第33話 矛盾

 昨日は疲れていたのか何の夢も見ず、ぐっすりと眠った。朝食を食べ、レグールでフォスター夫妻と分かれると、トゥエンタに向けて東へ進み出した。

「元気になったみたいでよかった」

 ガイが満面の笑みでリルに話しかける。

「よく寝たからね」

体力的には回復した。しかし、昨日、ガイに助けられ、ほっとして涙を見せ、そのまま抱き寄せられるという予想外の出来事が起きたがために、気持ちの整理はいまだについていなかった。よく考えてみれば、人前であんなに泣くなんて初めてだ。きっとガイなら受け止めてくれると思ったから、安心できたのだろうと思う。ガイの包み込むような優しさにリルは少しずつ惹かれつつあった。甘いひとときなんて、暗殺者のリルにとっては、許されないことなのに。頭ではわかっているが、心がついていかない。その矛盾に悶々としていた。

一方、隣を歩くガイはいつも通りだ。優しく接してくれてありがたいという気持ちもあったが、ガイを殺す者である自分がこんなに優しくしてもらっていいのだろうかと苦しく思う気持ちもあった。色々な気持ちが入り混じっていたが、相変わらずガイがべらべらと途切れなく喋っていた。そんなガイを見ていると、苦しく思うのは自分だけなのかとなんだか腹立たしくなる。そして、今日こそは任務を全うしてやると自分に言い聞かせるのだった。

「賑やかな街だな」

トゥエンタに着くなり、ガイが目を輝かせる。トゥエンタは、港町だ。ティザーナ王国の中では王都に次ぐ人口の多さで知られる。道には家がびっしり立ち並び、その前には露店も出ている。商人たちの威勢のいい掛け声が飛び交っていた。

「そうだね」

武器に服にお菓子に花……様々な物をここでは売っていた。ティザーニアも都会ではあるが、日用品ばかりで珍しいものはない。だから、ここの市場では何を見ようかつい目移りしてしまう。きょろきょろしていると、

「はぐれるなよ」

どさくさに紛れて、ガイがリルの手に自分の手をそっと絡ませてきた。

「こ、子どもじゃないんだから……‼」

思わず顔を赤くして、うろたえる。こんな昼間に堂々とターゲットである男と手を繋いで歩いてもいいのだろうか。

「いいだろ?減るもんじゃないし」

「そ、そうだけど……」

 落ち着けと言い聞かせるが、心臓の鼓動は徐々に速くなっていく。ガイと出会ってから、寿命が少しずつ縮まっているような気がしなくもない。

「せっかくだから、一緒に街を歩こう」

 しかし、ガイは絡ませた手を離そうとはしない。

「うん」

 恥ずかしくなって、ガイを直視できないまま、小さく頷く。リルだって、大きくて頼もしい手に絡められて嫌な気はしない。むしろ、嬉しいくらいだ。いや。嬉しいだなんて思ってはいけないのだけど……とリルの脳内では本能と理性がせめぎ合っていた。

「海風が気持ちいいな」

 にこにことガイがリルに話しかける。

「そうだね」

 そんなガイの話に笑顔で相槌を返す。それが嬉しいのか話し出すとガイは止まらなくなる。街の歴史について、名物について、建物の形について……熱心に色々なことを教えてくれた。そんなこと話してくれる人なんていなかったから、興味深いなと思い、耳を傾ける。ティザーナ王国に住んでいてもまだまだ知らないことはたくさんあるものだ。

「あれが桟橋か」

 トゥエンタの港には、リルたちが立っている広場近くの桟橋からずらりと船が並んでいた。一番遠い桟橋に止まっている船は豆粒のようにしか見えない。端から端までかなりの距離があり、桟橋への出入り口も複数あるようだ。

「ここから海に出ていくんだね」

 リルは、内陸部であるティザーニアで生まれ育ったため、海を見るのも船を見るのも初めてだ。だから、物珍しくて、つい海へと旅立つ船を目で追ってしまう。

「初めてか?」

 果てしなく続く青い海を眺めていたリルにガイがふと尋ねる。

「うん。初めて」

 透き通るような海面が太陽の光をさんさんと受けて、きらきらと輝く。ガイと一緒に旅をしなければ、一生出会うことはなかっただろう光景だ。リルはその光景に感激していた。

「喜んでもらえてよかった」

 海に見入っていると、ガイがリルの頭を優しく撫でた。大きな手でよしよしされるのがあまりにも心地よいものだから、その手を振り払う気にもなれず、そのままガイに身を任せていた。すると、忘れたころに、

「わ……悪い……つい手が……」

 ガイが我に返った。顔を真っ赤にして照れていて、なんともかわいらしい。思わず吹き出してしまった。

「そんなに笑うなよ……」

「ごめん。なんだか面白くて」

 ガイはしばらくバツの悪そうな顔をしていたが、咳払いをすると、

「ちょっと船の時間を確認してくるから、ここで待っていてくれ」

 と言って、桟橋の方へ駆け出していった。

「うん」

 自分の思わぬ行動がリルの笑いのつぼに入ったから、きっといたたまれなくなったのだろう。要するに照れ隠しだ。そんな些細なやり取りが誰かとできるようになるなんて思いもしなかった。でも、

「仕事……だもの」

リルにとって、ガイに同行することはあくまでも仕事の一貫なのだ。普通の男女のように手をつないでドキドキしている場合ではない。今日こそは証拠を見つけて殺すとさっき誓ったではないか。

「もう……自分が嫌になる」

 あと数日でティザーニアに着く。リルは、その間にガイ・オーウェンとガーウィン・メナードが同一人物であることを確かめなければならない。そうでなければ、自分がレイズに殺される。暗殺者とはそういう世界なのだ。温かい日の当たる場所にいる資格なんてないのに。しばらくそんなことを考えていたが、リルはふとガイがなかなか戻ってこないことに気づいた。

「あれ?帰ってこないな」

人が多いせいか、どうやらはぐれてしまったらしい。

「仕方ない。探してみるか」

 リルは桟橋から離れて、広場の方へと戻っていった。

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