第44話 生まれて初めて
ガイを助ける前に確認していた家までなんとかたどり着いた。この辺りなら、リルが仕事の時によく利用していた抜け道もそんなに遠くない。ガイを無事に逃がせるように帰りのルートを確保しておこうと思って、周りを探索していたところ、背の高い草に覆われたこの家を見つけたのだ。どこかの貴族の避暑地だったと思われるような丸太づくりの簡単な造りだ。門は壊れていたし、家の玄関の扉も開いていた。扉の鍵はかかるものの、手入れされているような感じはしない。今は使われていないのだろう。ただ、薪や布団などのひと通りのものはそろっていた。さらに、その倉庫に手榴弾などの武器もそろえられていたのである。
「大丈夫?」
なんとか助けてはあげられたものの、問題はこの後だ。リュクスを敵に回した今、スノーヴァでは兵士たちがリルたちの動きに目を光らせていることだろう。
「ああ。リルのおかげで助かった」
小屋で薪をくべながら、ガイが笑顔を見せる。懐に爆弾を忍ばせて使いこなすような女、普通ではないとさすがに気付いただろうに。
「大したことはしてないよ」
自分のミスを自分で回収しただけだ。何の解決にもなっていない。こんな危険な目に遭わせるくらいなら、トゥエンタでちゃんと事情を話すべきだった。もう少しこのままガイと一緒にいられたら……普通の男と女でいられたら……なんて甘い夢を見てはいけなかったのだ。ガイと一緒にいるとどうも通常通りの判断ができない。今回もまた失敗してしまった。
「お。ひととおりの物は揃っているみたいだな。よかった」
ベッドやソファを確認しながら、ガイが笑う。
「そうみたいだね」
ガイの笑顔を見ているとなんだかほっとする。さきほどまでの不安はいつの間にかどこかに消えていた。
「今夜はここで一晩明かすことになりそうだな」
「あ……うん」
暖炉があるのはこの部屋だけのようだから、この部屋で過ごすことになる。そう考えるとどきどきした。
「あ、いや、へんな意味はないぞ。外はさっきの奴らがまだうろついているかもしれないし……夜は冷えるだろうからさ」
わざわざ言わなくてもいいのに。リルまでなんだか視線を合わせづらくなるではないか。
「顔が赤いよ」
自分も人のことは言えないが……と思いつつ、指摘をする。
「薪で部屋が暖まってきたからだろ」
一生懸命ごまかそうとするガイがなんだかかわいらしかった。
「あのね、ガイ」
暖炉の前のソファに並んで腰かけ、意を決して、ガイに話しかける。
「なんだ?」
リュクスにもダータンにもばれてしまった。自分は、レイズに殺される。それなら、ガイを危険な目に遭わせないようにせめて真実を話しておこう。リルは正直に白状することにした。
「私は、レイズ様にガイを殺すよう命じられた暗殺者なの」
嫌な沈黙が流れる。でも、後悔はなかった。それで自分のことを嫌いになるなら、それまでの関係なのだ。いい夢を見させてもらったのだから、文句は言うまい。しかし、
「そっか……」
ガイはリルが思っていたほど驚きはしなかった。
「知っていたの?」
リルの方が拍子抜けして驚いてしまう。すると、
「イルマから聞いてはいたんだ。レイズが孤児を雇って、暗殺者にしているらしいって」
ガイは静かにそう答えた。
「ファナック先生も知っていたんだ……」
隠そうと必死になっていたのは自分だけだったのか。
「でも、なんでだ? 俺を殺したところで、レイズは得しないだろ?」
ガイが首を傾げる。
「ガイがガーウィン王子だからだよ」
もうここまで来たら隠すことは何もない。
「そうか。リルは知っていたんだな」
何を言ってもガイの優しい表情は全く変わらなかった。リルが隠していたことに腹を立ててはいないのだろうか。
「ごめん。ずっと黙っていて」
リルはいたたまれなくなって、ガイに深々と謝罪した。しかし、
「お互い様だろ? わけありだったんだから、仕方がないさ」
「そんなこと言われても……」
「気にするなよ。俺も悪かったんだしさ」
ガイは惚れ惚れとするような笑顔で受け止めてくれた。ガイの心の広さには頭が上がらない。今まで1人で抱え込んできた分、打ち明けると、少しずつ気持ちが楽になってくるのを感じた。
「それで? いつ気づいた?」
ガイに尋ねられるとどんどん話したくなる。リルは引き続き話し始めた。
「レイズ様は1か月前に攻め込んだ時にガイを見て、気づいたみたい。私は証拠をつかんだら、殺すよう言われていた。ガイがガーウィン王子であることは、トゥエンタでペンダントの裏の王家の紋章を見て、知ったんだ」
別人だと報告できたらどんなによかっただろう。ガイの隣に派遣された暗殺者が自分でなければどんなによかっただろう。そう思わずにはいられなかった。
「なんで殺さなかった?」
ガイがまっすぐにリルを見据える。
「……殺せるわけないよ」
こんなに自分と真摯に向き合ってくれる人のこと、殺せるわけがない。
「殺さないと、レイズに拷問されて死ぬことになるって聞いたぞ。それでも……か?」
そこまでイルマは見抜いていたのか。そんな情報、どこから聞いてきたのだろう。これが1人ではできないことなのか。
「だって、ガイのことが好きだから……!」
リルは思い切って自分の想いをガイに打ち明けた。
「リル……」
心臓の鼓動がどんどん速くなる。でも、こうやってガイと話せるのもこれで最期になるかもしれない。そう思うと、もう止められなかった。
「最初のうちはね、ガーウィン王子だとわかったら、さっさと殺してやろうって思っていたんだ。でも、一緒にいればいるほど、純粋でまっすぐでいつも優しく笑っている。そんなガイのことが好きになっていた。ガイを殺すくらいなら、自分が死んだほうがましだ。そう思うくらいに」
「そんな……」
「少しでも長くそばにいたくて、隠していたの。暗殺者だとばれたら、もう一緒にいられないと思って……怖くて言えなかった。でも、ガーウィン王子が生きているとダータンやリュクスが知った今、私にできるのはここからフローアンに逃がしてあげることだけ。ガイと話せるのもこれが最期になる」
最期になるがそれでもいい。こんなに幸せなひとときを過ごさせてもらったのだから。
「最期になんかさせるかよ」
ぐっとガイがリルを引き寄せる。
「だって……!」
何も言うな。そう言わんばかりにガイが自分の唇をリルの唇に重ね合わせた。
「ガイ……?」
唇が触れ合った感触が信じられなかった。頭の中が真っ白になっていく。
「一緒にフローアンに戻ろう」
リルを抱きしめたまま、ガイがぽつりと呟く。
「だめだよ。私がいたら足手まといになるだけだ。追手だってすぐに来る」
甘い誘いに乗るわけにはいかない。自分に言い聞かせてガイから離れようとしたが、ガイは離そうとはしなかった。
「だめかどうかはやってみないとわからないだろ?」
「え?」
思わぬ言葉に目を見張る。
「俺もリルのことが好きだ。これからもずっと一緒にいたい。だから、今できることはなんでもしたいんだ。後悔しないように」
これが自分の人生だと諦めてばかりきた。でも、たまには諦めないという選択肢があってもいいのかもしれない。
「ガイ……」
ガイに言われるとそんな気がしてしまう。ガイは、
「サーシャ様は、ティザーナ王国の状況次第では攻め込むつもりで軍も用意している。しかもフォスター先生やイルマもやる気でいてくれる。リルがいてくれたら、城の内部の様子だってわかる。レイズを倒すなら、今がチャンスだ」
とリルに教えてくれた。
「本当に……やる気なの?」
この生活に終止符を打てるの?
「心配するな。俺が必ずレイズからリルを解放する。そして、この国を再建する。国王として」
しっかりと前を見据えた目だ。この目に迷いはない。
「わかった。一緒に行く。ガイを信じるよ」
そこまで言うなら、リルだって覚悟をしよう。
「よかった」
リルの決意を聞いて、ガイがどことなくほっとしている。そんなガイのことがたまらなく愛おしかった。
「初めてなんだ。こんな風に誰かのこと好きって思ったの」
ガイのことを想うと苦しくて、出会わなければよかったと何度も思った。でも、今は初めての感情を教えてくれたガイに出会えてよかったと思う。
「嬉しいよ。リルにそう言ってもらえて」
ガイは色々と打ち明けた後だというのに、にこやかに微笑んでいた。
「ところで、明日のことだけどさ」
ガイの笑顔を見て、落ち着いてきたので、リルは本題に入った。
「そうだな。ロレーヌ支部長は相当ご立腹のようだったけど……」
どうやってご立腹のロレーヌ支部長をはぐらかして、スノーヴァを抜けるか。フローアンに無事に帰るためにも作戦を立てておく必要がある。
「リュクスは、ダータンから聞いて、ガイの正体を知っているんだ。だから、絶対にまともにはこの街を出られない」
恐らく、いつも以上に厳戒態勢を敷いているはずだ。
「ダータンのやつ、どこまでも邪魔しやがって……」
ダータンはレイズのしもべの中でも一番古株なのだ。根っからの暗殺者であることに違いない。
「でも、ここから歩いてすぐのところに暗殺者がよく使う抜け道があるんだ。馬も置いてある」
スノーヴァ支部の警備は、味方だろうが敵だろうが関係なく厳しい。だから、急ぐときに使える抜け道がある。このことを知っているのは、リルたち暗殺者だけだ。
「なるほど」
「もしかしたら、ダータンがいるかもしれないけど、方法はもうそれしかない。街に戻れないから変装して、外に出ることもできないから」
「確かに……な」
ガイは反論することなく、リルの話に素直に耳を傾けてくれた。
「その道を使ってスノーヴァを出たら、レグール砂漠を一気に越えよう。レグール砂漠に入れば、多分追手は来ないはず。国境さえ越えればあとはなんとかなると思う」
寒いところに慣れているスノーヴァの兵士たちはレグール砂漠に入るのを嫌がるのだ。追いかけたところで、よほどの懸賞金がかかっている人物じゃないと給料は変わらないから入ろうとはしない。
「よし。じゃあ、それでいこう。俺もリルを信じる」
ガイが満面の笑みでリルを見つめる。
「ありがとう」
リルを抱きしめて、よしよしと頭を撫でている。本当に幸せそうでなんだか見ているこちらが癒される。明日が2人の命運を賭けた日だなんてつい忘れそうになるくらいだ。しかし、
「何かあっても絶対に逃げて。生きて……この国を救って。それができるのはガイしかいないんだから」
リルは心を鬼にしてガイに忠告した。敵陣に2人で突っ込むようなものだ。何があるかはわからない。自分が捕まったとしてもリルはガイを逃がすつもりでいた。
「任せとけ」
ガイはそんな最悪の事態は考えていないらしい。いや。考えていないように見えるだけかもしれないが。
「もう。のんきなんだから」
命運がかかっているというのに、ガイはいたっていつも通りだ。リルと両想いだったのがよほど嬉しかったらしい。
「そう怖い顔するな。……それと、リルもここで死んだらダメだぞ」
「え?」
「お前は、将来、ティザーナ王妃になる女だからな」
天地がひっくり返るような発言に一瞬思考が止まった。
「ば、バカなこと言わないでよ」
孤児で暗殺者のリルが国王の妻だなんて……そんなことありえない。
「俺は本気だ」
しかし、ガイにそう言われると不可能も可能になりそうな気がする。ガイと一緒にずっといられる。考えただけでにやけそうになった。
「少しだけ寝るか。ベッドで寝ろよ。俺はここで寝るから」
ガイにソファの後ろにあるベッドに行くよう促されてはっと我に返る。リルを優先してくれるのは嬉しいが、
「い、いいよ。私、どこでも寝られるし」
明日から休息のできない長旅になるのだ。リルはともかくガイに倒れられたら困る。ソファではなく、ベッドでしっかり休養してもらわなければ。
「まあ。遠慮するな」
ガイはそういうとひょいとリルを抱え上げた。
「ちょっと……‼」
ベッドにそっと寝かされ、そのまま口づけされる。
「もう……だめだよ……明日は大事な日なんだから……」
しかし、だめだと言いながらも本当は嬉しくてたまらなかった。ガイもそんな想いを感じたのか、気にすることなく、リルの首筋に、胸に、そっと口づけをしていった。そのたび、声にならない声が出てしまう。体がびくりと反応してしまう。リルの心の中ではこのまま大好きな人に求められたいという想いと早く休ませてあげないといけないという想いが同居していた。自分でも整理がつかず、混乱する。すると、
「本能に従ったらいい。難しいこと考えずにさ」
ガイはそんなリルににこりと笑いかけた。
「本能?」
疑問に思って、問い返す。
「そう。リルが感じるままでいい」
ガイの答えにはっとする。ああ。そういうことか。もう自分の感情を殺さなくてもいい。ありのままの自分であればいい。そう言われているような気がして、なんだか自分の中で腑に落ちた。だからだろうか。
「じゃあ、そうしてみる」
そんな言葉がすっと口に出た。
「遠慮はしないぞ?」
ガイがリルを見つめて念を押す。優しい心遣いは相変わらずだ。
「いいよ。ガイなら」
初めて誰かを愛した。そして、愛された。それがこんなに幸せなことだとは思わなかった。だから、その先に進んでもいい。そう思えた。抑えていたが、もう我慢できなかった。お互いに一糸まとわぬ姿になって、体を重ね合わせると、とろけてしまいそうだった。初めてのはずなのに、ずっと前からこうなる運命だったような、そんな感覚だった。
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