第23話 絢香と美玲、喧嘩の行方

 ゴールデンウイーク、一部を除いてそれは皆が望んで迎えようとしているものだ。

 そして明日からは、そのゴールデンウイークという痛快なほど喜悦な期間が訪れる。


 願うなら、ずっとゴールデンウイークのままであってほしい。試験をしたくない。試験勉強をして試験を受けたくないなど、支離滅裂だが受けたくない!


「ねぇ!明日どこに出かけよう!」


 そして、まぁ必然的にそういう会話の流れになるのは至極当然であった。


「明日から10日間も休みなんだよ!遊び尽くさなきゃ損よ!」


「そだねー、どこ行こうか」


 校門で屯っているオレとゆかり、ついでにみちる。

 猪ガールがぴょんぴょんと地を跳ねて喜々としている。猪が飛べるのかという疑問は置いておく。


「みちる、知ってるか?ウィーク明けには試験があるんだぞ」


「あー!聞こえない!何も聞こえない!ゆーまのゴミボが聞えないー!」


「おい!めっちゃ聞こえてんじゃねーか!」


 クソ!オレはイケボだわ!

 そう豪語して叫びたいが、周囲に人影が多いためそうもできない。ナルシストだと勘違いされてしまう。


「これでも自称進学校だから、真面目に勉強しないと遅れを取るぞ」


「ふんっ、バカゆーまと一緒にしないでよ」


「中学の時は一度もお前に点数で負けてないけどなッ!」


 抑えきれない感情をぶつけてやりたいが、「それよりどーする?」とゆかりの方を向き、オレは完全に蚊帳の外だ。


「もういい、帰る……ったく、なんなんだよ」


「あ、ゆーま。今から絢香ちゃんも来るって~。先に帰ったら殺すとも書かれてるな~」


「タイミングが良すぎだろ。さてはお前、こうなることを読んで王手を取っておいたな……」


「だからバカって言ったでしょ、バーカ」


 憎たらしく、皮肉な笑みでふふんと胸を張るみちる。

 目前の壁を見やって、オレはボソッと吐き出した。


「ない胸張りやがってクソ」


「なんか言った?」


 拳を構えるみちるに、「なんでもねぇよ」と言ってオレは距離を取った。

 暴力的な女は嫌いだが、みちるの場合は口喧嘩の末に手を出されるため例外だ。その点、ゆかりはみちるの扱いが上手だから結ばれたんだなとしみじみと感じるし、手練手管な絢香ともそりが合うんだろう。


 まぁ扱いが上手かったところで、奔放自由で飄々な性格のコイツとは付き合えなかっただろうがな。


「――お待たせ。待たせてごめんなさい」


 遅れて絢香も集合する。

 イツメンの中に絢香が加わったことは言うまでもないだろう。ゆかりとも打ち解け始めているみたいだし、何がともあれよかった。


「うんうん!じゃ行こっか!殿はウチに任せてレッツラゴー!」


 殿は退却する時に表す言葉なんだぞ。知恵も猪レベルか?

 ゆかりは「オー!」と続き、絢香は無言でそれに続いていく。オレも右足を差し出したことで――


「――あれー、ゆうま先輩じゃないですかっ!偶然ですねっ!」


 背後からあざとく甘い声で、オレは呼びかけられたと同時に警鐘が鳴る。いや、鳴るのが遅いくらいだ。

 一昨日聞いたばかりのその声の主は忘れもしない。振り返るとそこいたのは――岩井美鈴だった。


 率直に言って最悪だ。

 身体から血が抜けていくような心地と、ピクッと顔を震わせた絢香からの悍ましい殺気に襲われ戦慄した。


 なんでコイツ、殊更に見せびらかすように現れるんだよ……!!


「お、おう……偶然だな……」


 偶然なわけあるか!図っただろうお前!


「あれーっ!美玲ちゃんじゃん!奇遇だね!」


 地面を強く踏み、駆けてみちるは美玲に抱きついた。


「みちる先輩っ、久しぶりですー!」


 コイツら、顔見知りなのか。

 一年の中でも人気がありそうな美玲と、二年の中でトップカーストのみちるの組み合わせなので、そこまで驚きはしなかった。


「えーっと、確か岩井美玲さん……?初めましてだね、天草ゆかりです。よろしくね」


 仲睦まじい姿を眺めていたゆかりは、オレの隣まで寄り挨拶を交わす。


「はいっ、天草先輩!よろしくお願いしますっ!」


 元気よく返事をする美玲は、どこかみちると通ずるものがある。恐らく、みちるを数段あざとくしたらこうなるのだろう。

 だが、明るい雰囲気で美玲を迎え入れていたのもつかの間だった。


「岩井、美玲……?だれ……?」


 心を蝕むような暗いトーンで背後から投げかけられる言葉。絢香の方を見やると、オレを捉えて諸手を握りしめている絢香の姿があった。


 右足、左足と交互に、しかしゆっくりと踏み出して近づいてくる絢香に対してオレは一歩、また一歩と後ずさんだ。


「ねぇ、悠真くん。なんで逃げるの?やましいこと、あるの?その子、誰?」


「い、いや、違うんだ……」


「何が?何が違うのか説明して?ねぇ――」


「ち、ちょっと待ってください!いきなりなんなんですかっ!」


 オレと絢香の間を縫って入り、双手を大きく広げてストップの合図を出す美玲。

 腹の中がドス黒いコイツが今は救世主のようだ。


「それはこっちのセリフよ?名前は、学年は、悠真くんとどういう関係?」


「岩井美玲、一年、ゆうま先輩とはパンツを覗き見された仲です!」


 おい!?違うだろ!?そこは違うだろ!?いや、違くないけどさ!

 オレは顔面が硬直し、少しの静寂に見舞われた。



「……は?」



 その静寂を打ち消したのは、絢香だ。否、絢香以外は口を噤むことしかできなかった。



「――死ね」



 目くじらを立てて彼女はそう言い放った。

 もはや言い返すことも叶わない。オレは俯き、なるようになれと身を任せようとすると、


「彼氏に死ねなんて、最低ですね住野先輩」


 オレを庇護するように美玲が絢香を睨みつけて言葉を返した。怒気が込められているのは察することが出来た。

 ……これじゃ、どっちが先輩か後輩かわからないな。この前と立場が逆転してる。


「部外者は黙ってて、私は悠真くんと話をしているの」


「話も何も、住野先輩が一方的に生命を奪い取ろうとしているだけじゃないですか」


「……うるさいわね!あっち行ってよ!」


「いいえ、お断りします。ゆうま先輩を大切に思っていないなら、わたしが貰いますよ?」


 も、貰う……?それって、つまり……。


 ゆっくりと椅子にでもかけて、諧謔的な発言かどうか物問いたいが、そうもできない。

 絢香の頭に血が上りすぎて、暴走していたからだ。


「殺すわ、絶対に殺す。悠真くんに必要な女は私だけでいいのよ」


「殺したいなら殺せばいいじゃないですか。その代わり、法は住野先輩をきちんと裁きますし、ゆうま先輩も貴方みたいな人と傍に居たいとは思いませんよ」


「うるさい……うるさいうるさいうるさいっ!!貴方なんかには関係ない!!黙ってて!!」


「嫌ですっ!この際なのでハッキリ言わせてもらいますけど、彼女として最低です!ゆうま先輩にこれっぽっちも――ぜんっぜん似合ってませんッ!!」


「っ…………」


 絢香以上に気迫が篭もり、全身を使って吐き出された怒号。その効果は絶大で、彼女の喉元から声を発することを許さなかった。


「ち、ちょっと、美玲ちゃん……」


 二人の諍いを止めるべく、みちるがカバーに入るが既に時遅し。

 生徒からの観衆の視線は増えるばかりだ。


 またオレらが話題のネタとして扱われる。時期外れの台風もいいところだ。


 ゲンナリと気分が沈んだところで、みちるが上手いことこの場を収めてオレらは一先ず校門を出ることになった。


「みちる、あの二人に比べたらお前が可愛く見えるよ……」


 オレは先に歩み距離を取る絢香と、後ろから未だ睨みつけている美玲を交互に見やって、そう零した。


「全く、やっと気づいたのね」


 帰宅路、オレは電車を必要としないのだが、学校からの最寄り駅まで向かうことになった。

 どうやら美玲は電車での通学らしい。


「ああ……悪かったよ。さっきも助かった」


 すぐに暴力をふるい、低知能で浅慮、発言もバカだし軽率な行動ばかりとる。三重苦どころでは収まらないみちるだが、あの啀み合っている二人と比較すると赤子も同然のようだ。


「もっとウチに感謝することねっ!あ、お礼はいっぱいステーキでいいから」


「……はいよ、お易い御用だ」


 みちると約束を交わすと、その後は静黙のまま最寄り駅まで到着した。

 ゆかりなんて、関与したくない雰囲気が顔から丸わかりで苦笑しているだけだった。オレだって当事者じゃなければ、そうしていたしな。


 当事者であるからこそ、オレは何も行動に移せなかった。

 結局のところ、美玲に頼りっぱなしで、彼女である絢香に何をするでもなく、オレは見ていることしかできなかった。

 何が行動に移せなかっただ。何もしなかっただけだろう。反吐が出る。


 最低だ。存在価値を見いだせなくなるほど、クズだ。

 そもそもの元凶はオレなのだ。運命の分岐点は幾らでもあったのに、慎重に選択していたらこうはならなかったのに、オレはミスった。


 あの時、美玲にぶつかったことも、ゲーセンで助けたことも、連絡先を交換したことも。

 後悔の念は微塵も抱いていないし間違えたとも思ってない。だけど、どこかでミスをしたのは自明だ。失敗した。


 いや、オレという存在がなければこんなことにはなっていなかったんだ……。


 自分の過ちが直結して今に至ることが憎い。

 どんどん自虐的になる自分がとても憎い。

 自分という存在が憎い。


 オレという人間の、菅田悠真の本質が垣間見た瞬間だ。

 歯を食いしばり、顔をしかめていると「ゆうま先輩、ゆうま先輩」と美玲に語りかけられているの気づく。


「あ、あぁ……なんだ?」


「もう、わたし行きますからね。大丈夫ですか?」


「大丈夫だ、またウィーク明けてからな」


 それじゃあなと、手を上げようとすると美玲が「あっ!」と思い出したように口を開いた。


「ゆうま先輩、明日暇ですかっ?一緒に水族館行きましょうよ!それが用で放課後探してたんですよ〜」


 おい、偶然ってなんだよ偶然って。

 そうツッコミしようと開口すると同時に、みちるが茶々を入れてきた。


「えっ、水族館!?ウチも行きたい〜!ね、ゆかりも絢香ちゃんも、みんなで行こうよ!」


「うん、僕はいいけど……」


 ゆかりはオレと絢香を一瞥し、対応に困っていた。

 そりゃそうだ、今日の明日でこの雰囲気が払拭されるはずもない。


「あぁ、ごめん。またにしてくれると嬉し――」

「――私も行くわ」


 絶句した。なるべく静かに事を終えようと美玲の誘いを断るつもりが、絢香がそれを了承してしまったことに。

 彼女がイエスと口にしてしまった以上、どう足掻いても『行かない』という選択肢は一縷の希望もないだろう。


「……本気か?」


「ええ、文句ある?負けっぱなしはしょうに合わないのよね」


「別にお前が負けたわけじゃない。今は試合をストップしているだけだ、スタートし直すのは後でもいいだろ」


「私がそう決めたの」


「……そうか。わかったよ」


 覚悟を決めた、そんな表情と据わった目で強く訴えかけられては彼氏であるオレは見届けることしか叶わない。


「じゃあ決まりですね!明日の9時半にまたよろですっ!」


 こうしてオレらは明日、不思議なことに水族館へと遊びに行くことになった――。

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