第28話 付き人の少年


 視界がグルグルと回り、大きく歪む。

 自分はその場から動いていない筈なのに、周りの風景が揺らいだ。

 その数秒後、視界が安定していく。

 気が付けば、礼路達は草原の真ん中にいた。


「……ッ!?」


 礼路は先程まで自分が豪拳の勢いに負け、飛んでいることを思い出し身をかがめた。

 しかしその勢いは完全に殺されており、先程まで野衝撃は全く感じられない。


「……あれ?」

「飛んで……ない?」


彼の隣では付き人とウールが同じ姿勢でいた。

困惑している表情からして、礼路と同じような感覚であったらしい。

礼路は二人が無事であることを確認すると、立ち上がって辺りを見渡した。


辺り一面草原。

危険そうな魔物はおらず、小鳥の穏やかな鳴き声が聞こえる。

近くに建物は無いのか?

礼路がそう思って目を凝らすと、遥か地平線の方に街のようなものが見えた。


「よっし、成功だし。お前、なかなかやるし!」

「……えぇ、それはどうも」


 そんな時、礼路は明るい声と暗い声を聞いた。

 言わずもがな、その正体はアキとネイシャである。

 アキは転移に成功したことを喜び、腰に手を当てて高らかに笑っていた。

 対してネイシャはアキに命令されたことが気に食わなかったのか、ブスッと膨れ面をしている。

 しかし成功は成功。批判することも出来ず、不機嫌な表情を見せる事しかできないようであった。


「ネイシャ、転移用意してくれててありがとうな」


 そんなネイシャに近づき、礼路は感謝の言葉を述べる。

 明らかに不機嫌そうであった彼女は、礼路の声が聞こえた瞬間にそちらの方を向き、少しだけ顔を明るくさせた。


「当然のことよ、イチイチお礼なんてしなくて良いわ。それより怪我はしてないかしら?転移酔いはしてないみたいだけど」


 そう言われ、礼路は思わず体を強張らせる。

 美穂との一件の後に感じた、あのとんでもない気持ち悪さ。

 胃の中を掻き回されるような感覚を思い出し、冷や汗を垂らした。


「……あれ?」


 しかし、思っていたほどの気持ち悪さは感じられない。

 少しだけ体が怠かったりするが、以前ほどではなかった。

 一人で立つこともでき、視界もハッキリとしている。

 礼路は軽くジャンプしてみるが、特に異常はなかった。


「問題ない……かな?」

「あら、良かったじゃない。たった一回でそこまで慣れちゃうなんて」

「慣れるとかあるのかよ……って、それより美穂は大丈夫か?」


 軽く言葉を交わした後、ネイシャは近くで横たわる美穂の様子を確認する。

 美穂は気を失ったままなのか、彼女が近づいても動く様子はない。


「……問題ないわよ。足の傷は少し深いけど、数日したら完治するわ。そのうち目も覚ますでしょう」


 礼路は彼女の言葉を聞き、ホッと胸をなでおろす。

 そして美穂に視線を移すと、彼女は安定したリズムで呼吸しているようであった。

 足元には包帯が巻かれており、その包帯は薬らしき緑色の液体が滲んでいた。


「なぁ、この包帯に付いてるのって……」

「えぇ、ヒール草から作られた回復薬よ。ここまで濃度の高い薬があるなんて思わなかったけど」

「ふふん、ソレはウールの特製だし!心の底から感謝するし!」


 控えめな胸を張り、腕組みをして自分の事のように自慢するアキ。

 そんな彼女を見ながら、薬も作れることが発覚したウールの器用さに感心していた。


「へぇ、凄いんだなウール」

「はは、それ程でもないよ。僕らそんなにお金ないから、自分で作れるモノは作らないといけないんだ。アキはすぐ前に出ちゃうから、怪我が絶えないし」


 褒められたウールは、照れながらポリポリと頬をかく。それ程でもないと彼は言ったが、回復薬を自分で作れる技術は、是非伝授してもらいたいと考えていた。


 ヒール草。

 ネイシャも自分の傷を癒すために使っていた草。ウールたちも使っているあたり、この世界では当たり前のように使われているようだ、と礼路は考える。

 ならば、自分もその便利な草を使い、薬を作れるようになれば何かと便利ではないか。

 そして何より、自分の聖拳以外の役割を得ることが出来る。ネイシャに頼りっぱなしである礼路にとって、それはとても重要なことであった。


「今度俺にも薬の使い方教えてくれよ。いいだろネイシャ……あれ、ネイシャ?」


 と、そこまで考えた後に、礼路はネイシャが自分ではない何かを見ていることに気付いた。眉間に皺をよせ、目を大きく見開いている。

 だがすぐに元の表情に戻ると、大きくため息をついた。


「はぁ、まさかと思ったけど。やっぱり連れてきたのね、ソイツ」

「……あぁ、付き人のことか」


 礼路はネイシャが見つめる先にいる、雨の勇者の付き人に視線を向けた。付き人の少年は身を震わせ、辺りをチラチラと見ている。

 ネイシャはそんな付き人に近寄ると、顔を近づけて話しかけた。


「アンタも、あんな奴とずっと一緒にいるくらいなら、私たちと一緒にいる方がマシでしょ?まぁ、家があるなら近くまで転移させてあげるから、それまでは一緒にいなさいよ。良いわね?」


 極めて優しく、ネイシャは付き人に向かってそう言った。

 しかし、付き人は彼女の言葉にビクリと反応すると、慌てたように口を開いた。


「そ、そんな!僕はあの方のもとに帰ります!」

「……アンタ戻ってどうするつもりよ?大人しく切り殺されるって言うの?」

「それは……あの方が本当にそれを求めるのなら、受け入れるつもりです。」


 目を閉じて顔を伏せる付き人を見て、礼路は目を細める。

 付き人である彼が、主人である雨の勇者に服従を誓うのは良い。本来付き人というのはそういう存在なのだろう。だが、なぜ殺されてもいいとまで言い切るのか。その理由が、礼路には考え付かなかったのだ。

 頑なに戻ろうとする理由はなんなのか。礼路はその疑問に対する答えを得るために、付き人の前に立った。


「なぁ、良ければ教えてくれないか?」

「……何を、でしょうか?」

「お前が雨の勇者に付き従う理由をだ。それを教えてくれなきゃ、自分から死ににいくような真似を見逃すことなんてできない」

「……」


 真っ直ぐ付き人を見つめ、礼路は両手を地面に置く。

 その視線には、答えるまで放さないという強い意思が感じられた。

 故に付き人は少し考えた後、その場に正座するとおもむろにその口を開いた。


「……あの方の名はシグレ・アカツキ。東のとある土地をまとめる当主様でした」

「当主……にしては、大分若くないか?俺より少し年上にしか見えなかったけど」

「あの方は幼いころ、事故でご両親を亡くされました。その時に家を継ぎ、同じタイミングで私はアカツキ家に召使として雇われたのです」


 淡々と過去の話をする付き人。

 しかしその声は僅かに震えており、膝小僧を掴む両手に力が込められていた。


「当時、アカツキ家は地獄でした。幼いシグレ様を利用しようと、近くの貴族たちがあの方に近づき、ありとあらゆるものを奪っていった。財産も、土地も、民も。そんな中であっても、あの方は明るさを失わなかった。誰も味方のいない状況の中、いくつか年下の私を不安にさせないために、気丈に振る舞っていたのです」

「……お前を、守っていたのか」

「えぇ、唯一残ってくれたとおっしゃって。城を失い、追いやられた小屋の中で、二人きりで毎日を過ごしました」

「……」

「小屋の中で、あの方は毎日語ってらっしゃいました。外の世界のこと、勇者のこと、そして聖拳のことを。いつか自分が勇者になって、美しい世界を魔王から守るんだと……」

「夢を、見続けてたのか」

「はい、だからこそ、あの方が勇者になられたときは、不躾ながら本当に喜びました。あの方の頑張りが、ようやく報われたと」


 空を見上げ、付き人は少しだけ微笑む。かつての喜びを思い出しているようだった。

 そんな彼の様子を見て、後ろのネイシャ達は少しばかり雨の勇者への印象が変わっていく。


「あの方は勇者になられた後、ひたすらに修練を積み重ねました。傍にいただけの僕も守るんだとおっしゃって、そこらの勇者を圧倒するほどの剣技を身に付けられた。その勢いはすさまじく、16歳という若さで聖勇者として城に迎えられるほどに……しかし、それが間違いだったのです」

「間違いって……」

「聖勇者となってからの4年間で、あの方は世界の歪みに気付いてしまったのです。いえ、正確には目を背けていたのに、見ざるを得なくなった……という方が正しいでしょうか」


 途端、付き人は身を震わせる。その様子は、まるで何かに懺悔する罪人のようにも見えた。


「あの方は、世界が汚い事などとうの昔に理解されてた。平気で他人の幸せを奪い、蹴落とし、裏切るのが当たり前だと。ご自身の求める美しい世界など、ありはしない。それでも世界は美しいんだと……自分に言い聞かせて……あの方は……今まで……」

「……」

「世界の汚れを王都で見続け、何度も裏切られ、シグレ様は折れてしまったのです。かつて掲げられた栄光もお忘れになり、鍛錬もされなくなり、ただ聖勇者の地位を振りかざすだけの今に……なってしまったのです」


 ポタリ、と彼の手に雫が落ちた。今まで堪えていた感情が圧迫され、際限なく流れ出る。

 そんな彼を前に、礼路達は何も言うことが出来ない。

 目の前の少年が、彼らには泣きわめく迷子の子供のように思えてしまった。


「無力な私に出来るのは、絶対の味方であり続ける事です。何をされても決して裏切らず、あの方の隣で肯定し続ける。何も信用できないこの世界で、僕が唯一できる事なんです」

「だから、付き人の契約を……」

「はい、それしか私にはできませんでした」

「……なんで、お前はそこまで尽くせるんだ?ただの召使なんだろ?」

「えぇ、私は只の付き人です。それでも、私、は――」


 暗い表情のまま、付き人は最後まで言葉を言わなかった。代わりに礼路達の後ろを見て、ゆっくりと立ち上がる。

 礼路達はなぜ彼がそんな行動をとったのか?礼路達は立ち上がる付き人しか見ていなかったが、ふと彼の見つめる先から足音が聞こえ、その方向を見た。

 そして、その原因を理解する。


「シグレ……様……」

「……随分と、楽しそうではないか。シュウ」


 そこには王都に取り残されたはずの雨の勇者が立っており、凍てつく程に冷たい眼差しを付き人に向けていた。

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