リンドバーグが居なくても
片山順一
AIと僕とポストアポカリプス
僕は作者支援AI、リンドバーグを、K社に送り返すことを考え始めた。
もっとも、送り返すべきK社と、等身大のAIを送付するまともな運送会社が存在していればだけど。
アパートのベランダから見下ろすと、あちこちを人間みたいなものがふらふらと歩いている。
元は老人やスーツのサラリーマン、若い女性や子供だった存在だ。
どいつもこいつもうつろな目と緑色の皮膚をして、全身から何かの木や草を生やしている。ホラー映画のキノコ人間からキノコを取り除き、代わりに適当な草木を生やしたような奴らだ。
火星をテラフォーミングするとかで、どんな環境でも育つ植物を研究し始めたのが十年前。遺伝子改造やら人為的な突然変異やらを何度も試していると、寄生型の変な植物ができてしまったのが一年前。
そして、それらを保管していた、わけのわからない施設に爆破テロがなされたのがほんの十日前だった。
タンポポの綿毛を小さくしたような寄生植物の種は、関東中のあちこちに飛び散り、外に出ていた者たちにとりついた。そのとき派遣先のサーバー室に居た僕はたまたま助かり、駆除剤の散布が終わってから家路についたが。
案の定、パンデミックが起こった。停電とインフラの混乱、米軍と自衛隊による完全封鎖によって、関東地方は陸の孤島になった。
連中は取り付ける動物や人を襲って、種を移しては生息範囲を広げていく。
そういう状況で、僕の家にきたAIリンドバーグは、まだ僕に趣味の小説を書けというのだ。
「マスター、ノートとペンを持ってきました。これで短編小説が書けますよ」
笑顔と共に差し出された紙とボールペン。見た目が若い女性でも、AIであるリンドバーグには連中の種が通じない。この状況でも、あちこちうろついて店とかのものを勝手に持ってこられる。
僕はため息で答えた。
「ホームセンターに行ったのにそれだけ? ここを出て、何とか助けてもらうための装備とかはどうしたんだよ」
水と携帯食をたくさん持ってきてくれるのはいいけど。たとえば武器になりそうなものとか、バリケードを作るための原料とか。
リンドバーグが、可憐に小首をかしげる。こんな状況じゃなかったら、恋人のいたことのない僕は夢中になったことだろう。
実際には、彼女が来て三日目に手を出そうとしたら、いい笑顔で言われた。
『小説を書くのにAIとセックスする必要があるんですか?』
僕はふてくされて寝た。拒否されてプライドが傷つき、あとは触ろうとも思わなかった。
というか、その次の日、改めてマニュアルを読み直すと、リンドバーグの握力は324キログラムあるというとんでもない記述を見つけた。
さらに、契約書を読み返すと、作者支援用AI、リンドバーグは人格と感情を保持しており、それを無視した扱いをして反撃を受けた場合の負傷および死亡については、特約により責任を一切負わないという趣旨の注意書きまであった。
K社が勝手に言っているんじゃなくて、人格保持型のAI全般について、すでに法律が成立している。
長々言ったが、力は向こうの方が上、反撃で僕が死んでも自己責任ってことなのだ。これだけで若い女性型ロボットが独り身の僕をうんぬんなんていうロマンは消し炭になった。階段の下から、やたら短いスカートの奥をうかがうことくらいしか楽しみはない。
まったく同じ魅力的な笑顔で、リンドバーグは僕に告げる。
「出る必要があるんですか。外は危険です。死んじゃったら小説が書けなくなっちゃいますよ?」
「まあ、そうだけどさ……もう、ひと月になるんだ。何とか生きてるけど、救助は来ないし、自分でなんとかするしかないよ」
「でも危険ですよ。八百メートルの間に、私を誤認したプランツ達、八人が襲ってきましたから。走る能力は人間並みですけど、脳の制御が外れていますからね。失礼ながらマスターの運動能力では振り切れないし、一人と格闘しても重傷を負うか敗北して種を移されてしまいます」
まあそうだろう。もぐらみたいにサーバー室をうろうろして、パソコンの画面ばかり見ている僕では、銃があっても一人だって倒せない。
しかもプランツは東京の人口の三分の一くらいは居るんだ。どうやって逃げればいいんだか。
「ね? だから小説を書きましょう。私、結構好きだったんですよ、女性型アンドロイドからAIを抜いて、抜け殻になった女体を辱めるだけの、ニッチ過ぎるマスターのエロ小説」
力が抜けた。それは、仕事の疲れとリンドバーグへの性欲が限界を突破したとき、休日をネットカフェで潰して書き上げたもののはずだったのに。
「マスター、無料のクラウドストレージのパスぐらい、私が解析できないと思いましたか。作者支援Aiなんだから、マスターの全てを知る義務があるんですよ。でもなんで、私と同じショートカットの女性なんですかね。髪コキがしたいなら、長い方が便利なのに?」
ほほ笑みを口元で隠して艶然とほほ笑む。たまらなく魅力的だけど、その握力は人間を超え反撃で死んでも誰もとがめない。
もう、怒る気がなくなった。
僕は原稿用紙に向かった。こんな状況で短編小説もなにもないけど、リンドバーグに守られているおかげで、死んでも狂ってもいないのは確かだ。
おとなしく机に向かう僕に、リンドバーグは
「えへへ、いい子ですね。私、奮発しちゃいます。今日の夕食は、どこかの家庭菜園から略奪した野菜のシチューですよー」
エプロンを身に着け、キッチンに立ってくれるリンドバーグ。
いつも通りの穏やかな時間が流れるかと思ったときだ。
ごーっという、激しい音が上空でいくつも聞こえた。
これほどなのは、駆除剤の散布の時以来だ。相当に高度も低いらしい。
何だろうと窓の方をうかがうと、外に巨大な火柱が立ち上っていた。
「マスター!」
爆発と衝撃が襲ってくる寸前、リンドバーグが僕を倒して覆いかぶさった。
轟きが部屋と建物を埋めていった。
※※ ※※
僕は自分が玄関の扉近くに倒れていることに気が付いた。奇跡的にけがはないらしいが、部屋はめちゃくちゃになっている。六階もあるアパートなのに、軽自動車ぐらいのガレキ片が、部屋の中央をつぶしていた。
その下から、白い手がのぞいている。
「リンドバーグ!」
助けようと近づいたが、ガレキは焼け落ちかけている。熱すぎてどうにもならない。
『マスター、聞こえ、ますか』
「聞こえるよ、何とか助けるから」
『いいえ。それより、聞いてください。日本と米軍は、閉鎖地域の生存者と犠牲者を両方駆除する方針を固めていました。決行日はコンピューター上に書かれていなかったけど、事実だけは、つかんでいました』
馬鹿な。映画みたいなことを本当にやるのか。
『あくま、で、防衛のため、です。核も、ないですけど、空爆、みたいなものが毎日始まります』
「そんな……!」
外の奴らめ。映画の犠牲者の怒りがよくわかる。
『おこら、ないで。この、アパートの地下は、私が、耐火倉庫に改装しました。鍵は、キッチンの戸棚。生存に、必要な武器も、食料も、技術書も、紙と、ペンもあります』
「でも君が死んだら!」
『マス、ターには、小説が、あるじゃないですか。こんな事態、経験して、書けるなんてこと、ありませんよ』
「無理だよ。僕には。大体、生き延びたって国が許すはずがない」
『じょう、きょうは、私の、予測も、超えていきます。言葉が、政治を変えることも、あります。生きてください。書いて、待って、ください……』
音声が止まった。
死んだという言葉が適切かは分からないが、リンドバーグは僕と僕の小説を守ったのだ。
涙が込み上げてくる。遠くで轟く空爆を聞きながら、僕は床を叩いて泣いた。
夕刻が迫って、結局、戸棚の鍵を調べた。
小説を書くんだ。このことを、書くんだ。ただそれだけで、力が湧いてきた。
リンドバーグが、居なくても。
リンドバーグが居なくても 片山順一 @moni111
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