第34話 道

 生まれて初めて見る海に感動しているリルがかわいくて、つい頭を撫でてしまった。リルが驚くのも無理はない。とっさに手が出てしまった自分にも驚いて、言い訳もできず、うろたえた結果、リルに笑われてしまった。恥ずかしいことこの上ない。

「これだよ」

 無精ひげを生やした色の黒い大男が生き生きと教えてくれた。トゥエンタからスノーヴァまでは1時間程度だが、それにしては見上げるほどの大きな船だ。白い帆を張って走り出した時、リルはどんな反応をするのだろう。そんなことをふと思う。

「何時に出ますか?」

「今からだと10時が1番早いかな? 船は、2時間に1回は出るよ」

「ありがとうございます」

 これで準備はばっちりだ。リルに報告しに帰ろうと桟橋を歩く。しかし、出たところは見覚えのない大通りだった。

「しまった。出る方向、間違えたみたいだ」

 広場はいったいどこだろう。慌てて引き返して、

「すみません。広場の方に行きたいんですけど……」

 さっきの親切な船員を捕まえる。すると、

「広場だったら、あっちだよ」

 ガイが進んだ方向とは真逆の方を指さした。

「ありがとうございます」

何気なくリルと手を繋ぎ、エスコートしてはみたが、ガイは根っからの方向音痴なのである。田舎育ちのガイにとって、都会は未知の世界だ。

「着いた……けど……」

リルがいない。遅すぎて置いていかれたか。

「困ったな」

 こうなったら、地道に聞き込みをするしかない。ガイは市場の人たちに片っ端から声をかけてみることにした。

「銀色の髪で赤い瞳の女の子を見ませんでしたか?リル・アーノルドっていう名前なんですけど」

人通りが多いトゥエンタの街を隅から隅まで歩き回る。あれから1時間が経とうとしていた。しかし、

「う~む……見ていませんなあ」

 リルの手がかりはいっこうにつかめない。その時、

「フォスター先生は君のことを評価していたけど、僕はどうも気に入らないな」

 どこかで聞いたような嫌味たっぷりの男の声がした。その言い方にかちんときて、振り返る。

「なんだと……?」

 そこには、目つきは鋭いが、どことなく賢そうな雰囲気をまとった黒髪の青年が立っていた。年齢は、ガイより少し年上……といったところだろうか。

「君にリルを預けるのは惜しい。つくづくそう思うよ」

 昨日の夜の記憶がガイの中でふと蘇り、

「お前……もしかして、昨日の……?」

 黒い仮面の男と一致した。

「ああ。僕はイルマ・ファナック。君がガイ・オーウェンだろ?」

 そういえば、イルマ・ファナックという革命家がトゥエンタにいると言っていた。

「そうだ」

 革命家というからにはもっと爽やかな男かと思っていたが、どうも陰湿で嫌味な男だ。ガーウィン王子を支持してくれているといっても、馬は合いそうにない。ちょっと不安がよぎった。

「フローアン女王の側近がこんなところで何をしている?」

 しかも情報はどこで仕入れたのかばっちり合っている。ガイはまだそんなこと一言も言っていない。

「ティザーニアに向かうところだ」

 話すのもおっくうになってきて、おおざっぱに答えておく。イルマの目はそれを聞いてさらに鋭くなった。

「なるほど。それで? なぜ昨日まで一緒にいたはずのリル・アーノルドを探している?」

「そ、それは……」

 ガイが言いよどんだのを見て、イルマは呆れたようにため息をついた。

「はぐれたのか?」

「な……!」

「情けない男だな。それでよくフローアン女王の側近が務まるものだな」

 初対面の人に向かって、そんなにけなすことはないではないか。もはや悪意を感じる。

「俺が何か気に障るようなことをしたか?」

 腹が立ってきて、ガイはイルマの胸ぐらをつかんだ。

「君みたいなぼんくらとリルが一緒にいるのが気に食わないだけだ」

 イルマも負けていない。通りすがりの人たちがガイたちをちらちらと見ていく。

「はあ!?」

「僕は昔、リルの剣の先生をしていたんだ。彼女にはいい男と幸せになってもらいたいんだよ。」

「悪かったな! いい男じゃなくて!」

 こうなると、売り言葉に買い言葉で、いつまでも平行線のケンカになる。頭に血が上りやすいのは自分でも自覚しているが、リルが絡むと大人しくしてはいられなかった。それはイルマも同じらしい。

「彼女は同年代の子どもたちの中でもずば抜けた才能を持っていた。僕が剣を教えてしまったがために、レイズの言いなりにならなきゃいけなくなったんだ! でも、僕はもう彼女を救えない! だから……僕の代わりに彼女を救ってくれる誰かを探しているんだ」

 イルマが半泣きでガイに突っかかる。

「……どういうことだ?」

 リルは確かにティザーナ王国屈指の剣の使い手として、ガイのところに送り込まれた。ガイは今まで単に見張り役のエリートだろうと思っていた。しかし、今のイルマの言葉には悲壮感が否めなかった。力が抜けて、イルマを思わず離す。

「レイズはリルみたいな孤児を拾っては自分のしもべにしているらしいんだ」

 せき込みながら、イルマがガイに説明し直す。

「自分のしもべ?」

 情報量が多すぎて、ガイの頭はパニック状態になりかけていた。

「ああ。ちなみにレイズのしもべになった者は誰一人として城から戻ってきていない。噂では、暗殺をさせられていて、失敗したらレイズに拷問された挙句、死んでいくといわれている」

 暗殺……? 拷問……? 死んでいく……?

「それは確かなのか……?」

 そうだとしたら、何のためにリルは自分のもとに送られた……? 

「昨日、アランが自分の代理として君とリルに仮面舞踏会の出席をお願いしたと聞いてね。確かめるために僕は昨日、決起集会の後に仮面舞踏会に向かったのさ。もう全て終わった後で、市長が自室で亡くなっていたけどね。その自室から君たちは出てきた。何があったかはだいたい想像がつく。その事実と照らし合わせたら、噂の信ぴょう性がわかるだろう?」

 昨日の出来事を整理してみる。リルが暗殺者だと……? そんなの嘘だと思いたかったからだ。

「今回、殺しをしたのはダータンという男だ。でも、リルはダータンの仕事仲間だと言っていたんだ」

 でも、その可能性は限りなく高い。ショックで目の前が真っ暗になる。

「やっぱりそうか……」

 イルマも悲しそうに視線を落とした。

「……じゃあ、俺と一緒にいるのは……」

 レイズがリルを自分のもとに派遣した意図がだんだん読めてきた。さっきまですがすがしく感じていた海風が急に生ぬるくなったように感じた。

「君を殺すため……じゃないのか?」

 イルマがずばり言い切る。

「そんなわけ……ないだろ!」

 だって、ガイを殺す理由がない。ガイ・オーウェンを殺したところで、そう大して現状は変わらないだろう。まさかガイの正体を掴んでいるなんてことがあるのか。負の感情は、一度考え始めると止まらなかった。

「君が目をそらしたところで、何も変わらないよ」

 イルマがとげとげしい口調で言う。

「わかっているよ……!」

 この残酷な現実と向き合わなければいけない。でも、急に言われてもやっぱり信じられない。少しずつ心を開きつつあると思ったのは、ガイの気のせいだったのか。今までのことは全部偽りだったのか。作戦だったのか。そんなことは考えたくもなかった。

「君自身の手で変えようとしなければ、何も変わらない。でも変えようと努力するなら話は別だ」

「なんだよ……それ……」

 自分がちっぽけでどうしようもない人間に思えてくる。ガイは途方に暮れていた。

「何をどうやって変えるかは君が考えたらいい。僕は僕の道を行く」

 イルマは、ガイに背を向けるとすたすたと広場の方へと歩き出した。残されたガイはただ茫然と立ち尽くしていた。

「ガイ」

 名前を呼ばれて、ふと顔を上げるといつの間にか目の前にリルが立っていた。

「リル……」

「どこ行っていたの? 探したよ」

「ごめん……ちょっと道に迷ってだな……」

「もう。帰り道くらい確認しておきなさいよ」

 リルの態度はさきほどまでと変わらない。しかし、ガイはさっきのイルマの話のせいでリルをまっすぐに見ることができなかった。

「どうしたの? 元気ないけど」

「いや……別に……」

 お前は俺を殺すためにそこにいるのだろう? そうやって笑っているのだって、実は演技なのだろう? そんな意地悪い思いが次から次へと溢れてくる。その時、

「私たちが仕える君主はただ一人、ガーウィン・メナード様だけでございます」

 広場から演説の声が聞こえてきた。恐らくイルマの声だ。

「行くぞ」

 僕は僕の道を行く。それが何を意味するのかを確かめてやろうと思ったのだ。

「ちょっと! 待ってよ!」

 リルの言葉なんてまるで耳に入らないまま、ガイは広場へと向かった。

「現国王であるレイズ・メナードには、私たちを守ることはできません。民を蔑み、私腹を肥やす国王にこの国を治める資格はないのです」

 広場には大勢の人が集まっていた。その広場の真ん中に立っていた男を見て、リルが目を見張る。

「ファナック先生……!」

 リルがイルマの方に視線を送る。きっと懐かしいのだろう。イルマもリルに気づいたようだった。親しげな2人を見ていると、無性に腹立たしかった。しかし、

「リビエラ様の時は、争い1つありませんでした。重税が課されることもありませんでした。私たちは、その跡を継ぐものとして、ガーウィン様の治める国に賭けてみたいのです」

 と市民に懸命に訴えかけるイルマにはなんだか考えさせられるものがあった。果たして自分がその期待に応えられるような器なのだろうかと疑問に思う。

「ガーウィン王子が国を治めたら、どんな国になるのかな?」

 イルマの演説を聞いていたふとリルが呟いた。

「どんな国……か……きっと平和なんだろうさ。みんなが引くほど」

 こんな軽々しい回答、イルマが聞いたら烈火のごとく怒るだろうなと思う。しかし、

「見てみたいなあ。そんな国」

 リルは隣でくすくすと楽しそうに笑っていた。すっかりガイに気を許しているようなかわいらしい笑顔だ。その笑顔を見て、はっとする。そうだ。リルが暗殺者であろうとなんであろうと関係ない。柄にもなく難しいことをごちゃとごちゃと考えすぎていたのだ。

「そうだな」

 この笑顔を守ろう。守るために立ち上がろう。ガイはそう決意した。

「国王は王位を譲れ!」

「そうだ! そうだ!」

 周りから賛同する野次が飛ぶ。

「ガーウィン様。あなたに誓います。ともにこの国の平和を勝ち取るため、戦いましょう!」

「おお!」

 イルマの呼びかけに人々が気合を入れて答える。ものすごい熱気だ。だからこそ、レイズはリルを使って潰そうと企んでいるのか。ばらばらだった事実が一連の出来事となって繋がっていく。そこに、

「無礼者‼」

 翼を持つライオンが描かれたえんじ色のマントをなびかせながら、ティザーナ王国軍が現れた。それぞれ剣や弓矢を持ち、その場にいた罪のない市民を次々に取り締まっていく。賑やかだった広場は一転し、不穏な空気となった。

「まずいね」

あちらもこちらも矢の嵐だ。さらに、国王軍は大砲まで出してきた。市民が戸締まりを慣れた手つきで始める。

「逃げるぞ!」

リルの手を握って、走り出そうとしたその時、横から砲台が1発打ち込まれた。

「危ない!」

必死になって、リルをかばう。その後のことは記憶にない。


「ガイ!」

わざわざ暗殺者であるリルをかばって、けがをして、気を失うなんてこの人はバカなのか。

「これは……」

 今の衝撃でガイの首元からペンダントが見えた。墓参りの時にお守りと言っていたペンダントだ。よく見ると、その裏に紋章が描かれていた。間違いない。ティザーナ王家の紋章だ。リルがレイズから事前に見せられた王子の紋章と一致する。やはりガイは、ティザーナ王国の王子なのだ。……ということは、やはりリルは彼を殺さなければならない。昨日の誓いを思い返す。覚悟を決めて、胸元に潜ませていた短剣を握る。心臓をひとさしすれば、即死だ。これで今回も生き延びられる。それなのに、

「できない……」

 どうしてもガイを刺すことができない。それなら、この騒ぎの中に放っておくか。それなら、リルが手を下さなくともそのうち死ぬだろう。しかし、やっぱり、

「……死なないで……」

 私の隣で笑っていてよ。そう思う自分がいた。

「できないなら、あたしがやってあげるわ」

 男なのか女なのかわからないねちねちとした声がする。背後からこつこつというヒールの音が響いてきた。

「ダータン!」

 間一髪のところで振り向くとリルは剣を構えた。

「ほら。一瞬で楽になるから。さっさとそこをどきなさい」

 ダータンが自分の剣を振り上げる。そんなことはさせるものか。

「嫌だ……!」

 リルが剣を構えてダータンに立ち向かおうとした時、ダータンの背中にどこかから飛んできて、矢が突き刺さった。

「な、何これ……‼ 痛いから帰るわ‼」

 ダータンは甲高い声で叫びながら、煙幕を撒いて去っていった。

「助かった……のかな?」

 どこから矢が飛んできたのかはわからない。ただ、助かったのだけは確かだ。

「大丈夫ですか⁉」

 背後から弓矢を持った誰かが駆け寄ってきた。おっとりとした女の声だ。

「は、はい……」

 肩まである黒髪がさらさらと風に揺れる。目がくりくりしているかわいらしい女だった。頭の後ろにつけている大きなリボンが違和感なくよく似合っている。

「大変‼早く手当てをしなきゃ‼」

 慌てているのだろうが、優しいおっとりした声のせいでそんな風には見えない。

「近くに手当てできそうなところ、ありますか?」

 まずは安全を確保する必要がある。リルは必死になってその女に尋ねた。すると、

「僕らの隠れ家に来たらいいよ」

 懐かしい声が背後から聞こえた。

「ファナック先生……‼」

 イルマが屈強な男たちと担架を持ってきてくれた。これで安心だ。リルとガイは助かったのだ。

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