シーン2
『儂の依頼はたった一度でいい。彼女と生で逢ってみたい。それだけなんじゃ。そのためなら金なんぞ・・・・』老人はそういって、手の切れそうな小切手に、
『7』と書いて、その後に0を5つ付けたした。
俺は自分が町のチンケな探偵であることに感謝した。自他ともに許す名探偵なら、プライドが邪魔して受けられる筈はないからな。
『五条則子・・・・1947年生まれ。本名等その他のパーソナルデータについては未公表。デヴューは昭和43年、小川博監督の「狙われた若妻」、落ち着いた風貌と物腰、そして艶っぽい演技で人妻、女教師、女医等の役柄をこなし、多くの男性ファンの支持を得る。昭和58年、「熟女開眼」が最後の主演作となり、以後映画出演はなく、事実上の引退。昭和46年、5歳年上の男優、桐原正信と結婚。子供はいない』
俺はねぐらの本棚にあった、
『日本女優大辞典』の頁を繰って、その中から『五条則子』の項をやっと見つけた。
何しろこの本には明治時代から昭和六十年(この本が発行されたのは昭和六十一年だ)迄に、日本の映画、テレビ、舞台などで活躍していた主な女優の生年月日、経歴等が網羅されている。
とはいっても完全と言うわけではなく、勿論知名度のあるなしによって、掲載されているボリュウムも違っている。
当然ながら、彼女のような銀幕の仇花的存在であるピンク映画女優などは、殆どの場合割かれているのは多くても10行ほど、少ないものは名前と生年月日が載っているくらいという悲惨な扱いの場合だってあるくらいだ。
引き受けた以上は調べなければならない。
ピンク映画は配給は大手の映画会社だが、製作するのは独立系の小さな会社と相場が決まっている。
そうした独立系の会社は、最盛期には随分沢山あったようだが、アダルトビデオとやらが普及するようになってからは、すっかりそちらに人気をさらわれ、今ではほんの僅かしか残っていないという。
俺はその中の一つ、業界では古手中の古手、宝映映画の本社を訪ねた。
宝映は昭和三十五年創業で、五条則子をその世界のスターに押し上げ、彼女の主演作品を最も多く製作したといってもよいだろう。
その歴史ある本社・・・・とはいっても、何のことはない、台東区入谷の、本当に目立たない裏町にある五階建て貸しビルの四階の片隅にささやかな事務所が設けられているに過ぎなかった。
『五条則子について・・・・ねぇ』
丸い眼鏡をかけ、でっぷり太ったこの会社の副社長と称する男は、俺が提示したライセンスとバッジを確認してから、
『まあ、どうぞ』とソファを勧めた。
事務所の広さは、俺のところより幾分広いかと思われる程度で、そこに幾つかの事務机に、壁には何枚かの扇情的なポスターが貼られているのみの、お世辞にも整っているといえない。
副社長氏は、後ろにいた女性事務員にお茶を入れてくれるように頼むと、俺の前にどっかりと腰を下ろした。
『確かに彼女はウチで一番多くシャシンを撮ってますが・・・・何分私がここに入ったのは、彼女が引退してからなんで、経緯とか、その他の事については何も知らんのですよ』
『・・・・資料だって・・・・何しろご覧の通りの広さですからな。古いものは処分するかして、殆ど残っていないんで』
『では、誰でもいいんです。彼女のことについて知っている方はいませんか?』
副社長氏は眼鏡をハンカチで擦り、1分ほど考えた後、
『ああ、そうだ』と、膝を叩き、
『シゲちゃん、相田組、今日はどこで撮ってる?』
『錦糸町のアパートですよ。』
お茶を運んできた女子社員が素っ気ない口調で答えた。
『ああ、そうだった・・・・ええと・・・』彼は身体を反り返らせ、自分が座っていたデスクの後ろにあるボードを見た。
『「欲しいの。今夜」ですな・・・・相田組のカメラマンのトクさんなら知ってると思いますよ』
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