第11話 健やかな夜明け


鳥の鳴き声と共に、礼路はゆっくりと目を開けた。


「……なんか、すごくいい夢を見た気がする」


 何故か気分が高揚していることに気付き、礼路は天井を見ながら呟く。起きてしまえば夢の世界は消え、大半を忘れてしまう。実際、礼路は自分が見ていた夢の内容を全く覚えていない。

 だが起きた後の体の具合から、良い夢だったかどうかは判断できた。


「なんだろう、思い出せないのが滅茶苦茶悔しい……」


 上体を起こし、首をひねって思い出そうとする。

 しかしどれだけ頭を使っても、夢の中身を思い出すことはできなかった。


「あら、やっと起きたのね」


 ふと、部屋の隅から聞き覚えのある声がする。

 礼路が声の聞こえる方を向くと、そこには薄着で椅子に座り、ミーティア・シリーズを磨くネイシャがいた。


「随分と遅いお目覚めじゃない、この寝坊助」

「え、まさかもう昼なのか!?」


 やってしまった。

 礼路はそう思い、急いでベッドから出ようとする。

 しかし急ぎ過ぎて体勢を崩し、ベッドの角に右足のすねを勢いよくぶつけてしまった。


「ぐおぉ!?」


 突然の痛みに我慢できず、礼路はその場にうずくまって脛辺りを握りしめる。

 額から脂汗を滲ませ、痛みが消えるまで必死に耐えようとした。


「……ふふ、アンタ本当に馬鹿ね」


 礼路はまだ消えない足の痛みにこらえながら、ネイシャがくすくすと笑っていることに気付く。

 まるで、いたずらに成功した子供のようだ。

 礼路はそれだけで、自分が騙されたということを悟る。


「お、お前よくも……」

「あら、ごめんなさい。どこまでも腑抜けた顔をしてたから、ちょっと驚かせてあげようと思ったのよ」

「だからってそんな……」


 ネイシャは悪びれもせず、礼路を笑いながら手に取ったミーティアを磨き続ける。

 しばらく蹲ったまま動けずにいた礼路だが、しばらくすると痛みは消えて楽になった。

 ふぅと息を整え、抗議の一つでもしてやろうかとネイシャを見た礼路は、そこでネイシャの変化に気付く。


「取ったんだな、包帯」

「えぇ、切り傷も浅いモノばかりだったし、昨日のうちに大半は良くなったみたいよ」


 ネイシャは巻きつけていた包帯を外し、肌を晒していた。

 邪魔だった包帯が消え、日の光に金髪を輝かせるネイシャは、絵になるくらい綺麗に見える。

 ネイシャへの抗議も頭から抜け落ち、礼路はただ彼女を凝視する。


 黒い半袖下着に、膝までしかない青色の短パン、そして白く美しい肌。

 腕と足を大きく露出させているスタイルに、礼路は男子特有の興奮を覚えてしまう。


 元々、礼路は女の子との交友がほとんどない人間であった。目を合わせるのが妙に恥ずかしく、面と向かって話すこともままならない。

 それが礼路という人間の本来の姿である。


 そんな彼に、今のネイシャの恰好は猛毒である。

 加えて、ネイシャは滅多にお目にかかれないほどの美少女。

 確かに多少の傷跡は見て取れたが、それすら礼路には魅力的だった。


「ふっ……んぅ。さぁ、起きたなら朝食をすませなさい。身支度を整えたら、いよいよクエスト受注よ」

「ん……おぅ」


 自分の魅力を知ってか知らずか、ネイシャは礼路の眼を全く気にせず背伸びをする。それと同時に、彼女の胸が大きく揺れた。

 そんな彼女から目をそむけ、礼路は情けない返事をしながら椅子に座る。


 テーブルにあったリンゴっぽい果物を取り、齧ってもそもそと口を動かす。

 噛むことに集中することで、先程の興奮を消そうとするが、どうにも難しい。


「……」


 どれだけ齧っても、礼路から雑念が完全に消え去ることは無かった。

 このリンゴもどき超うめぇ、うわぁい!

 そんなことを全力で考えるが、気付いたら視線がネイシャを追ってしまっている。

 思春期男子の完全敗北だった。

 

「と、ところで、クエストってどうやって受けるんだ?」


 故に方向転換。

 真面目な話をして、頭の中に潜む雑念と言う名の不届き者を追い払おうとした。


「専用の受注場に行くわ。そこに着いたらメンバー登録を済ませて、クエストを受けるの」

「へぇ……あ、でもメンバー登録ってどうするんだ?馬鹿真面目に聖拳ですって書くわけにもいかないだろ?」

「それは問題ないわ、別に適当なことを書いてもバレないし。なんだったら、私達肩書だけ勇者になることもできるわよ?」

「えぇ……」


 判定ガバガバかよ異世界。

 随分適当な事をしているらしい受注場のことを想像して、礼路は顔を引き攣らせる。


「仕方ないのよ、下々の人間じゃ勇者かどうかなんて分からないんだから」

「いや分からないってなぁ……ん?」


 礼路はネイシャの妙な言い方が気になった。

 下々の人間じゃ、とはどういうことなのだろうか?

 裕福な人間なら勇者かどうか分かる術を身に付けているのか、と考え首をかしげる。


「なぁ、下々の人間じゃないなら勇者かどうかって分かるのか?」

「え?あぁ、ちょっと違うわね。正確には、王国お抱えの聖勇者筆頭様よ」

「聖勇者?」


 礼路が聞いたことのないワードだ。

 聖なる勇者。頭の中で何回は復唱してみるが、あまりピンと来ない。

 礼路が説明を求めて視線を送ると、ネイシャは察して説明を続ける。


「聖勇者っていうのは、バビリア国王が雇った、優秀な勇者たちの総称よ。大金を払って味方にすることで、国に縛って言う事を聞かせるの」

「ははぁん、なるほどな。偉い人が考えそうなことだ」

「まぁ、大体の勇者はそんなこと気にしないで好き勝手してるけど……神託の勇者だけは別ね」


 ネイシャは磨き終えた水晶玉をテーブルに置き、日光を背にして呟く。


「神託の勇者、エマ。齢7歳で恩恵を受けた彼女は、女神の恩恵を受けた瞬間から、聖勇者筆頭として城に住み続けているわ」

「そんな奴がいるのか……7歳?なぁネイシャ、その筆頭ってのは誰よりも強いから選ばれたんだよな?」


 ネイシャの話を聞いて、礼路は素直に思った疑問をぶつける。


 女神の恩恵を受け取った存在である勇者。

 そんな勇者の中でも優れた力を持つ聖勇者。

 それら聖勇者を束ねる筆頭。

 つまり、筆頭=最強。

 そんな計算式が頭の中で浮かんでくるが、果たして10歳の子供が最強だなんて話が本当にあるのだろうか?


「……私も話でしか聞いたことが無いけど、神託の勇者は女神の声を聞くことが出来るらしいの。だから人を見るだけで勇者なのかどうか、どういう力を持っているのかを、女神が直接教えてくれるとか……しかも、女神の力を少しだけ貸して貰えるとか」

「そ、そらぁまた恐ろしい話だな。マジで絵本みたいな話だ」

「えぇ、でもその子が最強として筆頭の座についているのは事実よ。アンタも、神託の勇者と会わないように気をつけなさい。まぁ、いつも城に籠って女神に祈り続けてるらしいから、滅多に会うことはないでしょうけど」


 真剣な眼差しで注意をするネイシャに、礼路は無言で頷いた。

 

「うん、分かればよろしい。さぁ、さっさと準備を済ませて出発するわよ」

「お、おぅ!」


 次いで微笑みながら、礼路に次の行動を促すネイシャ。

 礼路は自分が未だに朝食の席に付いていることに気付くと、慌てて身支度をする。

 そんな礼路を見守りながらネイシャはゆっくりとローブを身に付けた。


「さ、付いて来なさい」

 

 それだけ言って、ネイシャは部屋の外に出る。

 礼路も少し遅れて部屋を出て、鍵をかけて部屋を後にした。






「おや、おはようございますネイシャ様」

「えぇ、おはようロズ」

 

 礼路がロビーに出ると、昨日受付をした店主がネイシャと軽く挨拶をしていた。

 二人の様子を見て、礼路は二人が見知った仲なんだなぁと思う。

 ついでに、ネイシャはここの宿を知っているような口ぶりだったことを思い出した。

 そんな礼路に気付いたネイシャは、少し目を細めて話しかける。


「そういえばレイジ、昨日ロズから聞いたけど、文字が読めないんですって?まったく、教えなきゃいけないことがまた増えちゃったじゃない……」

「あ、いや、そりゃ悪いけど。仕方がないだろ?」


 突然のお小言に少し嫌そうな顔をする礼路。

 そんな彼に、ロズと呼ばれた店主が助け船を出す。


「ふふ、辺境の土地から出られてすぐでしたら、仕方がないでしょう」


 そう言って、ロズは礼路を見てニコリと微笑む。

 礼路は二人の会話を聞き、ネイシャが自分をどのように誤魔化したかを悟った。


 遠い辺境から来た田舎者。

 なるほど、確かにそれなら文字が読めない事や、一般常識をあまり知らない事を誤魔化せる。

 うまい事考えたな、そう思い礼路がネイシャに感心していると、ネイシャは次にロズへ標的を変えた。


「ロズ、アンタはすぐそうやって他人を甘やかすからダメなのよ。今まででいくら知り合いにお金を貸してるの?」

「おやおや、私にまで飛び火してしまいましたか」

「ふん、アンタは黙って部屋を提供するだけでいいのよ……フフ」


 昨日の取っ付きにくい感じはなく、フレンドリーに話しているロズ。

 礼路は、これが本当の彼なんだなと思いつつロズを見る。

 すると彼はひとしきり笑った後、礼路の方を向いて頭を下げてきた。


「おはようございますレイジ様。昨日はネイシャ様のご友人とは知らず、大変失礼いたしました」

「う?あ、あぁ昨日のことか。別に気にしないでください、疑って当然だったと思いますし」

「そうよロズ、こんな怪しさ満点の田舎者なんて追い出しても良かったわ」

「ちょ」


 横からの非情な物言いに思わず声が出てしまう礼路。

 しかしそんな礼路を気にせず、ふふんと笑うネイシャがいた。


「ふふ、本当に仲がよろしいのですね」


 そんな二人を見て、ロズは下げていた頭を上げるとまた小さく笑った。


「では、お支払いはいつもの通り御父君からで?」

「……いえ、これからは自腹よ。あと、私がここに来たことは誰にも言わないで」


 そう言って、ネイシャはローブの中から布袋を出すと、そこから銀色の硬貨を何枚か出した。

 その表情は、少しだけ暗い。


「おや、何かワケありでしょうか?」


 少し遅れて返事をしたネイシャを見て、ロズは心配そうにする。

 

「いいから、言われたとおりにして」

「……かしこまりました」

 

 だが、ネイシャの希望を聞くとすんなり引き下がった。

 これ以上詮索をするべきではないと判断したからだろうか。

 礼路はそう思い、ロズの行き届いた心遣いに尊敬の念を抱く。


「分かればいいのよ。さ、行きましょレイジ」

「あ、あぁ」


 ネイシャは宿賃をロズに渡すと、すぐに出口へ向かう。

 少し早足になっている彼女に追いつくため、礼路は小走りで彼女の下へ向かおうとした。


 そんな時だ。


「……お待ちください、レイジ様」


 礼路は後ろからロズの声を聞く。

 礼路が振り返ると、先程の柔和な笑みではなく、真剣な面持ちのロズがまっすぐに彼を見つめていた。


「ネイシャ様がここに来られるのは、おおよそ1年半振りです」

「……」

「それまでのネイシャ様は無理に笑顔を作り、気丈に振る舞っていました。まるで、何かから逃げるように。しかし、昨日久々に会ったあの方は、本当の笑顔を浮かべて貴方の事を話していました。自分がいないと何もできない奴だから、仕方なくついてきてあげたのだと。心底楽しそうに」


 ポツポツと語られるのは、過去の……勇者としての力を得られなかった頃のネイシャの話だった。

 礼路は聞きながら、氷漬けにされていた時のネイシャを思い出す。あの顔が、ロズが知るネイシャの素顔だったのだと。


「ネイシャ様の先程浮かべた表情……きっと何か理由があるのでしょう。そして、貴方はその理由をご存知のはず……そうですね?」

「……はい」

「なら、知ったうえで彼女の隣にいられる、貴方にお願いしたい。どうか、ネイシャ様のことを――」

「分かってますよ、ロズさん」


 ロズが言い終える前に、礼路は迷わずそう言い切った。

 当たり前だと言わんばかりに、満面の笑顔で。


「俺、まだアイツに助けられっぱなしだけど。いつか俺が、アイツのことを助けてやれるようになりますから。だから、安心してください」


 それを聞くと、ロズは安心したように瞳を閉じて、先程と同じ笑みを浮かべる。

 

「……えぇ、安心しました。彼女の事は、貴方にお任せ致します。さぁ、早く行ってあげてください」

「あ、やっべ。それじゃロズさん、また来ますから!」

「えぇ、いつでもお越しください」


 礼路はロズに手を振って、扉の外へと出て行った。

 静かになった部屋の中で、店主ロズは一人呟く。


「……貴方達二人に、聖拳の加護があらんことを」


 聞いた者は誰一人いない。

 しかしロズは満足そうに笑いながら、彼らの行く末に幸あれと祈った。

 

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