒に焦らずゆっくりと歩んでいこうと思う。

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