第37話 大切なモノは、いつだって失ってから気付くんだ。
水精ナイアドを倒した後、俺達は無事に『霊水』を手に入れた。
滝の発生源には、『霊珠』と呼ばれている直径一メートル程の巨大真珠が沈んでおり、その周囲の水は霊力が高く、霊水に変化するのだと朱厭から聞いた。
霊珠ごと持っていってしまおうか悩んだのだが、この森の魔物達は瘴気で穢れていようとも、ここから流れる水によって生かされているらしく、生態系が狂い兼ねないので控える事にする。
もうここまでの道は覚えたし、必要になったら取りに来れば良い。猿達に運ばせる手もあるしね。
「さぁ、帰ろうか。朱厭は俺が呼び出したら一度出て来てくれ。カティナママンに紹介したい」
「畏まりました。それまではこの場所を中心とした新しい縄張りを作るつもりです」
「それは助かるな。くれぐれも霊珠を見知らぬ敵に奪われない様に注意して欲しい」
「ハッ! 主命とあらば、皆喜んで動くでしょう」
忠義に厚い部下を持つと、こんなに便利だと思わなかったなぁ。向こうで体育座りをしながらヘコんでいる二人にも見習って欲しいものだ。
まぁ、今回は色々と得るものが多かった。シルフェとファブを少しくらい労ってやっても良い筈だ。
「落ち込んでないで帰るぞ。課題は多かったが、動きや判断力は中々良かったと思う」
「……はい」
「うぅ〜! おいらだけ気絶するとか情けないっす〜!」
「その悔しさを噛み締めながら強くなればいい。俺達にはまだまだ時間があるからな」
ステータスが幾ら高くなろうとも、この小さな体じゃ十全に発揮する事は出来ない。
だから今は準備をするんだ。
ーー大人になる為の貴重な時間だと、心からそう思っている。
ファブの神格スキル『
俺の言葉に共感してくれたのか、二人は力強く頷くと立ち上がった。
帰りの分の魔力まで温存する必要はないだろう。
「ファブ、シルフェ。頑張ったご褒美に今の俺の全力全開を見せてやる。しっかりと体感しろよ」
「「えっ? 体感?」」
「気絶したら罰ゲームな。『
俺は魔力と龍気を融合し、第三形態である『魔竜滅装』を初披露した。
加護が影響しているのか、俺を頭部の部分に取り込む形で十メートル近いが、ややサイズの縮んだ
俺の思うがままに手足は動くし、魔力制御のお陰で尻尾まで神経が繋がっているみたいだ。
でも、流石に魔力の消費量が半端無いな。もしかしてブレスも吐けるかもしれないけど、また今度検証しよう。
一秒毎に大体MPが30前後減っているのを確認した後、俺は天の羽衣でシルフェとファブを掴み上げた。
「ぐ、グレイズ様? おいら嫌な予感がするので、出来れば自分で走りたいっすーー」
「ーー手加減無しの全力全開でお願いしますね! 私がどうなろうとも、グレイ坊っちゃまは気になさらずにどうぞ!!」
「当たり前だ! 俺は早くママンに会いたいんじゃい!」
羽衣から抜け出そうとジタバタ暴れているファブを絞め上げ、残念メイドは両手を組んで祈りを捧げている。
一体君は何を期待しているの?
ーーあれかな。バンジージャンプとか絶叫マシーンとか好きな人って元の世界にもいたね。
「行くぞおおおおおおおおっ!!」
ドンッ! っと音を立てて勢い良く地面を蹴ると、進行方向へ嵐の道を作り上げる。
その渦の中心に身を預ける様にして風魔法を発動し、凄まじい轟音と共に俺は飛翔した。
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
「うわあああああああああああああああああっ!!」
森の霧や瘴気を吹き飛ばしながら、高速で景色が流れていく。
俺の真横では一人が半泣きになり、もう一人が恍惚に身悶えていた。
互いに悲鳴を上げているけど、怖がっているのと楽しんでいるのではここまで違うのか。
俺は風の流れで先読みしながら樹々に激突するのを防ぎ、邪魔な枝は切り裂いて更に加速し続ける。
「ヒャッホーウ!! 確かにこれは楽しいなシルフェ! まるで自分が龍になったみたいだ!」
魔闘の組み合わせは自分自身の肉体の力を高め、魔神の組み合わせは魔法の威力を跳ね上げる。
それに対して魔竜は新しい手足や尻尾が生えて、別の生物に生まれ変わった様な開放感があった。
ーーこれは、新しい戦法が生み出せるかもしれない。付け焼き刃じゃ使う気もないけど練習はしよう。
テンションが上がった俺は年甲斐も無くはしゃいでしまい、行きとは違って二十分程で我が家へ到着した。
早くママンに会いたいからって、ちょっとやり過ぎたかな。
天の羽衣で掴んでいた二人は、案の定ピクリとも動かない。
「「…………」」
「うん。息はしてるし問題ないだろう! ただいま〜!!」
俺は意気揚々と家路に着いた。すると、俺が開く前に家の扉が開かれる。
ゆっくりと視線を上げると、微笑みを浮かべながら両手を広げる
俺は自然と身体が動き、何も考えずに飛び込んでいった。
「おかえりなさいグレイちゃん。私に会えなくて寂しくなかったかしら? 本当に無事に帰って来てくれて嬉しいわ……」
「……結構寂しかった。でも、ママンの為だから頑張ったよ」
頭を撫でられるのが好きだなんて、前世では考えた事も無かった。
母の温もりがこんなに温かいだなんて、知らなかった。
(やっぱり俺の場所は此処が良い。守る為なら、何だってしてみせる)
大きくて柔らかいおっぱいに挟まれて少し苦しいけど、ママンも寂しかったのかな?
いつもより抱く力が強い気がする。
俺は抱っこされたまま、
同じ瓶があと十本程あり、これで当分は保つだろう。
「先にママンはこれで
「そうね。折角グレイちゃんが頑張ってくれたんだから、効果を試させて貰うわ」
カティナママンは、転生神から貰ったエリクシルを一気に飲み干さず、霊水に薄めて飲む事にしたのだ。
一気に完治させれば力は戻ったかもしれないが、寿命自体は数年伸びる程度だ。
それならば徐々に霊水に溶かして、力は戻らなくても寿命を優先して俺の成長を見守りたいと言ってくれた。
だからこそ守る。ママンに仇なす存在を決して許しはしない。
俺は気絶したシルフェとファブを起こすと、リビングのソファーに掛けさせた。
「二人共、俺の全力はどうだった? 楽しかったか?」
「はいっ! 意識が飛ぶ寸前のギリギリまで最高でした!」
「……おいらは、自信を無くしそうっすけどね」
元気一杯のシルフェと違って、ファブは唇を噛み締めながら震えていた。どうしたんだろう?
「おいらは神龍の後継者であるグレイズ様を凄いと認めつつも、正直恐いっす。それに従者を務められる自信も……今はないっす」
成る程っと俺は両腕を組んで納得した。そして、同時に悟る。
このまま俺の側にいたら、ファブの成長は歪んでしまう気がするからだ。
「一晩考える時間を与える。今はゆっくり休んでくれ」
「……はいっす」
シルフェは会話にも混ざらず、どこか興味無さそうにリュックや
そうこうしている内に、カティナママンが部屋から出てくる。
だけどその表情は酷く沈んでいて、真っ青に見えた。
「ど、どうしたのママン?」
「えっ? な、なんでも無いのよ。お陰様で寿命の件は暫く大丈夫そう! みんなありがとう」
両手をパタパタと振りながら、慌てて何かを隠す素振りをしたね。他のみんなは騙せても、俺の目は誤魔化せないよ。
「何があったのか、正直に言って?」
「……グレイちゃん。部屋に来て。二人は此処で待ってて頂戴」
「「はい」」
シルフェとファブは不安というより、不思議そうな顔をしていた。
二人に話せない内容って何だろう? 俺はママンに抱き抱えられて、早まった心臓の音が聞こえないかドキドキした。
部屋の中に入ると、ママンはベッドに俺を下ろす。
そのままシャツのボタンを外していつもの様に豊満なおっぱいを露わにすると、俺の口元へ近付けた。
「吸ってみて?」
「う、うん」
数日前まで寝る前に当たり前に行っていた行為なのに、何故だか今は緊張する。
だって、カティナママンの顔が強張っているから。
ーーチュッチュ!
「ーーーーッ⁉︎」
「やっぱり……出ないかしら?」
「こ、これは……何で⁉︎」
俺が慌てふためきながら問うと、カティナママンは哀しげに瞳を伏せた。
言って良いのか躊躇っているかの様に、戸惑いながら口を開く。
「多分、霊水に溶かした
「……ママンが生きてくれていれば、これ以上の幸せなんかないよ。だから、そんな哀しそうな顔をしないで?」
これは嘘じゃ無い。今、全身の力が抜け落ちた様な絶望が身体を支配しているけど、ママンに悟られてはいけない。
頑張って微笑むんだ俺!
「そう……グレイちゃんが望むだけ、おっぱいをあげたかったからママンは少し寂しいなぁ」
「もう三歳だしね! 乳離れする良い機会だよ! さぁ、お腹がペコペコなんだ。みんなでご飯を食べよう」
躊躇うママンの手を引いて、俺はリビングに戻った。
既にシルフェが調理を始めており、狩りの間に溜め込んでいたビビリーラビットの丸焼きと、香草のスープに舌鼓をうつ。
満腹になった安心感から、そのまま俺達は溜まっていた疲労を癒すかのように眠りに就いた。
深夜、俺は一人で目を覚ますとベッドを抜け出る。
音を立てないように『
これは発動した対象者の周囲の音を遮断する魔法だ。使い途が思い浮かばなかったけど、こういう時は便利だと思う。
そのままキッチンに向かうと、ママンが時々機嫌の良い時にだけ飲む果実酒を手に取って家を出た。
向かったのは、我が家とギルムの里を繋ぐ道からいつも見えていた丘だ。
風魔法で飛んで降り立つと、胡座をかいてゆっくりと地面に腰を下ろしてグラスに酒を注ぐ。
「ぐぇっ! 子供の味覚で酒を飲むとこんななのか……不味いな。まぁ、今日だけだし良いだろう」
以前から決めていた。ママンの母乳が出なくなったら、一人で夜空でも見上げながら感傷に浸ろう、と。
地球とは違って空中都市から見上げる空は近い。星が一層輝いて見える。美しいなぁ。
「あぁ、これでママンのおっぱいを吸ったり揉んだりする名目が無くなっちまったなぁ。演技しようにも、ママンには即バレだし、元爺的にもキツいか……最初で最期のおっぱい。永遠に忘れないように脳内フォルダに永久保存しておくよ。乾杯」
夢の様な時間が唐突に終わりを告げたのだ。
前世を含めてナチュラルボーン童貞の俺には儚い夢だったようだ。
ーー悲しい。大切なモノはやっぱり失ってから気付くんだな。当たり前過ぎて甘えていた。
「恋とか、出来んのかなぁ」
剣術の腕とか魔力とかとは違って、俺はそっち方面に全く自信が無い。
愛されたのだってカティナママンと多分
「あーあ。どっかに俺の事を好き過ぎて堪らない
「此処に居ますよ?
「ーーえっ?」
俺が寝そべっていた身体を一瞬で起こして背後を振り向くと、そこには何故かシルフェがいた。
夜空の星をバックに翠色の瞳を向ける彼女を、不覚にも俺はこの瞬間美しいと思ってしまう。
「どこから聞いてた?」
「つい先ほどの『恋とか、出来んのかなぁ』って辺りですね。私の気配に気付かないくらい酔っていらしたようで?」
「……うるさい。お前も折角来たなら付き合っていけ。晩酌しろ」
「本来お止めする立場ですが、今夜位は良いでしょう」
小言を言われるかと思ったが、シルフェは俺の真横に座ると黙って酌をしてくれた。
俺は注がれた酒を飲み干すと、黙って器を差し出す。
シルフェもいつのまにかチビチビと飲み始めたみたいだ。
そのやり取りを無言のまま何度か繰り返している内に、俺は少し癒された気がしてシルフェに礼を言おうと佇まいを変え、正座する。
「ハァッ、ハァッ……坊っちゃま……ハァッ、ハアァッ! そんなにおっぱいが恋しいのなら……どうぞ?」
「〜〜〜〜ぬあぁッ⁉︎」
そんな俺の目の前に飛び込んで来たのは、まだ成熟なんて言葉を知らぬシルフェのおっぱいだった。
いつの間にか脱いでおり、差し出すみたいにピンクの膨らむ絶壁を張っている。
俺は躊躇う事無く拳骨をやや強めに振り下ろした。
ーーゴチンッ!!
「いったああああああああああああいっ⁉︎ 何するんですかぁ⁉︎」
「この馬鹿モンがああああっ! そういうのは好きな奴の前でだけしろ!」
「私は乳母の役目もあるんだから良いんですぅ〜!! ほら、こんな時くらいお姉ちゃんに甘える感じでどうぞ!」
「いらんわ! もう少し成長してから言えこの変態め!」
「私だって将来は巫女様みたいなボインボインになるんですからね! その時に吸わせてって言っても許しませんから!」
「そうなるといいねー。うわぁー。期待してるー」
「もうちょっと期待を込めて下さいよ⁉︎」
シルフェのお陰か一気に悲しみがぶっ飛んだ気がした。
その後二人で大爆笑しながら、家路に着く。
何でだろうな。スッキリした気がする。
こうして、俺は少し遅い乳離れをした。
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