第9話 宿屋と勇者


 礼路は二階へとのぼり、深呼吸して冷静さを取り戻す。

 薄暗い廊下が今の彼にはありがたく、ヒヤリと涼しい空気が心地よかった。


 たっぷり数十秒かけ、礼路はようやく部屋を探し始めた。


「えっと、ここが201か……なら203は二つ隣かな」


 礼路が右を見ると、同じような扉がいくつか続いており、いくつかの扉の上で明かりがついている。おそらくその光が、部屋に人がいるかどうかの印なのだろう。

 他の客もいるんだなぁ、と他愛ない事を考えながら彼は奥へと歩いていく。

 

 そんな時だ。


「やぁ、こんにちは……」

「ん?」


 不意に声を掛けられ、礼路は通り過ぎようとした扉の方を見た。

 扉は開かれており、そこには全身を真っ黒なマントで覆った、礼路より頭一つ分ほど小さい少年が一人。

 少年は半分だけ開いた眼をキラリと輝かせ、礼路に向かって話しかけてきた。


「僕の名前はウール……ウール・リードだ。君の名前は?」

「俺?俺の名前は礼路だけど」


 名前を聞かれ、思わず名前を言ってしまう。

 ウールと名乗った少年は名前を聞くと嬉しそうに微笑み、部屋から少しだけ廊下へ出てきた。

 変なのに絡まれてしまったと思い、礼路は目を泳がせて自室へ行こうとする。


「……まぁ、待ってよ」


 服を掴まれてしまった。

 手を払って強引に逃げる事も出来たが、小動物っぽいウールを見て何故か罪悪感が湧き、礼路にはできなかった。


「な、なんか用スか?用がないなら部屋で休みたいんスけど……」

「つれない事言わないでよレイジ。いやさ、さっき店主と君のやりとりを偶然見てさ……君には素質があると思ったんだ」

「いやドコで見てたんだよお前……ていうか素質ってなんだ?」


 フフフと笑うウールに若干引きながら、礼路は少しだけ会話にのってあげることにした。

 逃げない事を察したのか、ウールは掴んでいた手を放す。

 困惑した表情の礼路を見て、ウールはにこやかに一言。


「レイジ、君には闇の住人になる素質があるんだ!」

「な……に……!?」


 子供のような笑みとは裏腹に、随分物騒なことを言ってきた。

 礼路はネイシャとの会話を思い出し、ウールが魔王の手先かと考える。


 魔王の力は未知数だ。

 どんな能力を持っていて、どんな性格をしているのかも分からない。

 だからこそ、礼路は目の前の少年を見て震える。

 もしかして、魔王は既に自分の存在を感知しており、ダークサイドへ堕とすために使者を遣わしたのか、と。

 

「お前、何モンだ?」

「フフ、教えてあげよう。僕は暗闇の勇者、共に闇の世界を生きる同志を求める影の者さ」

「な、なんだって……!?」


 思っていたのとは少し違うが、危ない人間だということには変わりない。

 色んな勇者が世界にいることは聞いていたが、まさか自ら魔王側に付く勇者もいるとは思わなかった。


「お前、魔王側の勇者なのか?」

「……ん?何言ってるんだレイジ、暗闇とは安らぎさ。見なよ、この部屋を」


 そう言ってウールは後ろを指さす。

 そこには、薄暗い日の明かりを受け、静かに客を迎える部屋があった。

 隅にある机の上には、サンドイッチと開いた本が見える。

 ベッドには散らかされた布団があり、それ以外には何もない。

 ただの簡素な部屋、しかし礼路にとってこの光景は強烈なものであった。


「こ、これは…!」


 途端、礼路は懐かしさを感じる。前の世界の自室に雰囲気がそっくりなのだ。

 余分なモノは存在せず、机にのみ明かりがついた暗い部屋。

 その隅で礼路はひたすらゲームやら読書やらしていたのだ。


 そう、ウールの部屋みたいな感じで。


「どうだいレイジィ……気に入ってもらえたかな?」

「まさか……お前が言っていた闇の住人って……」

「そう、暗い部屋にて静寂を楽しむ者……引き籠りさ」


 ズギャンと胸を撃たれる。

 誰の干渉も受けず、邪魔されず、己のやりたいことを延々と続けられる。

 そんな、自分だけの城。

 なまじ経験があるからこそ、その誘惑は重い。


「一目見た時から感じていたんだ。君は僕と同じものを求めているって……」

「ッ!?素質って、引き籠りになる素質かよ!?」

「その通りさレイジ。僕の予想だと、君は既に経験済み……違うかい?」


 大正解であった。

 まさか異世界で自分の引き籠り歴を暴かれるとは思わなかった。

 完全な死角からの一撃にひるみながら、ウールの洞察眼に戦慄する。


「い、いや……俺にはやるべきことがある。引き籠っているワケには……」

「そんなこと言って……ほら、もう体は受け入れ始めてるよ?」

「ハッ!?」


 ウールに言われて礼路は自分の体を見る。

 そこには、ウールの部屋に入ろうとする情けない右足が。

 最早本能レベルで欲しているというのか。

 

「ま、魔王なんかよりタチが悪い……!」

「ふふ、でも魔王より優しくて、暖かいよレイジィ……」


 やめろテメッ、離せッ。

 そう言いたい礼路であるが、もう否定の言葉すら出てこない。

 完全に負けてしまっていた。


「う……ぐぐ……」

「自分を受け入れなよレイジィ……暗闇は良いぞォ……」


 ウールは自分の勝利を確信したのか、ゆっくりとその手を伸ばす。

 礼路は頭の中で必死にネイシャへ助けを求めるが、残念ながらテレパシーは出来なかった。


「さぁ、これで君も僕の親友……」


 最早これまでか。

 そう覚悟した礼路であったが、ウールの手が彼に届くことは無かった。

突然にゅっと死角から伸びてきた手が、ウールの手を掴み進むのを阻んだのだ。


「こんな所にいたし、ウール!」


 次いで明るい声が聞こえた。

 現れた手の先を見ると、そこには黄色いバンダナを巻いた、半そで短パンの快活そうな褐色少女が一人。

 一体何者かと礼路は思い、ふとウールの方を見ると、ウールは硬直したまま小刻みに震えだしていた。


「あ、アキ……」

「もう、明日のクエスト探す約束だったのに、何してるし!」


 アキと呼ばれた少女はそのままウールの腕を引っ張り引き寄せると、襟を掴んで走り去ってゆく。

 ウールは何か焦った様子で、礼路に手を伸ばしていた。


「た、助けて親友!僕は外なんかに出たくない!」

「ダメだし!ウールはいつも部屋にいるんだから、ウチとクエストに行って日光をちゃんと浴びるし!」

「いやだぁぁ、日光なんて浴びたら健康になっちゃうよぉぉ!」

「お前が健康になるんだし!」


 意味不明な会話をしながら、ウールはアキに引きずられて行く。

 ウールは壁に手を引っかけたりして抵抗していたが、その都度丁寧に手を離され、ゴンゴンと痛そうな音を上げて階段を下りていった。

 礼路はいたたまれない気持ちになりながら、可哀想なモノを見る目でウールを見送った。

 

 ソレと同時に、先程まで動けなかった体が自由に動く事に気付く。

 もしかしたら、暗示か何かを掛けられていたのかもしれない。


「……何してるのよ、アンタ」


 礼路がウールの能力を分析していると、聞きなれた声が響いた。

 聞こえた方を見ると、そこには紙袋を抱えたネイシャが立っている。

 怪訝そうな顔をするネイシャを見て、礼路はハァと息をこぼす。


「いや、よく分からない勇者に絡まれてな」

「……アンタ、まさか正体がバレたんじゃないでしょうね?」

「多分それはない、でも危ない所だった……」

「今更こんなこと言うつもりは無いけど、知らない人間に話しかけられても付いて行っちゃダメよ?」


 言われんでも分かるわい、と言いたかった礼路であるが、実際部屋に連れてかれそうになったので何も言えなかった。

 ぐぬぬと顔を歪め、弁解のしようがない悔しさにヤキモキしてしまう。


「ほら、そんなとこに突っ立ってないで。何号室か案内しなさいよ」


 至極当然のことを言われ、礼路はハッと我に返る。

 そして未だ自分が部屋にすら辿り着いていない事実を思い出す。

 礼路は軽くジャンプして体の自由を確認しながら、取ることが出来た203号室へと小走りで進んで行った。

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