第10話 部屋の中でひと悶着
「さぁ、とりあえず食べなさいな」
部屋に入ると、ネイシャは隅にあったテーブルと椅子を中央に寄せ、その上に買ってきたであろう食べ物や水の入ったボトルを置いていく。
買ってきてくれたのはサンドイッチであった。中身はシンプルに肉と野菜みたいである。
「い、いただきます」
礼路は席について、手に取ったサンドイッチを凝視する。
見た目はただのパンにハムっぽい肉、そして色鮮やかなレタスが挟まっているようだが、本当にこれは自分の知る味なのだろうか?
「何ジーッと見てるのよ。味は問題ないわよ、ほら」
不安そうにする礼路を見て、ネイシャは別のサンドイッチを取ると、三角形の角を少しだけ齧って頬張った。
もにゅもにゅと口を動かし、ゴクンと喉を通す。
その動きを見るだけで、礼路は空腹に完全敗北した。
礼路は先程まで怪しいと思っていたサンドイッチを頬張り、咀嚼する。
するとどうだろう、想像以上の味がした。
ハムのジューシーな味と、レタスの爽やかな味がベストマッチし、パンがボリュームを増してくれている。
そして極めつけが中に入っているソース。マヨネーズのようにふんわりとした味の中に、辛子のようなマスタードのような、ピリリと舌を刺激する調味料が混ざっている。
見た目はただのサンドイッチなのに、なぜこんなに美味いのか!
次にボトルから水をコップを注いで飲む。
これまた只の水だというのに、不思議な旨さがある。許されるなら、どれだけでも飲めてしまいそうだ。
口内に残ったサンドイッチの味が、水と共に胃の中へ綺麗に流されていくのを感じ、すごく爽快な気分になる。
「う……美味い!」
異世界の味に感動しながら、礼路は食べて飲んでを繰り返す。
想像以上に腹が減っていたようだ。サンドイッチに伸びる手が一向に止まらない。
「ふふ、お気に召したようね」
そんな礼路を見て、ネイシャはクスリと笑いながらゆっくりと食事を続ける。
なぜだろう、ただ普通に食事をしているだけだというのに、礼路にはその姿がとても上品に感じた。
貴族なのだろうか、あぁそういや元領主の娘だったか。
そんな事を考えながら、置かれたサンドイッチをヒョイヒョイつまんでいく。
「んぐ……そういや、明日はクエストとやらを受けに行くのか?」
「えぇ、レイジと私ならある程度強い魔物でも問題ないでしょうし、中級を選んでいこうと思うわ」
そう言って、ネイシャは手元のグラスを空ける。
ふと、礼路には水を飲み干すネイシャの顔が見えた。水に濡れた唇がなんとも色っぽい。
また妙な雑念が出現した礼路は、熱を帯び始めた頭を覚ますように水をがぶ飲みする。
そしてまた、目の前の食糧へ手を伸ばした。
「……ねぇ、さっき勇者に絡まれたって言ってたけど、変な事されなかった?」
数十分後、見事にテーブルの上にあった食料の大半を平らげ礼路を見ながら、真剣な様子でネイシャが口を開いた。
「うーん特には……いや、そういやよく分からないことがあったな」
「分からないこと?」
礼路はネイシャの質問に問題無かったと答えるつもりだったが、言い終えるギリギリのところで体の自由が効かなかった時を思い出した。
右手で後頭部をポリポリとかきながら、その不思議な体験を話し始める。
「いや、あの黒ずくめの勇者……ウールって名乗ってたんだがよ。ソイツに部屋に連れ込まれそうになった時、抵抗したんだが体が思うように動かなかったんだよな」
「な、何それ!?要は誘拐されそうになったってことじゃない!」
礼路は何気なく話していたつもりであったが、ネイシャは身を乗り出して礼路に迫った。
いきなり迫ってきた顔に驚き、礼路は反射的に背を反らして距離を取る。
「いや、そんな大げさな事じゃないって。アイツも多分しばらくしたら解放してくれたと思うし……」
「アンタなんでそう楽観的なの!?何度も言うけど、レイジは正体知られただけで、世界中の勇者に狙われるのよ?中には手段を択ばない奴だっているのに、どうしてそこまで……」
「ま、待ったネイシャ。あんまり大声で言うと他の客に聞かれちまうって」
そう言われ、ネイシャはハッと我に帰る。顔を歪ませて礼路を睨むが、一言も喋らない。
それから数秒後、ネイシャは小さくため息をつくと、座っていた椅子に戻った。
「……」
「……」
そして二人とも喋らなくなり、沈黙が流れる。
礼路は当の昔に痒くなくなっている後頭部を掻き続け、ネイシャはいつのまにか椅子の上で両足を抱えてだんまり。
気まずい空気の中、礼路は余りにも自覚が無かった自分の言動を後悔していた。
ネイシャのいう事は正しい。
自分は世界中の勇者どころか、全人類に追われていると言っても過言ではない身分だ。
このゆったりとした時間を過ごせるのは、単に正体が知られていないから。
もっと気を遣うべきなのだ、他人だけでなく自分の言動にも。
そう結論をだし、礼路は自然に出てきた謝罪の言葉をネイシャへ伝えた。
「……ごめん、これからは気を付ける」
「……何がかしら?」
ジッと見つめるネイシャに聞かれ、思わず礼路は口ごもる。嘘偽りは許さない、そんな気持ちのこもった目だった。
だが、ここで無言になるわけにはいかない。
慎重に言葉を選び、礼路は口を開く。
「だから、自分が聖拳使いだって……ちゃんと自覚を持って行動するってことだよ」
「具体的には?言うだけなら子供にだってできるわよ?」
「……自分の正体がバレるようなことはしないし、知らない奴とは極力話したり付いて行ったりはしない。もう、ネイシャに心配させるようなことはしない……ように気を付ける」
言い終えて、礼路は再び頭を下げる。
誤魔化しの無い、純粋な謝罪であった。
「……はぁ、分かったならいいわ」
それを悟ったのか、ネイシャは先ほどより大きなため息をついた。
「でも、最後の気を付けるは余分よ」
「ご、ごめん。でも絶対とは言い切れないというか」
「分かってるわよ、ホントにしょうがないんだから」
でも、と。
見えるように指をさして、視線を自分に向けさせるネイシャ。
礼路が前を向くと、そこには天使のような笑みを浮かべる美少女が一人。
「技だけは気をつけなさいよ?誰かに見られたら、まずバレちゃうから」
「……あぁ、分かった」
「ん、分かればいいのよ。さぁ、明日も早いんだから、さっさと寝ましょう」
軽く背伸びをして、ネイシャはゆっくりと立ち上がる。
流石に寝るには早くないか?
礼路はそう思って窓の外を見てみると、すっかり暗くなり月が見えていた。
「うわ、もう夜かよ。サンドイッチに夢中で気付かなかった……」
「そういうこと。さ、早くベッドに入りなさい、火を消すから」
「あーい、おやす……」
礼路は言われたとおり、二つ並んだベッドの片方に潜りこんだ。
するとどうだろう、今までの疲れが一気に出てきたのか、眠気がギュンと迫ってくる。
「スヤァ……!」
ものの数秒で夢の世界へ。
礼路は簡単に意識を落とし、静かな寝息を立てていた。
「……ふふ」
そんな礼路を見て、ネイシャは静かに微笑む。
起こさないように気を付けてベッドまで近づくと、ゆっくり手を伸ばし礼路の頬を撫でた。くすぐったそうに顔をしかめるだけで、全く起きる気配がない。
そんな礼路を見て、彼女はまた笑う。
「はぁ、アンタも災難よね。いきなり知らない世界に飛ばされて、重すぎる使命を背負わされて……」
手を放し、その寝顔を見る。
使命なんて感じさせない、間抜けな寝顔がそこにあった。
「安心しなさい、聖拳……ううん、レイジ」
今度はゆっくりと顔を近づけ、眠る礼路の耳元へ口を寄せる。
辺りには他の音が一切なく、響くのはネイシャの声のみ。
誰の邪魔もなく、彼女だけの時間が過ぎていく。
そして消えかけている蝋燭が、最後の力を振り絞り強く燃え上がろうとした瞬間。
「ずぅっと、一緒にいてあげる。私の体と心、どっちも救ってくれたアンタに、寂しい思いなんてさせないから」
言い聞かせるように、優しく囁いた。
顔を上げてみると、そこには先程と全く変わらない寝顔が。
「……ふふ、おやすみレイジ。願わくば、貴方の行く末に聖拳の加護があらんことを」
燃え上がった蝋燭の火は寿命を迎え、静かに消える。明かりが消え、月の明かりのみになる部屋の中。
ネイシャは再び微笑むと、ローブを脱いでゆっくりベッドの中へ入った。
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