第46話 脱出

 丸太づくりの家を出て、緩やかな坂道を上がっていく。雪はやんでいたが、うっすらと積もっていて、歩くと足跡がつく。本来なら誰も通らないところに足跡がつくものだから、どうしても目立ってしまう。ここは誰かに勘づかれる前に逃げなければならない。

「ここまでは順調だな」

 しかし、少しずつスノーヴァと外との境目には近づきつつある。視線の先に石造りのどっしりとした塀が見えてきた。市民が脱走しないようにはしごを使わなければ越えられない高さにしたのだとリュクスから聞いたことがある。当時はよく考えられているなと感心したが、今は日ごろからもっと穏便に対応していればこの塀はいらないのではないかと思う。

「やけに静かだね」

 妙に静かだ。兵士もいなければ、物音も1つもしない。なんだか嫌な予感がした。

「今のうちに行こう。絶対大丈夫だ」

 立ち止まって耳を澄ませていたリルに、ガイが明るく声をかけてきた。

「うん。こっちだよ」

 大丈夫であろうとなかろうとここまで来たら進むしかない。リルたちから見て、塀の右手側の一番奥に隠し扉がある。そこに抜け道と厩があるのだ。そこに向かって一気に駆け出す。ガイもその後を素早くついてきた。

「よし。ちょっと借りていこう」

 ガイが軽やかに白馬にまたがる。凛々しく前に向かって歩き出すその様子は、おとぎ話に出てくる白馬の王子様のようだった。

「かっこいい……」

 思わず見とれてつぶやいてしまった。

「ん? 何か言ったか?」

 前をゆくガイが少年のような瞳をしてリルの方を振り返る。

「何も言ってない! ほら! 行くよ!」

 慌ててごまかし、自分も白馬にまたがった。今はそんな暇ないのだ。塀の中は思ったよりも広い。トンネル状になっているこの通路を馬に乗り、一列になって駆け抜ける。敵に挟まれてしまっては元も子もない。どきどきしながら、ガイを先頭に前へと進んでいく。外まであと少しだ。一気に抜けられるか。そう思った時、

「あら。朝からデートだなんて妬けちゃうわね」

 どこからかダータンの声がした。近くに隠れているらしい。

「ガイ! 今のうちに行って!」

 リルは、馬を止めると、剣を抜いた。通路に隠れられそうなところはない。それとも、リルが知らないだけで、ダータンは知っているところがあるのか。どこだ。どこに潜んでいる……?

「待て! 俺も……」

 ガイがリルの方を振り返ろうとする。しかし、

「何かあっても絶対に逃げてって言ったでしょ!?」

 ここで共倒れになるわけにはいかない。ガイには生きてもらわないと困る。みんなの希望なのだから。

「わかった!」

 ガイが外に向かって、全力で突っ込んでいく。出口まであと少しだ。リルがその姿を見守っていた時、

「あたしの本気を思い知りなさい。ガーウィン王子様」

 ダータンが不意にガイの目の前に下りてきた。頭上に正方形の穴が開いている。あそこに隠し扉があったとは知らなかった。

「邪魔だ! どけ!」

 ガイは馬に乗ったまま剣を抜くとダータンを突き刺そうとしたが、ダータンも負けてはいない。何事もなかったかのようによけた。しかし、ガイの動きを止めることはできなかったらしい。ガイはそのまままっすぐに出口に向かって駆け抜けていった。

「逃がさないわよ」

 ダータンが懐から何かを取り出した。何をする気かは背後からだと見えないが、よからぬものであるのは確かだ。

「あんたの相手は私がする!」

 剣を抜いて、ダータンに切りかかる。当たりはしなかったが、時間は稼げそうだ。ダータンも剣を抜いた。通路で剣と剣がぶつかり合う音がこだまする。

「あら。どうしたのよ。仲間でしょ? 一緒に捕まえましょうよ」

ダータンはそう言って、懐から角笛を取り出した。スノーヴァ支部の兵士たちに合図する気だ。

「そんなこと、するわけないでしょ」

人を騙しておいて、何が今さら仲間だ。そんな都合のいい言い訳、通用するわけがない。レグールでのことを思い出して、いっそう腹が立ち、腕ごとばっさり切り落とした。ダータンは、鼓膜が破けるかのような大きな甲高い悲鳴をあげ、真っ青になって震えていた。

「な、何するのよ! ね。あたしたち仲がよかったじゃない。何も殺さなくてもいいと思うのよ」

 ダータンはなんだかんだと甘い声ですり寄ってきたが、容赦する気など毛頭ない。気を許してしまえば、こちらが返り討ちにされる。やるなら徹底的にやらなければならない。リルは心を空っぽにして、血まみれになったダータンに剣を突き付けた。

「あんたにガイは殺させない!」

 レグールでリルを騙しただけではない。トゥエンタでリルとガイを殺そうとしたことも。スノーヴァでリュクスに告げ口したことも。どれも絶対に許す気などない。

「こ、こんなことしたって無駄よ!」

 今までの借りを全て返してやる。リルは、ダータンの心臓めがけて剣を突き立てた。ぶすりと鈍い音がし、ダータンがゆっくりと目を見開いてその場に倒れる。これで1人片付いた。

「もらっていくよ」

 とどめを刺したダータンの懐から煙幕をいただく。手際よく煙幕をいくつか回収していると、

「捕まえなさい!」

 というよく響く冷酷な女の声がした。リュクスがスノーヴァ兵士たちにガイを追うよう指示しているのだ。

「急がなきゃ!」

 このままではガイが捕まってしまう。リルはようやく馬にまたがると、必死に走らせて、ガイの後を追いかけた。邪魔は入ったが、一直線の長いトンネルをようやく抜けきると、あともう少しでレグール砂漠というところなのに、スノーヴァ兵士たちがガイにまとわりつくようにしてその後を追いかけていた。

「逃げて!」

 馬でスノーヴァ兵士たちのところまで追いつくと、煙幕を思いきり放り投げた。

「な、なんだ……?」

 スノーヴァ兵士たちが煙幕に戸惑い、せき込み始めた。煙がしばらくもくもくとしていたが、その煙が完全に消えたころ、ガイの姿はなかった。煙のせいで前が見えず、ついていくことは叶わなかったが、リルのやるべきことは果たした。あとは、ガイの無事を祈るのみだ。

「ダータンの言うことに乗るのが癪で私なりのやり方で待ち構えていたけど……逃げられちゃったわね」

 背後からひんやりした女の声が聞こえる。親分が出てきたか。

「追わなくていいの?」

 ちらりと横目で見ると憎たらしいと言わんばかりに顔をしかめていた。いつも涼しい顔をしているリュクスがこんなに感情をむき出しにして悔しそうにしているのを初めて見た。

「あとで追うわよ。それより……」

 リュクスがきっとリルをにらみつける。鬼の形相とはこのことだ。

「ティザーニアに行って、レイズ様に報告する方が先……って?」

 きっちりしているリュクスのことだ。幼なじみであろうと、規定通りの罰を受けらせるよう進言するだろう。ここから先はリュクスの好きにすればいい。リルは投げやりな気持ちでいた。

「ええ。思い残すことはない?」

 リュクスが抑揚のない声でリルに尋ねる。本人からすると情けをかけてやっているつもりなのだろうが、捕まったリルにはもちろんそんな風には思えない。

「ない」

 心残りはないつもりだった。ガイを逃がすことができたのだから。しかし、もし、ここで逃げ伸びることができていたならどうなっていただろうという想いがどうしても消えない。きっと今の本当の気持ちに従うなら、心残りはあるのだ。ガイとともに生きて、新しいティザーナ王国を見てみたかった……という心残りが。

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