第98話 敗走

 誰かが自分を呼ぶ声が聞こえた気がして、窓辺の男は顔を上げた。


「……」


 女の声。

 妙に懐かしく、聞き覚えのある声だったような。

 そうして、自分以外誰もいない筈の部屋を見回す。


 暖炉にくべられた薪は半分以上が白くなり、少し部屋の中も肌寒くなってきた。窓から見える王都カルナークは、今日も雪が降っている。厚手のカーテンで窓は殆ど閉め切られ、部屋は少し薄暗い。部屋の隅に置かれたテーブルには捺印済みの書類の山。天蓋付きのベッドには本が散乱している。


 元々そう広くはない部屋だったが、壁に飾られた剣や鎧や優勝メダルは、王たる彼の部屋らしくも無い。らしくも無いが、しかしそれが彼が歩んだこれまでの軌跡だった。


「……気のせいか」


 窓辺の男。

 グラム国王マグヌスは、暫くしてまた本に視線を戻した。


 彼は幼少期より騎士団との関わりが深い男だった。前王の懐刀であった先代団長が子供の頃から彼に剣を仕込んでいたからだ。彼にとって騎士達は部下ではない。兄弟弟子であり、戦友であり、親友だった。


 そしてその半生は、そのまま国の方針に反映されている。グラム王国は北方異民族を発祥として二百年前に突如現れた新生国家であり、つまりはヴェリアの王国を起源に持たない国だ。古王国の栄光に囚われないという点で周囲の国とは一線を画するが、それでも尚、諸国との紛争には積極的に受けて立つ。


 攻撃は最大の防御なり。

 騎士王らしい性格だった。


「ふう」


 グラム王は溜息と共に椅子から腰を上げて体を伸ばす。

 さっきの空耳が、少し気になったからだ。

 気まぐれに部屋を歩いた。


 立て掛けられた剣はゴルビガンドからの誕生祝いだ。貰った当時は重すぎて抜けもせずに笑われ、それに腹を立てては贈り主を殴り、それがビクともせずにまた笑われた。今でこそ自在に使えるものの、幼少の頃の自分を知るあの男には、変わらず頭が上がらない。


 壁際の鎧は実戦で使っていたものだ。あの頃は隣に必ずジーギルが居た。当時は二人で肩を並べて戦ったが、今ではお互いの立場も変わった。変わらないのは兄弟子ジーギルの態度くらい。不敬の極みだと周囲から非難もされるが、それが何とも心地良い。


 棚の優勝メダルは王の物ではない。数年前、武芸大会に参加出来ない事に王が不貞腐れていた時に、仮面を付けた謎の剣士が出場した事があった。グラム中の騎士達を下してその剣士は優勝し、後日メダルだけが王の元へ届けられた。これ見よがしに飾ると何故かリメネスが怒る為、今は目立たないように置いてある。


 部屋の一つ一つに思い出があった。

 どれも、懐かしい思い出だった。


「む」


 再び王は顔を上げる。

 またしても何か聞こえた。

 しかしさっきの声とは別物だ。

 暫くして、部屋の扉を誰かがノックした


「失礼致します」


 扉が開く。入って来たのは二人の男。一人は執事の様な身なりの男だ。細い体に整えられた黒髪だった。もう一人は狩人の様な男だ。くすんだ色の髪で何故か熊の毛皮を羽織っている。王は少し面倒臭そうにその二人を見た。


「ヒューゴに、ディグノーか」


 二人共、ジーギルがドラゴン狩りに連れ出した騎士。

 情報伝達役として王都に戻された駒だった。


 ジーギルに交易路の安全確保を命じてからと言うもの、この二人を除く十一人の騎士達はフェルディアに赴いたままだ。フェルディアの内乱に魔族の再来、全ては現場を指揮するジーギルに託された出来事だった。


 始終くたびれた顔をしているが優秀な男だ。

 加えてグラムでも指折りの剣士が付いている。

 だが、この二人が王の元に来たとは、つまりそう言う事だ。


「王よ、来ました」


 執事の騎士が言う。

 その手に持っていたのは小さな石。


 石はテルルに作らせた物だ。元は鈍い灰白色の石だったが、今は綺麗な群青色に変わっている。ジーギルやゴルビガンドとの情報のやりとりの後、何通りか考えた今回の作戦の結末、その中でも最悪の事態が起こった場合の為に用意した連絡手段だ。


 それはテルルからの救援要請だ。

 つまり伝説の魔族の本格的な侵攻が始まり。

 それがグラムの援軍が必要な程の規模であった場合だ。


「どうすんだよ。あぁ?」


 狩人の騎士は無遠慮にそう訊いた。訊いてはくるが、この血に飢えた狂戦士は興奮を隠し切れずにいる。それは王とて同じ事だった。在位前はグラム一の猛将とも名高かったこの男、卓上の事務など柄ではない。笑みを浮かべて歩き出す。


 執事の騎士は王に黙ってローブを差し出した。

 狩人の騎士は獣の様に笑ってその後に従った。


「さて、どうしてくれようかな」


 バサッとローブに袖を通す。

 そして王は、暗い部屋の扉を開け放った。

 聞こえてきた懐かしい声に、引き寄せられるように。



***



「どう言うつもりですか」


 カドム・ロアは少し怒ったように訊いた。


「どう、とは?」


 ベルマイアは惚けたようにそう返す。


 しかしどうもこうも無い。破壊され尽くした街で、黒の軍勢は獲物を追って皆が首都を目指して走っている。対して彼が歩いているのは逆方向。真っ直ぐ黒の城に帰ろうとしている。


 将たる彼が。

 部下を置いて。


「貴方はこの遠征軍の指揮官でしょう。それがここまで来て引き返すと言うのですか」

「本来、指揮官は本陣でどっしり構えている物だ。それに部隊長のお前達がいれば、何の問題も無い」

「……先程の決闘とやらが気になるのですか?」


 言われてベルマイアは微笑んでロアを見る。


「お前達には分からないかも知れないがな。相手を打ち取った時点で俺の役目は終わり、それが決闘と言うものだ。その上で逃げる相手を背後から斬るなど、そんな恥晒しな真似は出来ないだろう」

「打ち取った? 首も取らず、死体は燃やし、二人も見逃しておいては打ち取ったとも言えないでしょう」

「その通りだ。つまりは彼女の決闘を受けた時点で、既に俺の負けだったと言う事だな。剣の腕もさることながら、俺の性格まで見抜いて挑んできたあの剣士は、やはり見事だったと言う外ない。一本取られたと言う訳だ」


 話しながら歩く二人を他所に、兵達は次々と街を走っていく。だが街は既に空だった。指揮官たるベルマイアを置いては黒の軍は進軍出来ず、決闘が終わった頃には市民も兵もすっかり遠くへ逃げ果せてしまっていたのだ。リメネスの思惑通りだった。それがロアは気に入らない。


「ふふ、そう不貞腐れるな。暫くは勝ちの決まった戦、一人でも多くの死体を作って軍の力を知らしめるが良い。彼の王には俺から直接言っておく。ロア、後は任せたぞ」

「勿論です。決闘を受けたのは貴方であって私ではない。お任せ下さい」

「しかし無駄死には許さんぞ。どうも敵は中々に強者が揃っている様だ。相手の力量を見誤るなよ」


 それを聞いてロアは少し面白そうに笑った。


「また貴方ともあろう方が、随分と買っているものですね」

「ああ、実に面白い。同胞たる魔族も残り少なく、あの黄金と白銀までもがいない戦場に正直やる気もなかったが、中々どうして期待出来そうだ。五百年前は無様に封印されて決着も付かずに終わったが、今度ばかりはそうはさせん。奴等か、我々か。白黒はっきりつけてやろう」


 そこで足を止め。

 ベルマイアは後ろを振り返った。

 ロアはそれを黙って見守る。


 辺りでは未だ、戦闘の音が聞こえてきていた。


「早く来い人間達よ。お前達の全力、この俺が受けて立つ」



***



 僕らは、負けた。


 実質的な大敗だった。


 目の前に広がるのは血に濡れた円卓、瓦礫の山になった宮殿、傷だらけの仲間達、何が起こったのか分からない街の人々。何て言うかもう、どうしようもない。


 僕はメイルと一緒に、何をする訳でもなく宮殿の隅で座り込んでいた。

 何も出来なかった。


 せめて各地の情報を集めようと、馴染みの情報屋、エリックさんにも連絡を取った。でも珍しく音沙汰がなかった。彼に限っては万が一も億が一もないだろうけど、恐らくは情報を集めている真っ最中なんだろう。相手が相手だし、協力も期待できない。つまり、何も分からないままだ。


 会談は勿論、破談だ。各国の大使達は半狂乱でガレノールを責め立てている。ルべリアの大使はお付きを残して国に帰ってしまったし、グラム王国軍全軍がフェルディアを目指して進軍しているって話もある。理由は分からない。グラムのコムラン達さえ知らなかった。


 魔族の軍も、来ているらしい。遠くの事で実感は無いけど、彼等は本当にいつでも襲って来れたんだろう。エイセルの読みが当たってしまった。首都には続々と被害報告が飛び込んでくる。もう不安で夜も眠れない。理解が全然追いつかない。


 ヴィッツにテルルは、大丈夫なんだろうか。

 リメネスさんもいるし、無事ではあるだろうけれど。

 みんなはまだ動けないけど、本当は僕だけでも助けに行きたい。


 でも行ける筈もない。今回のクーデターがエイセルや僕らが思いもよらない形で終結して、どう動いたらいいか全然分からないんだ。


 って言うかさ。

 アルバ、何やってんの?


 フェルディア王?

 いやいやいや。

 知らない知らない。


「あのさクライム。この国の王様の名前、知ってたよね」


 頭を抱える僕に、フィンは言う。


「……えっと、アルバトス、王?」

「それで? 彼はなんて名乗ってたって?」

「……あの、アルバって、」

「気付けこの馬鹿!!」


 ぺしりと頭を叩かれた。

 いやいやいやいやいや。

 知らない知らない知らない。


 でも、混乱する宮殿の人達を纏め上げるアルバの姿は、本当に王様そのものだった。この二年、ヴォルフに言われるがまま自国を滅ぼす準備をしていたのだと知って誰もが混乱していたけど、アルバはそんな人達に片っ端から檄を飛ばして、瞬く間にその頂点に居座ってしまった。


 ガレノール議員やトライバル議員まで、今やアルバに頭が上がらない。

 こんな結末、誰も予想してなかった。それでもグイグイ引っ張られていく。

 大敗と混乱を最大限利用するように、全てはアルバを中心に立て直り始めていた。


 僕らはすぐに偉そうな人に呼ばれて客人扱いになった。メイルの宿を引き払って、グラムの騎士達までまとめて宮殿内の最高級の部屋に泊まらされている。会談から一度も会ってないけど、アルバは気味が悪いくらいに仰々しく僕等を扱っていた。


 間者として潜入していたメイルの事も、会談の場で翼まで見せたレイの事も、宮殿の一角を木っ端微塵にしたフィンの事も、敵国であるグラムの山猫達まで、今は何も訊かれない。一度廊下ですれ違った冬の魔法使いに、ゴミを見るような目つきで睨まれただけだ。


「死ね」


 とか何とか聞こえた気もした。


 権力のしがらみに捕らわれない彼が積極的に僕らを殺しに来ない理由は、多分忙しいからだろう。ガレノール最高議長を通して、冬の魔法使いにはアルバから命令が下っている。現状、最も重要な案件の一つ。スローンの身辺調査だ。


 スローン。

 本名を白銀の騎士、メルキオン。

 彼は正式に死亡が確認された。


 彼はもう随分前から宮殿で働いていて、その有能さからすぐに頭角を現したらしい。でも実態はフェルディアを滅ぼそうとしたこの一件の首謀者だった。全てを知っていた、鍵だったんだ。


 城中の人達は血眼になって彼の痕跡を毎日見返している。でも収穫は無い。今となっては口を割らせる事も出来ない。マキノ達が必死に探していた封印の謎の答えは、僕らの目の前にあったのに。それはもう、永久に分からないままだ。


 敵が攻めて来ている。

 もう僕らには打つ手が無い。

 正面から戦うしかなくなってしまった。

 それが無理だったから、旧大戦では封印を使ったのに。


 それでも、一つだけ朗報もあった。この事態を覆してくれるかも知れない朗報だ。それは会談での戦いから二十日近く経ってからの事だった。





 マキノが、帰って来たんだ。


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