第9話 『チュートリアル』 5

 

『第九階層、『嵐龍テンペストドラゴン』戦ヲ始メマスカ?』

「は、始めてくれ……」


 聞き間違いじゃなければ今、ドラゴンって聞こえた気がする。俺は口元を痙攣らせて力無く返事をした。


 楽しみなのは間違いないが、先程の『巨人タイタン』戦で負ったダメージは浅くない。呼吸をする度に激痛が走る。


 過去の経験からすれば、折れた肋骨が内臓を傷付けているのだろう。


(なんで挑むこっち側がハンデありなんだよ。回復の手筈くらい整えてとけやクソ神め!)


 俺が内心で毒付いていると、道場が振動して階層が高くなっていく。それでも天井までは五十メートル以上距離があり、どんな巨大な敵が出てきても平気そうだ。


 そう、ドラゴンとかね。


 死ねばやり直せると明言している以上、この傷も癒えるのだろうが、何となく自称神に負けた気がして嫌だった。


 ーーピシッ! ビキビキッ!!


「おいおい……マジっすか」


 開いた口が塞がらないとはこの事かと言わんばかりに、俺はポカーンと空間の亀裂を眺めていた。

 背は二足歩行していた巨人の方が高い。


 割れた空間の裂け目から一気に飛び出した『嵐龍テンペストドラゴン』は、頭から尻尾に掛けて二十メートル程の長さだった。


 巨大な龍頭から尻尾の先まで、白銀の竜鱗を輝かせながら悠々と宙に浮いている。


 手足は短く、牙で攻撃する類には見えない。何より、こちらは空を飛べやしないのにどうやって攻撃しろって言うんだよ。


『か弱き人の身でありながら、我に挑むか?』

「ーーいってぇっ!! 何だ⁉︎ 頭が割れそうに痛むぞ⁉︎ それに今の声は……」


 突然頭を鈍器で殴られた様な痛みが襲い、俺は咄嗟に脳内へ響いた声の主を見上げた。


 鱗と同じ白銀の龍眼と俺の黒眼が合うと、背筋にゾクリとした悪寒が迸る。意図せず鳥肌が立って、足が竦んだ。


 ーー恐怖だ。


 俺は本能だけじゃなく、頭でハッキリと理解してしまっている。この敵に俺の刃は届くのか? そういった疑問が次々と沸き起こって、止まる事を知らない。


『怯えているではないか。だが、それも致し方のない事だ人の子よ。貴様が矮小なのではない。我等龍族が強大過ぎる故に、な』

「…………」

『今ならば苦しまずに一撃で屠ってやろう。安心せよ。痛みを感じる暇もなかろう』


 嵐龍は無言の俺に対して、どうやら気遣ってくれているみたいだ。俺は下を向いて震えたまま、答えられずにいる。


 既に頭の中は全く別の事を考えていたからだ。


 ーーなぜ、この龍は俺を哀れんでいるんだ?

 ーーなぜ、俺が、この俺が『人の子』などと言った、弱者の如き呼ばれ方をしなければならないんだ?

 ーーなぜ、この膝は震えている。『天衣無縫』などと呼ばれて調子に乗ったか? 強者に出会えなかっただけだろう?


『さらばだ、か弱き者よ……せめて我のブレスによって、一瞬で殺してやろう』


 嵐龍は一言そう呟くと、牙を覗かせながら口を大きく開いた。周囲に纏っていた風が急速に吸われていく。


 俺はそれを見つめながら、身動き一つ取れずにいた。


 __________


 嵐龍は口から『嵐龍の吐息ブレス』を一気に吐き出す。所詮は人の子。腰に下げられていた武器からは不思議な感覚を覚えたが、使い手がこれではあまりに不憫だと目を細めた。


 この距離ならばブレスが直撃するまでに一秒も掛からない。それで終わりだと確信して背後を振り向こうとしたその時、嵐龍は横目に信じられないモノを見た。


 ーーチンッ!!


「……ふむ。確かに凄まじい威力だな」

『ーーーーッ⁉︎』


 嵐龍からは朧が一瞬ゆらりと揺れた様にしか見えなかった。だが、自らが放った最強のブレスは、嵐の如き螺旋の風弾は、おそらく一瞬の斬撃により散らされたのだ。


 そして、武器を納めながらゆっくりと此方へ迫る男の眼を見て、嵐龍はハッキリと理解した。


『貴様……一体何者だ⁉︎』

「あまり大きな声を出さないでくれよ。不慣れで頭に響くんだ」

『答えろ!』


 嵐龍は自分が何故こんなにも声を荒げているのか分からない。先程まで矮小な存在だと判断した人の子が、突然強者に変貌したのだ。


(明らかに放つ殺気が異質だ。我を怯ませる程とは……)


「俺は朝日朧アサヒオボロ。お前を殺す、ーー剣士だ!」


 朧は一気に道場の壁を駆けると、嵐龍の背後へ回り込んだ。背中にビッシリと生えた竜鱗の中で、一枚だけ色が違う鱗を発見する。


「ーーシッ!!」


 飛び込む様にして近付くが、宙を自由に動ける嵐龍の背にはまだ届かない。落下しながら長い胴体に向けて覇幻を横薙ぎに一閃した。


 ーーキィンッ!!


 甲高い音と共に剣撃は弾かれたが、朧はハッキリと目にした。攻撃が直撃する寸前に、風の防御壁が此方の刃を不自然に逸らした事を。


『調子に乗るな!!』


 嵐龍は防いだとはいえ攻撃された事に激怒して極大の咆哮を轟かせる。

 朧は賺さず耳を塞ぐが、頭を砕く様な激痛が襲い、両耳の鼓膜を破られた。


「ぎゃあああああああああああっ!!」


 思わず叫んでしまうが、地面に着地すると態勢を起こして再び壁を疾駆する。

 耳からダラダラと流れる血を気にする事なく、覇幻を構えた。


「殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺してやる!!」

『最早狂っているのか? まるで古の狂戦士バーサーカーだ』


 嵐龍は凄まじい殺気だと思ったが、同時にそれまでだと判断を下す。所詮、理性なき者に自らの風壁を破る事など出来ないと、再び口元にブレスを溜めた。


 ーーガキキキキキキャッ!!


 朧は嵐龍の背後に飛び乗る事に成功し、凄まじい速度で連続斬りを繰り出す。だが、擦り傷さえ負わす事は出来なかった。


 全ては風の結界に防がれているのだ。


「殺す! 殺してやるぞ!!」

『愚かな……今の貴様では我のブレスを防ぐ事は出来まい』


 嵐龍テンペストドラゴンは朧へ残念そうな呆れた視線を向けると、身体を捻らせて自らの背後へ『嵐龍の吐息ブレス』を吐き出した。


 風には耐性があり、背中に放とうが肉体を傷つける事はないからだ。


 先程よりも風の質量を溜め込み、全力の一撃を持ってこの戦いを終わらせようと決意する。しかし、朧の口元がつり上がっていたのを見て、ドラゴンは目を見開いた。



「……それを待っていた!!」

『ーーーーガッ⁉︎』


 朧は『縮地』を用いて嵐龍の背中を一瞬で疾駆すると、開いていた顎へ全力の一撃を打ち込む。


「覇幻一刀流奥義! 『残月ザンゲツ』!!」


 覇幻の刀身が蒼い輝きを放つと、朧は刃を振り抜くのではなく逆刃へ左手を添え、身体を全力で右方向へ捻転させた。


 ーー斬るのではなく、潰す。


 顎を跳ね上げられた嵐龍は溜め込んだ全力のブレスが口内で爆発し、視界が眩む程のダメージを負った。

 だが、朧は止まらない。


 半回転した身を止める事なく、添えた左手を再び柄に戻すと両手持ちで喉元を掻き切ったのだ。


『グギャアアアアアアアアア〜〜ッ!!』


 痛みにより暴れ狂う嵐龍の牙が迫る。だが、朧はそれをひらりと躱して背後へ飛んだ。


 一枚だけ色の違う龍鱗。即ち『逆鱗』の隙間に向けて覇幻を突き刺す。嵐龍の絶叫は破れた鼓膜へは聞こえないが、朧は確かな手応えを感じていた。


 半分は賭けだ。分かり易すぎる弱点だからこそ、罠なのではないかという疑念を振り払える程の余裕が無かったとも言える。


 ーードゴォッ!!


 直後に激しい衝撃が朧の右半身を捉え、骨の折れる鈍い音がした。油断はしていなかった。


 それでも全力を出し尽くした武人としての満足感と引き換えに、血を流し過ぎたのだ。


 激しく動いたせいで内臓は更に傷付き、喉元からせせり上がる血を飲み込み続けていた。


 嵐龍の最期の足掻きである尻尾の一撃を真上から受け、朧は地面に叩きつけられる。同時に嵐龍の巨躯も力無く地に落ちた。


 霞む視界の中、朧は右腕で小さなガッツポーズをとり、意識を閉じたのだった。

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