第20話 心の内側


「はぁ、まさかコイツと同じ部屋で眠ることになるなんて……」


 部屋の鍵を掛けると同時に、ネイシャは片方のベッドに腰掛けてそう呟いた。

 窓を見ると既に夜になっており、涼しい夜風と未だ賑やかな街の声が窓から届く。

 そういえば、昨日レイジとこの宿に着いたのもこのくらいの時間だったか。

 そんなことを考えながら、ネイシャは目の前でうぞうぞと体を芋虫のように動かす残念な聖勇者を見た。


「れいちゃぁん……再会できたらぁ……二人でおんなじ部屋でぇ……」

「アンタ、いい加減立ち直りなさいよ。そもそも、アンタはここじゃなくて城にでも戻れば良かったじゃない。そうすれば、上等な回復魔法の使い手もいるでしょうに」

「……確かにそうだけど、私はれいちゃんと一緒が良かったの」


 動きを止め、プクッと顔を膨らませて呟く美穂。

 ネイシャの目には彼女が年頃の女の子、というより駄々をこねる子供のように見えた。


「はぁ、レイジも苦労するわね。こんな奴に好かれるだなんて」

「む、れいちゃんの負担になるつもりはない。いつでも隣にいて、手を繋いでいてほしいだけ……」

「にしては、私には過激すぎるように見えるわよアンタ。なんというか、重いわ」

「……重いっていうのなら、貴方には負けない」

「はぁ?私は別にアイツの負担になるようなことはしてないわよ」


 手をひらひらと振りながら、ネイシャは美穂の言葉に軽く答える。表情も崩すことなく、さも当然のように。

 対する美穂は近くの椅子に座ると、真剣な表情でネイシャを見つめた。


「……何よ?」

「貴方と相部屋になったのは、ある意味では幸運だった。早いうちに、確かめたかったから」

「確かめたいって、何をよ?別にアンタに疑われるようなことなんて――」

「なんで、貴方はれいちゃんと一緒にいるの?」


 再び美穂の言葉を軽くいなそうとしたネイシャは、彼女から投げかけられた問いに言葉を詰まらせた。

 ネイシャは振っていた手を止め、ジロッと美穂を睨む。

 しかし美穂はそんなことには全くひるまず、逆にネイシャを睨み返す。


「……アンタには、関係ないでしょ?真の勇者でも無かったんだから」

「そんなワケない。れいちゃんはずっと一緒にいてくれるもん。今は友達でいいけど、そのうち友達を超えた存在になるもん。今まではお互い奥手なだけだったし、これからは我慢する必要ない。聖拳が今の私を選ばないなら、選ばれるまでアピールするだけ。それに聖拳だって、持ち主のれいちゃんが認めたら少しは何かしら反応するかもしれない。あ、やっぱりアピールするのはれいちゃん相手でいいかな、いいよね。よっし活路が見えたこれから頑張る」

「……へ、へぇ。随分と頭のおかしい勇者様だこと」


 美穂は早くも脱線しながら、早口でブツブツと独り言を呟く。

 そんな彼女を見て口元を引きつかせ、本気で引いてしまうネイシャ。

 最初の礼儀正しい聖勇者はどこに行ってしまったのか。


「……脱線した。貴方が私にぶつけた雷撃……あれは女神の恩恵じゃなかった。貴方が使ったのは転移魔法と雷魔法。貴方が勇者だとしたら、あの局面で勇者の力を使うはず。つまり、貴方は勇者じゃない」

「仮にそうだとして、ソレがなによ?」

「勇者でない貴方が、なぜあそこまでれいちゃんを守ろうとするの?ううん、もっと言ったら、なんで一人で守ろうとしてるの?お城に行って、エマちゃんたちに預けた方がよっぽど楽だし、お礼も出るかもしれない」


 視線を合わせず、部屋の壁を見続けるネイシャ。その壁の向こうには、自分が守ろうと決めた聖拳使いがいる。

 彼女はどこか寂しげな表情で、壁の向こうにいる彼を見続けた。

 

 美穂は彼女が口を開くまで待つことにした。

 壁を見つめるその表情に、見覚えがあったからだ。

 そう、前の世界にいた時。

 近いようで遠い、大好きな幼馴染をただ見つめるだけだった、少し前の自分が同じ顔をしていたのだ。

 故に、そんな顔をする彼女が求めるのは、決意をするまでの時間であると分かっていた。




「ハァ……アンタ、頭が良いのか悪いのか分からないわね」


 数分の時間をかけて、おもむろにネイシャが口を開く。

その表情は先ほどの悲しげなものではなく、どこか安らぎに満ちていた。

 そんな彼女を見て、想う時間はもう必要ないと悟った美穂も口を開いた。


「どう思われても問題ない、れいちゃんのことだから知りたいだけ」

「……そうね。話してあげてもいいかしら。他でもない、アイツと同郷のアンタになら」


 そう言い、ネイシャは壁から美穂に視線を移した。

 気付けば外からの楽しげな声は無くなり、優しい闇に少しの明かり、そして延々と続く無音が部屋を支配する。


 まるでこの部屋が、世界と分断されてしまったのではないか。

 そう思わせてしまうほどに、この部屋には安らぎが満ちていた。


「まずは勇者の件だけど、アンタの言う通り私は勇者じゃないわ。女神の恩恵は、兄のキールって男が受けた」

「……キール?キールって、キール・グラス?氷の勇者の?」


 突然出てきた自分のファミリー・ネームに驚くネイシャ。

 まさかキールという名前だけで兄が出てくるとは思わず、完全な不意打ちに目を見開く。


「……そうだけど、なんでアイツだって分かったの?」

「だって、お城で一回言い寄られたから……あそこまでプライド高そうな人、なかなか見ないし」

「あぁ、なるほど……ちなみに言い寄られたときはどうしたのかしら?」

「適当に鎖で殴ったら帰っていったよ。あの人も力に酔ってるタイプの人だったから」


 そう言って、美穂はおもむろに鎧から出してヒュンヒュンと振り回す。

 容易く想像できる情けない兄の姿を思い浮かべ、ネイシャは腹立たしいような悲しいような、複雑な気分になった。


「まぁ、そのことはどうでもいいわ。で、そんな馬鹿な兄が勇者になってから、私は実家で結構な扱いを受けたの」

「結構って……」

「えぇ、勿論良い意味ではないわよ?休む暇も無く実力に合わない魔物討伐に行かされたり、召使いがやるような仕事をさせられたり。まぁ、おかげで大体の家事はできるようになったけど」


 自嘲気に話しながら、ネイシャは視線を横に向けた。

 当時の様子を思い出しているのか、右手で布団を握りしめている。


「聖拳教……貴方も名前くらいは知ってるでしょう?」

「勇者と聖拳の伝説を聖典にした宗教……この世界で一番大きいって聞いた」

「そう、私の家は聖拳教の熱心な信徒でね。私も、新しい勇者になるって期待されていたわ」


 足を軽く揺すり、まるで他人事のように自分の過去を話すネイシャ。

 美穂は彼女をジッと見ながら、聖拳教の「熱心な」教徒の事を思い出す。


 聖拳教。

 簡単に言えば、女神の恩恵を受け取った勇者を神聖化し、その最たる位置に女神の使いである聖拳を置く教え。

 聖拳を信じ、真の勇者を愛すれば、必ず女神によって救われると。

 勇者という教えの一部が現実に存在するため、この教えを信じる者はとても多い。

 そして存在するかも分からない聖拳を信じ、探し求める人が多いことから、この教えがどれだけ大きい存在なのかが分かる。

 

 ただの敬虔な信者ならば問題は無い。

 しかしある一定の線を越えた狂信者たちは別だった。この教えを盲信する者は、自分の家系に存在する勇者を何よりも大切にする。真の勇者に自分の家族が選ばれたなら、きっとそれは女神への最大の貢献であると。

 そして、そんな自分たちに女神様は多大な祝福を与えて下さると。本気でそう思う者達が存在する。

 そんな盲信者たちは、総じてそれ以外の事に一切の興味をなくす。

 我が子であったとしても、勇者でなければ容易く切り捨てる程に。


 そんな聖拳教の闇を思い出し、美穂はネイシャがどんな仕打ちを受けたのか容易に想像できた。

 ネイシャは美穂の視線が哀れみを帯び始めたことに気付いたが、気にする様子もなく話を続けた。


「私が勇者でないと分かった時の、両親の顔が今でも忘れられない。感情がなくなって、まるでゴミを見るかのような目をしていたの。そして、勇者になった兄貴を溺愛するようになった」

「……」

「領主の影響かしらね。領民のほとんども聖拳教だったから、私の居場所は一切なくなったわ。どこを歩いていても、誰も私を助けてはくれなかった」

「……勇者に選ばれなかった人の末路としては、別に珍しくない」

「えぇそうね、どこにでもある話。でも、当事者からしたらたまったモンじゃないわ。今まで信じていた人たちが、両親と同じ目で私を見るの。その時の私は、なんとかしてその目をやめて欲しくて必死だった。勇者でなくても役に立とうと思って、色んなことをしたわ」


 そう言って、ネイシャは目を閉じてフッと笑う。喜びも悲しみのない、乾ききった笑い。

 当時の事を思い出しているのだろう、開かれた彼女の目は黒く沈み、光が見えなくなってしまっている。


「その結果はお察しの通り、報われなかったわ。魔物が出たってキールに呼び出されて、後ろから不意打ち。ミーティア……この水晶玉を全部凍らされて、一切抵抗できずに氷の中に閉じ込められた」

「……エマちゃんが言ってた。アイス・ブロックの氷は、意識を保ったまま閉じ込めるって」

「えぇ、一切動けないままね。アイツはそのことを知っている私を、あえてゆっくり凍らせていったわ。その時に言われたの、私が凍らされるのは、私のことを疎ましく思った父達のせいだって」

「……バカな人達。貴方ほどの転移魔法の使い手、例え勇者でなくても重宝されるべき」

「そう……ありがと。でもね、父や町長の連中はそう思わなかったのみたい。それほどまでに、勇者のみを優先していた。まるで、大木から腐った果実をちぎるように、私を捨てたの」


 ネイシャは両足を抱え、顔を沈める。

 美穂はそんな彼女をジッと見つめるのみ。


「その時にようやく理解したの。私がやってきたのはただの独りよがりで、私のことなんて最後まで誰も見てなかったって。分かった途端、全部がどうでも良くなったわ。1年間、ただ自分を誰かが滅ぼしてくれるのを祈っていた」

「……でも、れいちゃんが来てくれた」


 美穂が礼路を出した途端、ネイシャの目に光が戻る。

 乾いた笑みではなく、彼女らしい優しい微笑を浮かべて。

 美穂はそれだけで、彼女にとって礼路がどれだけ大きい存在なのかを理解した。

 そう、自分にとっての彼と同等に。


「えぇ、凄い大きい音と一緒にあのバカは突然やってきた。最初は近くの湖に夢中で私に気付かなくてね、私もそこまで意識してなかった」

「……」

「私に気付いたらすぐに近寄ってきたわ。ちょっと濁ってるけど、真っ直ぐな目。そんな目で私をジロジロ見てきてね、ちょっと鬱陶しかった」


 顔を上げて楽しそうに話すネイシャに、美穂は軽く嫉妬する。

 ネイシャは気付いていないが、彼女の口調は先程より明るく、少しばかり早口になっている。

 美穂はそれだけで、礼路との出会いが彼女の中でどれほど大きなモノであったかが分かった。

 彼女の黒い感情に反応して鎖が数本、にょきにょきと鎧から顔を出す。


「さっさと殺してくれ、殺せないならいなくなれ。本気でそう思ったけど、アイツは別の事をした。聖拳の力を使って、私を氷から出したのよ」

「……魔法陣、見たの?」

「えぇ、氷越しでバッチリと。それでアイツが聖拳だって分かった。毎日聖典で見てたんだもの、一発で分かったわ。だからすぐに逃がそうとしたのよ。あれだけ大きな音を立てたから、きっとキールが様子を見に来ると思って……あんな奴に、聖拳を渡したくは無かった」

「……武器を凍らされたままで?」

「えぇ、別に勝つつもりなんてなかったわ。レイジを逃がせればそれでよかった。お礼を言ったりとかすべきこともあったけど、まずするべきことはこの場から遠ざけることだって思ったの。だから突き放した。そうすれば、私のことなんて構わないで消えると思ったから」


 でも、と。

 ネイシャは心底嬉しそうな口調で、話を続けた。


「アイツは来てくれた。光り輝く右手で氷を払って、私が気絶しているうちにキールのヤツを倒した」

「……それで、れいちゃんにお礼を返したくて一緒にいるの?」


 美穂の問いに対し、ネイシャは首を振って否定する。


「違うわ。目覚めてすぐの私は、逆にレイジを突き放そうとした。助けてくれた礼路を見て、夢にまで見た聖拳がどこまでも遠く感じたのよ。だって私、勇者になれなかったし」

「……れいちゃんを、捨てようとしたの?」

「そうよ、この世界の事を少し話した後にね。もう勇者になれないし、聖拳の隣にいる資格もない。頑張って身に付けた転移魔法も意味がなくなった。そう思ったら、アイツと一緒にいたいとは思えなかった」


 その時美穂は、彼女がなぜ転移魔法を極めようとしていたのか分かった。

 彼女は彼女なりに、聖拳のよきパートナーになろうとしたのだ。聖拳が出来ないであろう魔法を覚え、魔王討伐の手助けになりたい。

 そんな夢を抱き、彼女は今までの人生を転移に捧げていた。


「アイツ、私に一緒に来てほしいって言ったのよ?人の気持ちも考えないで、不安げな表情でね。それで惨めな思いが強くなって、私はまたアイツを突き放そうとした。私の気持ちを吐いて、もうこれで完全に終わっちゃうんだって思ったわ。でもね、アイツは情けない顔して、また一緒に来て欲しいって言ったの」

「ふふ、れいちゃんらしい……」


 いつも自分の手を引いて導いてくれた幼馴染を思い出し、美穂は思わず頬を緩める。

 情けない所もあるけど、どこまでも優しい。

 今も全く変わらない、伝説の聖拳となった幼馴染の顔を思い浮かべた。


「分かるかしら?私は一日もない少しの時間で、アイツに三回も手を差し伸べられたの。ホント、アイツもバカよね。私のことなんか放っておいて、街の方向でも聞いてさっさと行っちゃえば良かったのに。消えちゃいそうだからって、一緒に来てほしいって……適当な所に行けば、私よりも優秀で聖拳を死ぬほど求めてる奴らが山ほどいるっていうのに」

「……」

「……十分よ、十分。最後に私は、アイツにずっと付いて行こうって決めることができた。アイツが救ってくれたこの体と心を、全部使ってあげようって。昔見た夢とはちょっと違うけど、隣にいるのがレイジなら、別にいいかって」

「……単純だね、貴方も。もし、れいちゃんがとんでもない悪人だったりしたらどうしたの?」

「えぇ、そう言われても仕方ないわね。でも問題ないわよ、だって――」


 ――こんな顔する奴が、悪人なワケあるかよ。


「あんなアホ面晒す奴が、悪人なワケないわ」


 自分が氷越しに言われた言葉を思い出し、ネイシャは礼路のようにニコッと笑った。

 とても嬉しそうに笑った彼女が、美穂にはとても美しく見えた。重い使命も、悲しい過去も、全く感じさせない。

 年相応の、心優しい少女の笑顔であった。


「これが、アイツと一緒に居る理由よ」

「……分かった。貴方が、信用できる人間であることも」

「あら、一応信頼は得られたのね。ならもう寝ましょう、明日も早いんだから」

「うん、でも最後に聞きたいことがある」


 ベッドに向かおうとしたネイシャに質問を続けた美穂。

 その内容に予想がついているのか、ネイシャは動きを止めずローブを脱いできそうになった。


「さっきの質問と矛盾してるけど、どうしてそこまで詳しく教えてくれたの?」

「……そうね、強いて言うなら、宣戦布告かしら。貴方だけでなく、全てのお偉い勇者様に」


 ローブを椅子にかけ、再び美穂を見るネイシャ。

 その顔には、不敵な笑みが浮かんでいる。


「生半可な覚悟でアイツに近寄ることは、私が許さないわ。真の勇者が見つかるまでは、レイジの隣は私のモノだから」

「……ぜぇったい、負けない」

「そう、まぁせいぜい頑張りなさいな。明かり、消すわよ」


 そう言って、ネイシャは小さな明かりを消す。

 完全な真っ暗闇。

 二人はそれぞれのベッドに潜り、バカだけどどこまでも優しい聖拳の事を思いながら眠りについた。


「あぁ、そうそう」

「……?」

「アンタ作ったカギはロズに渡しなさいよ?夜中に礼路の部屋に侵入したら、今度こそ許さないから」

「……チッ」

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