第4話 赤い目

 合流場所は昼に街の中央広場と決めていた。歴史のある街並みを商人達が無骨に改造したものらしく、不思議とそこかしこに伝統や趣を感じる。この中央広場もそうだ。大きな噴水に女神の像は、どうにも金儲けや闇取引には似合わなさすぎる。


 丁度真昼。

 どういう仕掛けか、一際大きく広場の中央から水が噴き出す。


 しかしこうも人が多いと待ち合わせ場所には逆に向かないな。来る途中に人ごみをかき分けてきて、何度知らない人とぶつかったか知れない。絶対に硬貨の音をたてまいとポケットの中でしっかり巾着を握ってきた。まだある。盗まれてない。早い所どこかに落ちつきたいんだけど。


「何やってんだい。こっちこっち」


 急に頭上から声をかけられた。

 すとんと僕の頭に乗っかる白イタチ。フィンだ。


「よかった。本当に見つからなくてさ」

「だろうと思ってこっちも探してたよ。ほら、向こう」


 そう指さされても人の壁で何も見えない。結局、フィンの指示通りひたすら人混みをかき分けるにも一苦労で、辿り着くまでにすっかり時間が掛かってしまった。


「よおクライム。少しはふんだくってきたか?」


 広場沿いにある屋台。そこに僕を除く全員が集まっていて、山とある食べ物をひたすら腹に詰め込んでいた。何だろう、随分な収穫だ。ここ数日で空になっていたはずの荷物が元の大きさに戻ってる。それにこの食べ物の量。


「いつもよりはね。それよりどうしたのその荷物。どこからそんなお金を、いや聞かない方がいいんだよね。分かった知らない。何も見てない」

「鉱山から首飾りと一緒に色々ぱくってきた」

「は!?」


 なに言ってるんだこいつ!

 いや、いつの間に!

 いや、そうじゃなくて!


「しかし儲かりましたね。アレクにしては良くやったじゃないですか」

「目の前に宝の山があったらそりゃやるだろ。しかしもっと褒めろ」

「ちょっ! 何やってんのアレク! 盗んできたの!? で、売った!?」

「いいの」


 僕を抑えたのはメイルだった。盗みなんていつも僕と一緒に反対するのに、今回は落ちついた様子で芋をかじってる。というか、どこか澄ましたような顔だ。


「闇小人なんて山を削って出来たものを蓄える事しか能がないんだから。自分達がどれだけ価値のあるものを作ったか分かった上でそれを全部隠して。まったく。最強の剣も国宝級の魔法細工も、使わなければただのガラクタなのに」

「売って金に換えた方が世の中の為になる!」

「でも一緒にされるのはヤダ」


 なるほど。よほど嫌な事でもされたんだな。地中に住む者同士ぶつかる事もあったろうし。まあいくらメイルでも闇小人には勝てなかっただろう。


 僕はため息をついて取り敢えず空いている椅子に座った。


 目の前には山の様な食べ物。これ全部アレクが買ったのか。僕も少しはいつもより稼いだと思ったのに、何だか負けた気分だ。おもむろに肉を取って口に運ぶ。食べれば共犯、と一瞬頭に妙な言葉が掠めたけど、そのまま食べた。何せ久しぶりのまともなご飯だ。罪悪感なんて腹の足しにもならない。


「おいおい、それ最後の一つだろ! テメーは草でも食ってろ!」

「うるさいな。僕もお腹空いてるんだよ」

「これもいけますよ。野菜とチーズを生地に包んだ簡単なものですけど」

「でもシチューはあげない」

「フィン、そこのトマトもう一つとってよ」

「もう無くなったか。オヤジ! 酒もう一杯!」


 命が懸かった時は信じられないほど体が動くけど、空っぽのまま無理に動かしてる分、こういう時の食欲はみんな凄い。ここ数日は本当に携帯食料だけで命をつないでたんだな。


「ん?」


 マキノはさっさと食べ終わったのか、一人だけお茶を飲みながら地図を眺めていた。次の目的地でも絞ってるんだろうか。僕は喉に詰まりかけたパンを水で流しこんだ。


「次って確かアービンに行きたいって言ってたよね」

「はい。でも一稼ぎしたかっただけで特に見たいものも無いんですよ。組合にしていた借金もさっき全部返済してきましたし、もっと面白い所はないかと」


 全部? 一体いくらしたんだアレクの戦利品。


「例の情報屋、エリックさんでしたか? 彼から何か話はありましたか?」

「この辺りの噂は色々と聞いてきたけど、後で話すよ。見えない森とか岩でできたドラゴンとか、胡散臭いものばかりでさ」


 とにかく全ての情報に耳ざとい彼等はどんな小さな話でも買っている。そこから本物を聞き当てるのがエリックさんの腕の見せ所な訳だけど、無料で分けてくれる話はそうじゃない。雑多に仕入れた話を雑多に聞かせてくれるから、まあほとんどがガセだ。マキノもメイルも、そんなものでも喜んではくれるけど。


 地図を見ながら、ふとフィンが訊いてきた。


「クライムは? この辺りに他のアテは無いのかい?」

「この辺り、か……」


 それこそあの街、コークスにわりと期待していたんだけどな。適度に辺鄙で、かついざという時の隠れ場所も近い。歴史も浅くてその土地特有の匂いが薄い街。エリックさんが言っていたいわく付きの場所よりよっぽど可能性がある。


 メイルが少し心配そうな目で僕を見ていた。僕はとぼけて笑って見せる。首を横に振るとフィンとマキノは少し考えてまた地図に視線を戻した。


 故郷の仲間。

 僕個人の旅の目的。

 散り散りになった仲間を探すあての無い旅だ。


 僕の故郷、ケプセネイアの村は元々人が多い訳でも無かった。それでもあの炎の夜、難を逃れて村を去る沢山の人達を確かに僕は見た。もう死んでいる人もいるだろう。でも少なくとも父さんはまた店でも構えている筈だ。構えている以上はそれを探さなくちゃいけない。


 これは一人でするべき旅だ。少なくとも誰かを付き合わせるような物じゃない。それでも今の仲間は、いつも微かな噂や昔の勘を頼りに行き先を変える僕に付き合ってくれる。コークスの街も僕のわがままで寄ったんだ。またみんなを巻き込みたくない。気長にいくさ。なんだかんだで旅自体も楽しいし。でも。


 でも。

 でも、たまに。

 でも、気づいた時には。

 それを忘れる自分がいる。

 思い出さなくなる時がある。


 仲間を探すために旅をしているはずが、旅の楽しさ、毎日のあわただしさに、それを忘れる時がある。


 そうやって昔の事は忘れていくんだと誰かに言われた事がある。でも、僕にはそれが出来ない。その度に思いだす。あれを全て過去の事だと流して、過ぎた事だと割り切って生きる事は出来ない。


 故郷はもうない。それでも一緒に暮らした人達だけは決して忘れちゃいけない。皆と話して、一緒に笑って、その全ての積み重ねの上に今の僕があるのだから。顔の無い男を僕としてくれるのは、今まで出会った全ての人達のおかげなのだから。


 僕は……。


「クライム」


 フィンと急に目が合った。

 また、考え込んでいたんだ。


 フィンはじっと僕を見ている、でも何も言わない。きっと僕が何を考えていたんだか分かるんだろう。僕もフィンが何を言いたいか目を見れば分かる。長い付き合いだけど、こんな時は嫌になるくらい気が合う。僕は余ったパンに手を付ける。


「何でもないよ。大丈夫」


 気付くとマキノとメイルは二人で地図を前に盛んに語り合っていた。こうして二人の、いわゆる知的好奇心に引っ張られるように行き先を決めるのがいつもの感じだ。僕がそれを決めると、大抵ろくな事が、無い。黙ってよ。パンでも食ってろクライム。


「ところでアレクは?」


 訊くとフィンが顎で指してくる。離れた場所で知らない人達と騒いでいた。あ、一斉に飲み始めた。倒れる男たち。勝ち誇るアレク。喝采を送る人達。本当にあれが僕の仲間なんだろうか。なんか嫌だな。


 ってアレクも倒れた。やれやれ無茶ばかりして。

 またいつもの言い訳で行くか。フィンの指示も飛んできた。


「クライム。回収して」

「はいはい失礼、ちょっとごめんね、それ僕の兄貴だから」



***



 黒い塊が煙の中から投げ出された。鈍い音がして地面に落ち、一部がとれて傍に転がる。人の死体だった。全身が焼け爛れて、顔はもう赤い肉が覗くだけの炭になっている。そんなものが見渡す限り、あちこちで無造作に転がっていた。  


 壊れた家。焼けた畑。大地に幾つも空いた大穴からは火の粉が噴き出し、黒い煙が空へ昇っていた。聞こえるのは未だ大地が揺れる音と、絶え間ない炎が何もかもを焼き尽くす音。晴れた空には不釣り合いに、煤が舞うこの村ではどこも黒く濁って見えていた。


 何か大きなものが太陽を遮り、村に影を落とした。


 余りに巨大なそれは、重々しい外見とは裏腹に魔法のごとく宙に浮かび、ゆっくりと村の上空を旋回していた。そして村にいた生き残りを殺し尽くした事を確認すると、それはまた村から離れていく。 


 進む向きを変える時、一度だけ翼を動かした。その付け根、翼の間接からボロボロと欠片がこぼれ落ちる。


 欠片は音を立てて地面にめり込み、砂煙が舞う。

 火の粉と煙が全てを覆い尽くす村で、砂煙はすぐに空気に溶けた。


 煙の中から現れたのは四本足の醜い獣だった。低く唸ると獰猛に牙をむく。出来たばかりの体のぎこちなさに苛立ちながらも、歩きながら辺りを確認していた。


 ドラゴンと同じく、岩で出来た体に赤く光る目。


 獣もまた、新たな血を求めて走り始めた。


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