第7話 『チュートリアル』 3

 

『第七階層、蛇姫ラミア戦ヲ始メマスカ?』

「始めてくれ」


 喉を潤して、身体も入念にほぐし終わった。

 名前からして蛇の魔物辺りが出て来るのだろうと予想しているが、俺は眉を顰める。


「うん。色々とデカイな……」


 道場の空間にビキビキと音を立てながら亀裂が奔ると、元の世界でならモデルや女優をやっていそうな美人が現れた。

 甘い匂いが鼻腔を擽ぐる。


 翠色のウェーブが掛かった長い髪は艶々と輝いており、白い肌には傷一つ無い。推定Fカップくらいありそうな巨乳はブラジャーに隠される事なく露わになっている。

 見えちゃってますけど良いですか? と、問いたい。


 ーーだって、上半身裸だしね。


 蛇姫ラミアの髪色と同じ翠の瞳が、不意に俺の黒い瞳と交わる。何故か気分は言葉が通じない外国人の美女と、無言で見つめ合っているみたいだった。


 尻尾は確かに生えてるよ。下半身は正しく蛇姫ラミアだよ。尻尾が長いせいか、四メートルくらい上方から見下ろされてるね。


 でも、問題はそこじゃあない。


(どうしよう。上半身裸の美女とか、童貞の爺には荷が重すぎるよ……いきなりゲームのナイトメアモード突入だよ。何より斬りにくいしさ)


 異文化交流のつもりで話し掛けてみようかと躊躇っているが、上手く口が開かない。忘れてたけど、ここ数年緋那ヒナ以外の女性と話して無い気がする。


 だが、俺にはネトゲで培った攻略法が頭の隅にまで叩き込まれているのだ。


(いける。いける筈だ! いけるよ俺!!)


「こ、こんにちは〜! 今日はいい天気ですね〜! ーーヘブァッ!!」


 片手を上げて軽い感じに世間話でもどう? と勇気を振り絞った瞬間、蛇姫の尻尾の先が視界から掻き消え、ビンタの様に俺の頬を打った。


 咄嗟に首を捻って肉体のダメージを軽減したが、精神的ダメージは軽減出来ない。


「酷い! 緋那にもぶたれたことがないのに!」


 一度は言ってみたかった台詞集が咄嗟に出てくるあたり、まだ大丈夫だと自分を励ます。相手は魔物。女性にビンタされた訳じゃない。今のはノーカウントだよ。


 それはともかく口元の血を拭うと、俺の回避が遅れる程の速度に感嘆の意を示した。


「漸く『本番』が始まったか」

「…………」


 蛇姫は口を開かず、冷淡な視線を向けている。殺気を放っていないあたり、俺なんか敵ですらないという意思表示の様に感じた。


 尻尾は鞭の様に畝っており、油断すれば一瞬で頭が刈り取られそうな緊張感があった。


 俺は『覇幻』の柄に手を掛けると、姿勢を低く構える。次に鞭打が飛んで来た瞬間が勝負だと、自分の領域への攻撃に集中する。


「フッ!!」

「ギシャアアアアアアアアッ!!」


 凄まじい速度で蛇姫ラミアの尻尾の先が胸部へ迫った。俺は居合術で瞬断するつもりだったのだが、斬撃は尻尾を弾くのみで失敗に終わる。


 蛇姫は変わらず美しい顔のままだが、先程までの澄ました瞳はどこへやらで、忌々しそうに俺を睨んでいる。だが、それは此方も同じだった。


(自分の攻撃が防がれ、思った通りに事が進まない悔しさと苛立ち……分かる、分かるぞ蛇姫!)


 戦いの最中だというのに、思わず口元が緩んでしまう。愛刀の一撃で切断出来ないほどの鱗の硬さは、今までの魔物と違って心臓を昂ぶらせたのだ。


 ーーだが、同時に腑に落ちない感触が痺れる右手に残っている。


 まるで型が崩れていたかの様な違和感。何度も何度も振り続けた愛刀の斬れ味は、この程度で防がれてしまうのかという疑問。


「フンッ!!」


 ドゴッ、という鈍い打撃音に続いて鼻血が出た。痛みはあるが、次第に視界が晴れていくみたいだ。自らの拳骨で鼻を殴り、鼻血によって空間に充満している甘ったるい匂いを嗅ぐのを止める。


「成る程、異世界だもんな。『幻術』の類などがあって当然か」

「〜〜〜〜ッ⁉︎」


 蛇姫ラミアが驚きの表情を浮かべつつ一歩後ずさる。今の俺の行動を見て、『幻術』が破られたのを悟ったのだろう。


「それがお前の本当の姿か……危うく騙される所だったぞ」


 先程までの美人はおらず、ギョロリとした蛇の目、口裂け女くらいに裂けた口から尖った牙が覗いている。

 美女が醜女になった衝撃はあるが、それよりも俺の一撃が弾かれた原因が分かった事の方が喜ばしい。


 口呼吸だけなのは若干息苦しいが、短時間で決着をつければ問題はない。


 唯の尻尾だと思っていた蛇姫の下半身は、蛇鱗を刃の如く尖らせる事が出来るみたいだ。最初のビンタでやられていたら、頰肉が抉られていただろう。


『幻術』とは便利なものだと頷いていると、尻尾がまた視界から消えた。


 ーーキイィィィンッ!! ガガガガガガガガガッガガ!!


 金属音を鳴らしながら愛刀で鞭打を防ぐと、紙一重で尖った鱗刃を避ける。蛇姫は力と数で押し切ろうと決めたらしい。


 連続して捻った尻尾を繰り出すが、全て愛刀によって打ち落とした。


 次第に繰り出す軌道に俺の目が慣れてくる。鞭の嵐が止むと、尻尾の引き戻しに合わせて俺は一気に蛇姫ラミアへ疾駆した。


「ハハッ! これで終わりだ!」

「〜〜〜〜〜〜⁉︎」


 一度『覇幻』を納刀すると、魔物の脇腹をすり抜ける様にして、上半身と下半身の継ぎ目部分を両断する。

 蛇姫は声にならない悲鳴を上げながら、絶命した。


「チンッ!! あ〜、鼻いてぇ! それにしても中々面白かったなぁ。あんな戦い方をする魔物もいるのか。次が楽しみだ」


 尻尾が鞭になるとか、鱗刃とか、『幻術』とか、元の世界じゃ味わえなかった経験だ。鼻血が止まったら直ぐに次の階層へ行こう。


 ーーさぁ、八階層には何が出てくるんだ?


 __________


 チュートリアル内での出来事を、『転生神』はモニター越しに楽しんでいた。

 朧達の前に黒い影の姿で現れたのは、自分の容姿や真名を知られない様にする為だ。


「万が一にも第十階層までクリアされて、『神格』を得られる事なんてあり得ないと思っていたけど、拙いね」

「策士……策に溺れる?」

「モナリサ、その使い方は間違っているよ。だって私はまだ朧君に負けていないし、第十階層にいる神族には君ですら勝てないんだから」


 神の言葉を受けて、モナリサと呼ばれた銀天使は頬を膨らませて不機嫌になる。


 転生神はやれやれと肩を竦めると、自らを包み込んでいた黒い影を一気に剥がした。


 姿を露わにした神は小学校高学年程の少年の姿をしており、金髪のおかっぱ頭に、左側だけ目元を隠す位の前髪を垂らしている。


 格好は素肌に透明度の高いローブ一枚のみを羽織っていた。


「変態露出少年……現る」

「この美的センスが分からないなんて、天使は本当に感情に乏しいね」


 視線だけで人を殺せそうな冷ややかな眼光のまま、モナリサは固まっていた。


 そんな天使を無視して、再度モニターを見つめながら神は思う。


「武神の加護って、もしかして私の力より強いとか……そんな訳ないよね?」


 一言呟いた後、転生神は意図せずモニターへ向ける視線が強まる。

 ヘラヘラと笑みを浮かべていた余裕は、既に消え失せていたのだった。

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