第25話 狂気


「れい……ちゃ……」


 苦しそうに顔を歪めながら、美穂は顔を上げて礼路を見る。

 吹っ飛んだシグレを鬼の如き顔で睨み付けていた礼路は、自分の名前が呼ばれたことに気付いて彼女を見下ろす。


「ごめんね……れいちゃん……私……」

「大丈夫だ、美穂。あとは俺に任せろ」


 その姿を見て、美穂はかつて自分を引っ張ってくれた幼馴染の姿を思い出す。

 自分が転び、泣いていた時も彼はこんな風に立っていた。泣きじゃくる自分をなだめ、手を繋いで家まで引っ張る子供の頃の礼路。

 その時の光景が鮮明に浮かび、大粒の涙をこぼしていた。


「……えへへ。ありがと、れい……ちゃ……」


 そう言って、緊張が解けた美穂は意識を手放して顔を伏した。

 礼路は幼馴染をここまで痛めつけたシグレに激しい怒りを募らせ、さらなる一撃を喰らわせようと彼女を探す。


 だが、シグレを探す礼路の目の前に広がったのは、彼が思ったいたものとは違っていた。


 視線。

 いくつもの視線が、礼路に向けられいた。

 その正体は何か?

 言うならば、今までシグレと美穂の一騎打ちを見ていた者達全員。彼らが皆一様に、礼路を注目していたのだ。


 いや、もっと詳しく言うならば、彼の右腕。

 周りの人間全員が、聖拳が放つ光に目を奪われていたのだ。

 無垢なる光、何者も寄せ付けない光は、彼らの頭の中に聖典の1ページを思い出させていた。


「……聖拳?」


 周りの誰かがそう呟いた。

 今、輝く腕を持ったあの少年は何と言った?

 地に膝をつく雨の勇者を前に、何と言っていた?

 一人一人が、そんなことをポツリポツリと呟く。


「まさか、あの少年が……?」


 次いで、一人の男が礼路を見て言う。

 瞬間、礼路は周りから獣のように獰猛な視線を感じた。

 辺りを見渡すと、特徴的な恰好をした人たちが彼を囲うようにして立っていた。


「何か用かよ?」

「……半信半疑だが、逃がす理由もない」


 そう言って、赤いマントを身に付けた男が前に出る。

 男は剣を手に取って強く握ると、その刃に炎を纏わせた。


「……炎剣えんけんの勇者、望む栄光は我が身の更なる研磨」

「は?」

「その御力、試させていただくッ!」


 言うが早いか、男は炎剣を構えて礼路へと走り出した。

 その目は燦々と輝き、ある種の狂気を感じさせる。


「なっ!?なんだいきなり!」


 礼路は間一髪で突き出された炎剣をかわすと、男のみぞおちへ強烈なパンチを繰り出した。

 モロに喰らった男は少しだけ苦しそうな顔をするが、大したダメージが無いのか元の表情へと戻る。


「……フフ、この力。やはり貴殿は!」

「チッ。即撃そくげき!」

「ぐォッ!?」


 礼路はそんな男を見て舌打ちをすると、めり込んだ拳に魔法陣を放出させた。

 放たれた魔法陣からは豪拳よりも弱い衝撃波が飛ばされ、男は悲鳴を上げながら近くの建物へ吹っ飛ばした。


「……」


 礼路は数秒飛んだ先を睨み付けるが、男が出て来る様子はない。

 男が吹っ飛んでさった先を見ていた礼路は、ふと周りの視線が強くなっていることに気付いた。


 いや、正確に言えば強くなっただけではない。

 変わっていたのだ。獲物を見つけた獣のような、剥き出しの刃のごとく鋭い視線に。


「……あの魔法陣、やはり聖拳の」


 誰かが呟いた言葉を聞いて、礼路は自分の失敗を自覚した。

 聖拳使いの技を発動すれば、そのエフェクトである魔法陣が衆目にさらされる。

 それがどんな結果になるか……。


 だが後悔する暇もなく、新たに三人が礼路の前へ姿を現した。


「……まさか、おとぎ話の存在をこの目で見ることになるなんてな」

「あぁ!女神様の贈り物は存在したのね……!」

「魔王を倒す力……叶えられる栄光……俺のモンだ」


 黒い鎧を着た男はニヤリと口元を歪め、白いローブを着た少女は狂気に目を輝かせ、緑色の大きな矛を持つ男はその切っ先を礼路に向けた。


「……お前達も、勇者のなのか」

「あぁ、そうだ聖拳。俺は黒煙こくえんの勇者。その手を掴む男であり、女神の栄光を――」

「ふざけたことを言わないでください!聖拳様、私こそ貴方の御手を握る資格のある者、白風しらかぜの勇者です!さぁ、私と共に魔王討伐に――」

「ふざけてんのはお前だ!おい聖拳、俺の手を取れ。俺は速矛そくむの勇者、求める栄光は一生遊べる金だッ!今ならお前にも、分け前をくれてやるぞ!?」


 三人の勇者はそれぞれ名乗り、礼路を捕まえようと迫りくる。

 そして、三人に続くように一人また一人と礼路の前に現れ、勝手に名乗り出していた。


「……」


 対して礼路はいたって冷静だった、恐ろしい程に。

 怒りはある。だがそれ以上に、目の前の勇者を名乗る者達が、とても浅ましい存在に見えてしまっていた。


「……ネイシャ」

「何かしら?」


 彼は勇者たちを睨みながら、後ろからゆっくりと歩いてくるネイシャを呼ぶ。

 礼路の呼びかけに応える彼女は、怒りではなく悲しみで顔を歪ませていた。


「ネイシャは、これを俺に見せたくなかったのか?」

「……えぇ。確かに聖典では、聖拳が真の勇者を選ぶって書いてあるわ。でも今は、解釈が歪んでしまっているの。アイツらのような、身勝手に聖拳を求める勇者たちのせいでね」

「歪んで、か……」

「そう、聖拳が真の勇者を選ぶんじゃなくて、勇者が聖拳を手に入れる事で真の勇者になれる。そんな解釈が広がっているわ。そのためなら、どんな犠牲を払っても構わない……そんな事を言う奴だっている」


 そう言って、ネイシャは寂しげに笑う。

 礼路は勇者を睨みつけながら、ただ彼女の言葉を聞き続けた。


「歪みの結果はご覧の有り様。力の無い人間が虐げられて、力のある勇者が聖拳を奪い合う世界……アンタにこんなもの、見せたくなかったわ」

「そうか……ありがとな」


 突然言われたお礼に、驚いて目を開くネイシャ。

 礼路は振り向いて彼女を見ると、優しく微笑んだ。


「でも、我慢できなかった。美穂をあんな目に合わせて……何度も約束破って、ホントごめん」

「……いいわよ、別に。もし私が同じ立場だったら、きっと同じことしてたと思う。むしろアンタが動かなかったら、私がミーティアをぶつけていたわよ」


 礼路が平静であると知ったネイシャは、その顔から悲しみを消す。

 代わりに彼女は腰に手を当て、ふんすと鼻息を荒げた。

 そんな彼女を見て、礼路はその笑みを少しだけ深くする。


 そして前を見て、周りから感じる狂気の視線を一気に受けた。




「聖拳様、どうか私の手を!」

「聖拳、お前は俺のモンだ!」

「聖拳殿、どうか私を導いていただきたい!」

「聖拳さん、どうか僕を……!」

「聖拳!」

「聖拳!」

「聖拳!」


聖拳ッッ!!!


 耳鳴りがするほどの轟音が響き、礼路の鼓膜をこれでもかと震わせる。

 彼の心が押しつぶされそうになる、その圧倒的な欲望の塊を前に。


 もし、自分がたった一人でこの光景を見ていたら?

 きっと、こうして立っていることも出来なかっただろう。

 なるほど、ネイシャの言っていたことはこれだったのか。

 そう思い、礼路は握りしめる右手の力を強くする。


「……とにかく、ここから逃げるぞ」


 自分に迫りくる勇者たちを前に、礼路は小声でネイシャに話しかける。


「逃げるって……どうやって?」

「ネイシャはとりあえず美穂を頼む。ロズさんの所にでも運んでくれ……俺はその間逃げ続ける」

「なっ……アンタ本気で言ってんの?これだけの数の勇者、相手に出来るはずないわ……!」


 礼路の提案を聞いて、即座に否定するネイシャ。

 自分たちを囲む勇者たちは、軽く見ても20人以上。

 各々が自分の武器を構え、既に臨戦状態だ。


「ミホの傷は心配だけど、今はここに置いとくわよ。まずはアンタを離さないと」

「ダメだ。さっきのやりとりで、美穂が俺の知り合いだってことがバレてる。置いて行ったら、後でどんな目に合うか分からない。」


 目の前の連中を見て、自分という存在がどれだけ重い物かを痛いほど理解した礼路。

 自分を捕まえるためならば、奴らはきっとどんなことでもする。

 ならば、この場に自分の手掛かりとなる美穂を置いて行ったら、どんなことになるだろうか?場合によっては、死ぬ直前まで痛ましい拷問を受けることもありえる。

 そう思い、礼路は彼女をこの場に置くという選択肢を真っ先に捨てていた。


「でも、アンタだけが残るなんて!」

「……大丈夫だ、俺ならこの場から逃げ切れる可能性がある」

「無責任なこと言わないで!それなら私がアイツらをひきつけておくから、レイジ達が逃げた方が――」

「それこそダメだ。ネイシャは確かに強いけど、戦法が複数を相手にしたタイプじゃないだろう?一対一ならまだしも、何人もいたらミーティアだってすぐに封じられる」


 そう言うと同時に、礼路は一歩前に出る。

 彼を引き留めようとネイシャも前に出ようと知るが、振り向いた礼路と目が合いその場に立ち止まってしまう。

 その目は、彼女の前進を拒否していた。


「ネイシャ、聖拳ってのは魔を払うんだろ?」


 穢れた欲望に身を染める勇者たちを前に、同じ声色でネイシャへ話しかける礼路。

 喧騒の中、ネイシャにはその瞬間だけ周りが静かになったような気がした。


「だったら、勇者の中にある邪念も、払えなくてどうするんだよ」

「……レイジ!」

「大丈夫、俺は聖拳だ。お前が夢見た存在が、こんな所で負けるかよ」

「でも……!」


 無謀にも単身で勇者たちに挑もうと構えの姿勢をとる礼路。

 なんとか彼を止めたいネイシャであったが、その方法が思いつかない。

 咄嗟に彼女は礼路の下へ駆け寄り、その背中に抱きついた。


「なっ、ネイシャ……!?」

「ダメよ、一人で戦うのだけはダメ!そんなこと、絶対に許さない!」


 礼路が勇者たちに敗れ、ボロボロになって倒れる姿を想像したネイシャは、彼を離すまいと必死にしがみつく。

 驚いた礼路はネイシャを離れさせようと震衣を発動させるが、彼女は苦しそうに顔を歪めるだけで離れることは無かった。


 その時、礼路の前でジャリッと地を踏みしめる音がした。

 彼が前を見ると、多くの勇者たちが目の前まで迫って来ていた。


「聖拳……」

「聖拳様……」

「覚悟しろ、聖拳……」

「くっ……こいつら……」


 最早ここまで、礼路は拳を構えせめてもの抵抗をしようとした。


 その時。




「ハッハッハッハッハ!」

「ニャッハッハッハッハ!」


 彼らの頭上から誰かの笑い声が聞こえた。

 勇者らしく高らかに響くその笑い声は、どこか弱弱しく頼りなくも感じる。

 しかし、その中に確かな強さも存在していた。

 そんな不思議な声。


 その声に、礼路は聞き覚えがあった。


「……この声ッ!?」


 礼路はその声の主を確かめようと上を見上げ、ネイシャも彼に続いて声が聞こえた方を見た。


「お困りのようだね、親友!」

「不本意だけど、助けてやるし!」


 その主は二人。

 一人は真っ黒なローブを纏う暗闇の勇者、ウール。

 そしてもう一人は、太陽のように眩しい笑顔の少女、日輪の勇者であるアキであった。

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