とりあえずこれだけは
光って粒?波?
私が光を最初に意識したのは中学生の頃だったと思います。たまたま観ていたテレビでアインシュタインのことをやっていたんですが、その中で、光の速さに近づくと物が重くなったり、時間の進み方が遅くなるなんてことを言っていたわけですよ。
その頃の私って、UFOとか幽霊とかのオカルトっぽいものが好きなイタい奴だったんで、すんごく心に残っちゃって、それからはテレビでアインシュタインとか宇宙物とかがあると、一所懸命観るようになっていて、今に至るって感じですね。
ま、私のことは置いといて、光速度のことを考えるのには、光のことを知らんといかん。なんだけど、光のことを知る前に、とりあえずは、昔の人がどんな光の研究をやってきたか、というのをみていきたい。昔の人が光のことをどんな風に考えていたか知るのも大事ですよね。
さて、光の研究っつうのは、結構早くからやってて、紀元前の古代ギリシア時代にはもう始まっていたって言われてます。
古代ギリシアの哲学者、ソクラテス、プラトン、アリストテレスの三人が天文学、生物学、数学、政治学、哲学なんかの学問の基礎を作り上げたらしい。で、この頃のギリシャ哲学って今で言うところの哲学だけじゃなくて、学問全般の事を指していた。ン~、つまり「哲学=学問全般」って感じですね。
他にも、ピタゴラスの定理で有名なあのピタゴラスも数学者でありながら哲学者でもあったわけです。
まあ、でもこの頃の光の研究っつっても今のようにいろんな機械があるわけじゃあないから、太陽の光を直接見るっつうチョー危ないことをしてたり、水面とかガラスとか鏡とかに映る光を観察して、光の性質を頭の中で考えていったんだろうなぁって思うけど、それでも、この頃作られた光学がずーっと後々まで、そうっすね~、ニュートンが出てくる十七世紀くらいまでは信じられていたらしいです。まあ、観測機器を作れるようになるまでは、人間の目で光を観察するんですから、仕方ないことではあるんですけどね。
で、因みに、ソクラテスとかアリストテレスが生きていた古代ギリシャの時代っつうのは大体紀元前500年から300年くらいなんですけど、その頃の日本ってまだ弥生時代で、あの邪馬台国が登場するのが紀元後150年くらいだから、ここらあたりで既にかなりの差が出てるんですよ。
なんでこんなに差が出てるか考えると、まあ、地域的な問題もあるんだろうけど、やっぱり、世間が混乱しているかどうかっちゅうことじゃないですかね。
日本がそれなりに落ち着くのって江戸時代になってからで、それまではあちこちで陣取り合戦…まあ、戦争ですよね。狭い日本の中のあちこちでそんなことやってたわけですよ。
ま、その頃のヨーロッパでも当然戦争はしまくってたんだろうけど、日本みたいな狭いところでチマチマやってるわけじゃないし、直接戦争しない人たち…まあ上流階級の人ですよね。そういう人たちは死ぬほど時間が有り余っていたんで、生活するのに直接関係ないこと、例えば「人はなぜ考えるのか」とか、「この世界とは何なのか」とかいうど~でもいいことを一杯考えられたわけです。だからヨーロッパの学問はものすごく進んでたわけ。
学問していくにはやっぱり余裕っつうのは必要で、生活に余裕がないとじっくりと考えられんです。学問みたいな「非生産的」なものに成果を求めちゃいかんと思いますよね。
おっと。話がそれてしまいましたけど。あと、10世紀くらいにいたイブン・アル=ハイサムっていう人が、光学の父って言われてるんですけど、この人も光の研究してて、鏡とかレンズとか使って頑張って実験とか観察とかして「光学の書」なんてのを出したんだそうです。
ま、そんなこんなで10世紀くらいまでには光の基本的なことはわかっていたみたいです。それでも、光の研究ってあんまり進んでいなかったんですけど、大きく変わるのがニュートンの頃だと私は思ってます。
ニュートンと同じ時代に生きていたホイヘンスっていう人が「光は波だ」っていう「光の波動説」っつうのを言い出したんですよ。これにニュートンが「いや、光は粒だ」…これを「光の微粒子説」っていうんですけど、光は粒だって言ったわけです。で、ホイヘンスとニュートンはえらく言い争っってたんだけど、何年か後に、ヤングって人が「光は波だっ」つう証拠を出して、それからは、「光はどうやら波なんじゃね?」ってことになったんですよ。
観測機器の発達していない時代に、なんでホイヘンスとニュートンは光が波だとか粒だとか思ったのか見てみます。
太陽の光をプリズムに通すと虹みたいに七色に分かれるっていうのは知ってますよね。多分中学校までに、太陽の光をプリズムに通すっていう実験は皆さんもやってるとは思います。
念のために、プリズムっていうのは、いちばん有名なのが三角プリズムっていうやつで、大体はガラス製なんですけど、まあ、三角形の短めの棒みたいなやつで、一度は見たことあるんじゃないですかね。
で、プリズムを通った光は七色に分かれるというのを見てニュートンは考えたわけですよ。こうやって光が分かれるのは、色の違いでいろんな大きさの粒があるんじゃないかって。いろんな大きさの粒がそれぞれ振動していて、その振動の数の多い少ないで色の違いが出るんじゃないかって考えたわけです。
これはこれで何となく説得力はあるんですけど、これじゃあ説明できないことがあるんです。光って物の後ろ側に回り込むっていう性質があるんですけど分かりますか。
真っ暗な部屋の扉を少しだけ開けると、扉の隙間から漏れてきた光が、扉の反対側の壁に当たって、縦長の光の線が現れる。どう見ても光はまっすぐ進んでいるように見える。だから光はまっすぐ進むって考えられてきたわけだけど、まっすぐ進むんだったら光は粒じゃなきゃおかしい、ってニュートンは考えたわけ。まあ、ここまではいい。
だけど、この扉の隙間を思いっきり狭くすると、やっぱり扉の反対側の壁には光の線ができるんだけど、当たってできてる縦長の光の線の中央から外側に向かってぼんやり明るくなっているのが見えるわけですよ。
これって、光がまっすぐに進まないで広がっているっていう証拠になるんですよ。こんな具合に光が物の後ろ側に回り込むことを「回折」って言うんでちょっとの間だけ覚えててください。
なんで回折なんてのが起きるのか理由はここでは言わないですけど、この回折が見られるのを上手いこと説明したのがさっき出てきたホイヘンス。光の回折が見られるのは光が波じゃなければ説明できないって言ったわけです。
こんな具合に、有名なニュートンよりも、それほど有名じゃないホイヘンスのほうに分がありそうなんですけど、やっぱりその当時でもニュートンはレジェンドだったんで、しばらくは「光は粒だよね」ってことになってたらしいです。
なんですけど、後になってヤングっていう人が、回折が起こるくらいに思いっきり狭くした隙間を通った光が、二つ並べた隙間を通るようにして、壁に届いた光を見てみたわけ。で、壁に出てくる光の線は二本…になると思うでしょ?でも二本にはならないで何本も出てきたわけです。この何本も出てきた光の縞模様は、二つの隙間を通った光がお互いに影響しあってできたんだって説明したわけです。
なんてことがあって、レジェンドニュートンの「光の微粒子説」じゃなくてホイヘンスの「光の波動説」のほうが主流になっっちゃうんですけど、実はこれがひっくり返ってしまうことになります。ひっくり返しちゃうのは、あのアインシュタイン。
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