第99話 勇者の遺産
首都から離れた、とある山奥。
遠くに見える人影に気付いて、僕は思わず胸が熱くなった。
あれからもう何十年も経ってしまったみたいだ。
本当に、久しぶりだ。
「マキノ……」
そう呟くと、僕が止める間もなくメイルは馬車から飛び降りて走って行ってしまった。
道の先でメイルを待っていたのは灰色の髪の若い魔術師。着込んでいる割に質素な服装。胡散臭いあの笑顔。何もかもが昔のままだ。そのままメイルはマキノに抱き着いた。思いのほか重かったのか、抱き着かれた拍子にマキノは少しよろける。
「お、お久しぶりですね、メイルさん。立派な恰好じゃないですか」
「マキノ! ごめん! ボクは、何も出来なかった! 何も……!!」
泣きじゃくるメイルを、マキノは屈んで優しく撫でる。思えばこの二人はフレイネストで別れてからずっと会っていないんだ。そこでマキノはメイルに首都への潜入を頼んだ。そしてメイルは期待以上の働きをしてここに居る。銀の三重線が入った、濃紺のローブを着て。
馬車が二人に追いついて僕とレイも下りた。
マキノはメイルを撫でながら、僕を見て微笑んだ。
「クライムさんも、お久しぶりです」
「久しぶり、ってほど、長くもなかった筈だったんだけど」
「そうは思えないでしょう。色々とあったみたいですし」
「……あったよ。本当に、色々とあり過ぎた」
首都での戦闘と魔族の進撃は、既に鳥文でマキノにも伝わっている。この事態は流石のマキノにとっても予想外だったらしい。僕も未だに現実が受け入れられないまま足だけ動かしている感じだ。
「それにしても随分な大所帯ですね」
そう言ってマキノは僕らを見た。
スローンの隠れ家に来て欲しいとマキノから連絡があったのは、ほんの数日前の事だ。本当は僕、メイル、レイの三人で来る予定だったけど、聞きつけたアルバが山と護衛を付けてきた。
僕らが乗ってきたのは軍用の大きな馬車。続いてぞろぞろ降りてくるのは首都の兵隊達に工房も魔法使い達、加えて周囲には十数人の護衛騎士。大袈裟にも程がある。それにこの人達はこの前までは敵だった人達なのに。なんか気まずい。
「別にいいじゃない。この私がいるんだから、当然よ」
「そ、そういうものかな。まあ僕はともかく、レイは賓客だし、メイルだって偉い人だしね」
「違う、違うよ。ボクなんか全然ダメだ。首都に来たのがマキノだったら、もっと早く動き出して、もっと早く事実に辿り着いて、もっと……」
「そんな事はありませんよ。メイルさんは私の予想を遥かに超える成果を出してくれました。あの冬の魔法使いを味方に付けたなんて、今でも信じられないくらいなんですから」
「……冬の御方は貴様の味方ではない。杖無し風情が、図に乗るな」
急に口を挟んできたのは工房の魔法使いだった。いったい何だろう。杖無し風情って、そりゃマキノは杖なんて普段から使わないけど。当のマキノは彼等を見もせずに淡々と言い返した。
「分かっていますよ。そして付け加えるなら貴方達の味方でもない。彼が対等と考えているのは、恐らくガレノールとメイルさんの二人だけでしょう。それ以外は腐肉を漁る汚らわしいドブネズミ。踏み潰されないだけ寛容というものでしょうが」
微笑んだまま、マキノは僕が聞いた事も無いような毒を吐いた。魔法使い達とマキノの間で、火花が散りそうなやばい空気が流れる。兵隊達は気にせず支度して、レイも面倒臭そうに頭を掻く。でも僕は気まずくなってマキノに訊いた。
「マ、マキノ。随分な言いようだけど、この人達の事、知ってるの?」
「顔を見た事がある程度ですよ。面識と呼べる程でもありません」
「そ、そうなんだ。でも前から訊きたかったんだけどさ、結局マキノと冬ってどう言う関係なの?」
「お世辞にも良好とは言えないでしょう。そもそも彼が張った結界のせいで私は首都に入れず、メイルさんに危険な役回りを押し付ける羽目になり、そして最後まで応援に行けなかった。次に会った時は相応の礼をすべきでしょうね」
「……え? 結界?」
またしても僕の知らない話だ。刺繍の魔法に名前の魔法、彼はいったい何重の防衛策を敷いていたんだろう。と言うより、僕は今までどれだけの事を知らずに動いていたんだろう。
「あの魔法使いは気に入らない人間に印を付けて、自分の縄張りに入れないよう呪いを掛けているんですよ。私は彼と不仲なせいで、ウィルは出自の関係からガレノールの命令でその呪い持ちとなった。他にもどれだけの人間が、今まで首都から締め出されていたか」
マキノはメイルの頭を撫でながら淡々と説明する。行動派のマキノが最後まで首都の戦いに駆け付けられなかったのも、そのせいだったのか。
「私が皆さんを呼びつけたのもそれが理由です。お手数おかけします」
「別に構わないわよ。どの道、私はこの目で見たかったし」
「僕も手紙で聞いてはいたけど、一度は来てみたかったよ。まさかスローンの隠れ家があったなんて」
「……ええ、彼の魔術工房、という事になるんですよね。本当に、この世界は何がどう繋がるのか分かったものではないですね」
変わらず僕等を憎々しげに見る魔法使いを無視して、マキノは腰を上げる。メイルも涙を拭ってマキノから離れた。そして兵隊を先導して森の奥へと足を進める。
「さて行きましょう。此方です」
そう、ここからが本題だ。ひっくり返ったこの状況。マキノがもう一度ひっくり返してくれるかも知れない。どこへ行けば良いか、何をすれば良いか、それがはっきりするかも知れないんだ。
***
「……お邪魔、します」
妙な言葉が口から出て来た。
案内されたのは森の奥。
地下へと続く大きな洞窟の更に奥。
そこは壁をぐるりと本棚で囲まれた大きな円形の部屋だった。
本やら巻物がやたら多くて、棚に収まり切らない資料が雑然と散らばっている。天井から無数の灯りが釣り下がって洞窟とは思えないほど明るかった。そして部屋の中心には、一つの作業机、一つの椅子がぽつんと置いてあった。ここがスローンの隠れ家か。なんか散らかってて、らしくないな。
「あー……、スローンらしいや」
「ほんと。らしい部屋だわね」
メイルとレイは印象が違うみたいだ。
そっか、こう言うのもスローンらしいんだ。でも。
「残り三人は? ここにいるのはマキノだけ?」
「皆さんには最後の封印の防衛に回って貰っています。破壊作業を行っていた死体狩り達は一掃したのですが、後から後から敵が沸いて来て、休む暇もないんです」
「うげっ、あいつらか。不死身の巨人は、確かもう倒したんだよね」
「掘り返されていなければ、の話ですが」
話す僕らを無視して、魔法使い達は好き勝手に辺りを漁り始めた。真理の探究に礼儀の入る余地は無いらしい。でもマキノはもう調べ尽くしているんだろう。魔法使い達を尻目に、すぐさま部屋の奥から何か持ってきた。
これが、僕らを呼んで来た理由。
マキノの今までの旅の、成果、か。
「お二人に見て頂きたいのは、これです」
「これ……」
レイがすぐさま反応した。
それは身の丈以上ある細い棒状のものだった。
色は黒っぽく、ただの鉄で出来ているようでもない。
刻み込まれた鋭い装飾は、どこか黒の城のものを思い出させる。
それは、槍だった。
レイはマキノから槍を受け取った。
彼女が複雑な顔をする傍ら、マキノが説明を続ける。
「この部屋に隠されていたものです。魔法で何重にも封印されていましたし、相応の物だと言う事は分かります。お二人の見立てでは、どうでしょうか」
「……どうもこうも無いわ。これは、ドールの槍よ」
レイは相変わらず複雑な顔をしていた。
スローンに、初めて会った時のように。
「ドール、とは?」
「ボルフォドール、私やタリアと同じ同盟側の魔族の一人よ。巨人みたいに大柄な剛腕の槍使いでね。強かったわ。良い奴だった。これは彼が闇小人に打たせた魔法の槍だわね」
「そうなんですか。彼も、レイさんと同じく城に?」
「……いえ。ドールは旧大戦でベルマイアを押さえてくれたのよ。最後まで残れなかったわ。遺体はメルが弔って、そうね。槍も彼が引き取っていたわ」
彼の話は聞いた事があるな。それにしてもこの槍。闇小人が作ったって事は、黄金や白銀と同じ類か。
「でも、何だか以前見た感じと違うわね。あいつまさか、槍を打ち直したの? ねえマキノ、これについて何か資料はなかった?」
「ありました。ですが私には今一つ理解出来ないんです。そもそもこの槍は封印とは無関係で、彼は全く別の事を同時に調べていたらしいんですが」
「別の事?」
何だろう。彼にとって封印以上に大事な事なんて無かったはずだけど。マキノは何と言おうか迷って、それでもいい言葉が思いつかなかったのか口を開いた。
「言ってみれば、不死の秘密、ですね」
不死?
何それ。そんな事考えてたの?
「……ボク良く分からないんだけど、具体的には?」
「彼の手記を見る限り、不死に関する魔族の探究をなぞっていたようですが」
「不死の研究って。あいつ不死身にでもなろうとしてたの?」
「そうは思えません。封印と違って不死の秘密など、身近に話してくれる人がいた筈です」
「不死の秘密を知っている人? 身近にって、誰?」
「ヴォルフよ」
レイが唸った。
でも、なに、え?
あいつ、不死身なの?
「た、確かに伝説では黒の王は死ななかったって言われてるけど、冗談でしょ?」
「……事実よ。だから戦争では、封印って言う回りくどい方法しか取れなかったのよ」
「はあ? じゃあ封印が破られた今、僕らに勝ち目、あるの?」
「無いわ」
あっさりと言われた。
「戦争末期に、あいつ一人のせいでどれだけやられたか。ヴォルフが戦場に出て来てから、私達は今までの戦いが馬鹿馬鹿しくなるほど一方的にやられたわ。不死の体、出鱈目な力、黒鉄の剣。封印が機能するまで、本当に手の施しようが無かったのよ」
「……黒鉄。その名前、凄い嫌な予感がするんだけど」
「察しが良いじゃない。同盟側に来た闇小人は、そもそもヴォルフに作らされた最強の剣に対抗する物として、黄金と白銀を打ったのよ。それでも二対一で、ようやく勝負になるかって所だったけどね」
頭が痛くなってくる。
ヴォルフが持っている剣。
威力があのアルギュロスの倍以上か。
「ではもし、その不死身がどうにかなれば、私達に勝算はありますか?」
マキノが訊いた。
探るような目でレイを見る。
「……つまり、あなたはこう言いたいの?」
レイはそれを見つめ返した。
「この槍は、ヴォルフを完全に殺す為に作られたんだって」
見つめ返して、そう言った。入口を見張っていた兵隊も、部屋を荒らしていた魔法使いも、その言葉に動きを止めた。全員の視線を一気に浴びて、マキノは話しにくそうに頭を掻く。
「それが断言出来ないから困っているんです。不死に関する彼の手記は、最終的に不死の呪いを破る方法を模索し、この槍の製造へと繋がっていました。私もそう思いたい。しかしこれは、憶測で結論を急げる話でも無いんです」
「で、でも! でもさ! もしそれが本当なら!」
メイルも興奮している。そうだ。もしこの槍で本当にヴォルフが殺せるなら、もしかしたら何百年も続くこの戦争を完全に終わらせる事が出来るかも知れないんだ。
薄々思っていた。マキノが何度封印を重ねようと、ヴォルフを倒さない限りは問題を先延ばしにしているに過ぎない。封印の中でさえ、あいつらは着々と軍備を増やして再び戦争を起こす。僕らはずっとその影に怯えながら生きていき、そして、いつか必ず負ける。
でも、その未来が変わる。
本当に、本当に変えられるんだろうか。
「本当ならの話です。レイさん。それを確かめる方法など、あるでしょうか」
「……無い事も、無いわね」
レイは難しい顔でそう言った。
「マキノ、フレイネストで死体狩りと戦った時、不死身の巨人がいたって言ってたわよね」
「ええ。……いえ、まさか」
「試す価値はあるわ。私は会った事もないけど、それはきっと誰かの遺体に不死の呪いを掛けて作った怪物。術師は蜘蛛あたりで、原理はヴォルフと同じでしょう。巨人は今どこに?」
「ロナンの森に埋めました。ですがどんな武人の遺体を使ったのか、あの強さは異常でした。もし槍が効かなかった場合、掘り起こすのも危険ですが……」
「やってみよう」
難しそうに話す二人に僕は口を挟む。
レイもマキノも振り向いた。
「やってみないと分からないよ。行こう、みんなで。レイの言う通り、試す価値は十分あるよ。マキノだって本当は信じてるんだろ?」
二人の顔を見れば分かる。心は決まっているけど、頭で理性が抑えているだけだ。二人は未来を信じてる。前へ前へと進んでいく。そこで二の足を踏むのは僕くらいだ。メイルは相変わらず興奮した様子でマキノの袖を引っ張った。
「ねえねえ。その森って、ここから馬でどれくらいかな」
「大分離れていますから、休まず走らせても相当かかりますね」
「ヴォルフが出て来る前に何としても検証したい所ね。時間、あるかしら」
「難しいです。検証を優先したい所ですが、それ以前の問題が山積みですし」
みんなは思い思いに意見を言い合う。魔法使い達も衛兵達も、無視しているようでそれに聞耳を立てていた。士気が高い。
「本当に、二の足を踏むのは僕くらい、か……」
そんな独り言が口から洩れるけど、白熱したみんなには気付かれない。今後の組み立ては二人がいれば十分だろう。今は、僕は必要ない。
「少し、外すよ」
形式だけ口にして、誰にも気付かれないように一歩下がる。
そしてそのまま静かに、部屋を出た。
***
不審げに僕を見る衛兵の隣をすり抜け。
竜の死体を踏み越えて地上を目指し。
骨の洞窟を抜けて太陽の下に出た。
洞窟の入口や馬車を見張って、外にも沢山の衛兵がいたけど、ネズミに変身した僕に気付く人はいなかった。彼等の足元を潜り抜けて、僕は森の奥、辺りを一望出来る崖にまで歩いていった。高い所が好きなのは、僕の性分だろうか。
風が、寂しい音を立てて吹いていた。
「不死を破る、スローンの槍……」
そんな物があったのか。何を考えてたんだろうな、あいつ。思い返してもがなり合った記憶しかない。僕は彼について何も知らない。何も知らないまま、切り札という結果だけが手元にある。
最近はずっとそんな調子だ。僕が理解する間もなく、国が変わり、戦いが始まり、事態はどんどん変わっていく。予想外なんて雨のように降ってくるし、そのせいで目の前はいつだって泥道だ。
「……」
今度は、何が起こるんだろう。
故郷の仲間を探すという嘘も、黒の城で勇気をくれたタリアさんも、今まで僕の歩みを支えていた物が、足を進めるに連れてどんどん無くなっていく。それなのに明日は容赦なくやってきて、また、何かが失われる。
分かってる。無くなった分だけ自分で拾えばいいんだ。自分達の時代は自分達で掴み取れと、タリアさんにも言われた。そしてスローンは槍だけ残して死んでしまった。
何だってんだ、あの二人。
僕にどうしろって言うんだ。
僕には、何が出来るんだろう。
「クライム」
急に後ろから声がして僕は振り返った。
森の奥から姿を現したのは、メイルと、レイ。
誰にも気付かれなかった筈だったけど、何故かバレている気もしていた。
レイはいつも通り、悪戯っぽく笑っていた。
「隣、いい?」
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