第2話 氷漬けの少女


 湖に喜んでいると、目の前に氷漬けの女の子がいました。


「いや、流石にありえないだろ……」


 いくつかの摩訶不思議を短時間で体験した礼路であったが、それら全てを上回る異様な光景を前に、つい声が震える。


 氷漬けの少女。

 髪の毛は肩まで伸ばしている、色は金。礼路より少し年下に見えるその子は、魔女っぽい恰好をしていた。暗い紺色のローブを身に纏っており、足の先まで隠れている。


「……」


 礼路にとって、外見的な特徴はそれだけで十分であった。

 彼も思春期な少年である。女性の体に興味がないワケではないが、それ以上に気になるところがあった。


「…こいつ、なんて顔してんだ」


 目の前の少女は、何かに絶望したような暗く沈みきった表情をしていた。膝から崩れ落ちるような姿勢のまま両腕をだらりと下げ、目の前の何かを見つめながら凍らされたのだろう。

 そう考える礼路の方も深く沈んでしまいそうな、そんな顔だった。


 「……」


 ふと、礼路はコイツをここから出せないかと思った。

 当然のことだが、彼は少女がどんな人間なのか分からない。善人なのか悪人なのか、そもそも人間なのか。もしかしたら、百人以上の人間を殺した大罪人なのかもしれない。

 ここは異世界なのだ、どんなことがあっても不思議ではない。その考えが、頭の中で無限の「かもしれない」を想像させる。


 しかし…だ。


「こんな顔する奴が、悪人なワケあるかよ……」


 目を細め、少女に言い聞かせるように思ったことを呟く。何の根拠もないのに、礼路は不思議とそう確信できた。

 

 礼路は静かに息を整えると、腕に力を込める。途端、腕は彼の意思に呼応するかのように光り始め、先程の豪拳発動時と同じ魔法陣を形成した。

 その時に、礼路は魔法陣の出来上がるスピードが、明らかに違っていることに気付き、出来上がった魔法陣を凝視する。


「……たった一回でここまで違うのか?」


 いや、きっと自分が中途半端な意思で発動させたからだろう、と礼路は判断した。

 ゲームではジョブの一つであった聖拳使い。その説明欄に、『聖拳は主の想いに応え、その力を解放する』と書いてあったことを礼路は思い出した。


「だからさっきは発動が遅かったのかな……まるで生き物みたいだ。もう準備完了だし」


 聖拳は込められた一撃が放たれるのを、今か今かと待ち焦がれているように見えた。それを確認した後、礼路は目の前の少女を今一度見つめる。解放させようという意思に反応してか、右腕もさらに光を集めていく。


「おし、いくぞ!ごうけ――」


 大きく振りかぶって前方の氷へ拳を振るった。拳からは触れるモノ全てを薙ぎ払う強烈な衝撃波が生じ、標的となった全てを破壊せんとその勢いをさらに強くさせる。


 だが次の瞬間、礼路は背筋が凍るほどの恐ろしい光景を思い浮かべてしまった。


「おいちょっと待てぇッ!!」


 大声で叫び、荒れ狂う拳を止めようとする。礼路は自分の腕に急ブレーキをかけると、拳はギリギリ氷の目の前で止まった。

 次いで、いきなり止められたことが不服であるかのように、拳は溢れ出てくる衝撃波を辺りに撒き散らす。

 その衝撃波は周りの木々を数本倒した後に、辺りへ霧散していった。


「……これ、彼女ごと砕けたりしないよな?」


 辺りの凄惨な光景をワザと見ないようにして、礼路は自分の手を見ながらそう呟く。

 礼路が拳を止めた理由はこれであった。何かしら細工が無ければ、氷を砕くことは容易であろう。

 だがしかし、中にいる少女はどうなるのか?


「傷一つ付かないのなら問題ないけど……もし一緒に砕けたりしたら……!」


 そんな最悪の結果を想像してしまったのだった。

 バクバクと五月蠅い心臓を落ち着かせるため、とりあえず深呼吸をする。彼は先程まで頭の中にある不安を押し殺し、別の解決方法が無いか今一度考えた。


「中身を傷つけずに……外壁だけ……そうだッ!」


 数秒後、案外簡単に礼路の中で答えが出た。まぁ、豪拳を叩きつけるのとあまり変わりはしないが。


「豪拳じゃだめなら、他ので良いだろ!」


 そう言って礼路は立ち上がると、作戦が成功することを祈るように右手をギュッと握った。


「……出てこい」


 礼路がゆっくりと拳を開きながらそう呟くと、手の平の上に豪拳の時とは違う魔法陣が現れた。


「すげぇ……本当に使いこなせてるよ俺。よし、技自体は発動できるみたいだな」


 先程はいきなり出来るようになった技が怖くて仕方なかったが、こうして制御できると分かると嬉しくなってくる。気分は本物の聖拳使いであった。

 礼路は勢いのままゆっくりと氷に手の平を当て、今一度少女を見つめた。


「今解放してやるからな……震撃しんげきッ!」


 礼路がその技名を叫んだと同時に、右手を中心に強烈な振動が発生した。バリバリと音を立て、氷が少しずつ崩れていく。その時礼路は見ていなかったが、氷と自分の足元にもその振動は伝わり、大きな地震を発生させていた。木々はソレに呼応するように大きく揺れ、湖は荒波を上げている。


 「……?」


 そこで礼路は違和感を覚えた。

 不思議なことに、自分には振動が全く来ない。手の平の魔法陣が助けてくれているのか、強く発光するソレを見ながらそう考える。

 どういう原理なのかは分からない、というより自分では全く理解できない法則なのだろう。そう思ったうえで、彼はニヤリと笑う。理解不能な摩訶不思議が、今の彼にとっては頼もしい事この上なかったのだ。


 そして技を発動させて数分後、その時は訪れた。


「ッ!?割れる!」


 天辺から底まで大きなヒビが入った瞬間、氷は力尽きたかのように砕け散っていった。そして中にいた少女が、無傷の状態でその場に倒れそうになる。

 無傷であることに安心しながら、礼路は少女に寄っていきその体を受け止めた。


「おい、しっかりしろ!大丈夫か!?」


 体をゆすり少女の意識を戻そうとする。これで既に死んでしまっていたらどうしようもない、氷を砕く前とは違う恐れを抱きながら必死に少女を揺する。


「……うる……さいッ…」

「ッ!良かった、アンタ目が覚めて……!」


 暫く体を揺すっていると、目の前の少女は簡単に目を覚ました。

 彼女は礼路を一瞥すると、興味がないと言わんばかりにソッポを向き、一人で立ち上がる。


「おい、アンタ大丈夫なのか?」

「はん、お生憎様。私はこの程度で死んだりしません。体も問題ないわ」

「そ、そうか……そりゃよかったが……」


 思ったよりキツイ口調であった。

 少女の言葉に若干ひるんだ礼路であったが、それでも少女の無事だと分かってホッとした。


 そして起きた彼女を今一度見る。気だるげな表情をした彼女は目を細めながら辺りを睨み続けている。その様子は、敵がいないかを確認しているようであった。


「なぁ、アンタ何をそんな警戒してるんだ?」

「……アンタには関係ないでしょ。それより、さっさとこの場所から消えなさい」


 その言葉を聞いて、流石に礼路は少しイラついてしまった。心配して話しかけたってのに、なぜこんなにも辛辣な態度を取られるのか。

 礼路は不機嫌な表情になりながら少女を見続けていると、彼女は一つの方向を睨みつけて、何かを確信したかのように歩きだした。


「……おいアンタ、流石にその態度は無いんじゃないのか?」


 礼路はついそんなことを言ってしまった。別に見返りを求めての行動ではない。あの悲しげな表情をしていた理由も聞く気はない。

 しかし、それでも礼路は彼女の態度が気に食わなかった。


「ふん、だから?アンタにどう思われようが私には関係ないわ。良いから、さっさとここから離れなさい」

「ッ……あぁそうかよ、だったら消えてやるよ!」


 遂に礼路は耐え切れなくなって、勢いよく立ち上がる。礼路はもう構うものかと少女を視線から外し、彼女が進もうとした先とは真逆の方向へと歩き始めた。


「……」


 対する少女は何も言い返さない。彼女は消えていく礼路を寂しげに見つめた後、前を向いてその足を進めていった。






「……あ、そういや初めて会った人だったじゃん」


 歩いて数分後、礼路はふと立ち止まってそう呟いた。

 先程までそんなこと全く考えていなかったが、少し落ち着いて考えてみれば少女はこの世界で会った初めての人間だった。本来ならば、嫌がる彼女にしがみついてでも助けを求めるべきだったのでは……。そう思い、ガクッと肩を落とした。


「せめて人のいる場所にでも連れて行ってくれれば、何かしら状況を打開できたのに……」


 礼路はそう言って、ダラリと首を下げる。近くにあった石に座ると、再びため息をついた。


「まぁ別に、助ける前は何も考えてなかったワケだし……そもそもアイツ一人でも助かったかもしれんし……最初に戻っただけじゃん……」


 そしてまたため息をつく。

 口では強がりを言っている彼であるが、その精神的なダメージはかなり大きい。何もなかった最初と、あったのに失ってしまった今では心労が比べ物にならなかったのだ。

 礼路は重くなった足を見ながら、自分が思っている以上に疲れてしまっていることを自覚した。


「これからどうしようか……」


 ゴールも行先も分からず、乾いた笑みがこぼれる。

 あの少女はどこに行ったのだろうか?

 こっそりと後ろから着いていくべきだったか?

 今からでも間に合うだろうか?

 そんな考えがいくつも浮かぶ自分が嫌になり、近くの木を殴りつけた。


「はぁ、あんな別れ方したってのに、どんだけ女々しいんだ俺……」


 そう言ってさらに落ち込んでしまう。


 そんな時、アニメか何かでしか聞いたことが無い、ビキビキと何かが凍りついていくような、そんな奇妙な音が礼路の耳に届いた。


「…なんだ?もしかして、さっきの子か?」


 礼路はゆっくりと垂らしていた顔を上げて、音がした方を見る。その方向からは、先ほど聞いた音が何度も響いてきた。


「……」


 立ち上がったが、その場で止まってしまう。


「今更、また会ったとして何があるってんだ……?」


 再びあの少女に会えたとして、また拒絶されるだけではないのか?

 ただの無駄足ではないか?

 そんな考えが礼路の中で渦巻いていく。


「あぁクソ、めんどくさい!うぅおらァッ!」


 低く唸った後に大声を上げて、座っていた石を殴る。じぃんと伝わる痛みが、今の礼路には妙に心地よかった。

 そして進んできた道を戻る。


「拒絶されたらその時だ、しがみついてでも助けて貰えばいい!」


 そう言って礼路は完全に開き直った。気分が明るくなると、全力で走り始める。


「とりあえずもう一回会おう、会って道案内だけでもしてもらう。最悪人がいる方向だけでも教えて貰えばそれでよし!」


 ずんずんと歩を進めながらそう叫んだ。呆れるほどに他力本願な考えであるが、現状それ以外の打開策が無いのだから仕方ない。


「オラァ着いたァッ! さっきの女どこだァ!?」


 彼は湖があった所に着くと、少女がいないか探す。

 辺りを見回すと、先程少女が氷漬けにされていた場所と同じ位置に彼女はいた。

 だが様子がおかしい。


「ッ!?アンタ、何で戻ってきたの!?」

「…誰だ貴様?」


 少女はその場に倒れ伏していて、再び現れた礼路を見て驚いている。見ると、体の数か所が凍りついてしまっていた。


 そしてもう一人の声の主。

 いかにも貴族らしい煌びやかな恰好をした青年は、目を細めて手に持っていた剣を礼路に向けてきた。

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