第79話 月夜の決意。

 

『我が愛しの娘よ。どうか、無事に生きておくれ。出来る事ならば、その行く末に溢れ出んばかりの幸せが降り注ぐ事を切に願う』


 もう顔も思い出せないけれど、父の最期の願いはとても優しいものだった。それだけは間違いない。


 自分は記憶を失っており、目を覚ました時には自身が誰なのか、ここが一体何処なのかも分からないまま世界に放り出されていた。


 辛うじて思い出せたのは名前。そして、父が頭を撫でてくれた記憶だけだった。


 幸いな事に目覚めたのが川辺だったので、自分の姿を覗き見る。銀髪に灼眼、年齢は二十代前後だろうか。


「これが私か……」


 ーーグウウウウウウウゥッ!


「腹が減ったな」


 一先ず自分の記憶が無い事は放置する。

 腹が減っては戦は出来ぬなんて言葉を知ってるあたり、基本的な知識は失っていないみたいだ。


 周囲を森に囲まれており、獣の肉でも得られれば事足りると思った途端、視界に不思議な地図と点が浮かび上がった。


「青い点は自分が今いる位置か。それなら赤い点は一体なんだろう?」


 ゆっくりと地図の場所へ移動すると、そこにはとても大きい牙を生やした猪がいた。

 何やら地面を掘っているようだが、隙だらけだ。


「腹が減ってるんだ……」


 空腹を満たす為に獲物を仕留めると意識した瞬間、爪が変形して鋭く伸びた。

 同時に口元の牙が鋭く尖っていくのが、感覚で分かる。


「ーーーーピギィッ⁉︎」

「あっ……」


 猪は放たれた殺気を感じ取って逃げてしまった。

 先に確認したい事があって、再び川辺に戻る。


 覗き込んだ川の水には先程とは変わって牙と爪を伸ばし、銀色の体毛を生やした獣が映っていたのだ。


「きっと、自分は化け物だから捨てられたんだろうなぁ」


 その後、二年くらい一人旅を続けた。


 その間ずっと拭えなかったのは、捨てられた自分が誰かと一緒にいてはいけないという想いだった。


 人に好かれる事も、好いた記憶も無い。思い起こされるのは父の最期の涙だけ。


 ごめんね。溢れんばかりの幸せを得るどころか、化け物は誰とも触れ合えなかったよ。


「腹が減った……どうせ生きていても誰にも必要とされないなら、もう死んでも良いかなぁ」

「う〜ん。空腹で美女が死ぬのは見過ごせないわね」

「ーーえっ?」


 一瞬、森の妖精が見せた幻かと思った。手を差し伸べられている先にいるのが自分だとは思えなかった。

 でも、魔術師のローブを羽織った女性は無理矢理手を引いて走り出す。


 何でだろう。もう力なんて出ないって思ってたのに、不思議と足がいつもより軽やかに動いた。


「うちはアリゼ! D級冒険者パーティーのグリンガムで魔術師をやってるの! 一緒にご飯を食べないかしら? 綺麗なお嬢様?」

「ガハハッ! お前さんガリガリじゃねぇか! こっちに来て一緒に飯を食え!」

「リーダーはいっつもそれだよね。おかわりの準備をしておこうかな。テメロも手伝ってくれよ」

「了、解……」


 引っ張られた先で焚き火を囲い、座り込んでいる男達は自分を拒む訳でもなく受け入れてくれた。


 差し出されたスープを一口含んだ途端に、自分は崩れ落ちそうになる。


「……あり、がとう」


 どうしてだろう。涙が溢れて止まらない。喉元がせり上がって苦しいくらいだ。


「いきなり泣き出すなんて、よっぽど寂しかったのね」

「さみ、しい?」


 そうか。自分は寂しかったんだ。記憶も無く、ただ一人きりで孤独に過ごす人生が寂しくて堪らなかったんだ。


 アリゼはただ、空腹で死にかけている自分を救った程度に考えているかもしれない。


 だけど、目的地もなく彷徨った果てに自分はグリンガムのみんなに会えた。


「自分は、フィアーデという名前なんだと思う。記憶を失っててそれ以外に思い出せないのだけど、良ければ共に旅をさせてくれないだろうか?」


 拒否されたら直ぐにこの場を去ろう。自分でも都合の良い事を言ってると自覚している。


 会ったばかりの他人を仲間にしてくれるなんて危険な事を、冒険者である彼等がーー


「ーー宜しくねフィアーデ! あっちの厳ついのがリーダーのバンタス。そっちのちっこいのがコム。あっちの無愛想なのがテメロよ!」

「おいおい。しっかりと面倒を見きれるんだろうな?」

「アリゼがこうなったら誰も聞かないでしょ。諦めようよリーダー」

「その獣耳、可愛いぞ……」


 その夜は大泣きした。アリゼはずっと側にいてくれて、抱きしめてくれた。


 その後、自分は彼等と一緒にいるうちにスキルや魔術を習う。

 正確には、習うというよりもという行為に近かった。


『生命探知』、ーーそれが自分の固有スキルだ。マップ上に指定した生物のあらゆる情報が掲示される。


 故に自分はグリンガムと行動を共にしながらも、ひたすらに影として振る舞った。


 幸いな事に牙や爪を隠す為の弓術は、スキルとの相性が良かった。


 仲間には自分の知る限りの情報を伝えてあるが、そこから導き出された答えは余計に自分の正体を隠す理由になり得たのだ。


 ーー人族から忌み嫌われる『吸血鬼』と『人狼』のハーフ。


 どちらか片方でも討伐対象になるのに、両方を備えている自分を両親が捨てたのは、致し方が無い処置だったのだろう。


 それでもいい。今が幸せだと感じられるのだから。


 たとえ自分が死ぬことになっても、仲間を守りたいと願ってしまったのだから。


 __________


「命を賭けて、仲間は守る」

「……それで、何故こうなるんだよ」

「姉と演技していた従者でさえあの実力だ。今後、君は絶対に仲間に危険を及ぼすと判断した」

「姿を見せてくれたのは嬉しいけど、見当違いも甚だしいな」


 グレイズと呼ばれていたこの子は危険だ。吸血鬼と狼の両方から本能が告げている。

 上位種に逆らうなと警鐘を鳴らしている。


 ーーだからこそ見過ごせない。今は何かの誓約で手足が動かないと聞いた。


 今、この時しかチャンスは無い。


「死ね。幼き姿をした化け物め」

「……つまらん。夜中に呼び出されて何だと思えばこんな事か。まぁ、良いだろう。月夜が綺麗だし、散歩にでも付き合ってやるよ。お嬢さん?」


 自分の生は今日で終わる。だから、道連れにさせて貰うよ化け物。

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