第27話 ギリギリの逃走


 礼路が付き人の少年を引っ張り、ウールの後をついて行く。

 彼らの後ろからは、勇者たちのうめき声や地面を這いずるような音が聞こえる。

 何も知らない人が聞いたら不気味なことこの上ないが、礼路たちはこの声のおかげで追っ手を気にせず、ひたすらに前を向いて走ることが出来ていた。


「よし、これなら逃げ切れる……!」


 勝利を確信し、思わずニヤリと笑う礼路。

 目の前の勇者たちを足止めする、強力なウールの霧。確かに逃げるだけならば、これ以上に適した力は無いだろう。


「このままネイシャ達に合流して、さっさと転移を――」


 勇者たちを気にかける必要はない。

 そう思った礼路は、逃げ切った先のプランを考え始めていた。


しかし、次の瞬間。


「聖拳を探せぇェェッ!!」


 礼路たちが路地裏に入りきったところで、彼らの耳に勇者たちの怒号が届いた。

 礼路がチラリと後ろを見ると、先程まで濃かったウールの霧が消えかかっている。


「お、おいウール。勇者達元に戻ってるぞ?」

「僕の霧は出し続けないとすぐ消えちゃうんだ。そもそも僕が離れたら薄くなっていくんだよ」

「いやちょっと離れただけだぞ!?これじゃ逃げるなんて出来ないじゃんか!」

「ぴゃあッ!?ま、魔物相手ならアレでいいんだよ!ちょっとでも戦意を削れれば、勝手にいなくなってくれるんだから!」


 礼路の大声にびっくりし、ウールは短く悲鳴を上げて自分の能力を説明する。驚いてはいるが、その足は止まらず走り続けていた。

 走りながら声を荒げる二人に挟まれ、二人を見つめるボロ布の少年。彼は礼路にガッチリと手を握られており、引っ張られる形で礼路の後に続いていた。


 そんな少年は二人様子を伺っていたが、やがて意を決したように顔を引き締め、その口を開いた。


「あ、あのッ!」

「なんだ!?今走ってるんだから、下手に喋ると舌噛むぞ!?」

「いや、喋ってるのは貴方がた……」

「……?親友、誰と話し……てぇッ!?」


 少年の発した言葉に対して、礼路は律儀に反応する。対するウールは、知らぬ間に礼路が連れてきた雨の勇者の付き人に驚き、身をかがめて急ブレーキした。両手で持っていた大きな杖を地面に突き刺し、ガリガリと地面を削っていく。

 礼路もウールが足を止めたことにつられ、その足を止めた。


「な、急に止まるなよウール。早く逃げないといけないだろ?」


 ウールが急に止まった理由が分からず、礼路は訝しげな表情で彼を見つめていた。

 ウールはそんな彼に小走りで駆け寄る。


「ちょ、親友!なに聖勇者の付き人なんて連れてきてるんだよ!」

「あぁ、そのことか。いやだってよ、あんな所に置いとくのはどうかと思って……」

「言いたいことは分かるけど、聖勇者の付き人なんて厄介事にしかならないよ!」


 状況が状況だけに強く否定することが出来ないのか、ウールは焦ったようにわちゃわちゃと両腕を振りながら文句を言う。


「面倒な事になるってのは分かる。でも、あの場にいたら遅かれ早かれあのヤロウに殺されてたかもしれないだろ……?」

「ッ、親友……」

「ただの人間が、聖拳とか勇者とかのいざこざに巻き込まれる必要なんてないんだよ」


 そう言って、礼路は真っ直ぐウールを見つめる。

 一切揺らがない礼路の瞳を見て、ウールは思わずウッと言葉を詰まらせた。


 少しひん曲がってはいるが、根はやさしく他人を思いやれる人間。数回しか接していないが、礼路は彼の事をそう思っていた。

 それは自分を逃がすために、多くの勇者を相手にしたところから見ても明らかである。


 そんな彼が、なぜ付き人の少年を捨て置くように言うのか。それも自分のためであると、礼路は分かっている。


 正攻法では多くの勇者たちには太刀打ちできない。故に優先すべきなのは、勝利ではなく逃走であると。だからこそ、彼は一目散に逃げる事のみを考えていたのだ。

 そんな彼の優しさに報いるためにも、逃げる事のみに専念するべきだ。礼路はその事を分かっている。


 そう、分かってはいるのだ。

 しかし。


「聖拳らしく、目の前の人間くらい助けさせてくれ、ウール」


 それでも曲げたくない意思を貫くために、礼路は自分の気持ちを真正面からぶつけた。

 勇者が好き勝手に散らかすこの世界で、自分を見失わないために。


「……はぁ、仕方ないな親友は。ホント、勇者よりも勇者らしいこと言うんだから」


 そんな礼路を見て、ウールはため息をついてそう言った。

 だがそこに呆れた様子はなく、むしろそう言うことを分かっていたような様子である。

 ウールは大きな杖を持つと、ズルズルとローブの中にしまった。


「……そのローブ、どうなってんだ?」

「知りたいかい?ならもっと仲良くならないとね」

「えぇ……ちょっと怖いんだけど」


 思わず出てしまった軽口に、お互いが笑う。

 少しでも勇者達と距離を離さなくてはならない状況下で、なんとも呑気な二人であった。


「あ、あの!お願いですから話を聞いてください!」


 そんな時、不意に第三者の声が届く。

 二人がその声の主である付き人を見ると、彼は何か焦ったような様子で言葉を続けた。


「お気持ちはとてもありがたいですが……ぼ、僕はここに残ります」

「何言ってんだ!ココにいたらどんな目に合うか分かんないんだぞ!?」

「それでも、僕はあの方の傍にいたいんです!それに僕と一緒にいたら、あなた方の居場所が分かって――」


 自ら死にに行こうとする付き人を、なんとか止めようとする礼路。

 弱弱しくもハッキリと言う付き人を前に、どうやって頭を悩ませていた。


その時。


「聖拳様ぁッ!」


 彼らの後ろから大声が響く。

 礼路たちが振り向くと、そこには先程礼路に向かって「白風の勇者」と名乗った少女がいた。

 そしてそのすぐ後ろから、多くの勇者たちが走ってきている。


「あぁ、こちらにいらっしゃたのですね!さぁ、私の手を取って下さい。そして共に魔王を倒し、女神様へ最大の貢献を……!」


 そう叫んだ白風の勇者は、白色に光る風を自身に纏わせると、そのまま礼路たちの方向に飛んできた。

 目を大きく開き、満面の狂喜を浮かべて。

 その勢いはすさまじく、100メートルは離れているであろう距離を数秒で縮める程の勢いであった。


「ッ、逃げるぞ!」

「えっうわぁッ!?」


 言うや否や、礼路は付き人を右腕で抱えて全速力で逃げる。

 その間も付き人は拒絶の言葉を叫んでいたが、もはや礼路の知ったことではなかった。

 ウールも再びローブから杖を出し、ミストを撒き散らしながら礼路のすぐ後ろを走って行く。


 そのまま走り続けて何回か道を曲がっていった先、礼路は奇跡的にネイシャ達の姿を見つけた。

 彼女は見覚えのある魔法陣の真ん中でブツブツと呪文を唱えており、その近くで美穂が横たわっている。

 そして、その近くでアキが周りの様子を伺っているようであった。


「ッ!ウール来たし!聖拳も一緒だし!」

「……」


 礼路の後ろにいるウールに気付き、ペカッと顔を明るくさせるアキ。

 その言葉を聞いたであろうネイシャは、返事代わりに呪文を唱えるスピードを速くさせた。


「う、後ろに勇者もいるし!」

「ッ!?」


 ウールの後ろに凄まじい笑みを浮かべた白風の勇者を見つけ、アワアワと慌てだすアキ。

 ネイシャは一瞬言葉を詰まらせてしまいそうになるが、気合でなんとか呪文を続ける。

 そんな二人を視界に捉え、礼路とウールは最後の力を足に籠める。


「急ぐんだ親友!このままじゃ追いつかれるぞ!」

「分かってる!これでも本気で――」


 必死に走り続ける二人。

 だが二人の努力もむなしく、彼のすぐ後ろから叫び声が聞こえた。


「聖拳様ァ!!」


 思わず礼路が振り向くと、白風の勇者が右手を伸ばし、彼の服を掴む寸前であった。


「しん――」


 ウールも礼路に手を伸ばすが、どう見ても白風の勇者より遅れてしまっている。

 アキもネイシャも距離が遠く、礼路の援護に回れない。

 頼みの聖拳も、付き人を抱えているために使えない。


「……くそっ」


 もはや万策尽きた。

 ここで掴まれたら、礼路は本気で白風の勇者の相手をしなくてはならなくなる。だが、その間に他の勇者たちに追い付かれ、本格的な戦闘になるだろう。そうなれば、逃走は一層困難なモノになる。

 いや、もっと言えばウールの技を受けた勇者たちが、何かしら対策を取ってくるかもしれない。

 逃走できるかどうかの話ではなくなってしまう。


 つまり、白風の勇者に掴まることは、礼路達の実質的な敗北を意味していたのだ。

 対策を取ろうにも、白風の勇者は既に目の前。礼路達に出来ることは、もう何も残されていないように見えた。


「……?」


 そんな絶望的な状況の中で、礼路は左手を白風の勇者に向かって出した。

 ゆっくりと、目の前の勇者を拒絶するように。


 正直なところ、礼路自身もなぜそんな行動をとったのか分からない。聖拳でない左手を前に出したところで、簡単に払われるだけだ。

 もっと言えば、礼路は自分から左手を動かしたワケではない。勝手に動いたのだ。

 だが反射的に、というワケでもない。彼にも分からないが、言い様のない感覚が左手を支配していたのである。

 そう、言うならば。


 礼路ではなく、別の誰かが体に命令したかのような。


「なッ……!?」


 次の瞬間、彼の左腕から魔法陣が浮かび、眼前へ弾き出された。

 見覚えのある魔法陣。ソレがなんなのか礼路は一瞬で分かった。


「ご、豪拳ッ!?」


 何故か左手から生じた豪拳に巻き込まれ、白風の勇者は悲鳴を上げる暇もなく吹っ飛ばされた。礼路の知る中では、豪拳の効果はここで終わる筈だった。

 しかし。


「なッ……勢いが止まらない!?」


 放たれる衝撃波の勢いは止まらず、礼路の体を後方へ吹っ飛ばしたのだ。

 彼は耐えることが出来ず、そのままネイシャ達のいる方向へ飛んでいく。


「ゆうぅぅぅッ!!?」


 その直前で礼路の服を掴めたウールは、衝撃波に巻き込まれて共に吹き飛んでいく。

 突然の事に理解が追い付いていないのか、叫びながら必死に礼路の服を掴むことしか出来ない。


「ッ!?おいお前、転移を発動させるし!」


 いきなりスピードを上げて吹っ飛んでくる礼路たちを見て、アキはネイシャに向かってそう言った。

 呪文を唱え終えたネイシャは、突然の言葉に文句を言う。


「はぁッ!?アンタいきなり何命令して――」

「いいから!タイミングはウチが教えるし!お前は転移先を把握しておくし!」


 アキの尋常ではない様子を察し、ネイシャは再び転移先にミスが無いよう集中する。

 その数秒後、アキは迫りくる礼路達をまっすぐ見つめ、その瞬間を捉えた。


「今だしッ!」


 アキがそう叫んだ瞬間、礼路達がタイミングよく魔法陣の中に入る。

 それと同時にネイシャの転移魔法が発動し、全員が王都から姿を消した。

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