第5話 道中

 利益がものを言う街、トレント。


 元は南にある巨大な牧草地と北の諸王国都市の交易拠点であったらしい。その潜在性に目を付けた商人達がここを占拠してからと言うもの、急速に発展し勢力圏を拡大させた。


 利益の為なら良くも悪くも手段を選ばない方針が、この街に独特の雰囲気を与えている。いわゆる亜人が多いんだ。人間が支配する北の国々と違って、この街には様々な種族が人間と変わらず生活している。体が一回り小さい者、褐色の肌を持つ者、獣のように牙が生えた者、ここでは皆平等だ。


 真の世界平和が仮に実現するとすれば、それは利害関係の均衡の上に成り立つでしょうね。マキノは昔そう言っていた。


「ごめんクライム、疲れたからちょっと休憩」


 ここにもそんな亜人が一人いる。リュカル。闇小人やドワーフと並ぶ、地中の賢者とも呼ばれる種族だ。鼠のように細長い尻尾はズボンの中だし、尖った耳は髪に隠れているし、見た目は人間そのものだけど。メイルは大きく息をついた。


「いいよ。でも街中見て回るなら、いつもみたいに僕が……」

「だめ。一緒に歩く」


 ぷっと膨れる。地面の下で座りながら本を読んで暮らす彼女達は、元来歩く事に慣れない。堅い地面を掘り進む前足の力は異常に強い一方、後ろ足は人の子供より力がない。


 意地を張って一生懸命歩いているけれど、旅の途中で僕やアレクが背負うのもいつもの事だ。それでも僕と二人になると、こうしてずっと一人で歩きたがる。手を繋いで歩くため、なのかな。いや意識し過ぎか。誤魔化すように隣に腰を下した。


「じゃあ中まで入るのはよそう。一度入ったんでしょ?」

「そりゃ中はそこまで見るものじゃないけど、せっかく案内してるのに」


 そんなメイルの口にさっき店で買ったお菓子を放り込んだ。疲れも何も一瞬で吹き飛んだらしく、溶けたような顔でおいしそうに食べ始める。


 こうして甘いものですぐに幸せになれる様子を見ていると、歩く百科事典さながらの普段とは別人みたいだ。鉱山でも見せた異常な記憶力に、地中の里で溜め込んだ膨大な知識。この子は多分、マキノとは別種の天才だろう。一生懸命に口を動かしているメイルの顔を眺めながらそんな事を考えていた。


 ごくんと全部飲みこんだ。顔が元に戻る。真っ赤になった。


「いや、だから違うんだってば!!」


 僕等は商業会館の前で並んで座っていた。先にマキノと街中廻ったメイルが是非一度は見た方が、と推した場所。大量の物資が行き交う大通りとは違い、ここでは契約と証書による取引が主で、この街にしては人が少ない。でも逆にここを通じて行われる商売は街のどんなものより大規模だ。


 大きな建物だ。レンガ造りの壁は巨大な柱で支えられ、数えきれない窓には全て細かい装飾がされている。僕等の隣に見える正門は、多くのレリーフで飾られている。メイルの目もそれを見ていた。


「ああ、初めて気付いたよ。あの天使が持ってるのは天秤だね」

「あれ天秤か、って天使が?」

「繁栄と公正の天使ヌメノス。この辺りじゃ有名な天使だよ」


 遮光用の眼鏡を取ったメイルに見えない物は無い。でも、


「まっぶしー!」


 という事だ。昔は暗闇が常だったせいか五感が鋭い代わりに敏感すぎる。眼鏡を外すのは、遠くを見る時か本に集中する時くらい。でもそうなると味覚もいいんだろうか。そう思って僕はもう一つお菓子を放り込んだ。うん。おいしそうだ。


「いや、だから!」


 柱はリドア式。装飾はクロンバック式。後付けした正門は最近流行ってきたフェルディア式。ようはごてごての寄せ集めだそうだ。商人達が来る以前、ここにいたのは今は没落した名門貴族。借金を形に組合が手に入れた今も、その寄せ集めが謎の調和を見せているためか美術的価値は高い。


 商業会館を後にしてからも、僕はメイルの案内でこの街をひたすら見て回った。


「あれが世界に一つしかない聖人トトルの墓だね。もう五つ目だけど」

「この調味料はここでしか手に入らないらしいよ。ちょっと味見していい?」

「見てよクライム! 北国に伝わる黄金の剣の複製品だ! 凄い出来だね!」


 もともと本だけの生活に我慢できず里から飛び出した子だ。珍しい物と新しい物で溢れ返ったこの街では、メイルが飽きる日は来なさそうだ。でもこの揚げ物は本当においしいな。安いし。


「っ……」


 ふと、メイルが僕の後ろに隠れた。


 服をぎゅっと掴んで顔をうずめる。なんだろう。前から歩いてきたのは旅人、というより猟師のような人達だった。頭からフードをかぶって顔は見えず、大きなボロボロのマントを羽織っている。すれ違った時、背負った箱がガタガタ揺れて、中から何かの鳴き声が聞こえた。


 彼等との距離が空くと、メイルの手は少しだけゆるむ。何だったんだろう。


「今の、賞金稼ぎ?」

「……それよりタチは悪いかな。なんて呼ぶかは知らないけど」


 あの中に何が入っていて、金に変えられた後はどうなるんだろうか。

 考えないようにしよう。関わればただでは済まない。僕はまだしも。


 昨日は空から半分迷子の僕を探してくれてたフィン。今から思えば本当に危ない事をさせてしまった。


 図体がデカくても不便なだけと、普段は本当に小さな姿で旅をしているけど、それでも白い翼は目立ち過ぎる。だから街ではその翼までも隠していて、言ったら怒られるだろうけど本当に白イタチにしか見えない。でも、もし翼を見られたら。もし、フィンの事を知っている人がいたら。


 一度だけ、ばれた事がある。そしてその時、僕等はフィンが何者なのかを改めて思い知った。あの時は取り囲まれて動けない程度で済んだけど、こんな危ない所でばれたら捕まって即売られるか、いや、きっと価値としては生死問わずだろうな。


 フィンはあの後一週間も口を利かなかった。その雰囲気から誰も理由を聞けず、僕だけが夜な夜なフィンの怒りを聞き続けた。


 嫌な思い出だ。



***



 腹立たしい。


 雪の竜を見た者は幸せになれる。そんな馬鹿な話を一番最初に言い始めたのはどこの馬鹿だろう。フィンとしてはその馬鹿に恨み言の一つも言ってやりたい。本音を言うならばブチ殺してしまいたい。


「当たりだ!」


 酒場を響かせる男達の大歓声。

 不本意だ。まったくもって不本意だ。


 その幸せを幸運と解釈して、賭け事に使おうなんて馬鹿な事を考えるのは、きっとこの世でアレクの馬鹿だけだろう。馬鹿なのか。そんな訳あるかこの馬鹿。


「お前さん強いな! 連勝だ!」

「ははははは! 少し本気を出し過ぎたかな!」

「いいぞ、このままこの店潰しちまえ!」


 昼前。クライムとメイルが出掛けた後の事だ。


 良い所に連れて行ってやる、とアレクに首根っこ掴まれて連れて来られた先が街一番の、曰く「大人の遊び場」。薄暗くもだだっ広い店の中で、皆が酔いに任せて大金を賭けている。フィンはマキノと二人で少し離れたテーブルから見ているだけなのだが、それだけでさっきからアレクはカードで勝ちっ放しだ。思い込み効果で人は病も治すそうだが、なまじ馬鹿だと効き目も大きいらしい。


 しかし雪の竜を見た者は幸せになれても、幸せを届ける瞬間を目にした者はそれ以上の不幸になるらしい。なら。


「こいつら全員不幸にならないかな」

「物騒な事言わないでくださいよ、フィンさん」


 隣に座るマキノが笑った。長い付き合いだろうに、アレクが何考えているか分かっていたなら何故止めない。いや、ここで止めないのもまたマキノらしい。この男がこの場にいるのも、面白そうですねついて行きますー、とかぬかしての事だ。断じてフィンを助けに来ている訳ではない。


 そんな事をイライラ考えている内にアレクはまた勝った。

 フィンは呆れ顔で、マキノは笑顔でそれを遠くから眺めている。


「しかし凄いですね。勢いとは言え、相手の手札も周りの戦況もあそこまで把握できるなんて。ああ、今のは上手いハッタリだ」

「で。こんな遠くから見てるのに、どうしてマキノにそれが分かるんだい?」


 ただの勘ですよ、とお得意の笑顔を見せる。こういう頭脳戦でこの魔術師が負けた所をフィンは見た事が無い。完璧に相手の手を読み、他人の一番嫌がる事をやたらとやってくる。破産させた相手に冗談ですよと金は全部返していたが、その相手は返された時に一番打ちのめされた顔をしていた。本当に魔術師か、この男。


「アレーク! 何やってんだー!」


 また面倒なのが来た。


 店にやってきたのはメイルと街を見ていたクライムだ。アレクの暴走を止めるのは、今も昔も専ら彼の役目だ。店に入るなりそのまま二人で言い合い始めた。クライムは彼らしいもっともな意見を畳みかけているが、逆にアレクは賭け事の崇高さを説いている。


 思うに、変身で顔が似ているだけではない。

 あの二人、絶対に似た者同士だ。


 そんなクライムに、何を考えてか色気の塊のような女が言い寄ってきた。すかさずメイルが止めに入る。


「だめ! クライム、もう出ようよ!」

「あらぁお嬢ちゃん可愛いわね。あたしどっちでもイケるのよ?」


 何故か女の矛先が変わる。


「ボク、ボクそういうのは……」

「ボク? それもイいけど、私って言ってごらんなさい。わ・た・し」


 フィンは変わらず、誰を助ける訳でもなく傍観する。幸せを届ける竜などと言われてはいても、彼自身は赤の他人の幸、不幸に興味はない。髪をもう少し短くして化粧はしない方が好みかな、そんな事を考えていた。


 一方メイルは真っ赤になって口をバクバクさせるばかりだ。こういう事にはめっきり弱い。クライムは一応彼女を庇いつつやんわり断っているが、はっきり言って役に立っていない。


 鈍くはない。しかし彼がメイルの好意に気付いているかと言われればどうだろう。メイルもメイルで子供なだけに、彼への愛着や親しみが恋愛感情になっているかと言えば難しい。初々しい限りである。


「しかしフィンさん。いいんですか? こんな所で眺めていて」

「マキノこそ。止める気が無いなら何で付いてきたのさ」

「一応見ておかないと危ないですから。矛盾しているかもしれませんが、私は旅には必要最低限の金しか持ち歩かない質なんです。なので余った分は、どこかで消費してしまいたいんですよ」

「言ってる意味が分からないんだけど、……ああ、そう言う事か」


 それからすぐに、店には新たな歓声とアレクの悲鳴が響き渡った。クライムが説教し、アレクが打ちひしがれ、メイルが宥め、マキノが面白そうに眺め、フィンは我関せずと狸寝入りを決め込む。いつもの光景だった。


「……」


 賑やかな空気からは、少し距離を置いたままだ。


 フィンは特段、仲間意識が低い訳ではない。だが彼は何かと穿った見方になりがちで、口を開けばついつい毒が滑り出す。間違っているとは思っていない。常に最悪の事態を想定していれば、その事態に出くわしても動じない。それも一つの考え方だろう。


 だから、フィンは自分の性格が嫌いではあっても、やはり日常という物が好きにはなれない。


 それは普段当たり前のように受け入れられ、誰にも認識されない。だから無くなるまでそれがある事も分からないし、無くなって初めてその大切さが分かる類のものだ。


 そういうものに限って、終わりは突然やってくるのだから。


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