第56話 ティザーナ城

 城の中はさきほどの攻撃の影響ですでに火の海だった。正門からしてもうぼろぼろだ。中に入っても兵士たちが特に抵抗している様子もない。人っ子一人いない状態だった。

「まさかあなたがガーウィン王子だなんて……思いもしませんでした」

 イルマが大きくため息をつく。

「黙っていて、悪かった」

 リルは自分が黙っていたから、ガイを危険な目に遭わせてしまったと言うが、それはガイも同じだ。もっと早くに言っていれば、リルは、あの時捕まらずに済んだのだ。それがどうにも悔やまれてならなかった。

「事情が色々あったのでしょう。仕方がありません」

 仕方ありませんというわりには、その言葉に棘がある。ガイに対して、何か不満があるのは明らかだった。

「いつも通りでいいぞ」

 そんなかしこまった態度で言われるとなんだか違和感がある。敬意を表しているのはわかるが、不満をため込まれるのもあまりいい気はしない。率直に言ってほしかった。すると、

「じゃあ、言わせてもらうけど、一国の国王なら、先のことをよく考えろ」

 イルマは一瞬にしていつもの毒舌に戻った。

「先のこと?」

 それが一国の国王の素質にどう関係するのだろうか。ガイはぴんと来ずに尋ね返した。イルマはわざとらしいため息をつくと、

「丘の上に城が建っていたからいいようなものの、そうでなければ国民に多大な被害が出るところだっただろ? リルのことで頭がいっぱいなんだろうけど、そういうところまできちんと考えてもらわないと困るな」

 ガイに長々と説教をし始めた。言いたいことがあるなら、率直に言ってほしいとは思ったが、こんなところでお小言を言われるとは思いもしなかった。なんだか耳が痛い。

「運だけは持っているんだよ。俺は」

 城が破壊される前にこうしてリルも助けに行ける。まだ城壁や門が壊れた程度のようだから、中にいるリルにこの攻撃でのダメージはないだろう。

「まあ、レイズは通達をすることで国民が血眼になってお前を捕まえようとするだろうと考えたみたいだから、そういう意味では見事に裏をかけたと言えると思うけどな」

 ティザーナ王国の国民は、自分たちの未来をレイズよりもガイに賭けたということか。そういう風に言ってくれればいいのに、イルマと来たら全く言葉を選ばないから、腹が立つ。

「裏をかけたって……それ褒めているのか?」

 ガイは国民の期待に応えられるように努力していく所存でいた。しかし、イルマはそんなガイの気持ちなどまるで組む気もなく、嫌みったらしく言う。そう言われると、こちらもついきつく当たりたくなるではないか。

「僕はあの時リルを頼んだぞって言ったはずだ。幸せにするまで褒めてなんかやるものか!」

 イルマが痛恨の一撃を放つ。なんだかんだと文句を言うのはやっぱりリルのことが心に引っかかっているからなのか。

「お前なあ……」

 言い返したいところだが、ガイに言い返す資格はない。仕方がなかったとはいえ、リルに言われるままそそくさと逃げたのだから。

「それより玉座の間に行くぞ。倒す相手は僕じゃなくてレイズだ」

 ガイに予想以上のダメージを与えたことに気づいたのかイルマはようやくおとなしくなった。

「そうだな」

 イルマとこうして言い争っている暇はない。こうしている間にもリルは危険な目に遭わされているのだ。とにかくまずはリルを助け出さないといけない。

「玉座の間はこっちだ」

 ガイは3歳までしかこの城にいなかったから、城の内部のことははっきりと覚えていない。だから、

「よく知っているなあ」

 城に何の接点もなかったはずのイルマが地図なしでガイを案内できるということに素直に感心した。しかし、

「このくらい調べて来いよ!」

 褒めたというのに、イルマは相変わらずガイに冷たい態度をとる。いつまでも噛み合わない会話に嫌気がさしてきた時、王国軍の鎧を着た兵士たちが何人か出てきた。

「邪魔だ!」

 油を売っている暇はない。ガイは剣を抜いて、兵士たちと一戦交えようとした。すると、

「ここは僕が相手をする。この先にある階段を一番上まで上がれ! そして、まっすぐ走るんだ!」

 今までぶすっとして黙っていたイルマがそう叫んで、剣を抜き、ガイを先に行かせてくれた。

「どうして……」

 ぶっきらぼうな態度をとったかと思えば、急に味方につく。どちらにせよ顔色一つ変えないものだから、その本音は読めない。

「ガーウィン王子自身が決着をつけないと、けじめがつかないだろ!? それは僕らだって同じだ! だから、行け!」

 素直じゃないが、その言葉の奥にはガイを応援する気持ちが見える。ありがたくその言葉を受け取ることにした。

「任せたぞ!」

 イルマにその場を一任すると、言われた通りに階段を最上階まで上がり、廊下をまっすぐに進む。外から見ると縦長に見える城だったが、奥行きも意外と広かった。おまけに薄暗くてどこまで行っても先が見えないような感じすらする。ようやくそれらしきティザーナ王国の紋章が描かれた大きくてしっかりした扉までたどり着くと、剣を構え、突撃した。すでに壊れかけている玉座の間には、ガイの目の前に、スノーヴァで会ったリュクスという名の女がいた。

「ここから先は通さないわよ。私は主君であるレイズ様の命に従い、ここであなたを止めてみせるわ」

 癪に障る上から見下ろすような偉そうな声だ。リルは何を好き好んで、こんな高飛車な女とつるんでいたのだろう。

「お前の相手をしている暇はないんだ! リルはどこにいる!」

 この女は幼なじみを助けたいとは思わないのか。スノーヴァの時といい、氷のように冷たい女だ。ガイには理解できなかった。

「あの子は、闇に生きる者の理を破ったのよ。それなりの罰を受けなければいけない。例外なんて許されないわ」

 リュクスは、淡々と心なく理論を語る。そんな理論、とっくの昔にこの国は破綻している。今はもっと大事なことがあるはずだ。それなのに、リュクスは取り繕うようにして隠している。もう我慢ならなかった。

「うるさい!」

 ついにガイの堪忍袋の緒が切れた。そんなことを聞くためにガイはここまで来たわけではない。

「……え?」

 リルがそばにいたから、あの時は抵抗できなかった。しかし、

「人が大人しく聞いていれば、ごちゃごちゃと好き放題言って……! お前は、リルの幼なじみなんだろ? 助けたいとは思わないのかよ!」

 今のガイは、頭に血が上っていた。リュクスに少しずつ詰め寄る。

「あなたがなんと言おうと、それがこの国の掟なのよ!」

 リュクスが意地になって金切り声で叫ぶ。

「掟がなんだっていうんだ!」

 ガイだって負けていない。こんなに大きな声で相手を圧倒したのはいつ以来だろう。

「よそ者はさっさと消えなさい!」

 リュクスがガイをにらみつけて威嚇する。しかし、腰にある剣を抜こうとはしなかった。きっと心のどこかに迷いがあるのだ。

「ここは俺の城だ! お前らの好きにはさせない!」

「そんなの、無理よ」

「本当にそう思うか?」

「お、思っているから言っているのよ」

 ガイの勢いに押されてリュクスがうろたえる。たとえ自分の意思を殺したとしても、掟に従う方が楽だ。でも、一方で本当はリルを助けたいという想いがある。揺さぶれば、まだ間に合う。この女も完全にレイズの手には堕ちていない。人としての心が残っている。

「無理かどうかはやってみないとわからないだろ?」

 そう言って、不敵な笑みを浮かべてみせる。大事なのは、自分自身がどうありたいと思っているか……なのだ。それに向けて、どう動くか……なのだ。

「できるの……? そんなこと……」

 リュクスが明らかに戸惑いを見せ始めた。あともう一押しだ。

「おう。俺は絶対にリルを助けてみせる。だから、リルの居場所を教えてくれ」

 まっすぐにリュクスを見据える。絶対にここで引くわけにはいかない。そんな強い気持ちを持って。

「それは……」

 リュクスはレイズからどうも口止めされているらしい。何も言わず、じりじりと後ずさりをし始めたが、やがて床に敷いてあったじゅうたんにつまずいてしりもちをついた。ガイは、パニックに陥っているリュクスにゆっくりと剣の切っ先を向けると、

「俺にはリルが必要なんだ。だから、助けに来た……それだけだ」

 きっぱりと言い切った。ガイとリュクスの1対1のにらみ合いが続く。沈黙を破ったのはリュクスだった。

「なぜ……?」

 なぜ未来の国王であるガイが暗殺者であるリルをそこまで必要とするのか。リュクスの言わんとすることはガイにもわかった。

「お袋は小さい頃からこの日を夢見て、俺を育ててきた。国王になった時のために、剣術も勉学もひととおりやらせてくれた。サーシャ様に仕官させてくれた。全てお膳立てされた世界でぬくぬくと暮らしてきた。俺は、国王になる……ということは、国民の道標として、ただ輝いていればいいんだと思っていた。リルに出会うまでは」

 レイズさえ倒せば、父親が治めていたころのように穏やかで平和な国に戻る。ガイはリルに出会うまで国王になることをそのように考えていたのである。しかし、実際には違った。

「国王になること……つまり国民の上に立つということは、その闇をも背負うこと。この国には、問題が山積みだ。でも、目をそらすわけにはいかない。そうだろ?」

「……確かにあなたの言うとおりね」

 レイズがいなくなったところで、多くの問題はそのままだ。明るいところだけ見ていても前には進めない。

「リルは、ちゃんと現実と向き合い、悩んで苦しんでいた。レイズにとっては使い捨ての暗殺者だったかもしれないが、彼女はこの国のために精いっぱい生きようとしていたんだ。そういう痛みがわかる者こそがこの国を動かす原動力になる」

 ガイにはその痛みを想像することしかできない。だからこそ、リルがいてくれないと困るのだ。世界の暗い部分と向き合うこと、彼女はそれを教えてくれたのだ。彼女がいなければ、ガイもレイズの二の舞になっていたかもしれない。

「ええ」

「あいつらがいたからこそ、レイズ政権は持ちこたえていたんだろ。それなのに、いらなくなったら切り捨てる? それが理だなんて……笑わせるなよ」

 自分が手に負えなくなった闇を誰かに肩代わりさせて、都合が悪くなったら消し去る。そんなこと、国王には決して許されない逃げの姿勢だ。

「……そうね」

「俺がリルを……この国の民を幸せにする。だから、早くリルの居場所を教えろ! 俺は、レイズと決着をつけてこの国の王になるんだ!」

自分がこの国を守る。その強い意思は誰になんと言われようとももう揺るがなかった。

「リルがあなたを切れなかった理由、わかるような気がするわ」

 リュクスは、あきらめたように静かに呟いた。

「え?」

 リルはリュクスになんと言ったのだろう。聞いてみたかったが、今はそんな暇がない。リュクスはガイにさっと進路を譲った。玉座の台座がずらされ、地下へ続く階段が見える。

「行きなさい。リルは、この玉座の下にある隠し階段をおりたところにいるわ。助けたら、来た道とは反対の方向に抜けたらいい。外に出る階段があるから」

 ガイのリルを助けて、国王として生きていくという断固とした強い思いがリュクスの心を動かしたらしい。剣ではなく、言葉で勝った。そんなところだろう。

「ありがとう」

 ガイは剣を鞘にしまうと地下へ続く階段を駆け足で下りていった。

「私の幼なじみの命、頼んだわよ!」

 ガイの背中に向かって、リュクスが叫ぶ。

「必ず助ける!」

 リュクスに届いたかどうかはわからないが、ガイも階段を下りながら必死に叫び返した。自分のリルへの想いは本物だと言わんばかりに。

「あなたはいつも厄介な男に好かれるのね。リル」

 玉座の間に残されたリュクスは去り行くガイの背中をぼんやりと見つめていた。まっすぐで純粋な瞳だった。あの男ならきっとやってくれるだろう。リュクスが忠実に守ってきた掟だけに縛られない新しい世界を切り開いてくれるだろう。心配はいらない。なぜかそう感じるのであった。


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