第8話 絢香とみれい
「――左足の指節骨が折れていたって」
「そうか……」
病院のベッドに横たわり、彼女の気勢は失われている。
救急車が駆けつけ、付近に建てられている少し大きめな病院へと搬送された。一応、当事者のオレも連れられたが病院のホールで待機しているようと指示された。
「今はテーピングで固定して、松葉杖も借りたから学校も登校できるわ」
一分一秒と刻が過ぎ去っていくのがとてつもなく長い時間に感じられ、しばらく経ったころに看護師さんに呼び出された。そしてベッドの側にある椅子に座って今に至る。
「よいしょ……っと」
上半身を起こしあげる絢香。
「お、おい。動いて大丈夫なのか?」
「ええ、問題ないわ。さっきに比べたら痛みは引いてきているし」
引いてきている、って……それでも尋常じゃなく痛いだろ……。
ピクッ、と頰を震わせたのが良い証拠だ。
きっと、オレに気を使わせないようにとか考えているんだと思う。コイツはそういう奴だ。
「無理すんなって」
そっと絢香の肩を掴み、添うように彼女を押し倒した。
これ、オレが襲ってるみたいだな。ちょっと恥ずい。
絢香から発せられる甘い匂いが鼻を燻る。女の子特有の香りに、もう逢う魔が時に差し掛かるというのに髪から匂うシャンプーの良い香り。二つの香りが相乗して、オレを脳死状態にさせようとする。
「あ、ありがと……」
寝かせるためとはいえ、絢香の首筋に触れてしまいドギマギしてしまう。
キメ細かい肌はしっとりとしており、白い肌が少し赤くなっていたように思えた。
「緊張しているのか?」
呼吸が少しずつだが、荒くなっているのに気づいたオレは彼女をからかった。
「ッ――⁉ うるさいわね‼」
病室のガラスが割れてしまうのではと思わせるほど、絢香の大声が響き渡る。
いや⁉ お前の方がうるさいだろ⁉
オレのからかいの気持ちは、うるささで掻き消されてしまった。
「ここ病院だぞ⁉ うるさいのは絢香だろ‼」
「うるさいうるさいうるさい‼ 悠真くんがうるさいの‼」
子供みたく駄々を捏ねるよう、腕をシーツにに叩きつけて暴れる絢香。
「おい、やめろって――」
明らかに足に響くその行動だけは慎め、と言っても聞く耳を持たないだろう。
オレは言葉を交わさず、独断で動きを堰止するために絢香を押さえつけにいった、のだが――
「ひゃっ――⁉」
オレの発射した手は目標地点を誤り、悲しいことに絢香の胸へと着地した。
怪鳥のような黄色い悲鳴をあげ、彼女は硬直状態に陥る。
……ヤバい。
なにがヤバいって、もう全体的にヤバい。殺されてもおかしくない。むしろ殺されそうだ。
オレ明日を無事に迎えられるかな……柔らかい。
死ぬのがわかっているのなら、この初めての感覚をもう少しだけ味わっていよう、なんて邪推な考えに至ってしまう。
二度揉み揉み、おっぱいっていいな。うん、思いもよらない僥倖だ。
見た目のプロポーションとは打って変わって、意外にも大きい。片手でそれが収まりそうにもないのが一番の驚きだ。着痩せするタイプか、コイツ? 揉み揉み。
「………………」
揉み揉み、って……あれ? なにも言ってこない、のか?
罵詈雑言を並べられて、空手チョップを食らう覚悟はしていたのだが……。
とりあえず、この感触を今は堪能しておこう。揉み揉み。
「……そ、そろそろ離してもらっていいかな……恥ずかしいんだけど」
そっと手を離す。
「お、おう……ごめん……」
あれ、怒ってないのか……?
心悲しく思いながら、もしや痴女なのでは? なんて馬鹿らしい想像をする。
「別にいいけど……揉みたいなら、いつでも……その、揉めばいいんじゃない? 彼氏だし、それくらいは許してあげる……」
「そ、そっか……」
オレとは反対側に身体を向けて、顔をこちらに向けようとはしない。
簡単に想像がつく。その行動の理由は、赤面オレに見せたくないからだろう。
なんでわかるかって? オレも顔がタコみたく真っ赤になってるからだよ。穴があるなら入りたいくらいだ。
オレは顔を俯けて、絢香は顔を隠す。
急激に早くなった心拍が落ち着くまで、しばし時間がかかった。
「ふぅ……もういいわ」
平常心に戻った絢香が今度はこちらに身体を転がして向けた。
「そろそろお母さんが迎えに来る時間だと思うから、悠真くんもそろそろ帰った方がいいんじゃない?」
「ああ、そうだな」
椅子から立ち上がると、絢香は扇情的にニヤリと笑って悪魔の囁きをした。
「そのうち、悠真くんに私の初めてをあげるわ」
「っ……バカ絢香」
完璧な不意打ちを受けて、動揺してしまう。
オレが守り続けていた童貞も、近いうちに失ってしまうかもな。
嬉しさと悲しさが交差する。
最後に絢香は「後でまた連絡するわ」と言い残して、オレは病院を後にした――。
帰宅し、少し居眠りをしてスマホをチェックしていた時だった。
二人の女性からラインが送られてきていた。
片方のトーク画面を開くと、『こんばんは』という挨拶から入り、重大な内容が書かれている。それは――
『悠真くん、私の住所は――――です。明日の七時半に家まで迎えきてね。あ、先に言っておくと、悠真くんに拒否権はないから。責任取って、きちんと毎日送り迎えして』
と、まぁ一方的にああしろこうしろと言った内容だったわけだが……家ってなんだよ⁉ ラインで言うかよ病院で言えよ聞いてないぞそんなこと‼ ……あのクソアマ。
してやられた。断ればなにされるかわからないので『はいはい』と適当に了承の返事をする。
ただえさえ今日一日で色んな思いをしたのに、明日早くからアイツを迎えに行かなければならないなんて青息吐息だ。
深いため息を吐き出し、オレはもう一人の女のトーク画面を開く。
『ゆうま君! 見て見て! 新キャラ出たよ!』
その文字と共にゲームの写真が添付されている。
こちらはネット上で知り合った、「みれい」という名の女の子だ。もうかれこれ二年ほど連絡を取り合っている。
ただし、リアルで会ったことはない。
『おー! おめでと! 凄いね!』
ゲームのガチャで喜ぶ彼女に、素直な祝福の言葉を贈るとスグに返事がくる。
『うん! ありがと! ゆうま君はどうだった?』
『オレはからきしダメだったよ……』
『そっかぁ……落ち込まないで、次頑張ってね!』
『うん! 次こそはいいキャラ引き当ててみせるよ!』
そんなゲームの会話を繰り広げると、気づけばお風呂へ向かう時間になっていた。
『ごめんっ! オレお風呂入ってくるね』
『うんっ、行ってらっしゃい!』
みれいからの返事を確認すると、オレは寝巻きを用意して浴室へ行く。
たかがネット上での付き合い、画面越しの付き合い。もしかしたらネカマかもしれない、モサい男かもしれない。
それでも、オレはみれいのことが気に入っていた。
話しやすくて、こちらの話もしっかりと聞いてくれる。その上、趣味が合う。
正直、リアルで会えば彼女に恋をしていたかもしれない。本当に女、ならだが。
いつか会ってみたいな……。
オレは叶わぬ期待を背に乗せ、湯へと浸かった――。
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