第41話 雪女

 走り出したガイのあとを慌てて追いかける。合理的なリュクスと感情的なガイが話をしたところで噛み合うわけがない。追いついてみると、リルの予想通り、

「おい!」

 ガイがリュクスに剣を持って突っかかり始めた。

「なに?」

 リュクスがうっとうしそうにガイを見る。

「一生懸命働いている市民にその態度はないんじゃないか?」

 ガイの言っていることは正論だ。しかし、

「そういうのが一番嫌いなのよ。きれいごとだけじゃ食べていけないわ」

 リュクスに悪気はない。ただ、掟に忠実で自分にも他人にも厳しく、きっちりやらないと気が済まないだけなのだ。だから、リュクスにそんなことを言っても聞くわけがない。

「なんだと!」

「私を止めてどうするの? その後のこと、ちゃんと考えている? たとえ憎まれたとしても、ここで誰かが税を徴収しないとこの国は倒れてしまうのよ」

「だからって、そんな脅すようなこと……!」

「それが私の任務なの。邪魔しないで」

 ああ。やっぱり激しい口論になっている。

「2人とも、やめて」

 雪女と呼ばれて怖がられるリュクスもリュクスだが、その場の感情に流されるガイもガイだ。リルは2人の間に割って入った。

「止めないで。公務執行妨害でこの男は逮捕するから」

 あまり表情の出ないリュクスが珍しく怒っている。冷静な声で恐ろしいことを言うのがその証拠だ。

「はあ!?」

 ガイはまだまだつっかりそうな感じである。体力はガイが上かもしれないが、権力はリュクスの方が上だ。本当に公務執行妨害とやらで逮捕するかもしれない。

「ガイ! 落ち着いて! リュクスとケンカしても意味ないでしょ」

 リルは、ガイに向かって、懸命に訴えかけた。しかし、

「あいつが悪いんだろ!? 俺は悪くない!」

 ガイはどうも引きそうにない。とにかく頭を冷やさせるのがここは先決だ。リルは、ガイの手を掴んで、自分の方にぐっと引き寄せた。そして、

「……ちょっとリュクスと話をしてくるから、宿屋で待っていてくれる?」

 耳元でそっと囁いた。リルとの距離が近くなり、我に返ったのかさっとガイが離れる。不意をつかれて落ち着いてきたようだ。まだご機嫌斜めではあったが、

「わかったよ」

 渋々そう言うと、リュクスをにらみつけて、宿屋の方へと向かっていった。

「失礼な男ね。ちゃんと見張っていなさいよ」

 ガイが去ったのを見届けると、リュクスがぶうぶう文句を言ってきた。よほど腹が立ったらしい。

「ごめん」

 リルは、リュクスをなだめるため、ガイの代わりに頭を下げた。

「任務はまだ終わっていないの?」

 ひと段落したかと思いきや、リュクスは聞いてほしくないことを聞いてきた。

「うん」

 なんとなく視線を落とす。まだ終わらないどころかこのままずっと終わらないだろう。

「さっきの男絡みでしょ? どうせ」

 リュクスが元気のないリルの気持ちを察した。

「それは言えないけど……」

 仕事モードの冷酷なリュクスには言いたくない。しかし、

「図星ね。その顔は」

 残念ながら見破られてしまった

「……え?」

 心臓がどくんと大きな音を立てる。雪女に氷漬けにされているような気分だった。

「何年一緒にいると思っているのよ。そのくらい見ればわかるわ」

 仕事を離れれば幼なじみに戻るのだ。どうやらリュクスには、何もかも見透かされているらしい。

「それは……」

もごもごと反論できずにいると、リュクスはどんどん話を進め始めた。

「それで? ターゲットに惚れてどうするの?」

 氷のつららが突き刺さったかのようなはっきりとした発言に思わず面食らう。

「ち、違うよ! そんなんじゃないって!」

 この女は何を考えているのかわからない。ちゃんと主張しておかないと、ガイが危険にさらされるかもしれない。ガイを守るため、リルは必死だった。

「何言っているのよ。どう見ても、恋人同士にしか見えなかったわよ」

 リュクスがさらりと言ってのける。

「そういう関係じゃ……」

 もはやぐうの音も出ない。完全にリルの負けだ。ガイは多分、リルに好意を抱いている。そして、リルもガイのことが好きだ。だから、恋人同士みたいなものなのだ。リルは大人しく黙り込んだ。

「まあ、いいわ。好きにしなさい。どちらにせよあの男は公務執行妨害で逮捕させたから。あと30分後には処刑されるわ」

 リュクスが満足そうに笑みを浮かべた。

「え……?」

 血の気が引くのが自分でもわかる。急転直下の展開に驚きを隠せなかった。いつの間に手を回していたのだろう。

「あなたが気にすることないわ。あの男は、ガーウィン王子なのでしょう?」

 リュクスが淡々と事実を述べていく。

「どうして知っているの……?」

 リルは誰にもガイがガーウィン王子であるとは言っていない。いったいだれがそんなことを言ったのだろう……。

「なあんだ。ダータンが言った通りなのね」

 ダータンにしてやられたか。あのトゥエンタの広場でリルはこっそりとあのペンダントの紋章を見たつもりだったが、ダータンもいつの間にか見ていたのだ。うかつだった。

「そこまで知っていたなら、なんで船の検問で捕まえなかったの?」

 あの時、あっさりと捕まえていたらそれでリュクスの仕事は終わっていたはずだ。すると、

「あんなずる賢い男もどきの言葉が信じられるものですか」

 男もどきの部分に力を込めて、忌々しそうに顔をゆがめた。

「そういうことだったのか」

 リュクスは、ダータンの手のひらで転がされるのが嫌だっただけなのか。レイズに仕える者たちは、同じ城にいるにも関わらず、お互いにその言葉すら信じられない。血が通っていないのはリュクスだけではなく、この城で働くものみんなに共通していることなのかもしれないと思う。

「でも、リルの話を聞いて私は決めたわ。私はあなたの代わりにあの男を処刑する」

 リュクスがその目に闘志を燃やす。暴走して、勝手なことをされては困る。

「だめだよ! 私の任務なんだから!」

 リルは慌てて、リュクスにきつく言い返した。しかし、

「私を怒らせて、おまけに私の大事なリルまでたぶらかしたのだから。自業自得というものね」

 リュクスの耳には届いていない。なんて言ったら届くのだろう。リュクスが近くて遠い存在に感じられた。悔しくてたまらず、

「リュクスには心ってものはないの!?」

 初めての任務の時に言われた言葉をそのままリュクスに投げかけてしまった。リュクスがリルをにらみつける。

「心がない……ではなく、理性的であると言いなさい。あなたも今までそうだったはずよ」

 反論ができないくらいきっぱりとリュクスが言い放つ。

「……そうだけど……」

 リュクスに言われて、ガイと一緒にいるうちに、すっかり人間らしい感情を取り戻した自分にふと気づく。毎日、ころころと表情を変える明るくて優しいガイの隣にいたのだ。いつの間にかもうもとの世界に帰れなくなってしまっていた。これからどこに向かえばいいのだろう。リルの胸はきゅっと締め付けられた。

「あの男に毒されたのね。いいわ。今からすぐに消してやるから」

リュクスはそんなリルを見ても、顔色一つ変えず勝ち誇ったように言い捨てて、さっそうと去っていった。

「待って! リュクス!」

 しんしんと降り積もる雪の中でリュクスに向かって叫んだが、やっぱり効果はなかった。

「なんとかしなきゃ……」

焦る気持ちを抑えて、リルはガイをなんとかして助ける方法はないかと考え始めた。そもそもリュクスまでガーウィン王子が生きていると知っていたということが大きな誤算だ。リュクスは任務には忠実だが、任務以外のことを進んでやる女ではない。恐らくレイズが動いているのだろう。あのトゥエンタの広場でリルがペンダントを見た時に、ダータンがいたのは、そのせいだ。どこでリルとガイの距離が縮まりつつあることを聞いたのかは知らないが、もうレイズはリルのことを信用していないのだ。理性を失い、ガイに惹かれていくうちに、今まで仲間だと思っていた存在が1人また1人と去っていく。しかし、それでもいいと思う自分がいた。そのくらいガイの隣は居心地がよかったのだ。

「あの……助けていただいて、ありがとうございました!」

 背後からなまりのある男の声がして、はっと我に返る。さきほどリュクスに鞭でうたれていた白髪交じりのやせこけた男が深々と頭を下げていた。右側にはリルの腰丈くらいのやんちゃそうな男の子が立っていた。左側にはようやっと歩き始めたくらいの年であろう女の子が男の足にしがみついている。

「お姉ちゃん。助けてくれてありがとう」

 たどたどしい口調で男の子がリルにお礼を言う。

「どういたしまして」

 男の子の視線に合わせてしゃがんで答えた。助けたのはお兄ちゃんだけどねと心の中で呟く。

「僕、大きくなったら強くなって、雪女たちをやっつける正義の味方になるんだ。この街を守るんだ」

 男の子がえへんと威張って胸を張る。ガイが聞いたら、泣いて喜んだだろうなと思う。

「そっか。頑張ってね」

 微笑ましいその姿を見て、思わず笑顔になった。リル1人なら見て見ぬふりをしていただろう。ガイは諦めてしまいたくなるような状況をどんどん覆していく。なんだかんだと考えずにまっすぐに進んでいく。そして、リルを初めての世界へと誘うのだ。多少危なっかしいところはあるが、リルはガイに尊敬の念を抱いていた。

「本当にありがとうございました」

 白髪交じりの男が再びリルに頭を下げた。暗殺者として暗い世界を生きてきた自分が誰かを助けて感謝される日が来るなんて夢にも思っていなかった。ガイがリルの世界を変えてくれたおかげだ。だから、

「いえ。ところで、スノーヴァ支部の処刑場ってどこですか?」

 リルはガイの救出を試みなければならない。この国にはガイが必要だ。明るく太陽のようにこの国を照らし、導いてくれる存在が。

「しょ、処刑……!?」

 処刑と聞いて、男が目を白黒させている。

「時間がないんです! 教えてください!」

 悪いが、事情を説明している場合ではない。リルは必死だった。

「ここからまっすぐ行った森の奥に湖があります。処刑人は鉄の重りをつけられて、湖の中に突き落とされるって話です」

 男がびくびくしながら、リルに教えてくれた。なんて残酷なことをするのだろう。リュクスが雪女と恐れられるのもうなずける。

「ありがとうございます!」

 リルは男に礼を言うと処刑場である湖を目指して駆け出した。

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