第2話

 その夜、仕事を終えひと風呂浴びた弟子たちは、天野の部屋に集まって宴会を開いていた。麻耶が来てから四日目だが、ほぼ毎日、何らかの理由を作っては宴会を開いている。皆で「おつかれちゃーん」のビールを一気に流し込むと、プハーと息を吐いた天野が麻耶に絡む。


「菜穂子さんは僕らのアイドルなんだよ。だから麻耶、妙な気を起こすなよ」


 いきなり釘をさされて、麻耶は戸惑いしか感じない。


「アイドルって……」


 薄笑いを浮かべた麻耶に、ドルオタの二人が口々に言う」


「アイドルってか、マドンナって言うか……」「とにかく、菜穂子さんには立ち入り禁止!」


「はいはい、分かりました」


 今日初めて会った人に、立ち入り禁止も何も無い。麻耶は半分呆れながら、表面だけ話を合わせた。


「ちゃんと理解した? もしかしなくても君ってモテるでしょ、僕ら菜穂子さんが心配なんだよね」


「いや、モテませんって」


 失笑した麻耶を、兄弟子が叱る。


「まったく、イケメンは傲慢だからいけないね。モテませんって、どの面下げて言うかなぁ」


「僕、傲慢と違いますよ。顔の造作なんか、人間の評価に全然関係無いじゃないですか」


「それさ、来世で超絶ブス男に生まれ変わってから言ってくれる? 世の中の大多数はブサイクなんだよ。ブサイクの悲しみを理解出来なくて、何が芸術かって事。そこんとこ反省しなさい」


「もう酔っているんですか? 天野さんの発想、変ですって!」


 摩耶の反論に三人がヤレヤレと首を振った。実のところ、彼らの言いたい事はこうだ。『君はいずれここを出て行く身、そんな男が親方の娘に興味を持つことは許されない』




 麻耶だって、特定の女性と深い仲になる事には腰が引ける。まだ二十四歳で、軽い関係が心地いい年ごろだ。それに、女性に対してガツガツするタイプでは無い。もしかしなくても彼女は年上だ。いくら魅力的な女性だとしても、微妙な年ごろの、しかも親方の娘に手を出すなど愚かな事だ。麻耶は冷静な頭でそう考えていた。今日初めて菜穂子に会って、強く惹かれるものを感じたけれど、それは錯覚だと咄嗟に判断して、芽生えそうな思いに蓋をしたのだ。


 これまで麻耶は、男女の細やかな感情に無頓着で、その美貌から引き起こされるであろう、恋愛のゴタゴタとは無縁だった。これまでは、本人の機転と愛嬌で、それから逃れていただけだったのだが……。麻耶はまだ本当の恋をした事がない。ましてや、想いが遂げられない苦しい経験など、二十四年の人生の中で全く経験した事が無かった。




 翌日、菜穂子が粕汁を作って工房に向かうと、炉の側で摩耶が薪割りをしていた。来月の窯入れの為に、工房ではせっせと器や花入れを造っている。新入りの摩耶は、薪割りなどの雑用が主なのだろう。菜穂子の姿に気がつくと、笑顔で手を振る。まるで、姿の良い大型犬に懐かれている気がした。麻耶は、薪割り台に斧を軽く打ち込むと、菜穂子に駆け寄った。


「鍋、運びます」


 1月なのに、ヘンリーネックのTシャツ一枚で寒くないのだろうか? 市街地よりはずっと山の中にあるここの工房はかなり寒いはずなのに、作業をしている時はTシャツ一枚でも問題無いらしい。汗で濡れた髪の毛や、体に張り付いたTシャツが艶めかしくて、目のやり場に困る。こんな田舎の山の中に、芸能人よりも美しい一般人がいるなんて、だれが想像するだろう? 世の中には思いもよらない事が起こるものだと菜穂子は思う。何故か昨日と同じシチュエーションで、菜穂子は工房の引き戸を開けた……。


「粕汁来たーーっ」


 麻耶が鍋を持ち込むと、弟子たちが喜びの声を上げる。


「鮭の粕汁なんだけど、これで良かったかしら?」


 すごい嬉しい、焼くより全然良い、錦酒造バンザイ。などなど……。弟子たちの口からは称賛の嵐だ。麻耶が来るまでは、おとなしめだった彼らが一気に弾けて、見ていると楽しい。父親も轆轤を止めて、台所にやって来た。


「はい、酒粕」


 父親に残りの酒粕を手渡すと、ホクホク顔を浮かべる。


「おっ、全部持って来たのか? 今夜が楽しみだ」


「一気に食べ過ぎないでね。それから、お砂糖を使い過ぎない様にしてちょうだい」


 父親は生活習慣病が気になる年齢だ。菜穂子は常日頃心配しているので、しっかりと釘をさしておく。


「はいはい。天野に食べられない様に、自宅にしまって来るよ」


「あっ、親方ヒドイ……」


 酒粕カムバック! とばかりに、親方の背中に手を伸ばす天野。他の弟子たちは全くそれに感知せず、鍋の蓋をあけて覗き込んでいる。もう食べる気満々の彼らに、お握りを作ろうと思っていたのでそう言うと、麻耶が笑顔で首をふる。


「汁が美味しいから白米だけで何杯でもいけるよ。ね、菜穂子さん一緒に食べよう」


「あ、はい。ありがとう……」


 工房の皆ばかりか自分までリードする麻耶に、菜穂子は戸惑いながらも逆らう事ができない。しかもそれが心地よいのだから困りものだ。菜穂子は内心で小さなため息を付いた。




 その後も、菜穂子が窯元を訪れる度に、下っ端の麻耶は何かと手伝いを買って出て雑務を助けた。それも仕方のない事で、兄弟子達はロクロを回したり土をこねたりと、手を休める事ができないのだ。麻耶の仕事はストーブ用の薪割りや掃除、消耗品の整理発注、そしてたまに土に触る、そんな状況だった。


 新人の、ましてや他の窯元の人間の実力など未知数なのだから仕方が無い。その内に、耳の良い麻耶は菜穂子の車のエンジン音を聞きわける様になった。まるで、飼い犬の様に菜穂子に慣れて行ったのだ。美しい顔に笑顔を浮かべて走って来る麻耶は、菜穂子の目にもさながら人懐っこいボルゾイ犬の様に見えた。


 その超絶な美形ぶりに警戒心を抱いていた菜穂子も、麻耶の気遣いの出来る人柄に次第に心を許しはじめた。慣らされたのは麻耶では無く、菜穂子の方だったのかもしれない。


 それは親方や兄弟弟子達も同じで、麻耶の『しかたなく預かった美形のボヘミアン』と言う立ち位置から、4番目の弟子に昇格するまでに時間はかからなかった。


 人たらしの本領が発揮されたのだ。




 ギャラリーの定休日、菜穂子は愛車で工房に向かった。今日は工房の裏山の奥にある畑で作業をする予定だった。工房の裏に車を停めると、せっせと薪を割っている麻耶が目に入った。こちらに気が付いて手を振ったので、軽く振り返す。あとは麻耶には目もくれず納屋から収穫用のカゴやビニール袋を抱えて森に入って行った。


 産直市場やスーパーなどで食材の買い物をする際に荷物持ちをしてくれた麻耶が、食材の量の多さに驚いて『食費もバカになりませんね』と申し訳なさそうに言った事があった。その時に菜穂子は、森を抜けた場所にある畑で野菜も作っている事を麻耶に教えたのだった。多分、何も言わなくても、これから畑仕事に行くことは何となくわかってくれるだろう。そう菜穂子は思っていた。


 森に入ると、空気がガラリと変って静けさに包まれる。ザワザワと枯れた葉が風に揺れる音が心地よい。小動物の立てる足音が遠くに聞こえたが、動く小さな影を見つける事は出来なかった。菜穂子は、この森が好きだった。子供の頃からよく母に連れられて来ていたのだ。畑仕事をする母の手伝いをしたり、森で木の実を探して遊んだりと、長い時間ここで過ごした思い出がある。母親が元気な頃は、工房の昼食作りや材料の発注などは母の仕事だった。幼心にそれを憶えていたから、今自分が少しでも助けになれば……と思い、頑張っている。


 ふと、風が吹いて、竹の揺れる音が耳に入って来た。カラカラと乾いた音が心地よく響く。頭上を見上げると、竹林が突き刺すように伸びた先の青い空が綺麗だった。




 木立が途切れた先には五~六坪ほどの畑と小屋がある。菜穂子はそこで長靴に履き替えて作業用のシャツに着替えた。雑草を引き抜ながら、野菜を見て回る。店で売られている様に綺麗なものは一つも無いが、農薬をほとんど使っていないから安心だ。今日持ち帰る野菜に包丁を入れてザクッと切り取ると、ビニール袋に入れる。白菜の収穫が終わると、包丁をしまう。今度は花鋏を取り出して、目当ての野菜に手を伸ばす。中腰になって作業を続けていると、いきなり後ろから声が掛けられた。


「菜穂子さん」


 畑に来る前に麻耶に手を振ったから、もしかしたら追って来るかもしれない。そう考えていたはずだったのに、あまりに作業に集中しすぎてその事をすっかり忘れていた。手から鋏を落としそうになるくらい菜穂子は驚いてしまう。口を半開きにして振り返った顔は、普段とは違って取り繕うものの無い素顔が透けて見え、幼くさえ見えるほどだった。


「ま、麻耶君っ」


「ビックリさせてごめん。菜穂子さん、手伝います」


 麻耶が側まで行くと、鋏を手に花の様なモノを切ってはカゴに綺麗に並べて入れている。


「これ、何?」


「食用の菜の花、おひたしにすると美味しいの。種から撒いて育てたのよ」


「へぇ~」


「それと、大根を抜いて帰ろうかと思って」


「大根、何本抜けば良い?」


「大きいのを3本、お願い」


 畑には、手塩にかけた野菜が収穫を待っていた。ファーマー菜穂子の本気度に、麻耶は感嘆の声を上げる。


「すごいな! 農作業なんて、しそうに無い感じに見えるのに」


「それはどうも。ガッツリやってますけどね。あ、それより左のニュッと出ている方が良いわ。そう、そっちを抜いて頂戴」


 麻耶の手助けにすっかり慣れてしまっていたので、菜穂子はテキパキと指示をしながら農作業を終えた。


「良かったわ、麻耶君が来てくれて。こんなに沢山の野菜、一人なら二往復しなきゃいけなかったかも」


 収穫と草抜きの作業を終えた後、菜穂子は麻耶を促して小屋に向かった。


「コーヒーをごちそうするわね」


 小屋にはテーブルと古木のベンチが作りつけられてあり、ベンチは昼寝が出来そうなほど広い。小さな流しと食器を仕舞う棚もある。木のはめ込み窓は小さいが明かり取りには十分だ。虫が気にならない人なら、暖かい時期には何泊か出来そうなちゃんとした造りだっだ。


「へぇ……いいですね、ここ」


 麻耶の言葉に菜穂子が笑顔を見せた。


「でしょう? 私が子供の頃に父が作ったの、菜園が趣味だった母の為に。亡くなった後は、しばらく放置していたんだけど、私が地元に戻ってから、こうやって畑作業を継いだってわけ」


 亡き母のエピソードを明るく語ると、菜穂子は棚からマグカップを二客出す。持参したポットを開けて、コーヒーを注いだ。


 作業を手伝って暑くなったのか、麻耶がダウンジャケットを脱いで長袖のTシャツ一枚になる。コーヒーを飲むためにベンチに隣同士で座っているので、体の熱までもがこちらに伝わってきそうだ。未だに麻耶に接する時には心構えが必要な菜穂子だが、それも仕方ない事だと最近は思えて来た。これだけの美貌の男性などに出会う事は殆ど無い。麻耶を目の前にした女性なら、顔を赤らめたり、手が震えてもおかしくは無いと思うのだ。


 お得意様の女性が窯元に訪ねてきた際も、麻耶を一目見るなり赤面して落ち着きを無くしたのを間近で見たし、顔見知りの女性達が菜穂子の店に立ち寄っては、『オタクのイケメンはどういう人?』と、興味津々で尋ねる事もしばしばなのだ。


 野鳥の鳴き声が響いている外とは逆に、小屋の中を静寂とコーヒーの香りが満たす。作業の疲れも手伝って、菜穂子は少し眠くなってきた。


「麻耶君、手伝ってくれてありがとう。助かったわ」


「大した事はしていないけど……あれ? 菜穂子さん、目がトロンとしているよ」


 やはりバレてしまった。菜穂子は眠気の原因を、昨夜の仕事の所為にした。


「夕べ遅くまで帳簿をつけていたから、睡眠不足なの。コーヒー飲み切ったらさっさと戻りましょう」


「ここでひと眠りすれば? 寒いなら、僕がギューってしてあげるから」


「……!?」


 そのセリフに驚いて、菜穂子は麻耶からサッと距離をとった。ベンチの端まで逃げた菜穂子を見て、麻耶が笑う。


「あははっ。そんなに嫌がらなくても」


「麻耶君、年上を揶揄わないでっ!」 


 菜穂子は、自分の動揺には目をつぶって麻耶を叱った。しかし、麻耶は悪びれた様子もなく、ニコニコと楽しげだ。


「たいして変わらないよ。年とか関係無いし」


「関係ありますっ!」


 麻耶は二十四歳だと父から聞いている。菜穂子から見れば、四歳も年下だ。男女間では、年に対する認識が違うのだろうか? 菜穂子はそこを聞いてみたい気もしたが、これ以上年齢を話題にするのも墓穴を掘る気がしたので止めにした。コーヒーを飲み終えてマグカップを流しで洗うと、まだニヤニヤ笑っている麻耶を急き立てた。


「もう帰ります。麻耶君、ダウンジャケットを着てちょうだい」


「はいはい。ネムネムの菜穂子さんは可愛かったのに……」


「もうっ、麻耶君!」


「ははっ」




 その美貌の所為で、来た当初は小さな街で浮きまくっていた麻耶も、時間と共に持ち前の人懐っこさで住民に溶け込み初めた。二月が終わる頃には、すっかりその土地に馴染んで、夜ごと知り合いの店で楽しく遊んでいる様子だ。


 ギャラリーの仕事の合間に菜穂子が父親に会いに工房に向かうと、丁度麻耶と天野がのんびりと休憩していた。最近は土を触り始める許可が出たらしく、麻耶も髪の毛を隠している。モサモサの長髪が手ぬぐいの中に納まっているものだから、キリッとした男っぽい雰囲気になって、菜穂子はドキッとする。しかしそこは麻耶だ。日本手ぬぐいでは無く、何やらアフリカっぽい柄のカラフルな布を巻いている。かたや、貰い物の醤油店の手ぬぐいを巻いた天野が、麻耶に絡む。


「おい、夕べ何時に戻ってきたんだ? 俺、車の音で目が覚めちゃったよ」


「またー、天野さん古女房みたいなセリフを。夕べはムラさんの奥さんに送ってもらったんですよね。ちょっとカオスなBARでハシャギすぎました。ジェレミーも一緒に飲んだから、えらいノリノリに……」


「ムラさんって、大工の? え、奥さんいたんだ。俺見たこと無い、どんな人?」


「美人です。ムラさんより十二歳年下。去年まで女子高生だったって言ってましたよ」


「なんだって!? あのヒト、何気にすごいなぁ。こんど会わせて、奥さんの方。で、ジェレミーって誰?」


「無理ですよ、奥さんだけって言うのは。俺、殺されますって。ジェレミーの事しりません? 金髪のペンキ屋、めっちゃ面白い男。ほら、ハイラックスのゴッツイピックアップに乗ってる……」


「ああ、黒いの? ぅわ、ふりょーの友達いるんだ」


「プププ。不良って、金髪だから? 彼ハーフですよ。それにしても天野さん、その発想って……」




 菜穂子の知らない世界を彼らは生きているのだろう。誰の何を話しているのかさっぱりわからないが、麻耶が楽しく毎日を過ごしている事だけは分かる。なんだか気が遠くなりながら、菜穂子は父親を捜しに工房の奥に向かった。


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