第51話 約束

 ザルク村にあるタイジュの家は、隣の家はどこなのかと探してしまうくらいの間が空いている田舎の一軒家だ。男二人暮らしにしてはすっきりと片付けられているリビングでサーシャはガイの帰りを今か今かと待っていた。

「全く。こんな通達を出されるとはあやつも詰めが甘いのう」

 タイジュが入れてくれたローズティーを飲みながらぶつくさとぼやく。

「人を疑うことを知らない男ですからのう……ガイは」

 サーシャの向かい側にある黒い皮張りのソファに腰かけて、タイジュが穏やかに笑う。

「マリーに似て、まっすぐなのか」

 いい意味で言えば、純粋。悪い意味で言えば、単純。国王になった時にこの性格がどう出るのかは神のみぞ知る世界である。ちょっと怖いところもあった。

「そうでございましょう。意志の強い瞳はどちらかというと母親似だと存じます」

 タイジュの孫であるラティオとガイは年が近い。だから、孫を見ているかのような気持ちなのだろう。その成長を微笑ましく思う節もあるようだ。

「困った母子じゃのう」

 サーシャとて、ガイの母親であるマリーとは長い付き合いだ。事件現場では、遺体はリビエラと悪党らしき男女のものしか見つからなかった。だから、二十年前に行方不明となったマリーとガイをずっと探し回っていたのだ。そうしているうちに、いたずらに月日は流れていった。大切な友とその息子はどこへいったのか。ずっと狐につままれたような気持ちでいたが、五年前についにマリーと再会した。あの時の衝撃をサーシャはいまだに忘れられないでいる。

 

 雲一つない青空の日には、城の庭を散歩する。サーシャはいつもそう決めていた。日頃の業務から全て解き放たれて本来の自分に戻る日。それは幼い頃からずっと変わらない。この日は城の東側にあるバラ園のバラが見ごろだと庭師たちから聞いていた。

「誰じゃ?」

 色とりどりのバラが咲き乱れるバラ園の中に人影が見えた。後ろ姿しか見えないから、誰かはわからない。しかし、どこか気品あふれる女だった。いったい何者なのだろう。サーシャは、恐る恐るその長い髪を編み込みにして垂らしている女に近づいていった。すると、

「久しぶりね。サーシャ」

 女がふと振り返った。凛とした琥珀色の大きな目がサーシャをとらえる。フローアン王国の田舎の豪農の家からティザーナ王妃の座を射止めた女が確かにそこにいた。

「……マリー! 生きておったのか! 心配したぞ!」

 サーシャは泣きながら、マリーに抱きついた。

「心配かけてごめんなさい。ザルク村から出るわけにはいかなかったのよ。あの子を守るために」

 腕の中でわんわんと泣きわめくサーシャをマリーが優しくなだめる。

「あの子……? もしかして……」

 あの事件の時にマリーと一緒に行方不明になっていた息子のことだろうか。うるんだ瞳のままマリーを見つめる。

「私の息子よ。今年で18歳よ」

「ガーウィン王子が18歳か……時がたつのは早いのう」

「ええ。もうすっかり自分の身は自分で守れるようになったわ。生意気なこともたくさん言うけど、なんだかんだ言って私の自慢の息子よ」

 マリーはなんだか肩の荷が下りたかのような穏やかな顔つきだった。

「そうか……2人とも無事で何よりじゃ」

 あの時、3歳だったやんちゃ坊主が大きくなったものだ。血縁者ではないサーシャも感慨深かった。

サーシャとマリーはバラ園にある白いベンチに腰掛けると、今まで連絡がとれなかった間を埋めるかのようにお互いの近況を永遠と話し続けた。

「こんなに笑ったのは久しぶりじゃのう」

 城では、みんなが女王であるサーシャの言動に一喜一憂するから、下手なことが言えない。常に女王らしい振る舞いをするよう求められる。だから、気心の知れた友人と中身のないバカみたいな話をするのは本当に久しぶりだった。2人でけらけらと笑い合い、落ち着いた時、マリーが急に真剣な顔つきになった。

「今日はサーシャにお願いがあってきたの」

「なんじゃ?」

 サーシャが尋ねると、マリーは深呼吸をして、

「私は、歴史を変えたいのよ」

 ときっぱりと言った。

「歴史を変える?」

 あまりにも抽象的でサーシャには何が言いたいのかさっぱりわからなかった。

「そう。息子に玉座を継がせるの」

 今度は具体的にきっぱりとマリーが言う。

「お前……本気か?」

 今聞いたマリーの話によると、ティザーナ王国はリビエラの弟であるレイズが牛耳っている。しかも、自分が邪魔だと判断した者のところには容赦なく暗殺者を送り込み、確実に息の根を止めているらしい。そんな手ごわい相手とここまで大事に育ててきた息子を戦わせるというのか。サーシャには理解できなかった。

「私は本気よ。あのままレイズに好き勝手やらせるわけにはいかないわ」

 しかし、マリーの澄んだ瞳は頑として揺るがなかった。

「お前の気持ちはわかるが……18歳のガーウィンが勝てるとはとても思えぬ」

 夫を殺されて、王宮を追い出されたのだ。レイズに対する恨み辛みは山ほどあろう。でも、だからといってレイズは勢いだけで倒せるほどの男ではない。ぞっとするようなしたたかな笑顔の裏側にある暗い闇の世界は計り知れなかった。それはレイズと何回か顔を合わせたことのあるサーシャにはよくわかる。

「だから、あなたに頼みに来たのよ」

 ただ、もっと恐ろしいことにマリーはいっさい引く気がない。

「はあ?」

 自分に何ができると言うのだろうか。サーシャはマリーの次の言葉を待った。

「サーシャの言う通り、今のガーウィンは井の中の蛙よ。世界のことを知識として知っていても、実際のことは何も知らないわ。安全第一で育ててきたから、ザルク村の外に出たこともない。それで国王になれるとは私も思っていない。だから、レイズに勝てるようにサーシャのところで修行をさせてほしいの」

 マリーは感情的なようで実は筋道が通った考え方をする。今日もサーシャはマリーの意見に圧倒された。

「なるほど。わらわの隣にいれば、国の情勢がよくわかる……ということか」

 女王のそばで政治を実際に見させてほしい。国王になるという自覚を持たせてほしい。それがマリーの言い分のようだった。

「ええ。そして、その時が来たらレイズを倒すのを手伝ってほしいと思っているのよ。私はもう長くないから」

 マリーの顔にふと影がさす。

「な、何を言うマリー……せっかく会えたというのに……」

 長くない……だなんて……。せっかくとまった涙がまた溢れてきそうだった。

「私の余命はあと半年と言われているの。私が開発した万能薬でも治せない病で。だから、サーシャに頼るしかない。息子を国王にするためには」

 絶対にこの夢を諦めてなるものか。マリーの瞳はそれを物語っていた。

「承知した。お前とわらわの付き合いじゃ。息子は預かろう」

 強い意思が宿る瞳に負けた。マリーの息子を国王にするという夢をここからはサーシャが引き継ぐ。サーシャもその覚悟を決めた。

「ありがとう。あなたならわかってくれると思っていたわ」

 マリーが満面の笑みで笑う。バラ園のバラが霞むくらいの美しさだった。

「わらわに任せておけ」

 今まで会えなかった分まで力になってやろう。サーシャはそんな気でいた。

 ところが、それから1週間も経たないうちに、マリーは息を引き取ってしまったのである。ザルク村の村長であるタイジュから密かにその知らせを受けたサーシャは葬儀に出るため、お忍びでザルク村へ向かった。一国の女王が一般の村人の葬儀に出るなんて異例のことだが、そんなことはいってはいられない。サーシャだって、一国の女王である前に一人の人間だ。大切な親友の葬儀に出るくらい許してもらおう。

「サーシャ様がおいでくださるとは……マリーもさぞかし喜んでいるでしょう」

 ザルク村につくとタイジュが涙を流して出迎えてくれた。

「葬式なのに、村を挙げて執り行われるのじゃな」

 丘の上に建てられたマリーの墓石の前には老若男女問わず大勢の喪服姿の人々が集まっていた。

「ええ。人口の少ない村ですからねえ。みんな家族みたいなものですじゃ」

「家族……か」

 そういえば、マリーの息子はどこだろう。ここにいるはずだが、あまりにも人が多くて誰だかわからない。僧侶がお悔やみの言葉を述べる中、サーシャはきょろきょろとそれらしき人物を探した。しかし、結局、見つけられず、

「タイジュよ。マリーには息子がいるのじゃろう?」

 タイジュに尋ねることになった。

「ええ。あとで紹介しましょう。母親似の心優しい青年ですじゃ」

 どんな男なのだろう。果たしてちゃんと国王の器があるのだろうか。今更ながら、サーシャはマリーとの約束が守れるか心配になってきた。

葬儀が終わり、人がまばらになってきた頃、タイジュが墓石の前から動こうとしない若い男に声をかけた。

「ガイ。このたびはご愁傷様じゃったな」

 ガイと呼ばれた男がはっと我に返ったのかこちらを振り向いた。確かに目元がマリーによく似ている。鼻筋がすっと通っているのはリビエラに似たのか。背がすらりと高く、鍛えているのか体も引き締まっていた。爽やかな青年……というのがサーシャの第一印象だった。

「ええ」

ガイが目を伏せる。母親が亡くなってショックを受けているのだろう。まだ目が赤かった。

「マリーから話を聞いておろう? こちらのお方はフローアン女王のサーシャ・ホフマン様じゃ。お前の事情もよくご存知のお方じゃから、安心せよ」

 タイジュが優しくガイを慰めるようにサーシャを紹介してくれた。ガイは涙をぬぐうと、

「失礼いたしました。私がガーウィン・メナードでございます。普段はガイ・オーウェンと名乗っておりますので、そのように呼んでいただいてかまいません」

 サーシャに敬意を表し、丁寧に挨拶をしてくれた。田舎の村で育ったにしては、礼儀は完璧だ。よくしつけたものだと感心する。

「ガイよ。このたびはご愁傷様じゃったな。わらわもマリーにもう会えんと思うと寂しくてならん。……じゃが、前を向こうではないか。ともにティザーナ王国の玉座をとりもどすために」

 決めた。この男を自分のそばで国王候補として、育てていく。マリーの意思を引き継いで。

「お心遣い感謝いたします」

 ガイがにこりと優しい笑顔を見せる。どことなくマリーに似ていて懐かしかった。

「お前さえよければ、いつでも城に来い。わらわができることなら、手を貸そう」

ガイと一緒ならマリーの悲願も果たしてやれる。明るく笑っているガイを見ているとなぜかそんな気がしてならなかった。

「はい」

 この日はそれで分かれたが、それから間もなく、ガイはサーシャのもとにやってきた。側近として自分につかせ、書類仕事から交渉まで色々なことをやらせてみたが、ガイはどれもまじめにしっかりとやり遂げた。マリーに似て、純粋でまっすぐなものだから、危なっかしいところも多々あるが、誰にでも分け隔てなく明るい笑顔で接するその姿に好意を抱くものは多かった。城の者にもフローディアの市民にも人当たりのいいガイはすぐに慕われるようになった。サーシャにとってもガイはかわいい息子のような存在だ。だから、

「サーシャ様!」

タイジュの家に飛び込んできたガイを見て、心底安心したのだった。息を切らしてはいるものの、けがもなく、元気そうだ。

「遅い!  待ちくたびれたわ!」

いつもついガイにきつく当たってしまうが、これは一種のコミュニケーションである。

「元気に帰ってきただけでもよしとしてくださいよ」

 5年も経つとガイも慣れてきたのかずいぶん受け答えがうまくなった。

「それもそうじゃの」

 この男は責任感が強いから、鍛えれば鍛えるほど伸びていく。いつの日かサーシャをしのぐくらいの立派な国王になるだろう。息子のこれからの成長を考えると、なんだかわくわくした。

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