第24話 放たれる激情


「雨の……勇者……!」

「シグレさん、まだ王都の中に……」


 ネイシャと美穂は目を細めて店の外の方を見る。


 怒りのまま剣を抜き、忌々しげに付き人を睨む勇者。

剣を向けられて、身を震わせながら必死に許しを請う付き人。


 そんな構図は、この世界では当たり前のように起きる事であると二人は認識している。

 王都だけでなく、勇者がいる場所には起こりうることだ。

だが、それを良しとしない者が目の前にいる。


「アイツ……!」


 礼路は大声の主であるシグレが何をしようとしているのか察し、身を乗り出して外へ向かおうとする。

 だが、そんな彼の腕をネイシャが握って止めた。


「レイジ、前に出ちゃ――」

「分かってる!でも目の前で人が殺されそうになってるのに、はいそうですかって認められるかよ!」

「……ミホ」


 止まりそうにない礼路をなんとか店の中にとどめるため、ネイシャは美穂の名前を呼ぶ。

 美穂は一瞬だけ目を合わせると、小さく首を縦に振った。

 名前を呼んだだけであったが、美穂はネイシャが何をしてほしいのかを理解し、静かに椅子から立ち上がる。


「れいちゃん、大丈夫。私がなんとかする」

「美穂……でも……!」

「大丈夫、私も聖勇者。シグレさんがやめないなら、私が止める」


 優しく微笑む美穂を見て一瞬だけ安心する礼路であったが、それがハッタリであると見破る。

 傍から見れば誰もが想うであろう、理想の勇者のごとき勇ましい姿。

 だがその右手が、ほんの少し震えている。

 その震えが、礼路を安心させてくれない。


「美穂……」

「……大丈夫、れいちゃんが見てるから」


 それだけ言って、彼女は外へ出ていった。

 礼路は緩めることが出来ない拳を胸に押し付け、悔しそうに奥歯を噛む。

 ネイシャはそんな礼路を見ながら、ローブからミーティアを一つ取り出し、自分が出来る最善の手を考え始めた。






「シグレさん、何をしようとしてるんですか……?」


 美穂が外に出ると、多くの人がシグレと付き人を囲い、見せ物のように二人を見ていた。

 その目は哀れみに満ちたモノから、面白い物を見る好奇なモノまで様々である。

 美穂が店の外に出ると、いくつかの視線が彼女に向けられた。

 そんな外野の視線が、今の美穂には酷く鬱陶しい。

 だがそんなことに構ってはいられず、向けられた視線全てを無視して彼女はシグレに話しかけた。


「……また会ったか、鎖の。すまないが用件は後で聞く」

「いえ、今じゃないといけないです。無意味は殺生は、やめてください」

「無意味だと……?笑わせるな、こやつは私の邪魔ばかりするクズだ。斬って捨てて何が悪い?」

 

 さも当然のように顔の表情を変えずそう言ってのけたシグレは、鼻で笑って視線を少年へ移す。

 彼女に剣を向けられていた少年は、助けを求めるかのように美穂を見つめていた。


「それにこやつは私の付き人だ。生かすも殺すも、私の自由だろう」

「確かにそう。でも、やっぱりいけないと思います」

「はんっ、とんだ甘ったれだな貴殿も。神託のお気に入りだと聞いて目をつけていたが……所詮は安い正義感の抜けない子供であったか」


 酷い暴言を吐かれた美穂であったが、その顔を一切歪ませない。

 少年の前に立ち、ただシグレを見つめるのみ。


「私のことは好きに言っていい。でも、この子を殺す事だけはダメです」

「……面倒な人間だな、鎖の。まるで考えが善人のそれだ」

「勇者とは善。当たり前のことです」

「くだらんことを……夢見る生娘か貴様は?生娘なら生娘らしく、友と言っていたあの下賤な小僧と乳繰り合っておればいいものを。」

「……」


 礼路が話に出た途端、纏う空気を変える美穂。

 それに気付かないシグレは言葉を続け、彼女を挑発する。


「類は友を呼ぶ、よく言ったものだ。夢見がちな子供には、威勢のいいガキが良く似合う。お似合いな――」


 二人だな。

 そう言おうとして、シグレは迫りくる鎖を鞘で防いで後ろへさがった。


「ほぅ……そんな顔が出来るのか」

「……れいちゃんを、バカにするな」


 瞳を漆黒に染め、美穂はシグレを前にして鎧から鎖を何本も出す。

 出てきた鎖が蛇のように先端を上げ、その切っ先をシグレに向けた。


 いきなり始まった勇者同士の一騎打ちに、観客たちはそれぞれの反応を示した。

 悲鳴を上げてその場から逃げる者。

 面白そうだと笑いながら見物する者。

 心配そうに見守る者。


 そんな外野を尻目に、美穂は手に持った鎖をシグレに投げ飛ばす。


「ハァァア゛ア゛ッッ!!」


 放たれた鎖に数本の鎖がつづき、それぞれシグレの足や腕を貫かんと迫る。

 しかし。


「……愚か」


 放たれた鎖のほとんどは横一線に振るわれた鞘によって防がれる。

 シグレは全く表情を変えず、その鋭い目を美穂に向けたままだ。

 

「このっ……フェザァァアアッ!!」


 数で攻めることは得策では無いと理解した美穂は、別の方法でシグレを倒そうと新たな鎖を持つ。

 数がダメならば、必中の一手を。

 そう思うと同時に、美穂は持った鎖を全力の力で握ると、前方へ払うように飛ばした。


 フェザー・チェイン。

 昨日洞窟にて、ネイシャを仕留めようと彼女が放った鎖。

 ほぼノーモーションで放たれるこの鎖は、美穂が誇る最速の一撃であった。

 この技でシグレを倒すつもりは無い。少しばかりのダメージを与え、ひるんだ彼女に新たな一手をぶつける。

 それが美穂の算段であった。

 

 放たれた鎖は真っ直ぐにシグレのもとへ。

 彼女は一歩も動かず、迫りくる高速の鎖を避ける素振りすら見せない。

 それを見て、美穂はシグレがフェザー・チェインに反応できず、ただ突っ立っているだけだと思った。

 故に新たな一撃のため、別の鎖を握り彼女に近づこうと前へ――。


「……それは、悪手也」


 出ようとして、出れなかった。

 放った鎖はシグレの目の前まで到達すると、まるで見えない壁に激突したかのように弾かれると、力なく地に落ちた。

 そんな理解不能は事が起きてしまい、美穂は大きく目を見開いて動けなくなってしまったのだ。


「なん……で……」


 美穂が鎖を見ると、鎖には先端近くで両断されたような跡があった。

 鋭い、刃物のような何かに。

 美穂はゆっくりとシグレへ視線をずらし、そこでようやく、彼女の刀を持つ右腕が最初の時より少しズレていることに気付いた。


「見えない。初めから最後まで……」

「ほぅ、いくら小娘であっても一応は勇者か。剣筋は見えなくても、何をされたか理解するとはな」


 表情を変えないまま、剣をキンと鳴らすシグレ。

 彼女はそのまま美穂の下へと歩を進めると、剣を美穂へと向ける。それだけで、美穂は全身が総毛立った。

 だが、恐怖で支配されそうになった体を怒りで動かすと、次の一手のために地面に伸ばしていた鎖を手に取る。


「なら、これ……!」


 美穂は持った鎖を高速で振り上げると、砂埃をあげて視界を遮る。

 砂埃は近くの建物よりも高くのぼり、二人を完全に覆った。

 周りの人間は痛そうに眼をこすったり、肺に侵入した砂を出そうと咳をしている。


「……ふむ、筋は悪くない」


 そんな砂埃を前にしても、シグレは顔色一つ変えない。

 歩を止める事すらせず、まるで見えているかのように美穂の前へ進む。


「だが、すぐに精神を乱すのが貴様の弱所だ。乱れた貴様の攻撃など、たとえ私でなくとも簡単に見抜けてしまう。それに経験も浅い、勢いだけで来るとは野良犬のようだ。そら、野良犬らしく地に頭を付けるがいい」

「きゃっ!?」


 砂埃の中で、美穂はふと視界に入った光に目を見開く。

 その光に目を意識を向けてしまったせいで、自分の足を狙うシグレに気付かなかった。


「旋脚」


 大きく地面を這うように足を振ったシグレは、その勢いで美穂の足を払いその地に体を落とさせた。


「このッ!」


 美穂はすぐに立ち上がろうとしたが、背中を踏みつけられて動けなくなってしまった。

 シグレは片足で美穂を抑えつけながら、彼女の右足に剣の刃を当てた。

 刃の冷たさが、美穂の足へ直に伝わる。

 同時に、美穂は自分がこれから何をされるかを察し、キッとシグレを睨み付けた。


「貴方……なんかにぃ……!」

「……最後まで抗うか。ならばその足を斬って地に付けてやろう、この勇者の面汚しが」


 そう言うと、シグレは剣を少しだけ美穂の足に押し付ける。

 押し付けられた所から少しずつ血が垂れはじめた。


「ぐ……アぁぁ!!」


 少しずつ足を斬られていく激痛に耐え切れず、美穂は大きな悲鳴を上げる。

 なんとか脱出しようと身を捩じらせるが、かえって刃が彼女の足に食い込ませてしまっていた。


「そら、このまま足を斬ってしまおうか。案ずるな、神託のには上手く言っておいてやる。安心して再起不能になるがいい」


 不敵に笑いながら、シグレは剣を握る手に力を込めた。美穂の足から流れる血は勢いを増し、本当に斬り落とされてしまう勢いである。

 彼女はシグレの凶行の前に、抵抗することも出来ず叫ぶことしかできないでいた。




 そして、砂埃の外。

 音だけを聞いていた周りの人間は、これから見えるであろう凄惨な光景を覚悟していた。

 ある者は目をそむけ、またある者は瞳を閉じて。


 弱い者は強い者に潰される。

 それはたとえ、勇者の中でも変わらない。

 故に、雨の勇者より弱い彼女は、殺されて当然だと。

 そんな気持ちで、半ば諦めたような感情を抱きながら。


 そんな彼らの耳に、新たな音が響いた。

 砂埃の中から届いた音を聞いて、全員が鎖の勇者の足が切り落とされたのだと思った。

 だが、何か違う。

 人間を斬った時の音は、果たして先程のような音だったであろうか。

 周りの人間はそう考え、自分の記憶をたどりその音の正体を探る。

 そして、一つの答えを出した。

 そう、言うならば……。


 あの音は、人を殴った時に響く音だ。


「ぐっ……!?」


 次の瞬間、一つの影が砂埃から飛び出した。

 それはあろうことか、悠然と鎖の勇者の前へと歩いていた雨の勇者。

 彼女は苦々しい顔をしながら右腕を抑え、自分が吹っ飛んできた砂埃を睨み付ける。


 次の瞬間、新たな影が姿を現す。


「この、ゲスやろう。美穂を面汚しって言うんなら、お前は勇者ですらない……!」


 ゆっくりと歩いて出てきた人間は、聖勇者の鎧どころか、防具の類を全く身に付けていていない。

 光を反射して輝く青い布の服を着たその男は、鎖の勇者に拳を突き出すと。


「豪拳ッ!」


 突き出した拳から見たことも無い巨大な衝撃波を放った。


「テメェなんかに、聖拳は輝かねぇ!」


 強く握りしめた右手を燦々と輝かせて、男は吹き飛ぶ雨の勇者にそう叫んだ。

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