第14話 豹変


 鴉野美穂からすの みほ

 文武両道にして容姿端麗。

 高校一年からクラス委員長及び生徒会書記を務め、教師たちからの信頼も厚い。

 部活動では陸上部に所属し、全国大会上位に食い込む成績を持つ。

 性格はとても明るく、どんな生徒に対しても分け隔てなく優しい。

 彼女に憧れる生徒は数多く、毎日たくさんの男子生徒から言い寄られていた。

 そんな絵に描いたような超優等生である少女が、礼路の知る鴉野美穂である。

 

 そして彼女は、鎧を着たまま礼路に思いっきり抱きついていた。

 そう、鎧を着たまま。


「いぎぎぎだだだだァッッ!ちょっど、美穂離れで……」


 見た目通りに堅い鎧が、礼路の体にゴリゴリ当たる。

 必要以上に細かい装飾が絶妙な凹凸を作り、礼路の肉やら骨やらへダイレクトなダメージを与えていた。


「礼路っ礼路っ……本当に会えてよかった……!」


 対する美穂は礼路の様子など一切気にせず、さらに力を強くする。

 あ、これ死ぬヤツで間違いない。

 そう確信すると同時に、礼路の肺から酸素がブハッと飛び出る。


「アンタ、いい加減にしなさよ!礼路から離れな……さいッ!」


 そんな彼を救出すべく、ネイシャが強引に二人の間へ。

 しかし美穂は礼路に抱きついたまま一切動かず、ネイシャの事に気付いてすらいないようだった。


「う……ぐぅぅぅ……このぉぉぉぉ……!」


 女性が出してはいけないようなうめき声をあげながら、どうにか美穂をどかそうとするネイシャ。


 押したり引いたりを繰り返すこと数秒。

 そこには全く姿勢を変えず、さらに力を込める美穂。

 潰れたカエルのような声……すら出なくなっている礼路。

 そして、膝と手をついてゼェハァと息を切らすネイシャがいた。


「ハァッ……ハァッ……この……いい加減に、しなさいよッ!」


 正攻法で美穂を離すことは無理と悟ったネイシャは、ローブからミーティアを取り出して美穂へ飛ばす。

 しかし、あと少しで美穂の頭にぶつかろうとした瞬間、ガキンと何かに弾かれたような音と共にミーティアが地面に落ちた。


「なっ……」

「えっと……貴方は誰ですか?」


 何でもないような顔でネイシャを見る美穂。

 しかしネイシャは何をされたのか考えながら、聖勇者である美穂の力の片鱗を見て恐怖する。

 そんな中、礼路は美穂の拘束力が若干弱くなっていることに気付き、身をくねらせて脱出。そのまま全速力でネイシャの隣へと向かった。


「……私はコイツの保護者。アンタみたいな変な奴に絡まれないように守ってあげてるのよ」

「……そうなの礼路?」

「ま、まぁ……今のところ間違ってはいない……です」


 礼路は申し訳なさそうに、現状彼女に甘えっきりであることを美穂に伝える。


「そうだったんだ……あの、今まで礼路を守ってくれてありがとうございました!」


 礼路が肯定したことを確認すると、美穂は頭をさげてネイシャに感謝の言葉を述べた。

 何の混ざりっけもない、純粋な言葉であった。


「え、まぁ、そうね。別に大したことじゃないし……問題ない……わ……」


 真っ直ぐすぎる謝意を受け、ネイシャは少し気恥ずかしそうに髪をくるくるといじる。口調もたどたどしくなっており、どう返事をしたらいいか分からない様子。

 自分には一切見せない顔だ、と思いネイシャを見つめる礼路。

 厳しかったり得意げだったり、怒ったり怪しかったりと色んな顔を見せるネイシャであったが、照れる彼女を礼路は見たことが無い。


 もしかしたら、同年代くらいの知り合いが少ないのかもしれないと礼路は考える。

 自分と同じにおいを若干感じ、ネイシャを見る礼路の目が優しくなった。


「でも、もうこれからは大丈夫です。これからは私が礼路と一緒に居ますから」


 しかし、そんなネイシャの照れ顔は美穂の言葉によって消え失せた。


「……どういうことかしら?」

「そのままの意味ですよ。これからは私が礼路と一緒にいますから。もう貴方にご迷惑はおかけしません!」


 美穂はふんすと息を荒げ、強い眼差しでネイシャを見つめる。

 ネイシャは不機嫌そうな顔になり、美穂とは違うベクトルの強い目になった。

 礼路は突然の展開に追いついていけず、美穂の言葉に別の意味があるかと考えるが何も思いつかない。

 とりあえず場を伸ばすため、礼路は美穂に別の疑問を投げかけた。


「ちょ、ちょっと待ってくれ美穂。そもそもの話だけど、なんで美穂がこの世界にいるんだ?ていうか、どうやって?」

「……そうだね、まずはそこから話さないと」


 美穂は礼路の方に顔を向けると、自分が体験した事を話し始めた。


「まず、私がこの世界に来たのは半年くらい前なの」

「は、半年前!?俺よりも早いじゃんか!」


 のっけから衝撃的なことを聞き、礼路は驚きで目を見開く。

 彼がこの世界に来たのは昨日の朝。

 それよりも早くこの世界に飛ばされた人間がいたなんて、全く予想していなかった。


 聖拳の力を得た礼路も、中身は只の人間。

 勇者やら魔法やら様々な情報量が音速で頭を駆け巡る中で、他の人間が来るのかどうかなんて考える暇が無かったのである。


「礼路が私を助けてくれた日から……10日くらい経った時かな。気付いたらバビリアのお城にいたの」

「確かに、お前がいなくなったタイミングと合ってるな。そうか、だから行方不明になってたのか」

「お城で私はエマちゃんと会って、この世界のことを聞いたわ。そのあと、聖勇者になるまで鍛えてもらったの」

「へぇ、神託の勇者に直々に……ね」


 ネイシャはそう呟くと顎に手を当て、何かを考える素振りを見せる。

 礼路は美穂が神託の勇者と知り合いであることに驚いたが、それ以上に確認したいことがあった。


「美穂、勇者になったんだな……」

「うん、この世界に来た時にね」


 幼馴染が勇者。

 聖勇者の鎧を着ていた時点で分かりきっていた事ではあるが、いざ改めて認識すると複雑な気持ちになる。


「私ね、聖拳はきっと礼路だろうなって思ってたんだ」

「な、なんでだ?」

「だって、聖拳って礼路がゲームで使ってたヤツでしょ?あんな使いづらいジョブ選ぶの、礼路くらいだもん」

「えぇ……結構詳しいんだな」


 確かに、礼路が使っていた聖拳使いは人気が無かった。

 見た目に派手さが無い、モーションが遅い、バグや処理落ちが多い。

 様々な理由が重なり、とにかく聖拳使いは人気が無かった。


 それでも一目ぼれした聖拳使いを、上級レベルまで育てた自分を自画自賛している礼路であったが、次の美穂の言葉で一気に現実へ戻される。


「当たり前だよ、好きな人のことだもん」

「……は?」

「あれ、聞こえなかったかな?私、鴉野美穂は、桜山礼路君の事が大好きなんだよ?」


 顔を赤くさせ、美穂は礼路をまっすぐ見つめてそう言った。

 礼路の思考が一時停止し、ブルッと震えた心臓を殴って抑える。


 幼馴染は自分のことが好き。

 あの何でもできて、モテモテで、雲の上の存在だった幼馴染が好きなのは、自分。再起動した頭の中で何回も復唱するが、特に何も変化しない。


「……」

 

 一方、今まで黙って二人の会話を聞いていたネイシャにも、一目で分かるほどの変化があった。


 無。


今の彼女の表情を一言で言い表すなら、この文字が一番。

半目の状態のまま、驚きやら困惑やらを通り越してあらゆる感情が顔から削げ落ちている。


「……」


 そんなネイシャをチラリと見て、すぐに視線を戻す礼路。

 ひたすらに怖かったのだ。


「子供の頃から、ずっとそうだった。いつの間にか礼路君、私から離れていっちゃったけど、この思いは変わらなかった!」


 美穂は胸に手を当て、礼路をまっすぐ見つめながら自分の気持ちをぶつける。

 その様子に一切のブレは無く、本心を言っていることが礼路には見て取れた。


「……私の気持ち、迷惑だった?」

「い、いやいや!そんな事無い、全然嬉しいって!」


 固まったままだった礼路を不安げに見つめ、少しだけ顔を下げて問いかける美穂。

 彼女の好意が嫌なわけもなく、礼路はブンブンと首を横に振る。


「……え?」


 そんな礼路の様子を見るネイシャ。

 ゆっくりと礼路へ顔を向ける彼女は、先程の無表情を崩し少し不安げな様子である。

 だが残念なことに礼路は美穂の告白に意識が向いており、ネイシャの様子に気が付かない。


「本当に!?良かった……じゃあ、私を真の勇者に選んでくれるよね?」


 驚きと喜びで頭を一杯にさせる礼路であったが、そんな美穂の言葉で正気に戻った。 


「……え?」

「だってそうでしょ?真の勇者は最愛の聖拳を手に取って魔を払う……なら、礼路の事を愛している私が一番だよ!」


 当然のようにそんな事を言い放つ美穂。

 礼路はそこで自分の使命の事を言われるなどと思っていなかった。

 確かに彼女の好意は嬉しい。

 しかし、世界を賭けた大事な選択を、好きだからと言う気持ちだけで選んでいい物だろうか?

 そんな事を考え、礼路は思ったことを伝えようとした。


「い、いや……それとこれとは話は別じゃないか?それに、真の勇者になるってのは、魔王を戦う危険にさらされる。美穂の気持ちは嬉しいけど、簡単な気持ちで勇者を選ぶことなんて出来ないって。そもそも聖拳も光ったりしてないし……たぶん美穂も真の勇者じゃないと思う。だから――」


 礼路は直接的な否定の言葉を極力言わず、ひとまず彼女をやんわりとおさえようと考える。

 どうにか美穂を傷つけないで、なおかつ自分の考えに納得してもらいたかった。


「……え」


 美穂は礼路が自分を受け入れてくれると思っていたのか、彼の言葉を聞いて呆然としている。

 しまった、もっとやんわりとした言葉を選ぶべきだったか?

 そんなことを礼路が考えていた時、おもむろに美穂の口が動いた。


「……おかしい」

「み、美穂。ごめん、美穂を傷付けるつもりは――」

「おかしいな、礼路は明るくって人懐っこい女の子が好きだったはず。学校でもそう在り続けたし、勉強も運動も頑張った。嫌われる所なんて何も無い筈……」


 慰めの言葉をかけようとした礼路であったが、幼馴染の様子がおかしい事に気付く。

 顔を伏せ、何やら小言でブツブツと喋っているが、礼路にはその内容を聞き取ることが出来ない。


「え、どうした美穂?」

「ちょっと、あんまり近づかない方がいいわよ。何か様子がおかしいわ」

「いやでも、流石にそのままはまずいだろ……」


 ネイシャの静止を払い、礼路は美穂の前まで歩く。

 恐る恐る耳を近づけ、彼女の言葉を聞き取ろうとした。


「体だってれいちゃんの好みになるように努力した。れいちゃんがやってたゲームだってやりこんだ。フレンドにだってなってるもん、問題ない。嫌われるような事なんて、絶対にしてない。だったらなんで?彼氏がいたとでも思われてるのかな。どうしよう、それに関しては証明のしようがない。中学生になってから、れいちゃんとはあんまり会えてなかったし」

「え、カラスさんってお前だったの?」


 いつの間にか昔の呼び名になっていることを不思議に思いながら、何やら不穏なことを早口で呟き続ける美穂の様子を伺う。

 加えてゲームで唯一のフレンドだったプレイヤーが、目の前の彼女であったことに軽く衝撃を受けていた。


「……待った、方法はある。でもあの子はいらない。いや問題ないかな、どちらにしてもいなくなっては貰うんだから。よしやろうすぐやろう、ねぇれいちゃん」

「うぉ。ど、どうした?」


 礼路はいきなり上げられた顔に驚く。

 彼女の目は先程までの明るい感じから一変、ねっとりとした生暖かい感じになってしまっていた。


「これ、持って」

「は?持ってって、なんだこれ?」

「いいからいいから、早く掴んで。プリーズ、キャッチ、ハリー」


 美穂は突然鎧の隙間から金属っぽい何かを引っ張り出すと、それを礼路の前に差し出す。

 幼馴染の豹変に若干引いてしまっていた礼路は、これ以上彼女を変な感じにしてはいけないと、とりあえず言われるがままに手を伸ばした。


「ッ!?アンタ、何不用心に触ろうとしてんの!」

「え?」


 ネイシャは礼路の動きを止めようとしたが、時すでに遅し。

 その手は差し出された何かに触れてしまっていた。


「……くふ」


 小さい笑い声が聞こえた瞬間、触れていた何かが蛇のように伸びると、礼路の体を一瞬で締め上げた。


「は?な、なんだこれ!?」


 礼路は突然動きを封じられたことに驚き、自分のまとわりつく物を見る。

 それは鎖であった。

 長く堅い鎖が美穂の鎧から伸び、指一本も動けない程に彼の体を拘束していたのである。


「れいちゃんれいちゃん、今から森の中に行くから。舌噛まない様にしててね」

「……ッ!アルファ、ベータ、ガンマ!」


 美穂の言葉に反応し、ネイシャは彼女を止めるために全てのミーティアを動かす。

 高速で美穂のもとまで迫るミーティアであったが、最初に彼女への攻撃を弾かれたように、全ての水晶玉を地へと落とされる。


「……なるほど、それがアンタの恩恵ってワケ?」

「そう、私は鎖の勇者。礼路と同じ、ゲームの世界の力だよ」


 そう言うと、美穂は何本もの鎖を鎧の中から出していく。

 鎖は蛇のようにうねうねと動き、まるでネイシャに威嚇しているようだ。


「さようなら、礼路の保護者さん。もうお役御免だから」

「ッ、待ちなさいアンタ!」


 ネイシャの言葉を全く聞かず、美穂は礼路を肩に担ぐ。


「はっ!?おいちょっと美穂、とりあえず話させ――」

「グンナイ」


 美穂は止めようとした礼路の頭を、手に持った鎖でゴッと殴る。

 礼路は「お゛ぉんッ!?」と叫んだ後に意識を失った。


「ふふ、じゃあね」


 美穂は白目を向く礼路を見て、ニヤリと笑うと地に這わせていた鎖に足を乗せた。

 途端、脈打つように震えだす鎖。

 鎖は震えを大きくさせ、波打ちながら地面をすべりだすと、美穂と礼路を森の奥深くへ進んで行った。


「チッ、重そうな割に速い……これだから勇者は厄介なのよ」


 すぐに見えなくなった美穂を忌々しく思いながら、ネイシャは3つのミーティアをフワリと浮かせる。


「とにかく、アイツを見つけないとッ!」


 そう言って、二人が消えて行った方へと走って行った。

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