第36話 VS水精ナイアド。

 

 猿達に神輿の如く担がれたまま三時間程耐えていると、徐々に濃くなった瘴気が晴れていく。


 魔陰の森の深奥に向かっている筈なのに一体どういう事かと不思議に思っていたら、別の場所で魔核を集めていた朱厭が影から飛び出して来た。


「主人よ。この先が霊力の滝に御座います」

「分かった。二人共気を引き締めていけよ」

「「はいっ!!」」


 気合いの入った良い返事だ。シルフェもファブも子供なのに怯えたり、緊張し過ぎて身体が固くなったりしない。


「「「「ウキキキィッ!!」」」」


 猿達の咆哮を合図にして行進が止まる。俺達は一転して陽の光が差し込んだ場所へ降り立った。


 眼前には高い崖から溢れる様に流れ落ちる滝があり、水飛沫がキラキラと輝いている。


 我が家がある空間と同じだ。この場所は瘴気に侵されておらず、まるで聖域であると言わんばかりに美しい。


 流れ落ちた綺麗な水はそのまま森の方へ流れていくが、きっとこの先で穢されてしまうのだろう。

 道中見かけたのは、とても飲み水に出来るとは思えない程に黒ずんだ水だったから。


「なんか勿体無いな。こんなに美しい場所が誰にも見られず放置されてるなんて」

「グレイ坊っちゃまはそんな風に思うのですね。少し意外でした」

「若い頃は色々と世界を回ったからな。荒んだ心を癒してくれる気がして、よく美術館や美しい景色を見に行ったよ。懐かしい」

「……」


 俺が地球の小景に想いを馳せていると、シルフェは何故か隣で俯いていた。どうしたんかな?


「グレイズ様は小さいのに、どうやってパノラテーフを出たんすか?」

「ーーーーッ⁉︎」


 ファブの何気ない一言で思わず口が滑った事に気付いた。俺が転生者なのはカティナママンにも隠しているのだ。

 元爺とか知られたらオッパイが吸えなくなるからな!


「な、なんていうか夢? そう、そんな夢を見ただけさ!」

「なんだぁ。いきなり大地龍じっちゃんみたいなこと言うから、ビックリしたっすよ」


 そうだね。きっと君のじっちゃんとは話が合うと思うなぁ。きっと将棋を教えたら、茶を啜りながら良い友達になれるさ。


 深く詮索される前に話題を変えよう。


「さぁ、話は終わりだ! 朱厭、ボスは何処らへんにいるんだ?」

「主人よ。滝壺の水面上にもう出現しております」

 朱厭が指差した方に視線を向けると、水飛沫に紛れて水精ナイアドが浮かんでいた。


 その姿はまるで水で美しい女性を描いた様であり、胸の中心にある灰色の魔核以外は全てが透き通っている。


 ーーこれ、邪悪な魔物じゃないんじゃね?


 ほら、良くあるじゃん。なんか聖域を守る番人とか、邪なる者を近付けない守護者とかってアレだよ。だって瞳が澄んでるもの。


 俺は神獣と契約出来るんだから、きっとナイアドと友達になるのなんて余裕っしょ。心も三歳児らしくピュアだしね。体なんて前世からピュアそのものだぜ? 童貞だからな!


「お前ら、作戦を変更する。俺がまずナイアドと交渉する。戦闘が無くて済むなら、その方がきっと良いだろう?」

「主人よ! それは危険ですぞ⁉︎」

「グレイ坊っちゃま……何故か素直に納得出来ないのですが?」

「おいらはどっちでも良いっすよ! グレイズ様の好きにすると良いっすよ〜!」

「シャラップ!! あの魔物はきっと良い魔物なんだ。俺には分かる」


 ファブは良いとして、朱厭は本気で俺を心配しており、シルフェは薄目を向けてくるので一喝した。


 待っていろと右手で合図を送ると、俺は少しずつ歩きながら滝壺の端まで近づいていく。

 すると、ナイアドもゆっくりとだが此方へ向かって来るではないですか。


 やっぱり通じ合えるんだよ。だって俺、神龍の息子ですしね! もう一度言う、心も体もピュアだからな!


 およそ二メートル程の距離まで詰め寄った辺りで互いに止まり、俺は握手をしようと右手を差し出して口を開いた。


「水精ナイアドよ。俺は神龍の息子、グレイズ・オボロという者だ。母の命を救う為に霊水を求めてこの場へ来た。危害を加えるつもりはない。俺と友達になってくれないか?」

「クルル〜」


 鳥の鳴き声みたいな高い音がナイアドの口元から鳴った。威嚇とは思えない。やっぱり通じ合えるんだね!


 こちらに少しずつ近づいて来ると、ナイアドは俺の手を握ってくれた。水なので冷んやりとして気持ちいい。


 そのままもう一つの左手も握られ引っ張られる。

 これには自分でも驚いたが、ナイアドと滝壺の表面を回る様にしてクルクルとダンスを踊ったのだ。


「あははっ! あははははは〜! 楽しいなぁ!」

「クルッ、クルルゥ〜!!」


 水飛沫が陽の光を反射して流れる景色を彩る。魔物にだって良い奴はいるのさ。俺は今日、新しい教訓を学んだね。


 ーージュウウウウウウウウゥ。


「あはははは? 何だろうなぁ。ちょっと掌が熱いっていうか、痛いぞぉ〜?」

「クルルルルゥ〜!!」


 俺は違和感のある掌を見ると、手首までナイアドに取り込まれてガッチリとホールドされている事に漸く気付いた。


「ーーって、溶けてますやん⁉︎」


 そして、自分の手が灼け爛れ始めている事に驚愕する。お前も酸性なのか、と。


 チュートリアルで出会ったスライムを思い出し、俺は哀しげに瞳を伏せた。


「少しの間だったけど、楽しかったよ。俺、お前の事忘れないから。だから、さよなら……」

「クルルッ?」


 ナイアドは首を傾げている。そう、こいつには敵意はないのだ。だから慈愛のネックレスは発動していない。

 そして、それはナイアドの水の結界も同様だった。


「発勁!」

 俺が内部破壊の気を掌から流し込むと、ナイアドの手元で水が爆散した。


 賺さず縮地で三人を待たせていた所まで戻ると命令する。


「俺に体が酸性の友達はいらん。作戦通り倒せ」

「主人よ。だから言ったではありませんか……」

「坊っちゃま……」

「おいら、こんなに素早い掌返しは見た事ないっす……」


 何故か気勢が落ちているが、シルフェは俺の両手にヒールを掛けた後に素早く駆け出した。

 ファブもそれを追って盾役の為前に出ようとする。


神吠猿シンバイエン Lv3】


 朱厭はその背後から様子を伺っており、サポートに回っている。

 この短期間ではレベルも3までしか上がらなかったみたいだが、動きを見ていれば既に元のグッドクレイジーモンキーよりもステータスは上だろう。


「ーーギャッ⁉︎」

「ファブ、突っ込み過ぎちゃダメ! 防御に徹して!」


 ファブが悲鳴を上げたのも分かる。ナイアドは防御力の高い大地の大剣や、大地龍の籠手を避けて水弾アクアバレットで狙い撃っていた。


 続いてファブが大剣を構え、踏ん張ろうと広げた足の太腿を撃ち抜かれた。


 シルフェはその背後から隙を狙おうと立ち位置を重ねるが、飛び出そうとした先に水弾が撃たれて牽制されている。


 両手を突き出しているナイアドの姿は、二丁拳銃を持っているみたいだ。しかも狙いが良い。


「シルフェさん! 長期戦じゃこっちが不利っす! 本気でいくっすよ!」

「分かった! 私も全力でいくよ!」


 やっと気付いたか。元々飛び道具に対してこちらは持久戦に持ち込んでも一切争う術がない。

 シルフェは攻撃の風魔法も習得しているが、『反魔アンチマジックの槍』を手にしている間は発動出来ない。


 俺が覇幻を封じて魔力を磨いているのと同じで、シルフェはカティナママンから魔法を封じて武術を磨くように言われているからだ。


「「ーー龍眼発動!!」」


 二人の肉体から一斉に龍気が迸り、瞳が金色に染まる。やっぱり龍眼格好良いな。必殺技じゃん。羨ましくなんか無いけどね!


 地面に大剣を突き刺したまま、ファブは両手に土を纏う。

 シルフェはその間に撃たれた水弾を槍の回転で見事に防ぎきっていた。


「力強き大地の力よ、おいらの拳に宿れっす! 『大地の剛拳ガイアナックル』発動!」

 ファブの両拳からピリピリとした龍気が放たれ、両手を交差させながらナイアドへ疾駆する。

 だけど水の上の敵にどうやって拳を打ち込む気だ?


「シルフェさん! お願いっす!」

「任せて!!」

 ファブが一度その場でジャンプすると、膝を屈めて揃えた両足をシルフェの槍の柄へ乗せた。

 そのままシルフェが槍を振るいつつ、ナイアド目掛けてファブを打ち出す。


「おぉ、なんかの漫画で見たやつだ! 流石ファンタジーだな」

 実際に見てみると結構無駄は多いんだけど、それを補って余りある興奮が沸き立った。

 ファブはそのまま右手を振り被ると、力任せの剛拳をナイアドの顔面目掛けて打ち抜く。


 ーーパァンッ!!


 ナイアドの首から上が弾け飛んで、水が四散した。朱厭の言っていた結界も一気に突き破ったみたいだけど、甘い。


 水はそのままファブの顔面を包み込み、酸の激痛から一気に空気を吐き出してしまった。


 その間にも水弾は容赦無くシルフェへ撃たれ続けている。


 ーーここまでかな。


朱厭シュエン。俺の残った神気を使っていい。『神爪シンソウ』の発動を許可する」

「ハッ! 有り難く」


 朱厭が赤気を全身から噴き出すと、その両手を俺から吸い上げた神気で形成された爪が覆った。


「これが主人あるじの神気ですか、我の力が何倍にも昂ぶっております!」

「長時間は持たないぞ。一気に勝負を決めてこい」


 黙ったままコクリと頷くと、朱厭は咆哮を轟かせながら爪を突き出した。赤気が大地を抉り、空気を震わせる。


 ナイアドもその様子に気づいた様で水弾を撃ち続けているが、無駄だ。突き出した神爪は脆弱な攻撃を一瞬で消し去る。


 俺はそのまま朱厭がとどめを刺すのだと思っていたが、彼奴は思ったよりも良い奴らしい。

 シルフェの隣を過ぎ去る瞬間に余った腕で抱きかかえた。


「共に主人に尽くす者同士、格好悪い所は見せられますまい!」

「感謝します!」


 シルフェも同じく反魔の槍を突き出した。既に気絶しているファブへ向け、俺は『風氷の槍アイスランス』で顔面を覆う水球を破いて、助け舟を出しておく。


「「うおおおおおおおおおおおおおおっ!!」」

「クルゥッ?」


 最後まで不思議そうに首を傾げる水精ナイアドを、爪と槍が貫いた。朱厭はしっかりと魔核を狙っており、そのまま吸収する。


 核を失ったからか、固まっていた水がドロドロと溶けるみたいに、ナイアドはそのまま水と一緒に流れ去った。


「ただ、遊んでいるつもりだったのかもなぁ」


 俺は水の流れる先を見つめながら呟いた。でも悟ってしまったんだ。


 ーー水関係の魔物や魔獣とは友達になれないって。

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