第57話 最後の戦い

 リルは十字架に縛り付けられたまま、うつらうつらしていた。レイズがどこかへ避難して、体を痛めつけなくなると、傷の痛みを通り越してどっと疲れが出てきたのである。そんなもうろうとする頭でリルはガイのことを想っていた。ガイの本当の名前は、20年間ずっと行方不明だったガーウィン・メナードだ。この国の王子でありながら、いつも屈託ない笑顔を浮かべていて人懐こい。そのくせ、社交場の知識やマナーは完璧でとても優雅であり、剣を持たせるととたんに凛々しくなる。そんな人に愛されたのだ。リルは、いまだに信じられない気持ちでいた。

「リル……!」

 かすかにガイの声が聞こえる。

「え……?」

 声が聞こえてきた方にガイが立っているような気がした。しかし、ずっと痛めつけられていたせいでうまく頭が回らない。夢なのか現実なのかはっきりしなかった。

「助けに来たんだ」

 聞き覚えのある優しい声が聞こえてくる。間もなく縄がほどかれ、ぽかぽかと温かい何かに包み込まれたのを感じた。

「ガ……イ……?」

 何が起きたのか理解しきれず、力を振り絞って尋ねる。すると、

「そうだよ」

 目覚めたばかりでぼうっとしていたリルに、そっと口づけをしてくれた。柔らかい唇を感じ、はっとして目を開ける。目の前には確かにガイがいた。

「来て……くれたんだ」

 ぽかぽかと温かいのはガイの腕の中だからか。だんだん意識がはっきりしてきて、ようやくその実感がわいてきた。自分もこの城もガイが助けに来てくれるまでなんとかもちこたえたのだ。奇跡だと思った。

「ごめんな……俺のせいで……こんな目に遭わせて……」

 ガイはぎゅっと抱き寄せるとリルの目をはばかることなく、泣き始めた。ずっと自分のことを狙っていた暗殺者のために泣いているのか。

「バカ……」

 なんでガイが謝るの。お人好し。もっと意識がはっきりしていたなら、そう言ってやりたい。

「やれやれ……急に砲台の攻撃がやんだと思って様子を見に来たら、こういうことでしたか……あなたもしぶとい男ですね」

 静かに近づく足音が聞こえ、レイズの淡々とした声がした。ガイが来た方向とは反対の階段からゆっくりと下りてくる。

「レイズ……!」

「おっと。やる気なら、お相手しますよ。2人仲良くあの世に送って差し上げましょう」

「のぞむところだ……リルにこんなことしやがって……ただじゃおかないからな」

 レイズが腰の剣を抜くとガイもそれに対抗して、剣を抜いた。鋭いにらみ合いが続く。

「気をつけて」

 壁際にもたれかかり、リルはガイを送り出した。剣さえあれば、自分も加勢できるのにと悔しく思う。

「ああ。20年前の決着をつけてやる!」

「それはこちらの言葉です! 覚悟しなさい!」

 レイズとガイがお互いに剣を抜き、最後の決戦に臨んでいく。ティザーナ王国の未来を賭けて。

 ガイの太刀筋は悪くないが、レイズはそれよりもはるかに軽やかな動きでかわしていく。しかし、あまり余裕がなさそうなのにも関わらず、ガイは、リルが人質にとられることを警戒しているのかレイズとリルの間に立っての攻撃を心掛けているようだ。人の心配をしている場合じゃないと思いつつ、ガイのそんな心遣いが嬉しかった。ただ、ガイが劣勢なのには変わりない。リルははらはらしながらその様子を見ていた。

「父親によく似て、小賢しいことこの上ありませんね」

 どちらかといえば、ガイが押されている。そんな中でもレイズは余裕で何やら話をし始めた。

「悪かったな……!」

「野蛮な民衆なんぞこきつかえばいいのです。昔から私はこのやり方を気に入っていましたから、あの日も襲わせました。暗殺者の名は、ルイス・アーノルドという男とエレナという女でした」

 アーノルド……? どういうことだ。

「まさか……」

 ガイもその名前に反応した。ただでさえ押されているガイは、不意を突かれて切られそうになったが、なんとかかわした。剣の試合を見るというのは、心臓に悪い。

「ええ。その女の親ですよ。暗殺者は私のしもべですから、家族を持つことなど許されません。しかし、家族……というものに憧れていた2人は、仲間だった野盗たちを裏切り、マリー王妃とガーウィン王子を逃がしたのです。そして、そのどさくさに紛れて自分たちも逃げた」

 レイズは勝ち誇ったように薄気味悪い笑みを浮かべる。

「俺の命の恩人だったのか……」

 話の流れからすると、そういうことになる。急にそんなことを言われると混乱して、頭がついていかない。しかし、レイズは顔色一つ変えずに淡々と続けていく。

「探しましたよ。裏切り者は始末しないといけないのに、いつまで経っても出てこないのですから。しかし、あの事件から3年。ようやく見つけて、全てを白状させました。その女が生まれたばかりの頃でしたね。卑しき者が命乞いする姿は実に見物でしたよ」

 この男はガイの父親の仇であり、リルの両親の仇でもある。そう思うとただならぬ怒りがこみあげてきた。剣さえあれば、叩き切るのに。剣がないのはもちろん、剣を持って立ち上がる体力が残っているかどうかも怪しい。唇をかみしめて静かにレイズの話を聞くしかなかった。

「なんてことを……!」

 ガイはリル以上に戸惑っているらしい。戸惑いによってできた隙をレイズは狙っている。リルにはそれが手で取るようにわかるが、実戦経験が少ないガイにはそこまでわからない。レイズは薄気味悪い笑みを浮かべたまま、続けていく。

「私も鬼ではありませんから、子どもは見逃しました。教会に預けさせたのです。 それ以降も手を出すまいと思っていました。しかし、ティザーニアでリルの剣の腕を見たときは驚きましたよ。しかも、シスターたちが邪魔だと言う。これはもらうしかないと思いましたね」

 リルはずっと両親のことを知らなかった。この世界に入ってからは知ろうとも思わなくなった。そのくらい毎日生き延びることに必死だったのだ。だから、両親もまたそうだったのだと思うと胸が痛かった。

「そうやって暗殺者候補を見定めていたのか……」

 暗殺者を育てて、自分にとって邪魔な存在を消していく。すべては自分の保身のため。なんて汚いやり口だろう。

「彼らは、遅かれ早かれいずれ消される者ですからね」

 しかし、レイズは涼しい顔をしているものだから、たちが悪い。

「孤児なら都合がよかったってわけか」

 ガイに冷静さがなくなっている。はらわたが煮えくり返りそうなその気持ちはわかるが、それではレイズの思うつぼだ。嫌な予感がしてきた。

「ええ。そして、どういうわけかあの時、王子を逃がした男女の娘が王子の暗殺をするにふさわしい実力を備えた美しい女に育った。だから、私はあえてあなたのもとにその女を行かせたのですよ。ちょうど退屈していましたからね」

 レイズは全てを知っていたのか。知った上で、リルとガイが苦しむのをダータンから聞いていたのか。

「調子に乗ったな。こうして自分の首を絞めるなんて」

 きっとレイズはなんだかんだ言いながら、リルはリュクスのように忠実に任務をこなすと思っていたのだ。その目論見は大きく外れたことになる。しかし、

「そうですね。ちょっとやりすぎました。でも、ここであなたを殺せば、実にいい余興……として終われるのですから、それでいいのです」

 レイズにはなぜか高らかに笑う余裕があった。この男は、自分以外の人の命などどうでもいいのだ。ゴミか何かだと思っている。そんな男に正論を突き付けようとする方が無理と言うものだ。リルは取りつく島のないレイズをただひたすらににらみつけていた。

「人の命をもてあそびやがって……!」

 かっとなったガイの隙をついて、レイズが剣を弾き飛ばした。リルの方にその剣が飛んでくる。

「決着はつきましたね」

 レイズがガイに気を取られている間に、リルは最後の力を振り絞って立ち上がった。足音をしのばせてレイズの背後に回り込む。

「俺もここまで……か……」

 ガイがレイズの背後に回り込んだリルに気づいたようだ。バカ正直なガイにしては上手に芝居を打っている。

「何もかも消し去って差し上げましょう!」

 レイズが剣を振り上げる。その瞬間、

「これで終わりだ!」

 レイズがガイに向かって剣を振り下ろすよりも早く、背後からリルの剣がレイズをとらえた。急所を一突きされたレイズは、

「おの……れ……」

 一瞬、苦悶の表情を浮かべたが、そのまま息を引き取った。リルは、暗殺者として最後の仕事をやり遂げたのだ。仇をとったのを見届けると、ほっとしてその場に倒れこんだ。

「リル!」

 もう独りではない。隣には支えてくれるガイがいる。愛する誰かがそばにいてくれる幸せをかみしめながら、意識を失った。


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