第七章その4

 これで僕はまた一つ黒歴史を作った。だけど後悔なんてない、あの屋上で夏海と出会い、夏休みを共に過ごした、吹奏楽部に戻っても彼女はきっと僕の彼女でいてくれるさ。

 そう思った時、校舎の昇降口から飛び出して真っ直ぐ走って来る、夏海ちゃんだ!

 光が安堵したその瞬間、夏海は勢いよく光の懐に飛び込んだ。

「光君!」

 光はしっかりと抱き止め、そして抱き合うと彼女は光の目を真っ直ぐ見つめる。

「やっと……ちゃんと伝えることできたよ!」

「うん……よかった。はい、夏海ちゃんの大切な宝物」

 光は日記帳を返すと、夏海は嬉しそうに微笑んで見つめて受け取った。

「ありがとう、光君……みんなにも言わなきゃ」

 夏海はようやく澄み切った爽やかな笑顔で微笑む、ヒマワリでもアサガオでもない夏に咲く綺麗な花のようだった。そして、夏海の後にゆっくりと四人が歩み寄ってきた。

「まさか本当にやるなんて、さすがだよ光、本当に凄いよ」

 望は惜しみない称賛すると、春菜も胸をキュンキュンさせた表情で言う。

「やっぱスゲェよ朝霧君、漫画で見たようなこと本当にやるなんて……まさに――」

「青春。って言いたいんでしょ春菜、目論みは成功ね冬花」

「ちょっと! 人が言おうとしたこと先に言わないでよ!」

 春菜は千秋に文句言うが、そんなのどこ吹く風と言わんばかりに冬花と笑みを交わす。

「うん! 大成功だね! 夏海ちゃん、光君にちゃんとお礼しようね」

 冬花は光が校庭に出る直前で画像を送ろうと提案したが、上手くいってよかった。

 だけどお礼ってどうするんだろう? これからまた楽しい日々が始まる。それだけで十分なのに、夏海も同じことを考えてるのか人差し指を唇に当てて考えてる。

 周囲を見ると出てきた望達に便乗したのか、生徒達が次々と昇降口から出て来て光と夏海の周りに集まったり、校舎の窓から身を乗り出してる生徒もいた。


「ねぇあの子って一組の風間さんと四組の朝霧君じゃない?」「あの大人しそうな二人、付き合ってるんだ」「彼氏君の方、大胆よね。今年の夏は最後まで熱いね」「くぅううう羨ましいぜ!」「いいなぁ私もあんな彼氏が欲しい」


 ざわつく生徒達にさすがの光も視線を気にして見回す、竹岡も見てるだろうな。

「あっ、そうだ」

 夏海は思いついたらしい。何を思い付いたんだろう? 夏海は頬を赤らめながら周囲を見回すと、上目遣いになって悪戯っぽく微笑んだ瞬間。

「ん……!」

 光は目を見開いた。唇には果実のように柔らかい桃色の唇、世界が一瞬だけ時間を止め、そして動き出す瞬間、大規模噴火する火山のごとく大歓声が上がった。


 ある者は声の限り声援を送り、ある者は景気づけと言わんばかりに指笛を派手に鳴らし、ある者は羨望と嫉妬が入り交じった罵声と冷やかしを飛ばし、ある者は喉がはち切れんばかりに叫んだ。


 大歓声の中、光は顔が蕩けてしまいそうなほど赤熱させて夏海と見つめ合う。夏海も生涯で一番恥ずかしそうだったが、それさえも楽しんでるようで、湘南の時に見せたはにかんだ笑みになる。

「いつかのお返し! えへへへ……」

「う……うん!」

 光はもう一度夏海と唇を重ねようとした時、冬花が叫んだ。

「二人とも逃げて! 玲子先生が来る!」

「ぐぅおおおおおるぅうううううぁあああああああっ!! 白昼堂々校庭のど真ん中で不純異性交遊してんじゃねぇえええぞ!! このアオハルテロリストどもぉおおおおっ!!」

 玲子先生は陸上部の短距離選手も真っ青なスピードで、両目を嫉妬の青白い炎で燃やしながら突っ走ってきて、光はすぐに夏海の手を握って走った。

「逃げるよ夏海ちゃん!」

「うん、離さないでね光君!」

 夏海は澄み切った笑顔で光と走る。周囲は笑い声と声援、そして玲子先生にブーイングする者もいた。さぁ、楽しもう! この奇跡の八月三一日、彗星の夜を! 青空の下で光と夏海は声援を送られながら玲子先生との追いかけっこを楽しんだ。


 夕方になるとみんなでバーベキューパーティーだ。

 外で肉や野菜を焼き、家庭科室で大量にお米を炊き、料理研究部が握ったおにぎりを食べる。

 夏海は今日、朝ご飯を食べず、昼もソーメン少しだったせいかおにぎり五個、大きな肉と野菜の串焼きを一〇本と少食の冬花だったら胃もたれ起こしそうな量を幸せそうに食べる。

「ん~美味しい! もう幸せ!」

 口の周りにはソースや米粒がついて幸せに満ちた表情を見せ、夏海以上にドカ食いしてる春菜はニヤケながらからかう。

「夏海! そんなに食べたら幸せ太りしちゃうぞ!」

「もう! 春菜ちゃんだって沢山食べてるじゃない!」

 夏海は照れ笑いしながら言い返す。光はすっかりいい顔するようになったと口許を緩めたが、それを竹岡が見ていたようで恨めしそうに声をかける。

「お前、こんな風に笑うんだな朝霧」

「ああ、竹岡君……ちょっとやり過ぎたかも」

「やり過ぎってレベルじゃねぇよ! リア充どころか全力で青春しやがって倉田に申し訳ないと思わないのか?」

 そういえば倉田君は中学時代の友達と彗星を見るらしい、光はスマホを取り出して倉田君にLINEメッセージを送るとすぐに返信が来た。

『話は竹岡から聞いた。お前この夏休みを骨の髄まで楽しみ尽くしてるな』

『うん、僕だけ彼女作っちゃって少し悪いと思ってる……ごめんね』

 光が送信すると、スマホの画面を覗いていた竹岡は全身から怨念を放ちながら言う。

「悪いと思うなら彼女なんか作るな」

 顔中に青筋立てていて、そのうち脳味噌の血管が切れて脳内出血で病院送りになりそうだった。すぐに返信が来ると、画面に注目する。

『気にするな、実はな――』

 メッセージの次に画像が送られてきた。

『――俺中学の頃から彼女いるんだ』

 倉田と一緒に写ってるのは三つ編みお下げの黒髪にそばかす顔、丸眼鏡をかけて地味だがとても優しそうな愛らしい女の子で、セーラー服姿はまるでかつて昭和と呼ばれた時代からやって来たような子だった。

「なぜだ……あのやらない夫に彼女が……あいつは俺と出会う前から裏切ってたのか、ぬぅあずぅうえだぁあああああああっ!!」

 竹岡は天に向かって慟哭した、それを見て冬花は面白がって見ている。

「やっぱり面白いねやる夫君」

「竹岡君だよ、頼むから本名で呼んで覚えてあげて」

 光は苦笑すると、ペットボトルのお茶を持って沈み行く夕日を眺めてながら柴谷先生と談笑してる望の所へと歩いて声をかけようとすると、柴谷先生の方から笑顔で声をかけてきた。

「やぁ朝霧君、さっきのパフォーマンス素晴らしかったよ」

「あれは夢中でやっただけですよ、さっきはありがとうございました……柴谷先生がいなかったら今頃夏海ちゃんと生徒指導室で反省文書かされてましたよ」

 夏海と逃げて玲子先生に追いかけられて捕まった後、反省文書かされそうになった所を柴谷先生が間に入り、擁護してくれたのだ。

「俺と冬花も火の国祭りの時に助けられたんだ、ジョージ・オーウェルの『1984年』も勧めてくれたしね。思い出もたくさん……いや、これからも冬花や光、みんなとたくさん作っていきたい」

 望の言う通り思い出がぼんやりと、そして徐々に鮮明に脳裏に浮かぶ――火の国まつり、今思えばあれが夏海ちゃんとの初デートだった、あの日々がずいぶん遠く感じてると柴谷先生は言う。

「まだ懐かしむには早いよ朝霧君、彗星を見上げて家に帰って……そして二学期を迎えて初めて夏休みは終わりなんだから、思い出はこれからも作っていけばいい」

「また……見たいな夏海ちゃんの……薄雪草の浴衣姿」

 光は湘南で一緒に花火を見上げた時のことを何気なく思い出して呟くと、柴谷先生は少し驚いた表情になるが、やがてに過ぎ去った日々を懐かしむように穏やかな微笑みに変わる。

「薄雪草……風間さんにピッタリの花の名前だね」

「薄雪草って夏に咲く高山植物のことですか?」

 望が言うと柴谷先生は穏やかな笑みで頷いた。

「そう、ヨーロッパでは『高貴な白』という意味でエーデルワイスと呼ばれてる。花言葉は勇気、忍耐、そして尊い……あるいは大切な思い出だ」

 それでようやくわかった。夏海はアサガオでもヒマワリでもなく花に例えるならエーデルワイスだ。

 吹部をやめて心ない誹謗中傷や噂、陰口を桜木さんと耐え凌ぎ、勇気を出して花崎さんに手を差し伸べたり、冬花の背中を押して、そして僕と結ばれてみんなで尊い、大切な思い出を作った。

 柴谷先生の言う通り、夏海ちゃんに相応しい花の名前だ。

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