第58話 門出

「わらわから逃げられるとでも思ったか? レイズめ」

 馴染みのある声がして振り向くと、玉座の間の方の階段にサーシャがしたり顔で笑っていた。

「サーシャ様。いつからいらっしゃったのですか?」

 サーシャに気配を消す特技があったなんて知らなかった。

「最初から話は聞かせてもらったぞ。城でリュクスという名の女に会ってのう。居場所を教えてもらって、様子を伺っておったのじゃ」

「それなら早く出てきてくださいよ」

 傷だらけのリルに無理させなくてすんだのに。不服そうなガイを尻目に、

「取り込み中じゃったからのう。若いお2人が熱々なもんじゃから、40代独身の女は出るに出られんかったのじゃ……」

 サーシャがわざわざポケットからハンカチを取り出して涙をふく素振りを見せる。

「そこからですか?」

 完全に2人の世界に入っていたから周りなんて全く見えていなかった。あれを見られたのかと思うと赤面してしまう。

「そうじゃ。こっちが赤面したぞ」

 サーシャはそう言って、小さな子供のようにふてくされていた。

「すみません……気づかなくて」

 まずい。完全に機嫌を損ねている。ガイは慌ててサーシャに謝った。

「まあ、よいわ。二人とも無事でよかった」

 サーシャは慌てているガイなんて気にも止めず、リルに視線を落とした。ガイの腕の中にいるリルは、なんだか安らかな表情で眠っていた。

「俺は、リルとリルの両親に生かされたんですね」

 ガイを助けてくれた黒いローブの男女はリルの両親だった。そして、その子どもであるリルに何度も窮地を救われた。人と人との縁というのは不思議なものだ。ガイは感銘を受けていた。

「我らは頭が上がらんのう。感謝してもしきれんわい」

 サーシャもガイが今まで見たことがないくらい穏やかな瞳でリルを見つめている。きっと感慨深いのだろう。

「そうですね。よく休ませてあげましょう」

 ガイはリルを抱え上げると、サーシャを先頭にして外へ出た。外の世界が眩しく感じられるくらいの光が降り注ぐ。暗闇の世界から戻ってこられたのだ。リルと一緒に。

「リル!」

 外に出ると、イルマがすでに待ち構えていた。ガイに抱きかかえられている傷だらけのリルを見て、はっと息を飲む。

「大丈夫だ。眠っているんだよ」

 穏やかな寝息も温もりもガイには伝わってくる。早く元気になってほしいものだ。

「今度こそ頼んでいいんだな?」

 イルマが改めてガイに問いかける。ガイに対して、疑念を抱いているのが痛いほど伝わってくる。すると、

「幸せにしないと許さないわよ」

 追い打ちをかけるように、背後からティザーナ王国軍の格好をしたリュクスが颯爽と現れた。

「当たり前だろ? 絶対に離すもんか」

 ガイが力を込めて答えると、その場にいたみんなが優しい微笑みを返してくれたのだった。

 これから新しい毎日が始まる。ガイにとっては未知の世界だが、なぜか不安よりも期待の方が大きかった。そんなガイの門出を祝うかのように頭上にはすっきりとした青空が広がっていたのだった。


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