第102話 それぞれの戦いへ(後編)

 六人はそれぞれ声を掛け合い。

 それぞれの戦いへと赴いた。


 騎馬隊が本隊より先んじて出発し、街をも覆い隠す程の土埃を上げて東へと駆けて行った。本隊の出発まで時間は無い。最終的な話もまとまりつつある。そんな中で一人の将が、作戦など無用と馬の上で英気を養っていた。


 その将に、一人の男が盛んに話しかけている。


「それで将軍。この度の作戦の手応えとしては如何程ですかな?」


 かきあげた髪、荒い無精ひげ、落ちついた瞳、どれも少し珍しい赤っぽい色合いだった。背は高く、体付きはがっしりとして、見た所では引退間際の老兵士の様だ。しかし今は、木の板を下敷きに勢いよく紙に何か書いている。エリックと名乗るその男は、情報屋であると言っていた。


「手応えなど! 我々が出張って来たからには、魔族など蹴散らしてくれる!」


 髭の将軍は馬の上で踏ん反り返り、自慢げに質問に答えていた。つられてエリックも顔を綻ばせる。


「それはそれは素晴らしい! やはり正規軍ともなると格が違いますなぁ!」

「当然である! 東部の失態は実に嘆かわしいが、時代遅れの化け物共など相手にもならん!」

「では作戦など必要ありませんね! 敵などただ踏み潰してしまえば良いのですから!」

「他の連中は臆病でいかん! 我等は正面から突き進み、敵を撃滅するのみよ!」


 そうであろう! と髭の将が呼びかけると、部隊からは力強い掛け声が返って来た。赤毛の男は何度も頷きながら、楽しいそうにその話を書き取っている。未知の敵を相手に碌な作戦も立てず挑もうとする者達が、彼にとっては面白くて仕方がないらしい。


「では情報屋! 戦勝の報を楽しみにしているが良い!」

「頼もしい限りです! 吟遊詩人を呼び寄せて待っているとしましょう!」

「それは良い! では後世に残る戦いをしなくてはな!」

「『その時である! 魔王が現れ世界は暗闇に包まれた! しかし見よ! 西から現れたるは勇猛なるフェルディアの一軍! 魔を滅ぼし! 悪を砕く! 世界に新たな平和を齎さんが為に!』」

「はははは! 見ておれ! その滑稽な詩、すぐに現実に変えてくれよう!」


 気を良くした髭の将は、持っていた小袋をそのままエリックに放った。向こうでは作戦会議も終わったらしい。髭の将も手綱を引いて馬の腹を蹴り、部隊へと歩を進めた。その後ろでは情報屋が紙をしまい、右手を胸に当てて大仰にお辞儀をしていた。


「では将軍殿! 御武運を!」


 そして顔を上げて優雅に微笑む。

 その微笑みに、何かが危険を知らせて来る。

 どこか人の不安を煽る、怪しく、赤い瞳だった。




「勇者達の尊き犠牲! 願わくば後に続く太平の世の礎とならん事を!」




 耳を疑うような言葉が聞こえて、髭の将は振り返る。

 しかし、そこには既に誰の姿もなかった。


「む……?」


 そして分からなくなる。自分は今まで誰と、何を話していたのか。疑問に思いつつも将は馬を進めた。しかしその時には彼もまた、その場にいた何百と言う兵士と同じく魔法にかかり、その情報屋の存在が意識から抜け落ちていた。


「なるほど、なるほど。人間同士の戦ばかりだと、やはり人の意識は鈍ると言う物か」


 堂々と歩きながら、しかし誰に気付かれる事も無くエリックは話を紙に書き留める。


「初戦はフェルディアの惨敗か。しかし他国の軍が揃えば、少しはまともな勝負になるかな?」


 横をすり抜けても、鼻先を歩いても、誰一人彼を気に留めなかった。

 クライムは勿論、マキノも、フィンも、レイまでも。

 すっかり彼の魔法にかかっていた。


 クライムも見た事がある魔法だ。岩のドラゴンと出会う前、盗賊少女に騙されて闇小人の鉱山を走り回った後に彼はエリックに話を売った。情報屋という肩書のあるエリックは、商品である話を仕入れる際に必ずこの魔法を使う。マキノやテルルも使う単純な魔法である。


 だがエリックが使うその魔法は、範囲、効果共に桁が違った。フェルディア全土を覆い尽くし、人も魔物も虫の一匹に至るまで、誰もエリックを認識できない。


 だから彼は首都の奥深くまで潜って情報を集められた。クライムの近くに都合よく出現しても彼に不審がられない。息をするように千年近く同じ魔法を張っているが、実際は息をする方が余程面倒だ。



 そうやって彼は。

 彼を含む、炎竜と呼ばれるドラゴンは。

 誰の目にも留まらず、世界を渡ってきたのだ。



「だが数など意味はないか。あのヴォルフが出て来れば全ては終わる。奴も変わらんな、あれだけの力を持ちながら面倒な事を。出番を渋るのも、また王たる者の資質なのだろうかな」


 そう独り言を呟きながら左目の傷を撫でた。五百年以上も昔、エリックは喧嘩を売ってきた魔族を焼き殺し、血の盟約に従いアルダノームの拠点にまで襲撃を掛けた。そこでヴォルフと戦った際、一瞬の油断から付けられた傷だ。何百年経っても消える事無く残っている。


 エリックが何かにつけてクライムの話を書き留めてきて、もうどれ位になるだろう。面倒事を呼び寄せる体質なのか、彼さえ追っていれば金には困らなかった。喜劇のように面白おかしい彼の話は、聞いているだけで物書きとしての本能がざわめく。


 ある時は騙されて山の主と戦わされ。

 ある時は奴隷としてまんまと売り飛ばされ。

 ある時は来る筈も無い呪いの星を防ぎに悪戦苦闘していた。


 根性のある奴である。どれも紙一重の所で命を繋ぎ留めていた。そして少し目を離した隙に、今度は魔族との戦争に巻き込まれている。気でも狂ったのかと思って笑ったが、しかし以前トレントの街で話した時を思い返せば、成程。確かに魔族の対の指輪を持っていた。


「しかし流石の奴も、命運尽きたと言った所か」


 今度ばかりは相手が悪い。飯の種が死んでしまうのは心が痛むが、それも仕方のない事である。モルテンが最期にエリックに頼んだのは、息子を過保護に守る事などではない。それに炎竜は時代の節目に現れるなどと言われていても、決して時代を変えに出て来る訳でも無いのだ。


 情報屋は、物語の書き手に過ぎない。

 あの変わり者こそ、物語の担い手である。


 胸が躍って仕方ない。魔族が今度こそ勝利を収めて、暗黒の時代の幕開けとなるか。それとも不死身の王を打倒して、人間達が生き延びるのか。不可能であると思いつつも、あの男なら何かやらかしてくれる気がしてしまう。今までずっと、そうであったように。


「さてさて。白か黒か。勝利か死か。面白い話が書けそうだ」


 これからエリックは街へと帰る。この戦争を追って本を出せば、それなりの金にはなりそうだ。宿へと戻って下書きから始めなくては。幸い今日は晴れていて、加えて思わぬ収入もあった。贅沢な昼食を取って、酒でも飲みながら筆を取るのも悪くない。


「しかし、あの男が死んでしまっては、この物語も敢え無く終幕か。困った事だが、それなら今の内に題目でも考えておかなくては。題目、ふふふ、一番難しい問題かも知れんな。いや……」


 コツコツと筆で下敷きを叩きながら、エリックは少し振り返る。

 そこにはレイに手を取られて、引きずられるように城へと走るクライムの姿があった。


「面倒だな。いっその事、安易で単純な名前も悪くない。強いて付けるなら、」


 コツっと。

 筆で下敷きを叩く。



「変わり者の物語、かな?」 


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