第40話 白銀の世界
船に揺られること一時間。だんだん海面に氷が浮かんできた。ちらほら雪も舞っている。そんな中、ガイは、リルと一緒に船上に立って、海を眺めていた。ガイの左腕には、巻き付くようにリルがぴったりとくっついている。ガイに心を許してくれたのだと思うと、天にも昇るような気持ちだった。
「だんだん氷が増えてきたね」
寒くなってきたのかリルが荷物の中から白い厚手のコートを取り出して、身を包む。
「中に入らなくていいのか? けっこう冷えるぞ」
もこもこと着込んでいるリルはまるでぬいぐるみのようだった。思わず抱きしめたくなったが、ここはぐっとこらえてリルを気遣う。リルは、
「ここで外の景色を見ていたいんだ。ガイと一緒に」
と言って、微笑んでくれた。こんなかわいらしい女性に暗殺をさせるなんてレイズもどうかしている。暗殺者を使って、コークスのように気に食わない人を殺せたとしても、その効果はしょせん一瞬だ。根本的には何も変わっていない。どうしてそんなことに気づかないのだろう。リルにこんなことをさせるレイズが憎たらしかった。
ティザーナ王国の北側は、1年中雪に覆われている。隣街はティザーニアで、古くから国王の直轄地であるためか、国王軍の警備はやたらと厳しい。船を下りるにも、やれ荷物を見せろだの、身元の確認をさせろだの、なんだかんだ検問をする。
「なかなか下りられないな」
下りたらすぐにスノーヴァの街に入れるのに、下りられないものだからいらいらする。トゥエンタから船で移動した時間とそろそろ同じくらい経とうとしていた。
「厳しいからね。ここの警備は」
もふもふとした毛皮の帽子を頭に乗せて、リルがうなる。
「まさか捕まりはしないよな?」
さっきから何人か警備兵に連れていかれている。抵抗しようものなら、鞭や剣で脅されていた。ただでさえ寒いのにさらに背筋が寒くなる恐ろしい光景だ。しかし、
「任せて。知り合いだから」
リルは余裕を見せている。
「おう。じゃあ、任せる」
任せると言いながらも、人と喋りたがらないリルが警備兵とうまく会話ができるのかという不安もあった。そうこうしているうちに、ようやくガイたちの順番が回ってきた。別にやましいことはないから、何を聞かれてもあっという間に終わるはずだ。しかも、
「リル・アーノルドです。この男は、フローアン女王の側近であるガイ・オーウェン。通してください」
リルが物怖じすることなく、警備兵に向かって説明してくれた。警備兵たちは居ずまいを正すと、
「ロレーヌ支部長から聞いております。どうぞお通りください」
さっさと通してくれた。
「ロレーヌ支部長?」
誰だろう。またイルマみたいな恨みがましい男なら嫌だなと内心思っていた。
「スノーヴァの支部長だよ。幼なじみなんだ。貴族の出なんだけどね、一緒にファナック先生に剣を習っていたんだよ」
リルは懐かしそうにガイに語ってくれた。
「へえ……」
リルがこんなに楽しそうに自分の過去を語ることはめったにない。ロレーヌ支部長というのは、相当できるやつなのだろう。これは強敵かもしれない。
ここまで心を開いてくれたリルを他の男にはやりたくない。そんなことを考えながら、ガイは、リルと一緒にスノーヴァの街に降り立った。
「噂には聞いていたけど、やっぱり積もっているな」
桟橋付近は滑らないように雪が取り除かれているが、街の方はガイの足首くらいまで雪が積もっていた。ガイは、リルが滑ってこけないように引き続き手を繋ごうとしたが、まだトゥエンタで負った傷が治りきっておらず、痛みでよろめき、その場にしゃがみこんだ。
「大丈夫?」
ぱっと顔を上げると、リルが心配そうにガイを覗き込んでいた。よく見ると、雪に負けないくらい白くてほっそりしたきれいな手が自分に差し伸べられている。その様子は、女神のように神々しかった。
「悪いな……」
リルの手を握り、体を支えられて、なんとか立ち上がる。しかし、これでは完全に立場逆転だ。かっこ悪いところを見せてしまったと思うとなんだかへこむ。
「ううん。気にしないで」
ガイを支えるリルが心なしか嬉しそうな顔をする。すっかり心を開いて自分に懐いたリルのことが愛おしくて仕方なかった。
リルと一緒に桟橋から少し歩くと、色とりどりの壁をした家が立ち並ぶ通りに出た。カラフルな壁が真っ白な雪の影響でよく映えている。雪がちらほらと舞い、底冷えがするから、街の人たちはみんな分厚いコートを着て、長靴を履いて歩いていた。暖かい南西部で育ったガイにとっては新鮮な光景だ。
「寒いな。ここは」
ガイも船でサーシャから支給されたコートを着込んでいたが、それでもまだ寒い。しかし、
「ティザーニアも似たようなものだよ」
ガイは、ぶるぶると寒さで震えていたが、リルはあまり寒そうではない。いわれてみれば、ティザーニアの城は丘の上だから、寒さには慣れているのかもしれない。そんな和やかな会話を楽しんでいた時、
「まずいぞ。奴らだ」
道を歩いていた街の人たちが何かを見つけてざわつき始め、さっとそれぞれの家に引っ込んでいった。
「何かあったのですか?」
急ぎ足で去ろうとする商人らしき男女を捕まえてガイは尋ねた。
「最近、王国軍の徴税の仕方が荒くて、みんなおびえているのですよ」
確かに船の検問もびっくりするほど厳しかった。あの王国軍の兵士たちなら、そのくらいのことは平気でやるだろう。アランはこれを恐れているのかもしれない。
「あの雪女は、取れるもの全て取って行っちゃうのよ。血が通っていないのかしら」
一緒にいたふくよかな女性が深いため息をつく。
「雪女……ロレーヌ支部長のことですか?」
リルが暗い面持ちで尋ねる。ロレーヌ支部長って女だったのかとガイは今さらながら思った。そして、それはそれでイルマと同じくらいやっかいな相手だと一瞬にして想像がつく。
「ええ。それはもうおっかないです。あなた方も早く逃げた方がいいですよ。ちょっとでも怪しいと執拗に検問されますから」
商人たちはそう言い残して、さっさと引き上げていった。
「もう……仕事になると人が変わるんだから……」
リルがぽつりと呟いた時、
「さあ。今日までという約束だったはずよ」
後ろからぴしゃりという鞭の音がした。上品で落ち着いた女性の声だ。
「す、すみません……ロレーヌ様……これだけしか……」
怯えて頭を下げる白髪交じりのやせこけた男に再びぴしゃりとムチが当たる。銀色の鎧に翼を持つライオンが描かれたえんじ色のマント……王国軍だ。
「約束と違うわ。あんたたち。やってしまいなさい」
王国軍の兵士たちは鞭を持つ女の号令を聞くと、中へ突っ込んでいった。
「ちょっと待ってろ!」
見ていられない。ガイは剣を抜いて走り出した。
「何するの?」
リルがびっくりしてガイに尋ねる。
「止めるんだよ!」
取り返しがつかない事態になる前に止めなければ。ガイは必死で周りなんて見えていなかった。
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