第四章その7

 夕食後、居間で冷たい麦茶を飲みながら祖父に訊いた。

「ねぇお祖父ちゃん」

「うん? なんだい光?」

「……曾お祖父さんって、どんな人だったんだろう?」

 祖父は終戦の年に生まれた人だ。曾祖父の顔は写真でしか覚えていない、だがもしかすると母であった曾祖母から聞いたかもしれないと光は訊いた。

「そうだねぇ、生まれた時にはもういなかったけど……曾お祖母ちゃん、海軍に入るって聞いた時は無理だって思うくらい大人しくて妹思いの優しい人で……だけど凄く逞しい心を持っていて、そんなところが好きになったって話してたよ」

「そうか……曾お祖父さんの手記、昭和二〇年の八月七日で途切れていたんだ。多分その後に亡くなったんだよね?」

「……光、ちょっと一緒に離れに行こうか?」

 祖父は何かを思い出したらしく、重い腰を上げると光も「うん」と頷いて一日を過ごした離れに向かう。母屋を出て星を見上げるとジェネシス彗星は見えるかな? 一瞬立ち止まって見上げる。

 彗星の姿はなかったが綺麗な星空だった。そういえば帝国海軍に彗星という名前の艦上爆撃機があったことを思い出しながら離れに入ると、祖父は古いタンスの引き出しから何枚かの写真と封筒が入ったビニール袋を取り出した。

「これだよ、戦後……宮崎さんだったか本田さんだったかな? 直接家にやってきて届けてくれたんだ」

「ありがとうお祖父ちゃん」

「あんまり遅くならないようにな」

 光は受け取ると、祖父は母屋へと戻った。

 早速中身を取り出すとあどけなさを色濃く残す予科練時代の水兵服姿(※七ツボタンの制服なったのは昭和一七年)の写真、零戦二一型を背景に誇らしげな眼差しで腕を組んだ写真、そして紫電改の前で優しげに、だけど精悍に微笑む曾祖父と何枚かの写真が入ってた。

 手紙の方はおよそ八〇年も経ってることもあって、読み辛かったが祖父の手記で慣れていたおかげで読み取ることができた。


 手紙によると曾祖父は八月八日北九州の空中戦で亡くなったという。

 出撃前の八月六日、本田稔ほんだみのる分隊士から聞いた広島の新型爆弾――原子爆弾投下に、誰が見てもわかるほど激しく動揺し、訊くと溺愛していた妹の光夏みつかが嫁いで行ったのが広島だったという。

 そして八月八日、新型爆弾一発を使ってきたのだからきっと二発目が来ると、断言して北九州上空の空中戦では取り憑かれたかのようにB29に攻撃を仕掛けたが、直掩のP47Nの銃撃をまともに喰らって火達磨になり、最後の力を振り絞ってB29に自爆特攻したという。

 曾祖父が死んだ翌日、予言通り長崎に原爆が投下され、そして八月一五日に敗戦を迎えた。


 なんとも言えない気持ちだった、光は畳の床に寝転がる。

 平和な空を飛びたい気持ちをちらつかせながらも、戦火に身を焼かれ、散った曾祖父。光はタンスに置いてある写真立てを見つめる、生前曾祖母が宝物と言ってた物だ。

 海軍の制服を身に纏った曾祖父と一緒に写る晴れ姿の曾祖母。

「敵機が弾を撃って来ない空を飛びたい……か」

 光も飛行機が好きだ、戦闘機も好きだし旅客機も好き、もし曾お祖父さんに会えるなら話しを聞いてみたいという気持ちで床に寝転がった。


 どれくらい寝てたんだろう?

 甲高いエンジン音が耳に入って重い瞼を開く、誰かが歌ってる。

 若鷲の歌? 雲一つないまばゆい空の下で上体を起こし、周りを見ると何もない爽やかな風が吹き抜ける草原に転がり、視線の先にはどこまでも続く大海原が広がっていた。

「……あれ? ここって」

 確かお祖父ちゃんの家の離れ小屋にいたはずと思ってると、突き抜けるような声が寝ぼけていた光の意識を覚醒させた。

「お前が俺ん曾孫の光か?」

「? うわぁっ!?」

 光は思わずのけ反る。いつ間に隣であぐらをかいて座ってたんだろう? 隣に座ってたのは飛行服姿に丸刈りの男は物珍しそうに光を見つめる。

「お前こぎゃん髪長うして、丸刈りにしたら絶対男前になるばい!」

「嫌だよ丸刈りなんて、もうそんな――」

 言いかけて言葉が途切れると、曾孫と呼んでたことに気付いた。

「曾孫って、もしかして曾お祖父ちゃん? もしかして光雄お祖父ちゃん⁉」

「ああ、俺に似て美男子ばい! 丸刈りんことは冗談や、もうそぎゃん時代やなかもんな」

 光雄は少し寂しそうな表情と共に遠くから甲高いエンジン音が聞こえてきて、三機編隊の白い零戦二一型が低い高度で真上を通過するとそのまま宙返りを決め、大海原へと飛び去る。

「あれは……零戦?」

「ああ、世界で一番美しか飛行機や……今思えば……もう戦う飛行機じゃなかった」

「光雄お祖父ちゃんは……戦争のない空を飛びたかったの?」

 光は踏み行ったことを訊くと、光雄はどこか悲しげで清々しい笑みを見せる。

「……あん時は言えんかった、いや言うことも許されんかった……ずっとあづちゃんと笑いながら暮らそごたったし、飛行機に乗せてやろごたった」

「光雄お祖父ちゃん……」

 いたたまれない、もし後少し早く戦争が終わってたら生き延びることができたかもしれないし、もしかしたらまた飛行機の操縦桿を握ることができたかもしれない。

 複雑な表情を見せる光に光雄はニッコリ白い歯を見せてバシバシ背中を叩く。

「そぎゃん顔するな! 俺達ん戦いは無駄じゃなかったさ、あづちゃんもそう言うとったぞ!」

「あづちゃんって……曾お祖母ちゃん?」

「ああ、笑うとむぞらしか(かわいい)し気立てんよか美人やし、作る飯も天下一品――中略――脱いだら凄かったい、村ん娘達ん中で一番おっぱい大きゅうて、そりゃあ病弱な赤ん坊が飲めば元気なわんぱく坊主に育つかと思うほどのボインボインばい!」

 光雄は曾祖母のことを話すと止まらなかった。

 しかも夜の生活まで平気で嬉しそうに、巨乳好きなのは曾祖父から受け継いだのか? だけど惚気話し聞くためにここに来たのか? 光雄は嬉しそうに曾祖母のことを話し終えると、さりげなく訊いた。

「なぁ光、お前惚れた女子おなごはおるか?」

 表面上は微笑んでるが、その眼差しは無数の死線や試練をくぐり抜けてきた者にできない精悍な眼差しだ。

「うん、いるよ……光雄お祖父ちゃん、好きなった女の子だけど聞いてくれる?」

「おぅ、何か悩みでもあっと? 祖父ちゃんに話してみぃ!」

 光雄の眼差しはとても頼もしかった。光は夏海のことだけじゃなく友達のことや、夏休みのことを時々話しを脱線させながらを曾祖父と曾孫で笑い合いながら他愛ない話した。

「その笹野……いい歳して女子おなごば大事にせん奴なんて、男ん風上にも置けん奴や! 俺達が受けた教えば歪んだ形で受け止むるなんて、やっぱり死ぬるんじゃなかったな……」

 光雄も流石に後悔した様子で光も同意見だった、歪んだ期待や愛情で夏海を傷付けたあの前顧問を許すつもりはない。

「まだ好きって伝えてないけどね」

「よし! 男やったら小細工なしで、大声できしょく(気持ち)ばぶつけろ! 何が何でん守り抜け! 心配するな、祖父ちゃんがついとる! お前は誇り高き帝国海軍軍人ん曾孫や!」

 清々しい程単純なアドバイスだ、だけど光にはこれ以上にないものだと感じて決意を胸にして立ち上がり、言葉にする。

「大声で……か……ありがとう光雄お祖父ちゃん、俺……飛行機の操縦士さんになるよ! そして、光雄お祖父ちゃんの夢を叶えてお祖父ちゃんの分まで平和な空を飛ぶんだ!」

「光……本当か?」

「うん、高校卒業したらパイロット――飛行機の搭乗員を養成してる大学に行って、光雄お祖父ちゃんのように空の男になるよ!」

 決意を聞いた光雄はまるで長く耐え抜いた末にようやく報われ、安堵したかのような表情で立ち上がると、温かい涙を流して抱きしめる。

「ありがとう光、俺ん分まで平和な空ば――いや、精一杯生きてくれ、そして孫ん顔ば拝むまで死になすなや、若か命が失わるるほど悲しかことはなかったい!」

「僕も、光雄お祖父ちゃんに会えてよかった!」

「俺もばい」

 光雄は満たされた笑みで頷く、光は別れの時間が近づいてることを肌で感じた。光雄も同じく感じてるのか、急ぎがちに言う。

「そうや! 友達ん竹岡君、あん子ちょっと聞き捨てならんけん根性叩き直した方がよかよ!」

「でもどうすれば?」

 すると光雄はニッコリ笑顔でどこから出したのか一メートルはある長い棒を見せる。

「こん海軍精神注入棒でケツば叩いて、ひん曲がった根性叩き直してやれ!」

「それは絶対駄目っ!!」

「ははははっははははは!! 冗談ばい冗談! ユーモアば解さざる者に海軍士官ん資格なしだ! はっはっはっはっ!!」

「士官は士官でも光雄お祖父ちゃん、予科練出身の特務士官でしょ!」

 光は最後にツッコミを入れる。光雄は豪快な笑みで万歳三唱する。

「朝霧光、バンザーイ! バンザーイ! バンザーイ‼」 

 そして光雄お祖父ちゃんの好きな「若鷲の歌」を歌って光を送り出してくれた。


 そこで目が覚めた、部屋の電気は消えていて光の上に掛け布団が敷かれていた。

 時計を見ると朝の六時少し回っていて頬に何かが伝って触れると一滴の雫だった、気付いた瞬間、張り裂けるような胸の痛みに涙が溢れて止まらなかった。

 もっと曾お祖母ちゃん――杏月お祖母ちゃんに光雄お祖父ちゃんのこと訊いておけばよかった。

 もしあの戦争を生き延びることが出来たら、大好きな杏月お祖母ちゃんと戦争とは無縁の人生を一緒に送って、一緒に歳を取って、そして孫の顔を見て、畳の上で安らかに死んでいくことができたのかもしれない、そう思うと涙が止まらなかった。

 小さな洗面台で顔を洗い、離れを出て母屋に戻って台所に入ると、もうすぐ朝の七時だ。母親は光を見るなり呆れた顔になる。

「おはよう光、あんた夕べ杏月お祖母ちゃんの小屋で寝落ちしてたでしょ? 電気点けっ放しだったから夜更かししてると思ったらグーグー寝てて」

「ごめんお母さん……ちょっと曾お祖父ちゃんに会ってきたんだ」

 光の言うことに首を傾げる母親だが、祖父は嬉しそうに微笑みながら訊く。

「そうな? どんなこと話してきた?」

「一緒に笑いながら、いろんなことを話したよ」

 光はそう言うと祖父は嬉しそうに微笑んだ、朝御飯を食べるため台所のテーブルに座ってテレビを点けると、ニュースは今日は終戦の日だと報じる。

 

 今日は八月一五日、日本人が絶対に忘れてはならない日が、今年もやってきた。


 朝御飯を食べた後、光は蝉が鳴く外へ散歩に出かける。昔まだ杏月お祖母ちゃんが足を悪くする前に散歩に行った時に話してくれた、空地の前で立ち尽くす。

 ここで杏月お祖母ちゃんは玉音放送を聞き、日本が負けたこと理解して「私の光雄さんを返して、この子のお父さんを返して!」と泣き叫んだと話していたことを思い出す。

 透は片耳イヤホンをスマホに繋いで耳に挿してYouTubeにアクセスすると「玉音放送」で検索、そして再生させる。

『朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現狀――』

 うだるような暑さ、容赦なく照り付ける陽射し、そこら一帯で一斉に鳴き続ける蝉、そしてどこまでも広がる綺麗な青い空。

 杏月お祖母ちゃん、終戦の日も空は青かった? 光雄お祖父ちゃん、今年もやってきたよ。

 俺、光雄お祖父ちゃんのこと絶対に忘れないから……必ず夢を叶えて見せるからね。

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