第3話 氷の勇者


「いや、お前こそ何してんだ?」


 反射的にそう答えてしまった。

 銀髪の男は礼路よりも背が高く、歳も上に見える。そんな男からは、明らかな敵意が感じられた。


「……ふん、突然大きな音が響いたと聞いてここまで来たが……お前が自由になっているのはこの男のおかげか。俺には敵わないと思って、逃がしたのか?」

「関係ない……でしょ……」


 対する少女は息絶え絶えの様子だ。体中に氷が張り付いており、ガタガタと体を震わせながら必死に上体を起こして此方を見ている。


「その子は、お前がやったのか?」

「……だとしたら、どうする?」


 男は何かを悟ったのか、ニヤニヤしながら礼路を挑発してきた。その余裕そうな顔が、礼路にはとても腹立たしい。

 礼路は殴り飛ばしたくなる衝動を抑えながら、先ず自分がすべきことを考え、少女の方へ走って行った。


「あん……た……」


 近くで見ると、思っていた以上に少女が酷い状態であることが分かった。先程見えたいくつもの氷に加え、何度か斬られたような傷。頬には殴られたような痛々しい青痣があり、口元から血がにじみ出ていた。


「……俺を突き放したのは、アイツに会わせないためか?」

「……はん、そんなワケ……ないでしょ……単に……アンタが……気持ち……わる……」

「もういい、喋らないで寝てろ。あとは俺が何とかする」


 礼路は少女の言葉を遮り、彼女の手を握る。その手は死んだかのように冷たく、震えすら今にも止まりそうなほどか細かった。


「なに……言ってんのよ……アンタが……あいつに敵うワケ……ない……」

「安心しろ、大丈夫だからよ……震衣しんい


 呟いたと同時、右腕から出てきた魔方陣が彼女の体に張り付き、微小な振動を発動させる。その振動は彼女に張り付いていた氷を砕き、彼女へ熱を戻していった。


「あ、アンタ……やっぱり……せい……け……」


 少女は何か言おうとしたがそのまま意識を落とした。礼路は死んでしまったのかと思って焦ったが、どうやら息はあるようだ。

 それを確認した後、礼路は彼女の手をゆっくりと地面に置いて、目の前の男を睨み付けた。


「……」


 礼路は男がこちらを見て同じにやけ面を晒していると思っていたが、どうも様子がおかしい。何もしゃべらず、目を見開いて礼路のことをジッと見ている。まるで信じられないようなものでも見ているかのようだった。

 そういえば、少女が眠るまでの間もあの男は何もしなかった、と礼路は考える。


「おいおいおい、マジかよ」

「……何がだ?」


 何か不気味な雰囲気を感じ、礼路は戦闘態勢に入ろうとした。


「お前、聖拳か?」


 しかし、男から出てきた言葉は意外なモノであった。


「……はぁ?」


 この世界の住人がなぜその言葉を知っているのか、そんな疑問が礼路の中で大きくなる。


「何者なんだ、アンタ。なんで聖拳使いの事を知ってんだ?」

「ハハ、見てすぐには分からないか?まぁいいさ、今の僕は特に気分が良い。多少の無礼は許してやるよ」


 男は喜びを隠すこともなく、先程と同じにやけ面を見せてくる。


「分からないのなら教えてやる、僕こそがお前の手を握るべき勇者、キール・グラスだ!」


 両腕を広げ、満面の笑みを浮かべてそう言った。

 礼路はしっかり聞いていたのだが、その意味が分からなかった。勇者という単語がいきなり出てきても彼には意味分からない。そもそも自分の手を握るとはどういう意味なのか、と礼路は考える。礼路に男性と手をつなぐ趣味は無い。


「勇者って言われても良く分からんのだが」

「……お前、僕を馬鹿にしているのか?お前が先程右手から出した魔法陣、アレは確かに聖典に描かれた聖拳のモノだった。誤魔化しは通用せんぞ!」


 そう言ってキールと名乗った男は喜びから怒りへと表情を一変させる。だがすぐに深呼吸して、自分の怒りを抑えていた。

 情緒不安定なヤツ、礼路はキールを前にそんなことを思う。


「まぁいい、どれだけ誤魔化そうがお前が聖拳であるのは明らか。ならばお前が僕に服従するのは当たり前のことだ」


 今度は穏やかじゃない言葉が飛んできた。

 顔をしかめ、礼路はその言葉の意味を探ろうとする。

 

「……キールって言ったか、アンタいきなり会った人間に服従とか本気で言ってるのか?」

「ふん、お前こそ何を言っている?聖拳は勇者のために光り輝き、栄光に導く存在……服従と言って問題ないだろう?」

「いや、お前に服従するつもりなんてないし、そもそもあの子をあんな目に合わせる奴に従うワケないだろ?」


 礼路は、この世界の勇者という存在がどんなものか分からない。ゲームの中で勇者なんてジョブ存在しなかった上に、ストーリーやNPCで登場することも無かった筈だ。

 つまり、この世界は礼路の知るゲームの世界ではないことが明らかになったのだが、そんな事より彼はあの少女の事が気になっていた。

 

「なんだ?お前アイツが気に入ったのか?良いだろう、お前が望むならそんな女くれてやろう。召使いにでもするがいいさ」

「……お前自分がどれだけ酷いこと言ってるか分かるか?ていうか、あの子はお前のなんなんだ?」

「なんと言おうと問題無かろう、何せあの女は僕の妹なのだからな」


 礼路の予想の斜め上をいく答えが返ってきた。


「あの子が……お前の妹?」

「あぁそうだ。名前はネイシャ・グラス、俺の二つ下の妹だ」

「妹だって言うなら……なんであの子を痛めつけてた?氷漬けにしたのも、アンタだろ?」


 礼路は自分の中で、再びふつふつと湧きあがってきた怒りを抑える。あの子に原因があるとは思えないが、せざるを得ない理由があるのならまだ情状酌量の余地がある。

 そう考えた上での我慢だった。


「理由?簡単なことだ、気に食わなかったからだよ、その女が!」

「……は?」


 だが、そんな礼路の我慢を鼻で笑うかのように、キールは身勝手この上ないことを話し出した。礼路は目を細め、まるで汚物を見るかのような視線を男に送る。

 しかしキールは全くひるまず、その醜い笑みをさらに深めた。


「ずっと気に食わなかったんだよ、いつもいつもヘラヘラ笑って父上や民の信頼を得ていた妹がな!ちょっと魔法が優秀だから皆妹ばかり見やがって、誰も俺のことを見やしない。だからいつか痛い目に合わせてやろうと思っていたんだよ!」

「お前……」

「皆アイツが勇者になると思ってたみたいだが、神様は俺のことを気に入ったみたいだな。勇者の力は妹じゃなく僕の体に宿った!」


 礼路が睨み付けても話を止めない。キールは聞くに堪えない戯言を、延々と叫び続けている。


「それからは爽快だった。皆俺のことを勇者様なんて言って持て囃して、誰も妹の事を見なくなった。最初は憐れんでいた奴らも、直ぐに僕の方へ来たのさ!」


 自分に酔ってやがる、英雄譚でも言ってるつもりなのかコイツは?

 礼路はそんなことを考えていたが、次の瞬間キールはまた様子を一変させ、今度は顔を酷く歪ませて地団太を踏み始めた。


「だが……アイツは態度を変えなかった!褒められなくなってもアイツは皆の為に魔物を倒し続けて、媚を売っていた!悔しがりもしないで、変わらずヘラヘラしてやがったんだ!」

「お前……ちょっと黙れ……」

「だから凍らせてやったんだよ!一年前、誰も来ない此処におびき寄せて、奴の武器を凍らせた後で足からゆっくりとな!凍らせながら言ってやったよ、お前がこんな目に合うのは民がソレを望んだからだってな。お前は信じてた奴らに裏切られて、誰にも見られず生涯を終えるんだってなぁッ!」

「……成程、よく分かった」


 そう言って、礼路は拳を構えた。彼の中で、もう目の前の男のふざけた言い訳を聞いてやるつもりはなかった。


「あぁ?何のつもりだ聖拳?」

「見て分からないのか?今から俺はお前を殴るんだよ、勇者キール・グラス」

「……なんだ、真の勇者であるこの僕に逆らうのか?」


 相変わらずにやけ面を晒している、何処までも人を舐めきってるような顔。その顔は礼路の中にある怒りのボルテージを、易々と最大にまで高めた。


 そして次の瞬間、彼の中で一本の糸が切れた。


「そう……言ってんだよッ!クソ勇者ッ!!」


 叫んだと同時に踏み込む。全力でキールの下まで駆け、そのムカつく顔をぶん殴ろうとした。

 対して、今から殴られるというのにキールの顔はにやけ面のまま変わらない。


「……アイス・ブロック」


 キールがそう呟いた瞬間、礼路の足がガクッと止まった。

 彼が足元を見ると、膝辺りまで凍ってしまっている。


「……テメェ」

「ふん、従わないなら捕まえるまでだ。何、殺しはしない。服従するというまで氷の中から出さないだけだ」


 キールというこの男、興奮しているようで頭は冷静だった。礼路が従わなかった場合の処置も、ちゃんと考えていたワケである。

 ベキベキと音を上げ、氷は瞬く間に礼路の肩まで昇ってくるとそのまま全身を包み込んでしまった。


「……」


 氷の中、礼路の意識はある。目の前の景色も確認できる。しかしどこも動かせない。

 冷たさは感じないが、逆を言えば何も感じられない。


 全く体が動かない中、礼路はあの傷ついた少女を思い出していた。

 こんな状態で、あの子はずっと一人ぼっちでいたのか。

 一人ぼっちで寂しく、誰も助けてくれないこの場所で。


 そう思うと同時に、礼路の右腕から熱い何かが込み上げてくる。聖拳となった右腕が、主である礼路の怒りに反応しているかのように。


「意識はあるようだが、聞こえるか聖拳?」


 礼路が右腕の熱を感じていると、キールが目の前まで近づき話しかけてきた。相も変らぬにやけ面で。


「今から人を連れてくる、お前を運ぶためにな。あぁそうだ、さっき僕のことをクソ勇者だなんて言ってくれたけど、それは酷い言い草だぞ?僕ほど勇者らしい男はいないぞ。なんたって、僕は民の意思に従って妹を凍らせたんだからな」

「……」

「ヤツを凍らせるという決断を下したのは父上であり、民の長だ。不必要になったアイツを疎ましく思うようになった連中のな。僕はただ実行しただけ……まぁ、ついうっかり口が滑って、そのことをアイツに喋ってしまったがな」

「……」

「どうだ、すばらしいだろう?だが当然のことだ。民意に応えてこそ、真の勇者だからな」

「……」


 その瞬間、再び礼路の中で何かがはじけ飛んだ。


 震撃。

 そう腕に命じた途端に右腕は強烈な振動を発し、周りの氷を砕きだした。数秒も耐え切れず氷は砕かれ、礼路の体は自由となる。

 そして驚愕に顔を染めるキールを睨み付け、再び拳を構えた。


「なッ……なんで……!?」

「……俺はこの世界の常識なんて分からない」


 拳を強く握りしめる。

 彼の意思は既に固まっていた。どれだけ凄惨な結果になろうとも、目の前の外道を全力でぶっ飛ばすと。


「勇者なんて分からないし、どんな行動が正解かも分からない…だがッ!」

「ひぃッ!?」

「誰を助けて、誰を倒すべきかくらいは分かってる!」


 礼路は右腕を大きく振りかぶり、両腕で弱弱しくガードする顔面へとその拳を叩き込んだ。


「ブ、ぎ……ギャァァッ!?」

「二度とそのツラ見せんな外道勇者、テメェに聖拳は輝かねぇッ!!」


 目の前を飛んでいく氷の勇者を睨み付け、礼路は鬼の如き表情で高らかに吠えた。

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