第97話 髪飾り
リメネスは肩越しに振り向いた。
ヴィッツは疲労困憊で動けない。目の前には既に百人単位の兵が集まって道を塞いでいる。それだけ確認すると、リメネスは無表情のまま倒した敵兵を踏み越え、ぐっと身をかがめ、一気に敵に肉薄した。
懐に入られた兵が木っ端のように吹き飛んで建物にめり込んだ。
振り抜かれた斬撃で、三人の兵が同時に鎧ごと真っ二つになる。
殴り飛ばされた兵は空へ撃ち上げられ、ふっと滞空した後地面に叩きつけられた。
その一瞬の攻防で残りの兵もリメネスの実力を把握したのか、唸り声を上げて更に十数人の兵が斬り掛かった。一振りで剣に付いた敵の血を振り払うと、リメネスは続けてそれを迎え撃つ。
「ヴィッツ、立てるか!?」
テルルに助け起こされながらも、ヴィッツの目はリメネスから離れなかった。洗練された滑らかな動きはまるで剣舞のように美しく、剣を一振りする度に髪飾りが鈴のような音を立てた。リメネスの剣は安々と鎧を貫通し、槍を砕き、その舞に巻き込まれるように敵は次々と倒れていった。
一瞬の隙を付いてリメネスは足元にあった敵の大槍を拾う。
左手でそれを大きく振りかぶり、踏み込みと共に投げつけた。
槍は一直線に戦場を走った。
敵陣中央を吹き飛ばして遠くの建物まで倒壊させ、十人単位の兵が、一度に消える。
「……!!」
兵が動揺していた。目の前の相手がとても人間とは思えなかった。
リメネスは動かなかった。一帯には倒した敵が無秩序に散乱していた。
ヴィッツもそれを見ていた。リメネスの強さは圧倒的だった。
テルルは周りを見ていた。退却するなら今しかない。
そしてベルマイアは、思わず感嘆の言葉を漏らした。
「見事だ」
切り開かれた敵の陣形。
その奥から、一人の男が姿を現した。
リメネス達三人は、現れた男を警戒して動かない。
男は建物に突き刺さった槍と倒された兵達を興味深そうに眺めていた。槍の通過跡を歩く男に、黒の兵達は黙って道を譲る。この煤けた戦場にあって、男は妙に身綺麗だった。重厚で丈の長いローブをまとい、貴族か王族を思わせる出で立ちだ。
『……』
リメネスは相手を観察する。
波打つ黒い髪に、ぞっとするほど美しい顔、右手から下げた一本の長剣。だが何より髪の隙間から鋭く尖った耳が伸びており、その目は禍々しい赤色だった。首都で見たレイと特徴が一致する。城に閉じ込められていた魔族の一人で間違いないだろう。
「凄まじい力だな。それに素晴らしい剣技だ。軍を進めてここ数日、お前の様な者は初めてだぞ」
黒の兵の間を歩きながら、魔族は軽い調子で話しかけてきた。だがリメネスは警戒を緩めない。自分達が飛び込んだのは、敵軍の中でも一番深く進攻してきた相手だ。首都を目指して一直線、開戦から一度として止まらなかった部隊だ。
恐らく、この魔族がいたからだ。
さっきの槍を彼が躱したのも確かに見えた。
「はっきり言って、俺には兵でも無い相手を嬲る趣味は無い。敵の虚を突く事が今回の目的ではあったが、一方的な進軍にも嫌気がさしてきた所だ。引き換えこの街には気骨のある者も多く、ようやく戦になると思っていた」
聞き心地のいい声だった。リメネスは何故かゴルビガンドのそれを思い出した。声の質こそ違うが、似ているのだ。その裏にある芯のような何かが。彼はカドムの様な一部隊長ではない。恐らくこの遠征における、敵軍における司令官なのだ。
男は兵達の前に出て来た所で足を止めた。
廃墟となった街で二人は向かい合う。
相手は既にリメネスの間合いの中だった。
それは相手にとっても同じだろう。
『……貴方は、将に向かない人だな。いつの世も戦闘は決闘足り得ない。相手を滅ぼすだけなら、志など邪魔なだけだ』
男はリメネスが口を開いた事に少し意外そうな顔をしたが、ふっと笑って答えた。
「その通りだが、それでも後者を求めずにはいられないのが俺の性分だ。お前はどうだ?」
『敢えて答えない。戦時でなければ議論の余地もあったろうが』
「我が王の命令も、あくまでお前達の殲滅でな。長い付き合いだが、未だに意見が合わない所だ」
『……不穏当な発言だな。兵が動揺するぞ?』
「はは! 適格だ! 実は先日、部下にも同じような事を言われてな」
ベルマイアは思い出したように遠くを見る。
「お前はどう思う? 立場は違えど、我々は共に王に剣を捧げた身。やはり部下の言う通り、剣士は剣を振るうのみ、か?」
『真理だ。私も、今まではそれだけで良いと、思っていたよ』
「それ以外の物も見つけたんだな。聞かせてくれ。それは、いったい何だ?」
敵将を前にリメネスは考える。
彼女の目的はナキアの剣士として国と軍に報いる事、そして己を救った騎士団長ジーギルに報いる事だ。魔族の進撃はグラムの国防にも関わる事だ。何より背後には護るべき人々がいる。己の力で救える命がある。故にリメネスはここで戦い続ける。
剣を傾けると、僅かな光を反射して剣身が光った。
それに映っていたのは鉛色の空、そして自分の青い瞳。
自然と答えが口から漏れる。
『誓いだ』
魔族の男は楽しそうに笑っていた。
後ろで二人の弟子達が自分を見ているのが分かる。
道を外した自分に剣を語る資格は無い。しかし語らなければ後の代が続かないと王に諭されて、リメネスは多くの騎士を育てた。無様で醜い自分と違い、彼等はきっと良い剣士になれるだろう。そしてこの場では、彼女達には剣の師たる正しい姿を見せてやりたい。
それこそが自分の人生、取り戻した生き方。
これで少しは、自分も家の誇りとなれるだろうか。
恩師であるあの人に、ほんの少しでも報いられるだろうか。
笑顔を取り戻させてくれた彼の気持ちに、今なら正直に答えられるだろうか。
『ヴィッツ』
リメネスは不意に、留めていた髪飾りを取って後ろに放り投げた。
ヴィッツが受け取ると、チリンと鈴のように綺麗な音が鳴った。
『戦いの邪魔だ。持っていてくれ』
目の前の男はだらりと剣を下げたままだ。
隙だらけのようで一部の隙もない。歴戦の剣士だ。
魔族はそもそも他のどんな種族よりも強い力を持っているという。その将ともなれば世界最強と言っても過言は無いだろう。剣を志した者として、手合わせせずにいられるか? 多くの命を助け、故国に報い、愛弟子達の糧となる物なのに?
そうだ。
何を迷う事がある。
ここが、私の死に場所だ。
『戦闘は決闘足り得ないと私は言った』
リメネスは、ふっと息を吐いて語り掛けた。
男は黙って、それに耳を傾ける。
『血で血を洗う殺し合いに、誇りなど入り込む余地は無い。しかしそれは剣も同じだ。容易に道を外れるからこそ、決して道を見失ってはならない。非情で凄惨だからこそ、その持ち手たる私達はいつまでも、そして何度でも、その意味を己の剣と魂に問い続けなければならないのだ……!』
ゆっくりと垂直に剣を構える。
切っ先を下に向け、真っ直ぐに。
『王の命を受けて私達は今ここにいる! だが己が主を選び、剣を手にする事を選んだのは他でもない、私達自身だ! この戦場で一人の剣士として貴方に会えた、それが奇跡なのだと私は思う! 故に!』
ガンと一撃、切っ先を地面に突き立てる。
『私は今ここで、貴方に決闘を申し込む! 貴方と私、一対一だ!』
その声は煙で曇る戦場に堂々と響き渡った。
楽器を奏でるかのように、強く勇ましく、心地の良い声だ。
何を馬鹿なと黒の兵はざわめき、ヴィッツもテルルも開いた口が塞がらない。
ベルマイアだけが、それを聞いて大笑いした。
「決闘か! それを一軍の将たる俺が受けると思うのか!?」
『私が貴方に剣士として挑んだ決闘だ! 誇りを以て、受けるか否か!』
「いいだろう!」
男が剣を振り抜いた勢いで、風圧が砂塵を巻き上げて三人を襲った。
無敵の進撃を続けるヴォルフ軍にとって、これが初めての戦闘らしい戦闘になる。
黒の軍勢も、ヴィッツもテルルも、固唾を飲んで見守った。
王国最強と謳われる剣士と、魔族でも随一と呼ばれる剣士。
あるいはこれは、歴史的な戦いになるかも知れない。
二人は同時に剣を構える。
そして名乗った。
『グラム王国、王立騎士団が剣術指南! リメネス・ナキア!』
「黒の王が盟友、アルダノーム軍総司令! ベルマイア!」
そして同時に、振り被る。
「いざ!!」
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