第100話 竜の祝福と彼女の言葉

 アレクは王宮の廊下を大股で歩いていた。

 その頭では当然のようにフィンがとぐろを巻いている。

 働く役人達の視線など気にもせずアレクは進む。

 いつも通り、一直線に。


 だが正直、気まずかった。


 グラムの騎士が呼びに来たのは今朝、まだアレクが泥の様に眠っていた時だ。


「シルヴィが待ってる」


 傷を治す為に体中が休眠状態だったが、その一言でアレクは一気に目を覚ました。


 シルヴィア・ベイン。

 ジーギルの率いるグラムの騎士の一人。

 そして何より、あのエイセルの妻だった剣士。


 休戦中とは言え敵地である事から、エイセルの葬儀は内密に行われた。遺体は早々に火葬され、後日彼はグラムの地へと還る。全て、アレクが倒れている間の事だった。


 あの瞬間を、アレクは毎日夢に見る。


 敵国の兵を守る為に、普段なら絶対に見せない隙が出来た。それに気付いたアレクの剣が、援護に入るか入らないかの一瞬で、エイセルは死んだ。そうでなければ死ぬ筈もなかったのだ。真正面からぶつかったなら、あのエイセルが魔物如きに負けるものか。


 朝アレクが目を覚ましても、厨房は冷たいままだ。

 剣闘場に足を運んでも、相手をする者は誰もいない。

 酒を飲みに行った所で、隣に座る姿もない。


 記憶の中の声だけが、空っぽになった空間に木霊する。

 空っぽになったまま、気付けばアレクは一人だった。


「……」


 扉の前で、アレクは少し動きを止める。覚悟は出来ている。どう責められても文句は言えない。むしろはっきりと責められないと筋が通らない。全て、アレクが力不足だったせいなのだから。


 らしくもないノックを三回して。

 返事も待たずにアレクは扉を押し開けた。



 途端、子供の泣き声が大音量で部屋に響いた。



「あぎゃああああああああああ!!!」

「な、泣かないでくれよ! ほーらほら、怖くねェぞー?」


 泣き声は止まらない。むしろ悪化した。


 窓際の椅子に座っていたのは、グラムの筋肉質の騎士、コムラン。そのはち切れんばかりに太い腕に抱えられていたのは、黒い髪の、赤ん坊だった。短い手足をばたつかせて泣き喚いていた。ベッドに横になった癖っ毛の女が面白そうにその二人を見ている。


「シルヴィ! もう駄目だ何とかしてくれ! と言うか助けてくれェ!」

「えー? 人の子供を泣かせといて放り投げるっての? 最低ねあんた」

「俺は何もしてないって! おいアレク! おめーが急に入って来るからだろうが!」


 呆然と扉の前で立ち尽くすアレクにいきなりお呼びがかかった。

 そこでアレクは我に返る。開口一番、文句が出て来た。


「俺が知るか! 呼んだのはそっちだろうが!」

「何だとコラ! いいからおめーが何とかしろ!」


 二人のがなり合いで更に赤ん坊は大泣きする。だがコムランはそれを有無を言わせずアレクに押し付けた。涙目のまま赤ん坊が唸る。


「うー……」

「なんだよ」


 赤ん坊がアレクを見る。

 アレクが赤ん坊を見る。

 気まずい沈黙。

 その直後に再び赤ん坊は爆発した。


「うぎゃああああああああああああ!!!」

「うるせぇえええええええええええ!!!」


 赤ん坊の泣き声と同じ大音量でアレクは怒鳴り返した。

 堪らず頭の上のフィンが逃げ、ベッドの上に飛び降りた。


「なんだろねこれ。アレクに子供なんて、無理に決まってるじゃないか」

「あら、本当に喋ってる。あなたが幸せを呼ぶって噂の雪の竜ね。初めまして」


 癖っ毛の女がニコニコしながらフィンに話しかけた。


「はい初めまして。それでグラムのお姉さん、あなたが?」

「ええ、シルヴィア・ベイン。シルヴィって呼んで」

「僕の事はフィンでいいよ」


 穏やかな笑顔だった。エイセルと同じか、若干年上だろうか。黒い髪は無秩序にあちこち跳ねていて、それでも丁寧に短く整っている。気のせいか目の下に隈があり、少しやつれているようにも見える。


「お姉さん寝不足? ああ、夜泣きのせいだね」

「御明察ね。寝ても覚めても泣きまた泣き。まったくシメてやろうかしら」

「子供が泣くのは世の常だよ。馬鹿な事言ってないでさっさと慣れる事だね」


 向こうでは赤ん坊が泣き、アレクが怒鳴り返し、コムランが仲裁に入り、二人の大音量に叩き返されていた。人語を解さない赤ん坊と人語を忘れ切ったアレクは、なぜか叫び声だけで意思を通わせている。


 そんな様子を見ながら、フィンはふと、口を開いた。


「エイセルの子供なんだね」

「ええ」


 三人に、その言葉は聞こえなかった。


「知らなかったよ。いつ産まれたの?」

「ついこの間よ。世界会談での作戦の直前にね」

「じゃあお姉さん、子供を腹に抱えたまま首都に来ていたのかい?」

「ええ。エイセルこそガキみたいな男だったから、私が目を離す訳にはいかないでしょう?」

「ガキみたいな、ね。弟子が弟子なら、師匠も師匠か。お互い苦労するね」


 アレクは抱えた赤ん坊に向かって、男なら少しは耐えろだの悔しかったら殴ってみろだの無茶苦茶言っていた。


「勘違いして欲しくないんだけどね」


 そんな二人の様子を複雑な顔で見るフィンに、シルヴィアは優しく声をかけた。


「私はあなた達を責める為に呼んだ訳じゃないのよ。ただあのアレクって子がエイセルの弟子だって言うから、馬鹿師匠が育てた馬鹿弟子がどんな面なのか、見たかっただけよ」


 当の馬鹿弟子は赤ん坊とにらめっこしている始末だった。

 フィンは二人を見たまま言う。


「それだけじゃない、でしょう? 僕達はあの子の父親を、あなたの夫をむざむざ死なせた」

「そう、それだけじゃないわ。どうせそんな事考えてるだろうと思って、釘を刺しにね」


 振り返るフィンに、シルヴィアは変わらず穏やかな笑顔で語りかける。


「いいことボク。私もエイセルも騎士なのよ。何度も同じ戦場に立った戦友で、そういう生き方を選んだ馬鹿な人種だとお互い分かっていたわ。剣に生き、そして剣に死ぬと」


 穏やかな笑顔のまま、淡々と言葉を続ける。


「それなのにあいつは私を選び、私もそれを受けた。だから始めから分かっていたのよ。遅いか早いか、どちらが先に逝くか、ただ、それだけの話だって。それは誰のせいでもない。私達が選んだ道よ」

「……騎士としては結構な心構えだね。でもお姉さんはそれで、幸せだったって言えるのかい?」

「ええ、幸せだったわ」


 シルヴィアの表情は変わらない。


「今も、私は幸せよ」


 フィンも彼女を見返した。

 彼女の瞳は、真っ直ぐだった。


「どうして、そう意地を張るのさ。あなたは、もっと僕らに当たっていいんだ」

「あら優しい。でも、そんなみっともない真似できないわね」

「騎士同士の誓いだからかい? 分からないよ。エイセルも、あなたも、そしてあの子も、僕にはとても幸せだとは思えない。なのに」


 どうして、そんな幸せそうな顔で笑えるんだ。

 その言葉を、フィンは何故か口に出来なかった。


「あなたにも、いつか分かるかも知れないわ」


 フィンは難しい顔をして俯いた。


「……分からないよ、僕には」


 ベッドから飛び降りて、子供を相手に悪戦苦闘する二人の騎士に歩み寄る。


「でも、あなた達がそれで幸せでいてくれるなら、それに僕が口を挟む道理は無い。僕に出来るのは、せめてこの子に明るい未来が待っている事を願う事くらいだ」


 アレクの腕で暴れる子供の上にひょいと飛び乗った。フィンと子供の視線が合う。その雪のように澄んだ瞳に捉えられると、ぴたりと、赤ん坊は泣き止んだ。


「シルヴィア。この子の名は?」

「まだ付けてないわ。あの馬鹿、教える前に死にやがったから」

「……僕がつけても?」

「ええ。是非お願いするわ」


 子供の目には、フィンの青い瞳が反射して映っていた。 

 フィンは静かに、子供に語り掛ける。


「大昔の、雪の村に伝わる剣士の名を贈る。素性も分からぬならず者だけれど、その生き様から、男も女も多くの人々が彼を慕って集まった。願わくばお前も、彼のように真っ直ぐに、母のように穏やかに、そして父のように強い男に、ティネス」


 フィンは子供の額に口づけた。

 そこに一瞬、光る模様が浮かび上がり、すぐに消える。


「マルティネス・ベイン。それが今から、お前の名だ」


 さっきまで泣いていたのが嘘のように、子供は真剣な表情でフィンを見ていた。

 アレクもコムランも、何だいったいと不思議そうにフィンを見ている。

 シルヴィアだけが、変わらず穏やかな笑みを浮かべていた。


「ティネス、ティネスか。雪の竜が名付け親だなんて、この子にも少しは幸せが来るかしら?」

「それは僕が約束する。でも実際に彼を幸せにするのは、母親のあなただよ」

「ふふ、そうね。良い名前をありがとうね」


 ひょいとフィンはアレクから飛び降りた。

 そのまま尻尾を揺らしながら外へと歩き。

 扉の手前で少し振り返った。


「また、来るよ」


 フィンが部屋から出ると、扉は一人でに、そして静かに閉まった。


 外へと向かうフィンの背後では、再び泣き始めるティネスの声と、アレクとコムランが慌てふためく声がいつまでも聞こえて来ていた。



***



 洞窟から離れた森の外れ。

 見晴らしのいい崖の上で、僕らは三人、並んで座っていた。

 レイは鼻歌を歌いながら足をぶらぶらさせている。


「さっきの、槍。どうだった? 実際に見てみた感想は」


 揺れていた足が止まってレイが僕を見る。


「ん? ああ、実は魔法の構成が複雑すぎて、私にもよく分からないわ」


 そっか。使った事が無いんだったら、本当にロナンに行って試すしかないかもな。でも、そう言えば。


「何に使うつもりだったんだろう」


 僕はふと疑問を口にした。


「何にって、どういう事?」

「だってスローンはフェルディアを滅ぼす事が目的だったんだろ? ヴォルフを殺しちゃったら、意味が無いと思うんだけど」

「それはやっぱり、ヴォルフに対する手綱としてじゃないかしら」

「……ボクはそうは思わない」


 メイルは下を見たままそう言った。

 レイの真似をして、足をぶらぶらと揺らして。


「スローンは、最初から戦争なんて起こす気は無かったんじゃないかな。城の封印を解いたら、本当にタリアさんだけ助け出して、そしてあの槍でヴォルフを倒すつもりだったんだ。酷い方法に変わりはないよ。でもせめて、少しでも犠牲を減らすために……」


 僕もレイも答えられない。そんなのメイルの願望だと、そう切り捨てるのは簡単だ。でもメイルは、レイでさえ知らないスローンの一面をずっと見てきたんだ。


「……どうでしょうね。今となっては、もう分からない事よ」

「でもレイ。いつまでも破壊されなかった最後の封印。それが何を封じているのか、ボクには分かる気がするんだ。レイはどう思う?」

「あれが、ヴォルフ自身を城に釘付けにしている物かって?」


 メイルは頷いた。確かに東からの情報だと、城からは軍も魔族も魔物達も、好き放題出て来てるって話だ。何の制約も無いように見えるこの状況で、まだ封印丸々一つ分の何かが縛られているとしたら。あり得ない事じゃない。


 なら。


「なら、僕らがすべき事も、何となく見えてくるね」


 レイは一瞬止まって、ゆっくりと僕を見た。


「クライム、ちょっと本気?」


 ものすごく嫌そうな顔でそう言う。


「まさか、ヴォルフを暗殺に行こうって言うの?」

「元々スローンはそうするつもりだったんだろ」

「それも効くかどうかも分からない、あのハリボテを使って?」

「もし最後の封印破壊を遅らせていたのが本当にスローンだったなら、今度はヴォルフ自身が本気で壊しに来る。時間は無いよ。勝ち目無いんだろ? あいつが戦場に出てきたら」


 レイはクシャクシャと頭を掻いた。

 暫くして、はあ、と大きく溜息をつく。

 そしていつも通り、思いつめた顔で言った。


「私が、やるわ」


 いきなり言われて、メイルが慌てた。


「じゃあウィルにも手伝って貰おうよ。出来るだけ沢山で、」

「いえ、私一人で十分よ。大勢で行けば犠牲も出る。一人の方が都合がいいわ」

「前の戦争でも結局敵わなかったんでしょ!? ボクだけでも一緒に……!」

「嫌よ。メイルを傷物にでもしたら、私クライムに殺されちゃうじゃない」


 必死のメイルを、のらりくらりとレイは躱す。当人達は本気なんだろうけど、僕には姉妹がじゃれてるようにしか見えない。二人を横目で見ていると何故か笑ってしまう。なんだか、懐かしいな。


 岩のドラゴンを追っていた時も、レイは同じ様に口八丁手八丁で僕らを誘導していた。必要な情報だけ与えて万全の準備をさせて、払う代償は全部自分で引き受ける。タリアさんも言ってたな。誰かの為に、自分を削らずにはいられない、か。


 それで?


 ウィルやジーギル、強い人達を全員防衛に回して、自分は相打ち覚悟でヴォルフを殺しに行こうってか。目に見えるようだ。全部が終わった後に、上手く行ったと笑いながら死ぬレイの姿が。


 僕が二度もそんな手に引っ掛かるって?

 ははははははははははは。笑える。


「絶対ダメ」


 腹が立ってそう言った。


「レイ一人では行かせられない。少なくとも、僕は一緒に行く」

「クライム、私がしくじるとでも?」

「珍しく言い訳の筋が通ってないね。失敗した時の為に、代わりに受け継ぐ誰かが必要だよ」

「危険過ぎるわ! この戦争は身内の恥なのよ! お願い、私にやらせて!」

「いいよ。でも僕も一緒に行く」


 完全に押し問答だ。

 今回は僕も引き下がらない。


「相手はあのヴォルフなのよ!? 人の形こそしているけど、岩のドラゴンと同じだけ力を、」

「そうやって前の戦争でも一人で突っ走ってたの?」

「関係ないでしょ! 私は一番確実な手段を取っているだけよ!」

「それが間違ってるから! タリアさんもスローンも、レイの事が放って置けなかったんだろ!」

「それで益々ややこしくなるのよ! 私の為だなんて図々しいわ!」

「どうしてそんな言い方しか出来ないんだ! レイの事が心配だったんだよ!」

「余計なお世話よ! 私は一人でも出来るわ!」

「タリアさんが見てるぞ! レイが無茶ばかりしないようにって! 今でも!」


 レイがぐっと言葉に詰まった。


「……そんなの、知らない。死んだ人間が出しゃばらないでよ」

「そうだね。だから、今は僕が代わりに出しゃばる」

「タリアに吹き込まれたの? あのお節介、私の事なんて言ってたのよ。何度みんなに迷惑をかけたと思ってるって? いつも勝手ばかりで少しは反省しろって?」

「愛してたって、言ってた」

「…………」


 レイは、一瞬目を見開く。

 そして、ぷいと顔を逸らした。

 メイルは口を挟めずに僕達を交互に見ている。


 レイは何も答えない。僕も何も言えなかった。タリアさんの遺言、もっと早く伝えていれば良かった。でも出来なかった。死も、別れも、僕自身がずっと顔を背け続けていた事だったから。


 僕は別れなんて認めたくなかった。

 最期の言葉なんて聞きたくもなかった。

 そうでなければ、こんな形で伝えたりなんかしなかったのに。


「何よ、それ……」


 顔を逸らしたまま、レイが言った。


「……そう言ってたんだ。みんな、レイの事を愛していたって」

「馬鹿じゃないの。全部私のせいなのよ? 私がヴォルフを止められなかったから、タリアも、メルも、みんなも……」

「誰にも、どうにも出来ない事だったんだよ。だから、これからはみんなで、何が出来るか考えよう」

「放って置いてよ。おかしいよ君。私に関われば、君だって……」

「そうだね。おかしいかも知れない。僕、変わってるから」


 そんな下手な返しが口から出たけど、レイはふっと笑ってくれた。でも僕の事を変わり者だとからかうのは、いつもレイの方だ。


「……そうね。今更、だったわね」


 メイルは、静かにレイを抱き寄せた。


 小さな胸にレイの頭が収まって、少しぎこちなく、メイルはその頭を撫でる。髪に隠れて、その表情は僕には見えない。頭を撫でられるまま、レイは子供のようにメイルの服をぎゅっと掴んだ。


「ありがとう、私、頑張るから……」


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