第4話 助けた後に


 氷の勇者は情けない声を上げ、数メートル先まで吹っ飛んでいった。

 轟音と共に飛んでいたソレは、最後には木にぶち当たって止まったようだった。その木ですらもミシミシと音を立て、今にも倒れてしまいそうであったが。


「ぎ……な……んで……僕……は……ゆう……しゃ……」

「……テメェだけには従わねぇよ、この野郎」


 礼路はそう言い捨て、キールの目の前まで近寄る。キールは数秒ぱくぱくと口を動かしていたが、すぐ意識を失ってしまった。

 その様子を見届けた礼路は、未だ目を覚まさない少女の下へ歩いて行く。礼路が見ると、彼女の痛々しい傷は変わらないが、先程より呼吸は安定してるようだ。


「……まずは、此処から離れないとな。アイツが目を覚ましたら厄介だし」


 礼路はネイシャを抱きかかえると、今一度キールを見て気絶したままであることを確認すると、深い茂みの中へ入って行った。




「……そういや、技を発動したわけでもないのに、なんであんな威力が……?」


 移動しながら、礼路は先ほどの戦闘を思い出していた。

 あの時、礼路は自分から何かを発動した覚えは無い。というより、怒りのあまり技の発動を忘れていた。


 そのため腕に異常はなく、魔法陣の類も無かった筈だと思い出す。ならば、常人ではありえないあのパンチは、一体なんだったのか?


「……やっぱり、体も別物になったと思うべきなのか?湖に映っていたのは間違いなく俺の顔だったんだが……」


 もしかしたら、自分と瓜二つの聖拳使いに憑依してしまったのか?

 だとしたら、前の世界の自分は死んだことになっているのか?

 そう考えるのなら、元在った聖拳使いの意識はどこにいったのか?

 まさか、まだこの体の中にいるのではないか?

 そんな疑問を抱き、礼路の中で言い様のない不安が生まれてくる。


「いかんいかん、あるかどうかも分からんのに変な不安を持つな、俺」


 そう言って、礼路は頭をブンブンと振って不安を掻き消した。

 今悩むことはそんな事ではない。自分が聖拳使いとして生を受けたのなら、聖拳使いとして出来ることをするだけだ。

 そう思い、地面を強く踏み、少しだけ早めに歩く。


「そのためには、まずは人命救助だな」


 そうして歩き続けていたら、礼路は先ほどの場所よりは小さいが、休むには丁度いいスペースに出た。

 小鳥がいるのだろうか、木漏れ日の射しこむ天然の屋根からは、小さな原住民の声がした。逆に言えばそれ以外は何も聞こえなかった。獣の鳴き声も、野党の喧騒もなく、礼路が不安に思う要素は何もない。

 そう判断した途端、礼路は平らな場所にネイシャを置くと、その場に座り込んだ。


「あ゛ー……疲れたー……」


 礼路は四肢を脱力させ、ゆっくりと深呼吸する。


「……」


 静かで穏やかな空間の中、ふと目を閉じる。このまましばらくしていれば、そのまま爆睡してしまいそうだ。現に、彼の意識の半分以上は微睡に沈みかけていた。


「……う」

「ッ!」


 しかし、横から聞こえたネイシャの声に意識が微睡から引っ張り出される。

 礼路がネイシャを見ると、苦しそうな表情をして胸元を掴んでいた。


「ど、どうした?何処か傷むのか?」

「く……るし……」

「苦しいのか?胸の所か?」


 礼路は反射的にネイシャの衣服を脱がそうとしたが、ふと手を止めてしまった。状況が状況とはいえ、男である自分が女の服を脱がすのはどうなのだろうか?


「……」


 意識しまうと躊躇してしまう。

 よく見るとこのネイシャという少女、かなりの美少女である。細やかな装飾がされたローブからのぞかせる手は雪のように白く、沁み一つない。仰向けになったことで強調されている胸もそれなりに大きく、女性らしい魅力を際立たせている。


「雑念、排除ッ……!」


 礼路はしかめっ面になり、目を閉じて内なる欲望を封印する。

 こんな所で興奮してどうする、自分が行うのは人命救助だろう!?そう何度も心の中で叫び、再び少女を括目。


「何やってんのよ」

「オオァッ!?」


 目が合った。

 少々つり眼な瞳が、礼路を睨んでいる。礼路が悶々としている間に目を覚ましたようだった。

 途端、礼路はズザザッと後ろに下がり、不自然に震える心臓を抑えた。


「し、心臓がブルってなった……」

「何ワケ分からない事言ってるのよ。いいから、アンタの足元に生えてる草を取ってきなさい」

「え、草……?」


 礼路が足元を見ると、そこには鮮やかな青い色をした、見たことも無い草が生えていた。


「この青いやつのことか?」

「そうよ、それを握りつぶして持ってきて」


 礼路はその草をちぎると、少女の言った通りに握りつぶしてネイシャに渡した。

 ネイシャは気だるげな表情でそれを受け取ると、ローブの中から包帯のような白くて柔らかそうな布を取り出して草ごと傷ついた部分に巻きつけていった。


「それ、回復草みたいなものなのか?」

「えぇ、この程度の傷なら、ヒール草で多少は良くなります。というか、貴方はそんなことも知らないの?天下の聖拳様が」

「め、面目ない……あれ、なんでお前俺が聖拳使いだって……」

「キール……アンタが相手をしたあのバカの氷はね、閉じ込めた相手の意識もそのままの状態で保存するのよ。だから、アンタが聖拳の魔法陣を出していた所もバッチリと見てたってワケ」

「あぁ……俺も一回喰らったから分かるよ」

「へぇ、自力で出てきたってこと?流石聖拳様ね」


 ネイシャは忌々しそうに腕の傷を見ながら、さらに包帯を巻きつけていく。

 随分手馴れているようだ。これなら手助けは必要ないか、と礼路は思う。


「……アイツお喋りだから、大体の事は聞いたのでしょ?私のこととか、色々と」

「あぁ、大体は分かってるつもりだよ……ネイシャ」


 自分の名前を呼ばれ、ネイシャはジロリと礼路を見たが、また傷に視線を戻す。そして鬱憤を吐き出すかのように、ネイシャからため息が漏れた。


「はぁ……アイツ名前まで……ホントどうしようもない馬鹿兄貴なんだから」

「……お前、アイツに一年間も氷漬けにされてたんだよな」

「えぇ、そうよ。アンタが来なければ、きっと永遠にね。お笑いよ、民のため領地のためって頑張ってきたってのに、勇者じゃなければ冷たいゴミ箱にポイなんですもの。まぁ、所詮私なんて使い捨ての戦力でしかなかったってことね」


 包帯を巻き終えた彼女は、膝を抱えて独り言のように呟いていく。その姿は、路地裏に捨てられた子犬よりも惨めで、哀れであった。


「……何しみったれた表情してるのよ。別にアンタに同情してもらうつもりは無いわ。私はどうせ勇者じゃないんだし……」


 そう言われて、礼路は自分がどんな顔でネイシャを見ていたか自覚した。捨て犬でも見てるような顔をしていたのだろうか。

 そう考え、礼路は自分で自分が失礼に思えた。


「……すまん」

「謝ってもらうつもりもないわよ、アンタは私のような負け犬じゃなくて、世界のために真の勇者に構ってあげなさい」


 突き放すかのような話し方に、礼路は胸がズキリと傷む。

 きっと、氷漬けにされる彼女は誇り高い人物だったのだろう。守るべきもののため、自分のしたい事もせずにひたすら戦い続けて、最後には守っていたモノに裏切られた。

 その絶望がどれほどのモノだったのか、礼路には分からない。同情することすら無礼なのだろう、そう彼は判断した。


「……」

「……」


 ひとしきり話した後、ネイシャは何も言わなくなった。膝を抱えたまま顔を沈ませ、暗い瞳のまま何処も見ていない様子だ。

 礼路はそんな彼女を見て、何か話しをしようと必死に考える。このまま暗い気持ちのままにさせては、きっと彼女は取り返しのつかないことになる。礼路は思考を巡らせ、沈みかけている彼女をなんとかして引き留めようとした。


「……そ、そういえばさ。聞きたいことがあるんだけど」

「……何よ」


 礼路に話しかけられ、ネイシャはゆっくりと顔を上げる。ゾッとする程キレイな瞳には光が無く、無表情が重なって礼路には彼女が人形のように見えた。


「ネイシャ、さっき真の勇者に構えって言ってたけど……もしかして、勇者は一人じゃないのか?」

「何言ってるの? 勇者なんてこの世に何万人といるじゃない。 女神から恩恵を受けとりさえすれば、もうその場で勇者よ」


 ネイシャは何もない空間を見ながら、気だるげな口調で説明する。対する礼路は、自分の認識がどこかおかしいと思うと同時に、彼女の意識を少しこちらに向けることに成功したと内心喜んでいた。


「なんていうかさ……俺、この世界に来たのはついさっきで……右も左も分からない状況なんだよな……よければさ、この世界の事教えてくれないか?」

「はぁ?なんで私が……ていうか、アンタさらっととんでもない事言ったわね……。伝説の聖拳が別世界から来たなんて……そもそも異世界ってなんなのよ……あぁもう、面倒ったらない」

「まぁそう言わずさ。良いじゃないか、ここにはお前しかいないんだし。さっきのクソ勇者と一緒に行くのは死んでもごめんだしさ」

「……はぁ、あのまま消えると思ってたのに、こんな厄介ごとに巻き込まれるなんて……ツいてないわ、何もかも。……分かったわよ、助けてくれたお礼に、色々と話してあげましょう」

「おぉ!ゴメン、本当に助かる!」


 力なくではあるが、確かに彼女は自分の頼みを受けてくれた。先程まで拒絶しかせず、何も聞こうとしなかったネイシャが。その事実がたまらなく嬉しく、礼路はネイシャに隠れて右手をグッと握りしめた。


「と言っても……何から話すべきかしらねぇ……」


 体勢を変えずに頭だけだらしなく上に向けながら、ネイシャはボーっと空を見上げる。そんな彼女を、礼路はジッと見つめる。やる気はなさそうだが、自分のために考えてくれるあたり、根はやはり優しい少女なのだと礼路は思った。


「で、できれば聖拳がどういう存在なのかあたりから……」

「……本当に何も知らないのね。まぁいいわ、じゃあ一から教えてあげようじゃない」


 そう言って彼女はまた大きなため息をつくと、礼路の知りたかった聖拳伝説を話し始めた。

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