第七章その3

 春菜と千秋の問題は解決した。

 あとは夏海だがどうする? 校舎内の廊下を歩きながら春菜はもどかしそうに言う。

「今からみんなで音楽室に殴り込みして夏海を連れ出す?」

「そんな手が通用するとは思えないわ、笹野派もどれくらいいるかわからないし……吹部全員を丸め込んでたなら数では勝ち目はないわ」

 千秋も首を横に振って言うが、夏海が吹部に戻って欲しくないという気持ちは同じだった。冬花もこのまま終わらせたくないと焦りを見せていた。

「決めるのは夏海ちゃんよ……戻って欲しくないけど」

「あたしも、前に決めるのは夏海だって言ってたけど……今は違うわ、夏海だって戻りたくないはずよ!」

 春菜もおろおろして、望も必死で策を考えてる。

「クソ! あいつら絶対に音楽室で首を縦に振らせる空気を作ってるに違いない、せめて吹部意外の奴ら――それこそここの学校のみんなが味方になってくれれば!」

 全くだ! つくづく空気読めって言葉を作った奴が憎い! せめて全校生徒が味方に、音楽室どころか学校全体が夏海の味方をする空気にすれば――待てよ!

 光は校舎の見取り図と音楽室の位置を頭に描き、尚且つ全校生徒の注目が集まりそうな位置を探る。

「なぁ……みんな、聞いてくれ……考えがある」

 深呼吸してる暇はない、光は手短に提案を話すと千秋は驚くと同時に呆れる。

「本気なの朝霧君!? 確かにインパクトでかいけど……」

「おもしろいじゃない……やってみる価値はあるわ!」

 春菜はリスクを重々承知した上で不敵な笑みを見せる。まるで絶対に勝てない対戦相手と対峙したかのように、望も開いた口が塞がらないようだ。

「マジでやるのか? しかもお前一人で?」

「やるしかないよ! 光君なら大丈夫! 私たちにも何かできることはずよ!」

 冬花は迷うことなく頷く、やることは決まった。光は校舎を出て音楽室から一望できて尚且つ全校生徒の視線が集まる場所、校庭へと光は校庭のど真ん中へと走り出して吹部を含む、この学校にいる全員が見える位置へと急いだ。



 授業以外で音楽室に入るのはいつ以来だろう? 風間夏海は重い扉を開けて入るとさっきまで練習していたのか、みんなそれぞれの席に座ってそれぞれの楽器を抱えていた。

「みんな、夏海を連れてきたわ。約束通り五分だけ時間をお願い……柴谷先生も」

「もちろん五分間だけ。但し、決めるのは風間さんで答えが曖昧な場合は戻らないと判断するよ」

 柴谷先生は音楽室の端で腕を組んで壁に寄りかかり、判断を夏海に委ねるように見つめる。このまま五分間やり過ごすのも手かもしれない、でもそれではきっとみんな納得しないだろう。

「夏海の席、空けてるわ。みんな戻って来るの待ち望んでたんだよ」

 恵美の言動はどこか空虚で、三分の一くらいの部員が「うんうん」と頷くがそれ以外は無表情だったり頷いた子を冷ややかな目で見ていた。

「さぁ夏海、早く席に着いて……用意してあるから」

 恵美は少し強めに夏海の手を引く、頷いた子達の八割が同級生だったり同じクラスだ。


「夏海、もうみんなに迷惑かけないでね。ずっと待ってたんだから」「風間、また一緒に演奏しようぜ」「そうよ、みんなが風間さんを必要としてるんだから」「これでようやく元通りよ夏海」


 恵美に手を引かれて通りかかるたびに頷いた子たちに声援が送られる。

 断ったらきっとまた悪い影で噂を流すだろう、自分だけならまだいい。

 今度は自分ばかりか、六月に自分の身を顧みず声をかけてくれた気さくで明るい春菜ちゃん、私のために涙を流して抱き締めてくれた冬花ちゃん、とても不器用だけど正義感の強い千秋ちゃん、頭良くていつも気遣ってくれた如月君、そして私を好きになってくれた光君、みんな強くて優しい人たちで私を守ってくれた。

 だから今度は私が守らなくちゃ、例え自分を犠牲にしてでも。

 空席となってる椅子の前には譜面台が置かれて楽譜まで用意されていた。隣には小坂先輩が座っている。

「風間……久しぶりね、元気にしてた?」

「小坂先輩……心配かけてすいません」

「気にしなくていいわ、それより……後悔はない?」

 小坂先輩の眼差しは夏海の心の中は全てお見通しと言わんばかりだ。ごめんなさい小坂先輩……私、それでも戻らないといけないんです。夏海は目を逸らして「はい」とだけ頷いて振り向くと、恵美はいつの間にか楽器ケースを抱えてそれを夏海の前に出す。

「さぁ夏海……これを、またみんなにフルートを吹く姿……見せてあげて」

 夏海はケースを受け取り、椅子に置いて開けると中身は入念に手入れされたフルートだ。また新しく始めるに相応しい光沢を放ち、夏海はゆっくり手を伸ばして白く細い指先が触れようとした瞬間だった。


「みんな聞けぇええええええっ!!」


 天まで轟かせんばかりの叫び声。

 みんな一斉に立ち上がって窓に殺到すると、柴谷先生も驚きを露にしてグラウンドを見下ろす。夏海も窓に張り付いて見ると、グラウンドのど真ん中に朝霧光が強大な敵と対峙するかのように堂々と立っていた。



 朝霧光は陽射しで熱せられたグラウンドのど真ん中で声の限り叫ぶと、校舎の窓という窓から生徒が顔を出してこちらに視線を注いでいる。よし! この分なら吹奏楽部や夏海ちゃんもきっと見ているはずだ、そう信じて迷わず叫んだ。


「俺は夏海ちゃんが、吹奏楽部に戻るなんて、絶対に認めねぇええええええっ!! 俺は今夜、夏海ちゃんと!! 手を繋いで、一緒に彗星を見上げるんだぁああああっ!!」


 光はこの夏休み最後の夜とそして終わった後の、夏海やみんなと過ごす放課後を思い描きながら叫ぶ。


「夏休みが終わっても俺は、夏海ちゃんと放課後一緒に帰りたい!! 休みの日はみんなで、望と!! 冬花と!! 桜木さんと!! 花崎さんと!! 一緒に遊びたい!! 秋も!! 冬も!! 春も!! そしてまた来年の夏を!! 一緒に迎えたいんだ!!」


 戻って欲しくない、離したくない、遠くに行って欲しくない、ずっと一緒にいて欲しい! なぜなら、光は気持ちを隠さずに叫ぶ。


「俺は夏海ちゃんのことが、大好きだぁああああっ!! 吹奏楽部に――いや、誰にも夏海ちゃんを渡すもんかぁああああっ!!」


 喉をぶっ壊しそうなほど叫ぶ、もう既にガラガラで声を出すだけで全身から汗が吹き出るがまだ止まらない、見せないといけないものがある。


「夏海ちゃん!! 君の大切な宝物!! 見つけたぞぉおおおおおおっ!!」


 光は持っていた夏海の日記帳を両手でかざした、それは校舎の陰でこっそり見守ってる望たちへの合図でもあった。



「誰あの子? 二年生?」「四組の朝霧だよ、風間と付き合ってるの本当だったんだ」「校庭のど真ん中で叫ぶってどんだけ熱い奴なんだよ」「でも、凄いよねああいう子」「俺には真似できねぇよ、すぐに動画やSNSに上げられて黒歴史確定だぜ」


 ざわつく音楽室、柴谷先生はどこか懐かしそうに微笑み、風間夏海は大粒の涙を流し、口許を両手にやって嗚咽しながら何度も自分を好きになってくれた男の子の名を呼ぶ。

「光君……光君……光君……」

 ごめんなさい光君、私……もう――泣きながら両膝を曲げた時、スマホの着信が鳴る。一度や二度ではなく、何度も何度も鳴り続けてる。夏海はスマホを取り出してみると、みんなからで、何枚もの写真を送ってきた。

 火の国まつりで撮ったもの、熊本空港で飛行機に乗る時や降りた羽田で撮ったもの、湘南で撮ったもの、どれも心から笑ってる夏海の笑顔が写っていた。

「みんな……うっ……ううっ……」

 泣き崩れる夏海に誰かが優しく肩を手に乗せた。見上げると八千代が優しく微笑みながら見つめていた。

「八千代ちゃん?」

「夏海、もう行きな」

「えっ?」

「あんたが作った居場所に、私達はもう夏海がいなくても全国行くから」

 夏海はわからないまま八千代を見つめると彼女はハッキリと、だけど優しく背中を押してくれた。すると恵美は取り乱してズカズカと歩み寄る。

「ちょっと八千代! 今更なに言ってるの!? なによ朝霧君、これじゃ――」

「まだわからないの!?」

 八千代の甲高い突き抜けた声が音楽室に響いた。

「あの写真見て……まだわからないの? 夏海、あんなに笑ってたのよ! 恵美は、夏海が心から安心して笑える場所を、奪って、壊して、無理矢理連れ出すつもりなの!?」

 心から安心して笑える場所。その言葉は夏海の胸にも鋭く刺さったが同時に温かい気持ちになる。八千代は堪えきれなくなったのか、涙を流して更に捲し立てる。

「夏海はありのままの自分でいられる居場所を見つけたのよ! フルート奏者の夏海はもうあの夏に死んだのよ、死んだ者は生き返らない……だけど生まれ変わることができる……夏海はもう……あたしたちの知ってる夏海じゃないのよ!」

 八千代が断言すると柴谷先生は頷いて夏海の所に歩み寄る。

「その通り、みなさんはいずれこの学校を卒業してそれぞれの道を歩む。風間さんは皆さんよりほんの少し早く……別の道を歩むことを決めただけなんだ」

 柴谷先生の言葉で恵美は覇気を失い、俯いて呟いた。

「そう……か……ただ……夏海が変わったことを認めてしまうのが……怖かったのかもしれない……わかったわ……もう夏海に拘るのはやめる……今年はもう無理だけど、来年はコンクールの出場メンバーになるわ……そして、夏海がやめたこと……後悔させてみせるから」

 音楽室が静まり返ると小坂先輩が窓の外を見ながら急かす。

「風間! こんな所でメソメソ泣いてる場合? 早く行きな!」

 夏海は涙を拭いながら振り向くと三分の二ぐらいの部員が無言でそれぞれ表情や眼差しで促し、背中を押しているように感じた。

 迷いを捨てて夏海は立ち上がった。

「小坂先輩……みんな、ありがとうございました! もう吹奏楽部に戻りません! だけどみんなのこと、忘れませんから!」

 もう迷わない。振り向くことなく、かつての仲間に見送られて音楽室を飛び出した。目指すは校庭のど真ん中にいる朝霧光の所へ急いだ。

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