第5話 聖拳伝説ッ
「世にばら撒かれた女神の恩恵、それを手にするは幾万もの勇者達。しかして真の勇者は只一人、その手に最愛たる聖拳を携え魔を払い、輝かしい栄光をもたらすであろう……」
相も変わらず、ネイシャは空を見上げながら独り言のようにそう呟いた。
「……それが、この世界での聖拳なのか?」
「えぇ、そうよ。聖拳とは真の勇者が繋ぐべき手……そして世界に光をもたらし、持ち主である勇者に栄光をもたらすものと言われているの。まぁ、これは聖典の後付けでしかないけど」
「後付けって……まぁいいや。さっきも聞いたけど、その勇者ってのはたくさんいるんだよな?」
「そうよ、それも十人や二十人じゃないわ」
ネイシャはそう言って両手を地面につけると、座りながらズリズリと器用に後ろへ下がり、木にもたれ掛かった。その時にローブの裾が少しめくれてしまい、礼路はそこから露出する足を見て場違いにも顔を赤くする。
しかしネイシャはそんな礼路を見ても裾を直さず、変わらずやる気のなさそうな顔で話を進めた。
「昔はどうだったか知らないけど、勇者は何万人もいるのよ……もしかしたら、もっともっといるかもしれないわ」
「な、なんでまたそんなに勇者がいるんだよ……」
「さぁ?それに関しては女神に直接聞かないと分からないわよ。まぁ、一説じゃ何千年も魔王を倒せない人間を不甲斐なく思って、勇者を量産しまくったって言われてるけど。考えてみれば、本当に迷惑な話しね」
さらっと出てきた不穏な言葉に、礼路は少し身を強張らせる。
「……考えれば当然か。勇者が魔を払うなら、払われる魔も存在すると……」
「えぇ、その通り。魔王は現在もご存命、人間とは延々と争い続けているわ。と言っても基本的には睨み合っているだけで、たまに小競り合いがある程度よ」
彼女は目を閉じ、鬱陶しげに手を振る。もはや小競り合いというワードですら無視できない礼路であったが、それよりも気になることがあった。
「なぁ、そもそもの話なんだが……そんなに勇者がいるんなら、全員で一気に魔王を倒しに行けばいいんじゃないか?」
簡単に言えば、数の暴力。幾万もいる勇者が一致団結して魔王をボッコボコにしてやれば、聖拳なんてなくても倒せるのでは?
そんな疑問が真っ先に浮かんだのである。
「……アンタ、本当におめでたいのね」
的外れなことを言ってしまったのか。目を細めジッとこちらを見つめるネイシャを見て、礼路は自分の失敗を反省した。
「全ての勇者がそう思ったのなら問題ないけど……勇者にだっていろんな人間がいるわ。アンタがさっき見たアレも、一応立派な勇者だけど……アレが魔王を倒しに行くと思う?」
「……思わないな」
礼路は先ほど見た氷の勇者のにやけ面を思い出す。どう考えても世界の為に闘い、人類を救う英雄譚の主役には思えなかった。
「そう、女神の失敗は勇者の力を誰彼構わず振りまきすぎた事。そのせいで人間は勇者の使命じゃなく、勇者の力を重視するようになった」
「力……か……」
「勇者の力は絶大よ。痩せ細った奴隷が、歴戦の騎士を圧倒するくらいには。でもね、おめでたいアンタにも分かるでしょう?強大すぎる力は、人の心を狂わせるわ」
分からないことは無い。
力を持った人間は傲り高ぶる。前の世界で自分を貶めた教師も、言ってしまえば教師としての権力を悪用して幼馴染に迫っていた。
正しい者に渡されなければ、力はきっと腐ってしまう。
「でも、女神は人間を見捨てなかった。勇者が欲望に走ってしまうならば、走らせた上で世界を救わせようと。そこで生まれたのが聖拳……って言われているわ」
「え、そこで出てくるのか?てっきり最初から存在してるのかと思ったんだが……」
「違うわよ。聖拳は一人の勇者を選び、真の力を引き出す存在……と言われているわ。でもまぁ、大体の勇者は栄光の方に目を輝かせているけど」
「栄光?」
また礼路の知らないワードが出てきた。
「栄光って、魔王を倒すってことじゃないのか?」
「……はぁ、当の聖拳様がこんな様子じゃ、栄光の話も怪しいわね。良い?栄光ってのは世界を救った勇者に対して、女神が与える祝福のこと。簡単に言えば、願いを一つ叶えて貰えるの」
「あぁ、そういうことね」
つまりは栄光をエサに、勇者の尻を引っぱたいて世界を救わせると。まるで、馬の眼前に人参をぶら下げて走らせるように。
「ずいぶんとまぁ、人間の事をよく分かってらっしゃるなぁ……」
礼路の中で、女神の存在が一気に俗物的なものに変わった瞬間であった。
「ていうか、そもそもの話なんだがどうして拳なんだ?セイケンって言ったら、剣だろ普通」
「……アンタの普通がどんなものか知らないけど、この世界ではセイケンは拳の事よ」
「いや、いくらなんでも可笑しいだろ。前衛の相棒が前衛って……脳筋も良いとこだろうに……!」
礼路は頭を抱え、話の冒頭から引っかかっていた違和感を吐露する。
勇者が持つセイケン。そう言われたら、礼路の頭の中で真っ先に浮かぶのは、剣の方の聖剣である。礼路が前の世界で読んだ漫画でも、出てくるのは聖剣であった。
加えて、剣の方が設定も練り易いと礼路は考える。
例えば、聖剣とは文字通り聖なる剣であり、選ばれた者にしか鞘から抜けない、という方が分かり易い上に、選ばれた者であるかどうかも判別しやすい。
だが、拳だとどういう見分け方をしたらいいのか分からない。実際、自分がどうやって真の勇者とやらを決めるのか、その方法すら礼路には分からなかった。
もしかしたら、聖拳が勝手に見つけるのかも。そう思うと、礼路は先程まで心強かった聖拳が身勝手な存在に見えた。
「どうせ後から作ったのなら、もっと分かり易い形にしてくれたってよかったのに……」
この世界の常識を根本から全否定する考えが、礼路の中で大きく膨らんでいく。最早、自分が使っていたキャラのジョブが聖拳使いだったなんてことは関係なく、全力で女神にダメ出ししていた。
「まぁ、言いたいことは分かるけど……アンタが聖拳であることは事実だし、諦めなさいよ。それに、勇者にも前衛向きじゃない能力の奴がいるし、勇者以外の奴が前に出るグループだってあるわよ」
「いや……まぁ……認める他ないけど」
そう言って礼路は頭を切り替えると同時に、自分の右手に力を込めた。聖拳となった右手は礼路の意思に反応し、腕に魔法陣を生じさせる。青く輝くソレは、薄暗くなりつつある辺りを照らし、とても幻想的に見えた。
ただ、そんな輝きを見ても、礼路の心は微塵も安らぎはしなかったが。
「そういや、この魔法陣も聖典とやらに載っていたのか?」
「えぇ、全てではないでしょうけど、いくつかは聖典に記されているわ。まぁ、流石にどんな効果かまでは細かく書いてないけど」
「そうだったのか……ん?」
なんとなく聖拳がこの世界でどんな存在なのか分かってきた礼路であったが、ふとある事に気付いた。
「ネイシャってさ、もしかしてその聖典かなり読み込んだりした?」
「……なんでよ?」
「いや、ちょっと見ただけで聖拳の魔法陣だって気付くくらいだから、何度も見たんじゃないかなって……あ」
「……はぁ、まぁそんな時もあったわね。今じゃもう全部無駄になったワケだけど……フフ」
そう言ってネイシャは暗い笑みを浮かべ、再び顔を沈めてしまった。
やってしまったと心の中で絶叫し、礼路は頭を抱えて後悔する。ネイシャを傷つける事になると分かっていたのに、過去を思い出させるような質問をしてしまった。
礼路はチラリとネイシャを見る。表情こそ膝に邪魔され見えないが、ネイシャから強大な負のオーラが見えたような気がした。
「ま、まぁ聖拳がどれだけ凄いかってのは分かった。問題は、これからどうするかだな!」
「……これから?」
礼路は意識して声を大きくし、露骨な話題変更を試みる。少々強引でもいい、再び沈んでしまったネイシャをなんとか元に戻したかったのだ。
そして、そんな彼の努力が功を奏したのか、ネイシャは目が見える程度に顔を上げると、礼路の方をジッと見つめた。
「あぁ、真の勇者を見つけるのが俺の使命なら、どう行動するのが一番かって思ってな。とりあえず、聖拳が現れたって事実を広めるべきなんじゃないかと思うんだが……」
「……アンタ、それだけは止めなさい」
イマイチ打開策が見当たらず、とりあえず浮かんだ方法を言った礼路に対し、ネイシャは否定の言葉を即座に繰り出した。あまりにもハッキリと言われた否定に、また失言してしまったかと動揺する礼路。
だが、ネイシャは先程までの無気力な目ではなく、哀れなモノを見るような目で礼路を見ていた。
「な、なんでだよ」
「さっきの話聞いてた?勇者達は血眼になってアンタを探してるの。もし飢えた獣がたくさんいる檻の中に、上等な肉が転がり込んで来たら……どうなるか分からないかしら?」
「あ……」
至極当然なことを言われ、礼路は情けない声を上げてしまった。
考えてみれば当然のことだ。何万といる勇者たちが、それぞれの思想の下に聖拳を探している。その中には、万人に応援されるような思想を持つ勇者がいれば、万人に拒絶されるような思想を持つ勇者もいるだろう。
そんな十人十色の勇者達が跋扈する世界で、お求めの聖拳がひょっこり出てきたら?
「下手をすれば、人類滅亡の大戦争が起きるかもね」
「あ、あっぶねぇ……思いつきで行動するべきじゃないな……!」
礼路は心底ホッとする。
実際、礼路はネイシャの静止が無ければ、きっと何かしらの方法で自分のことを世界に広めようと考えていた。その結果、どんな事態になるかも考えずに。そんな自分の愚行を止めてくれたネイシャに、礼路は心から感謝した。
「じゃあ、ネイシャはどうすればいいと思う?」
「何がよ?」
「いや、これから俺はどう動くべきか教えて欲しくてさ」
礼路は特に何も気にせず、普通にネイシャに質問した。今までの聖拳に関わる話を聞いた時のように。
「はぁ?私が知るわけないでしょ?なんでそこまで考えてあげる必要があるのよ、馬鹿馬鹿しい……」
「え……」
しかしネイシャから返ってきたのは、びっくりするくらいハッキリとした拒絶であった。
少しは縮まったかと思っていた距離が全然縮まていなかった事を察し、再び礼路の体はピシッと固まる。
もしかしたら、これからの旅にも付いてきてくれるのでは。少しずつでも話をしてくれる彼女に、そんな淡い期待を抱き始めていた礼路にとって、その拒絶はとても重い物だった。
反論の余地もなくただ受け入れるしかない非情を前に、礼路は完全に動けなくなっていた。
「私がアンタに頼まれたのは、この世界の事を教えることだけよ。それ以上のことをするつもりは無いわ。まぁ、聖拳は真の勇者を見つけたら虹色に輝くって聖典に書いてあったから、ソレを頼りに一人で探したら?」
「……」
「あら、何を黙っているのかしらこの男は。別に当然のことでしょう?まさか、勇者でない私に貴方のお守りでも頼むつもりだったのかしら?」
「……」
「……ちょっと、聞いてるの?」
ネイシャは礼路に確認を取ろうとするが、礼路は彼女を見たまま全く反応しない。まるで人形にでもなったかのように、礼路の体は動かなかった。
「え、ちょっと。どうしたのよ?まさか今になって傷が痛むとかじゃ……」
「しょ……」
「しょ?」
少し回復した礼路から出てくる、ひり出したかのような声を繰り返すネイシャに対し、礼路は厳かに一声あげた。
「正直、一緒に来てくれるかと思った……んだけど……」
「……はぁ?」
ネイシャは驚きと呆れをない交ぜにしたような、そんな表情で礼路を見つめる。
一体コイツは何を言っているのか?
頭でもおかしくなったのか?
そんなことを考えていそうな表情を向けられ、礼路は泣きそうになるが必死に我慢する。
「い、いやさ。俺これから何処に行ったらいいかも分からないわけでさ……そんな中でネイシャは唯一頼れる存在だったから……ついそう思って……」
「アンタいい加減にしなさいよ。そうね、折角だから教えてあげるけど、女神の祝福は一つの家族に対して百年に一度しか与えられないの。次、グラス家に祝福が訪れるのは百年後……キールに祝福を取られちゃった私は、もう二度と勇者にはなれないのよ」
「……お前、勇者になりたかったのか?」
「えぇ、そうよ。でもどれだけ願ったって、もうなれないの。分からないでしょうね、勇者になれない私にとって、今更のこのこ出てきたアンタがどれだけ憎いか!欲しても二度と届かないもどかしさが、アンタに分かるの!?」
次第に怒りが出てきたのか、ネイシャの口調が荒くなっていく。
しかし、それでも礼路は止まらず、必死にネイシャを説得しようとする。もう言葉を選んでいる余裕などなくなっていた。
「で、でも!俺はお前を連れていきたい」
「うっさい!もうこれ以上惨めな思いさせないでよ……!」
「め、迷惑なのは百も承知だ。でも、俺はお前がいてくれたら頼もしいし、ありがたい。そ、それに……」
「……」
ネイシャは、ただ礼路を睨み付けていた。
礼路はそんな彼女を見て、ゴクリと唾を呑む。
ここでまた軽はずみな事を言ったら、今度こそ彼女に見捨てられる。いや、最初から見捨てられるようだったが……。
そんなことは頭の片隅に置いて、礼路はなんとか彼女に投げかける言葉を考える。
一緒にいたい。
君がいないとだめだ。
助けて欲しい。
色々な言葉が出てきては消え、また出てきては消えていく。次第に険しくなっていくネイシャの表情を見ながら、礼路の焦りは増していった。
しかしどれだけ経っても答えは出ず、沈黙が続くばかり。
「このまま放っといたら、消えちゃいそうだったから……ほっとけないんだよ」
「ッ……」
結局、たっぷりと数秒かけて出てきたのは、ただの本音であった。
元々、ネイシャをあの氷から出したのは、悲しげな表情をした彼女を助けたいと思ったからである。見返りも考えず、純粋に助けたいと。
そんな彼女がこの森の中に消えていくことを、礼路には見過ごせなかった。
「俺の事を助けて欲しいってのも本音だけどさ。俺はお前を、助けたかったんだ」
今となっては、旅に付いてきてもらうという第二の理由が生まれていた。
しかし、助けたいと思う気持ちは今も変わらない。
故に、出てきた言葉は飾りっ気のない只の本音であった。
「……」
ネイシャは目を見開いたまま礼路を見つめた。何も言わず、睨むわけでもなく、ただ礼路を見つめる。
礼路はそれ以上何も言えず、ただ答えを待つことしか出来なかった。
「…く、クフフ……あははは!」
その後、沈黙はネイシャの笑い声によって破られた。
明るい笑い声をいきなり聞き、礼路は少しドキッとする。
「ど、どうしたんだ?」
「ふふ……いえ、本当に馬鹿らしくってつい……」
「ば、馬鹿らしいって言うなよ。一応、真剣だったんだからさ」
「あら、ごめんなさいね聖拳。別に貶すつもりは無かったのよ?」
そう言うとネイシャは瞳を閉じて、ゆっくりと深呼吸した。
そして意を決したような表情で礼路を見つめると……。
「ねぇ、聖拳」
「……なんだよ」
「アンタに付いていってあげてもいいわよ」
ネイシャは微笑みながら、礼路に向かってそう言った。
「え、今なんて……」
「一緒に探してあげるって言ってるのよ。お馬鹿な聖拳様の相棒をね」
「は……ほ、本当か!?」
彼女の言葉に礼路は歓喜した。
もう9割くらいは失敗だと覚悟していた彼にとって、その言葉は湖を見つけた時の何倍も嬉しかった。
礼路は大声を上げそうになった自分を必死に押し殺し、代わりに両手を握りしめてその喜びを感じていた。
「えぇ、このまま断ってもアンタが私に付いてきそうだし……それに、勇者の選定をする魔女って役割も、悪くないわ」
「魔女って、そこまで変な言い回ししなくてもいいんじゃないか?それに、どうやって真の勇者を決めるのか結局分からないし……」
「あら、魔法を使う女なんだから、間違ってないじゃない。それに、決め方が分からないなら、分かるまで聖拳に色んな勇者を見せていけばいいだけのことよ。明らかに相応しくない奴は、私が排除してあげるから」
「えぇ……そんな方法でいいのか?」
「えぇ、そんなんでいいのよ。変なことを言うわね、アンタ……フフ」
そう言って、ネイシャはまた少しだけ笑った。
ネイシャの笑顔につられ、礼路も笑みをこぼした。。
「……はは」
「あら、私が笑うことがそんなに可笑しいかしら?」
「いやだって、さっきまで本当に消えちまいそうな顔してたし」
「あぁ、まぁそうね。確かに、あのまま森の奥に行って消えるのも良いと思っていたわ」
でも、と。
「アンタの馬鹿さを見てたら、ちょっと楽になったわ……今までのこと」
優しい微笑みを浮かべて、彼女はそう言った。
その綺麗な笑顔に礼路はつい見とれてしまったが、直ぐにハッと自我を取り戻す。
「俺、そんなに変なこと言ったかよ?」
「えぇ、超級のね。家族の事、領民の事、ずっと悔しくって、悲しくって、憎かったけど……開き直っちゃったわ、アンタのせいで」
金色の美しい髪をなびかせ、彼女はふと上を見上げる。
先程のやる気が無い様子ではなく、力強く。
「聖拳、アンタの名前は?」
「……礼路。桜山礼路だ」
「レイジね、よく覚えたわ。レイジ、私を旅の共にしたのだから、覚悟しなさい」
「……」
「例えアンタが世界中から狙われるようになっても、世界の果てまで付いていってやるわ。だから……」
ネイシャは顔を下ろして礼路の顔を見つめ、また微笑む。
射し込む木漏れ日が彼女を照らし、その美しい笑顔を優しく照らした。
「私の手を、決して見失うんじゃないわよ」
「……あぁ、分かったよネイシャ。約束する」
そう言葉を交わし、二人は差し出された手を握り合った。
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