間話4 変わり者の旅立ち(前編 1)

「おかしい……」


 ニルスは山と積まれた食材を片っ端から捌きながら、運の悪さと自分の性格を呪っていた。


「おかしかないだろ宿屋の。それよりまだかー?」

「まだだよ! 一体みんなどれだけ食うんだ!」


 飛んでくる軽口には怒号で返す。大勢の男達を詰め込まれた酒場は笑顔と喧騒で大賑わいだった。だが酒屋を切り盛りする側にとっては、まさに戦場そのものである。


 ケプセネイアは小さな村だ。

 ウルム侯爵領の北側に位置し、気候は寒冷で時折森から霧が流れてくる。


 寒さに強い農作物が主食であり、森から獲物が豊富に取れる事などまずない。それが取れたのだ。それも大量に。冬に備えてそのほとんどが燻製と塩漬にされるが、少しくらいは皆で片してしまっても罰は当たらないだろうと、誰ともなしに言い始めたのだった。


「何が少しだ!」


 村一番の酒屋と言えど、そこで働くのは四人のみ。女将は店を壊すなと檄を飛ばし、その子供達であるオデオンとサラは接客に追われ、店主は酒瓶片手に早々に客側へと寝返った。


 そこで宿屋の親子、モルテンとニルスが招集されたのだ。山積みの獲物の皮を剥ぎ血を抜き、煙で燻し塩樽に漬け、それ以外を酒の摘みにする係。つまるところは貧乏クジである。加えてそのモルテンまでもが寝返って店主の隣に収まっている始末だ。


「だから馬車を壊したのは私じゃない!」

「クソ侯爵が、今度会ったら絞め殺してやる」

「あの大猪を仕留めたのも当然俺だ! 感謝して食えよ貴様ら!」

「おい宿屋の! さっき注文した分まだかよ!」

「まだだよ! できるまで鼠のシッポでも齧ってろ!」


 作業に追われてニルスの口から普段は出ない罵声が飛び出す。だがそれでも彼は裏切り者共を合わせた三人分の働きをし、葡萄酒煮込みやら香草焼きやら一手間加えたものを作り続けている。塩でもふって火の中に放り込めば適当な物が出来上がるだろうに、彼は律儀に皆の要求に応えた。


 何でも引き受けてしまう、そんな自分が腹立たしい。しかし頼む方にも非はあるだろう。なぜ自分に頼むのか。そんな事を考えつつも悲しいまでに手は動いた。


「俺は絶対こんな村出てってやるぞ!!」


 ようやく落ち着いたニルス、オデオンの二人がキアランのテーブルに着いた頃、開口一番オデオンが叫んだ。疲れ切ったニルスからは疲れ切った笑いしか出て来ない。


「それさ、もう五年前からずっと言ってるよね」

「見てろ! もうすぐモルテンの腕も盗み終わる! そして! 出てってやる!」

「猛るな逸るな若者よ。ささ、もっと飲め、それから更に飲むがいい」


 宿屋の息子らしく、ニルスは二人に料理をよそい。

 酒屋の息子らしく、オデオンは喉を鳴らしてコップを呷り。

 詩人の息子らしく、キアランは芝居がかった口調でからかう。


「懲りないよね、本当に」


 出てってやる。オデオンのこれは田舎に住む若者特有の病気だ。誰もが決まって患い、そしていずれは治って堅実に村で一生を過ごす。だが彼は治らなかった。オデオンが別の村に自分の店を構えようとしているのは最早公然の秘密であり、しかも準備は着々と進んでいる。


 もっともニルスに言わせれば、こんな平和で優しい村を捨てるなど罰当たりもいい所なのだが。


「安寧な生活を捨てて夢を追う少年。うん、良いね。良い詩の題材になりそうだ」

「ぶれないねキア。でも食事中に物を書くのはやめてってば」

「しがない詩人見習いとしては小さな話でも金の粒に勝る価値があるのさ。君があの件で協力してくれるなら、こんな苦労は無いんだけど、ねえ?」

「知るか。前に僕と、ちゃんと約束したろ」

「出てってやるーーーー!」


「オデオン、うるさいよ」


 短く、声がかけられた。

 その声に、ニルスの息が一瞬止まる。


 気遣いや遠慮を残さず削り落としたような、淡々とした声だった。自然と、ニルスの顔が上がった。


 そこにいたのは、栗色の、髪の長い少女だった。


 女性にしては背が高い。三人とほぼ同じ身長だ。顔にかかった前髪の向こうから細い目がこちらを向いている。声色と同様に、初めて会う人は少し冷たい印象を受けるだろう。仕事の邪魔だと両袖が捲られていて、そのせいか肌についた擦り傷や切り傷が妙に目についた。


「お疲れ様、サラ」


 ニルスが引いた椅子にサラが座り、テーブルに四つのコップが置かれた。

 筆を走らせながら顔も上げずにキアランが礼を言う。


「ありがとうサラ。もう落ち着いたのかい?」

「休憩。少しだけ。もう父さんも母さんも飲んでるから」


 そう言ってサラは三角巾を取り、顔にかかった栗色の前髪をかき分ける。机に突っ伏したままのオデオンを放ってニルスとキアランはコップを取り、三人でカンと乾杯。そしてぐっと中身を呷った。だが飲んでいる間もキアランはずっと羊皮紙に何か書いている。それを見ながらサラはコップを傾ける。


「さっきから随分仕事熱心ね、キアラン」

「一流の宮廷詩人への道は実に遠く険しいのだよサラ」

「一流って、お前どーすんだよ。このままクソ親父の跡を継いで、クソ侯爵専属のクソ詩人になって良いのか?」

「詩人なんて金にならない商売さ。君の言う通り駄作を量産して泡銭を稼ぐ位が丁度良い。幸いそういう点ではネタに困らない御方だからねえ」

「雇い主でしょ、キア。滅多な事は言わない方がいい」


 そう言いつつニルスにも否定できなかった。薄めて不味くなった林檎の果汁が、更に不味くなったような気がした。


「ネタに困らねぇって、侯爵の失態を誉め倒すだけの仕事だろうが。最近だと何した? 隣の領主を怒らせて、とうとう交易がなくなるって?」

「僕は魔物退治に農民を狩り出して、村一つ潰したって聞いたよ」

「後はそうだねえ。つい先日、たまたま見かけた行商人を娼婦にしようとして平手を食らってたかな。それからそれから……」

「三人とも、それくらいに」


 たしなめるようなサラの言葉に、キアランは大袈裟に肩をすくめた。


「ま、それも今だけさ。後世に残るような伝説や御伽噺を創るって目標もある。いずれは創作の旅に出たいから、当面はその資金調達に徹するつもりだよ」

「そう、考えているのね。オデオンも同じくらい考えているといいのに」

「姉貴面すんな血も繋がってねぇのに。それに俺だってもう行先も決めてんだ。知ってんだろ」

「いや、それは初耳かな。どんな所なの?」


 そう聞いてサラはさり気なくオデオンのコップに酒を盛る。


「谷間にある静かな村だ。ここから近過ぎず遠過ぎずだな。物流は村に河が走ってるから問題ない。近くの山からは質の良いハーブも採れる。街からも適度に離れて荒事も少ない。我ながら良い場所が見つかったと思ってるぜ。そんで村の名前はなぁ……」


 調子に乗って喋りまくっていた口がぐっと詰まった。


「って誰が言うか! 危ねーな!」


 サラが舌打ちをする。抜け目のないこの少女に居場所を知られれば、裏から手を回されて家に連れ戻されかねない。オデオンが口を割らないと見ると、サラはニルスの方に詰め寄った。


「ニルス、貴方は私の味方よね」


 どこの村? と顔を近づける。急な事でニルスはぐっと口の中の物を喉に詰まらせた。至近距離で見る彼女の顔がやけに細かく見える。長い睫毛、赤い唇、褐色の瞳、目にかかる栗色の髪の一筋一筋まで。顔が火照る。


 それを見てオデオンは呆れながら助け舟を出した。


「俺は誰にも話してない。あんまり、そいつからかうな」

「黙って。私は彼に訊いているの。ニルス、どう?」

「う、うん。これは本当に知らないんだ。ごめんねサラ」

「ふーん……」


 まるでニルスの瞳の奥を覗き込もうとするように、サラは怪訝な表情でますます顔を近づける。ニルスはその褐色の瞳から目が離せない。心臓の音がサラまで聞こえやしないかと思った。だがサラはふいと離れて席を立った。


「まあいいわ。それじゃあ三人とも、ゆっくりして」


 素っ気なくそう言うと、再び仕事に戻った。オデオンは頬杖をつきつつコップを呷り、キアランは気にせず構想をまとめ、ニルスは深くため息をついた。年下の男三人、揃いも揃って彼女には頭が上がらない。いつもの事だ。


「……」


 少しして、サラが完全に離れたのを確かめてから、オデオンはぼんやりしているニルスに訊いた。


「で、結局お前はどうすんだよ」

「ん? どうするって、前に話した通りだよ。父さんにももう相談してるし、雪が降る前には……」

「ちげーよこのヘタレ。そっちじゃねぇ」


 急に話をふられて適当に答えている所を一刀両断。

 話が見えなくなってニルスは呆けるが、オデオンは店の奥に目線を送る。


「本当に、このままで良いのかって訊いてんだよ」


 目線の先には淡々と働くサラの姿があった。空いた食器を片付け、注文があれば酒を追加し、居眠りした男達には体が冷えないよう、そっと毛布を掛ける。ニルスがずっとその姿を目で追っているのがバレていたのだ。ニルスは少し難しい顔をする。


「……もう、いいんだ。元から無理な話だし」

「そうやって屁理屈こねる癖に、いつまでも諦めついてねーだろが」

「だから、いいんだよ。僕はこのままの距離も気に入ってるんだ」

「そのままの距離、ねえ」


 キアランは顔を上げてくるくると羽ペンを弄ぶ。


「確かに、ニルは一番サラに近い場所にいるだろうさ。この村の男共は一通りサラに言い寄って、いや女からも告白されてたかな? あと彼女に声をかけてないのはニルくらいだ」

「全員フるなんざ良い度胸だよな。心臓に毛でも生えてんのかよ、あの女」

「そんな事ないよ。少しでも相手を傷つけないようにって、サラは毎回悩んでた。なんか分かるらしいよ。来るのが」

「お前が言うならそうなんだろうよ。けっ。なんで告白した男より、フった後の相談受けただけのお前が仲良くなってんだよ」


 オデオンの野次にニルスは複雑な顔をする。サラは店の奥で働き、三人の声も届かない。それでも少し声を落とした。


「僕だってそんなつもりじゃなかったよ。僕は年下だし、弟の友達だし、警戒してなかったんじゃない?」

「それに全く羨ましくないしねえ。特別を求めないという意味での特別な関係。まさに人畜無害な飼い犬の位置だ。義理の姉に求婚した身としてはオデオン、代わって欲しいかい?」

「ガキの頃の話を持ち出すな、嫌に決まってんだろ。お前はどうなんだよニル」

「酷い言いようだよね。放っておいてよ、まったくもう」


 ニルスははぐらかすように空のコップに水を注いだ。


 自分の気持ちは知っている。彼女が、好きだ。だがそれを伝える事はない。最初から考えられない事なのだ。自分のような人間が、誰かと特別な関係になるなど。


「……」


 いやそれより、一体いつから。

 自分の事を、人間だ、などと……。


「おい、いい加減にしとけよお前」


 女々しい心を読まれたかのような言葉に、はっとニルスは我に返る。


 だが自分が言われた訳ではなかった。別のテーブルで、接客中だったサラを酔っぱらった鍛冶屋のオヤジが抱き寄せていたのだ。


「いいからたまにはお前も飲めよ! 俺が奢ってやるからよぉ!」

「よせよオリク。お前、この村の野郎ども全員を敵に回すぜ」


 周囲はやんわりと注意するが、鍛冶屋には聞こえていない。泥酔しているせいか、加減もなく筋肉質な腕で腰の辺りを無理矢理抱いている。だがサラは抵抗もせず薄く笑顔を浮かべていた。絡まれるのもいつもの事だ。悪気はないが、誰もサラを助けない。


 そんな中、ニルスだけが憤然と立ち上がった。


 オデオンとキアランは溜息混じりにそれを見送り、ニルスは肩を怒らせて二人に近づく。一方でサラは、何か思いついたかのようにポンと手を打った。


「そうか、オリク」


 薄く笑ったまま、テーブルにあった一際大きなコップを取る。


「貴方、まだ酒が足りてないのね」


 そのまま笑顔でコップを振り上げて、鍛冶屋の頭をブン殴った。木製のコップが微塵に砕けてオヤジはその場に倒れた。周囲からは歓声が上がり、サラが取っ手の破片をポイと捨てる。


「片づけて」


 待っていたように男達が群がり、満面の笑みのまま気絶した鍛冶屋を引きずっていった。


 この村の男達は仲良く過去にフラれた者同士だ。こうなると分かっていたからこそ誰も手を出さなかったのだ。店は何事も無かったように騒がしさを取り戻し、サラも改めて袖をまくって仕事に戻ろうと振り返った。


「…………」


 そこに、立ち尽くしたニルスの姿があった。全身からポタポタと葡萄酒を滴らせている。彼女を助けようと近付いた所に、サラがオヤジを殴るのに使ったコップの中身、そのほぼ全てを頭から浴びたのだ。白かった麻の服が葡萄酒に染まって紫色だ。サラは悪びれもせずに言う。


「あら失礼」

「…………いいよ、別に」


 ニルスは何とも言えない顔で口元の酒を舐めた。

 そして情けなさで肩を落としながら、体を拭きに店の外へ出た。


 もう夜も深い。


 熱気の籠る店内と違い、外はかなり肌寒い。元気が良いのもこの店だけで、点在する家々は明日に備えて眠っていた。見上げればすこし雨雲の残る夜空が広がり、遠くに目を遣れば未だ火の灯る領主の街が見え、反対側には大きな古森の奥に深い闇が見える。


 ニルスは上着を脱いだ。きつく絞って酒を落とし、瓶に貯められた水に浸してそのまま体を拭く。かなり冷たい。それでも熱くなった頭を冷やすには丁度いい。一通り拭き取った後、替えの上着を取りに一度自分の家に戻ろうとした時だ。ふと、後ろでコンコンと音がした。


「?」


 振り返ると、丁度扉が閉まる所だった。誰だったんだろうと思って近付くと、ある物に気付いた。勝手口の下に洗い立ての服が綺麗に畳まれて置いてあったのだ。


 少し顔をほころばせて、ニルスはそれを手に取った。さっきまで室内にあった服はほんのり温かい。ありがたくそのまま袖を通すと誂えたようにぴったりだった。彼女には敵わない。


「……」


 考え過ぎるのは、ニルスの悪い癖だ。考え過ぎた結果としてよく先走る。だがそんな自分のちっぽけな悩みが、サラには筒抜けになっている気がしてならない。


 さっき、間近で見た彼女の顔、彼女の瞳を思い出す。あの真っすぐな瞳には見覚えがある。彼女の相談に乗って二人で話していた時によく見た瞳だ。


 彼女はいつも何も言わない。

 しかし本当は、全部分かっていて言わないだけなのだろうか。

 自分の気持ちも、悩みも、迷いも。


 そして。


 嘘も。


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