第23話 酒場「ワイルドオリーブ」


 同時刻。

 王都バビリア、その最奥に存在する王城。


 そのまた一番奥にある部屋、通称「祈りの間」。

 中は金銀や様々な宝石をふんだんに使った装飾がほどこされ、奥には女神の像が鎮座している。


 かつて、この部屋は王族や貴族といった、身分の高い者達が女神へ祈りを捧げる専用の場として使われていた。

 毎朝毎晩、一日に二回この部屋に赴いて手を組み、女神へ祈りを捧げる。

 そこに歪んだ邪念は許されず、逆を言えば、この部屋に入る者は清廉であるという証拠とされていた。


「……」


 そんな荘厳な空間にて、一人の少女が祈りを捧げていた。

 少女は輝く鎧を見に纏い、金色に輝く長髪をきらめかせている。

 頭を下げて膝を床につけ、組んだ両手を胸の辺りまで寄せて。

 その姿は周りの様子や彼女の美貌が合わさり、まるで一枚の絵画のようである。


 彼女は朝と夜の少しの時間だけでなく、ほぼ一日を祈りに費やしている。

 王族や貴族の面々を差し置いて。


 彼女は何者なのか?


 そもそも彼女は王族ではなく、貴族ですらない。

 数年前まではただの農民でしかなかった彼女は、ある日突然王城へ現れ、城における全ての優先順位を一つ下げたのだ。

 女神の力、その一部を王へ見せつけたことで。

 

 曰く、浅ましき人の心を読み取る者。

 曰く、我らを見守る女神の代弁者。

 曰く、最強の勇者。


「……女神様、ようやくこの地に聖拳様が」


 神託の勇者、エマ。

 彼女はゆっくりと目を開き、静かにそう呟いた。






 場所は戻って。

 礼路達は数十分時間をかけ、目的の場所にたどり着いた。

 ネイシャが連れて行った場所は、ロズの経営する宿屋からさほど遠くない所である。

 

「へぇ、ここがネイシャの言っていた飯屋か?」

「えぇ、酒場ワイルドオリーブ。王都じゃ質も量もしっかりしてるって評判の店よ」

「……こんな所、あったんだ」


 彼らの目の前には、上部に『WILD OLIVE』と大きく書かれた看板が掲げられた、酒場らしい見た目の建物があった。

 礼路が店を見ている間にも、何人か店の中へ入っており、かなりの人気があるのだろうと礼路は期待に胸を膨らませる。


「さぁ、行くわよ二人とも」

「あ、あぁ。行こう美穂」

「……」


 ネイシャは先陣を切って店の中へ入り、それに続いて礼路が中へ入ろうとする。

 しかし、立ち止まったまま動かない美穂を見て、礼路は不審に思い戻って彼女の前へ。


「どうした、美穂?」

「……手」

「え?うぉッ!?」


 瞬間、礼路の右手に鎖が巻きつけられると、美穂の左手と握り合う形でくっつけられた。

 突然のことでまったく反応できず、思わず手を放そうとするがガッチリと縛る鎖がそれを許さない。


「……くふふ」


 ふと笑い声が聞こえ、礼路は美穂の顔を見る。

 美穂は満面の笑みを浮かべ、繋がれた手をうっとりと見つめていた。


「これで、オッケイ」

「……そうですか」


 思わず敬語が飛び出した礼路。

 放すことを諦めた礼路は、手をそのままに店の中へと入って行った。


「……おぉ」


 店の中は、予想していた以上に賑やかであった。

 いくつも設置されたテーブルのほとんどには先客がおり、それぞれ食事を楽しんでいる。

 中には昼間だというのに酒を飲んでいる老人までおり、この店の客層が広い事が分かった。


「……アンタ達、遅いと思ったら何してるのよ。もう注文済ませちゃったわよ?」


 礼路が店の中を見話てしていると、前方にあるテーブルに腰かけたネイシャが話しかけてきた。

 彼女は既に席につき、不機嫌そうな顔をしてテーブルを指でトントンと叩いていた。


「わ、悪い。美穂がいきなり鎖を巻きつけてきて……」

「むふー」


 礼路は申し訳なさそうな顔を、そして美穂は満足そうな顔をネイシャに見せた。

 ネイシャは目を細めて二人を見ていたが、直ぐに興味なさげにソッポを向く。

 しかしテーブルを叩く指は止まっていなかった。


「ま、待たせたのは悪かったって。ほら、美穂も早く鎖をほどいて」

「……むー」


 美穂は頬を膨らませながら、しぶしぶ鎖を鎧の中へ戻した。

 解放された礼路はネイシャの隣の席に、そのまた隣に美穂が座る。


 その時に、礼路は辺りの今一度見渡してみた。

 辺りには街の住民らしい恰好の人間もいれば、特徴的な装備を身に付けた冒険者らしい人間もいた。

 前者はともかく、後者は勇者の可能性がある。

 礼路はそう思い自分の右腕を見てみるが、聖拳はこれといった反応は見せず沈黙を続けていた。


 とりあえず、ここには真の勇者はいなさそうだ。

 そう思い、礼路はテーブルに置かれた水を飲んで一息つく。

 そこで、自分を睨んでいるネイシャと視線が合った。


「な、なんだよ……」

「……アンタ、待たせたのが原因だとか本気で思ってんの?」

「え、そうじゃないのか?」


 礼路がそう言うと、ネイシャはさらに目を細める。

 居心地が悪くなり、視線を逸らして水をもう一口飲む礼路。

 ネイシャはそんな彼をジィッと見続けていたが、何かを諦めたかのように深くため息をつくと、半目になって遠くの方を見た。


「……はぁ、もういいわ。ほら、そろそろ料理が来るわよ」

「は?いや流石にまだかかるんじゃ――」

「お待たせしましたぁっ!肉ランチ三人前でっす!」

「はやッ!?」


 礼路の言葉を遮り、ウェイトレスっぽい服を着た女性がテーブルに大きな皿を三つ置いていった。

 大皿にはローストビーフのような綺麗な赤身の肉を初めとした、様々な肉料理が見栄え良く置かれている。

 端にはみずみずしい野菜があり、肉の下には米のような穀物が敷かれている。

 ボリューム満点な上に、絵画のごとく綺麗な料理を前にして、礼路は感嘆の声をあげる。


「お、おぉ……!?」

「ふふ、驚いたかしら?言ったでしょ、この店は味だけでなく質も良いって。舌と目の両方で楽しめるのがこの店なのよ。まぁ、少しばかり値段が張るから、何回も連続で来れないのが難点だけど」


 言うと同時に、ネイシャはナイフとフォークを手に取る。緩んでいる顔を隠しきれていない。

 落ち着いているようであるが、彼女もこの料理を早く食べたくて仕方ないようであった。


「よし、それじゃさっそく。いただきます!」

「いただきますっ」

「ふふ、いただきます」


 言うが早いか、礼路は肉の一片をフォークで刺すと、一気に口元まで運んだ。

 口に入れた瞬間、その芳醇な味が口いっぱいに広がる。

 肉本来の味は勿論のこと、胡椒のような香辛料の香り、独特のソースの甘さが礼路の舌に深い喜びを与えてくれる。

 前の世界で食べたことのないような、極上の幸せを何度も噛み締める礼路がいた。

 

「す、すご……!なんだこれ、旨すぎる……!」

「うん、すごくおいしい。お城のご飯に負けてない」


 美穂も想像以上の味に驚き、手に持つフォークやナイフを止められないようであった。

 近くにある肉から手当たり次第に口に運び、その度に後ろで綺麗な花を咲かせている。


「これは……ステーキ?すごく柔らかくて、肉汁もたっぷり」

「美穂、こっちはハンバーグみたいだ。ジューシーなのにあっさりしていて、後味も全然しつこくない!」

「こっちは骨付き……えっ、この骨一緒に食べれる。サクサク……まるでスナック菓子みたい」


 一つ口に運ぶたび、全く違う喜びが二人に与えられる。

 ボリュームはすごいのに、一向に飽きがこない。

 夢中で食べ続ける二人を見て、ネイシャはニコリと笑いながら口へ肉を運ぶ。


「ふふん、気に入ったようね」

「あぁ、こんなに美味い飯初めてかもしれない……!」

「もぐもぐもぐもぐもぐ……」


 得意げに笑うネイシャに対し、礼路は素直な感想を言う。

 美穂は食べることに集中しており返事をしないが、止める気配のない口が彼女の気持ちを物語っている。

 そんな三人を、周りの客や店員が微笑ましく見つめていた。






 昼時を迎え、さらに賑わいが増す酒場「ワイルドオリーブ」。

 しばらくは、この喧騒は途絶えそうにない。

 言うなればこの勢いは、波のようなものである。

 自ら引いていかない限り、余程のことが無ければ途絶えることは無い。


 だが逆を言えば、「余程のこと」が起きてしまえば、その波は途絶えることになる。

 そう、例えば音。


「この役立たずがァッ!!」


 周りの喧騒を大きく上回る怒声が、いきなり店の外から響いた。

楽しそうだった店内はシンと静かになってしまったのだ。


「な、なんだ……?」

「喧嘩か……?」

「いやねぇ、こんな昼間っから」

「もしかして、どこかの勇者様か……?」


 周りの客がひそひそと話し合う中、礼路はおもむろに外の方を見る。

 彼らが座るテーブルは出口のすぐ近くであったため、外の様子が容易に見ることが出来た。

 そして声の主を確認すると、礼路は今までの喜びを一気に消滅させ、目を見開きその身を強張らせた。


「お、お許し下さいシグレ様……!どうか……!」

「いいや、もう我慢の限界だ!クエストに必要な荷物を忘れるどころか、渡していた資金を落とすとは……その命ここで終わらせてやるッ!」


 声の主は雨の勇者、シグレ。

 彼女は細身の剣を鞘から抜くと、目の前で膝をついて許しを請う少年にその切っ先を突きつけていた。

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