閑話 先代水理王~雫との出会い②
最初は小競り合い程度だった。次第に領域争いにまで発展した場合が多く、その争いはいつしか水精の大部分に浸透していた。
あちこちで紛争が起きていて、淼は文字通り王館に帰る間もなく処理へ赴いていた。たまに王館に帰ってきたときも、顔を合わせる機会もなく、何ヵ月も顔を見ていない、ということさえあった。
「御上。
「よ、良いように計らえ」
「御意。淼さまへ、使いを!」
有り得ない。瀧が昇るなどと聞いたことがない。鯉が滝を昇るなら分かるが、瀧自身が昇っているとは、どういう状況なのだろう。
部屋を出ていこうとする者が、入ろうとする者とぶつかって、言い争いになっている。
その二人の間をぬって、割り込んできた者が一直線に執務机に向かってきた。
「御上、淼さまから急ぎの文です。一昨日の調停で成立した確定領域について、ですが」
どの調停の話だ。
調停だ、仲裁だ、と毎日数十件ずつある。いきなり言われてもなんのことだか分からない。
「よ、良いようにせよ」
「はっ。……しかし、それが反故にされた模様。現在、戦闘に発展。御上の判断を仰ぎたいとの……」
突然、頭が高くなったと思ったら、先ほど入ろうとしていた男が、報告を妨害していた。髪を掴んで強く引っ張っている。引っ張られた方は当然痛そうな顔をしている。
「貴様、割り込むな、私が先だろう!」
「待て、話はまだ終わっていない。そちらが道を譲るべきだったろう。貴殿がわざとぶつかってきたとしか思えぬ!」
二人が言い争っているところへ、先ほど出ていこうとしてぶつかった男まで参戦してきた。今なら出入り口は混雑していない。早く伝令の仕事に戻るべきだ。
でもそれを言い出せない。
「御上の御前で何をしているの!」
甲高い声が耳を突き抜けていった。鼓膜が破れるのではないかと思うくらい、大きくて刺さる声だ。
人だかりで声の主は見えない。でも執務室にいる全員の視線を集めていた。自分の前で良い争いをしていた三人でさえ、首を扉の方へ向けている。手は相手の胸ぐらを掴んだままで、掴まれた方も、意識がそちらに向いていた。
「ちょっとどいて!」
蛙が鳴いたみたいな声がした。その声の数だけ壁に放り出された精霊がいた。
「っ太子付の侍従武官ではないか。無礼であるぞ。ここをどこだと……」
太子付の侍従武官……ということは雨伯の一族か。任命書を作った記憶がある。
「あら、ココヲドコダトはあなた方に返しますよ。御上の執務室で御上の御前で、そんな野蛮で醜い争いをするなんて……同じ王館勤めとして恥ずかしいわ」
言い返された男は口の中でモゾモゾと何か言ったようだった。決まりが悪かったのか、足早に執務室から出ていった。
中々勝ち気な女性だ。この場に似合わない清々しさがある。そして溢れてる絶対的な自信は自分の対極にいる存在に見えた。
皆が道を開いて、目の前に女性がやってきた。外跳ねの髪は白黒が混ざっていて、一目で雨伯の一族だと分かった。
「御上!」
「っはい!」
つられて大きな声が出た。皆が引いているのが分かる。遠巻きに見ているだけで、関わりたくないというのが本音だろう。
「お初にお目にかかります。太子付侍従武官、氷雨の霈と申します。突然参りました無礼をどうかお許しください」
机に両手を軽くついて、頭を下げられた。いつまで経っても頭をあげないので、下から覗き込んでみたが、表情は窺えなかった。
「あ、頭をあげ……」
「はい、ありがとうございます!」
霈と名乗った女性は、言い終わるか終わらないかの内に顔をバッと上げた。
「淼の伝令として参りました。先日、視察先より淼が送りました告発はどうなりましたか?」
「ど、どどどどどど……どの告発?」
執務室の空気がピシリと凍りついた。
何だ?
今まで感じたことのない空気だ。慌てたように足早で、でも恐る恐る執務机に近づいてきた側近がひとりいた。
「やはり……ご存じありませんでしたか」
淼の侍従武官はそれを目で追いながら、忌々しそうに呟いた。
「御上、太子付の言葉に耳を貸しては……」
「お黙り!」
殴るどころか触ってもいないのに、ひとりが吹き飛んだ。書棚にぶつかったらしく、バラバラと紙束が落ちてきた。紙の山で姿が見えなくなった。
「御上。改めて淼からの告発です」
紙に埋まった精霊をキレイに無視して、淼の侍従武官がまっすぐに見つめてきた。
「南東の領域争いをしていた二人の精霊が揃って言うことには、『御上の側近が領域の保障料として、所有理力の半分を差し出せ』と要求。位維持に必要な理力を維持できないため、やむなく隣接領域に手を伸ばしたとのこと……お聞きになりましたか?」
そんな話は聞いていない。首を振って答えた。執務室を見渡しても、誰も目をあわせようとしなかった。
「自分達の不利になる情報を握りつぶしたのでしょうね。御上、ひとりではありません。自ら側近を名乗っている者はほとんどです」
自称側近……何人いるのだろう。
「それから王館内の物品が市で売りに出されているのを発見しました。持ち出したのは……」
次々と読み上げられていく罪状。
今の今まで側近のつもりでいた者たちは、罪人に早変わりした。
「関係したものを連行してもよろしいですか?」
「よ、良きに計らえ」
「ありがとうございます。それと側近……いえ、元側近の捕縛で紛争は概ね解消すると思われます。淼を帰館させてもよろしいですか?」
「あ……良きに計らえ」
淼が帰ってくる。一抹の不安を覚えた。でも拒絶する理由がない。許可を出すと侍従武官は足早に去っていった。
それと入れ替わるように灰色の影がやってきた。
「
「やれやれ誰もいなくなってしまいましたね」
ところ狭しといた精霊がいなくなって、こんなに広い執務室だったのかと初めて思った。ある意味では静かで良い。
「私が折角淼を追い出したのに、無駄になってしまいますね」
「救済者……もう」
「もう、何ですか?」
灰色の目に見つめられて何も言えなくなってしまった。
「もう理力の流れを止めてしまいますか?」
「え?」
「以前にも申し上げましたが、理力を世界に流すのをやめれば良い。そうすればあなたの理力が増えて、皆あなたに恐れをなしますよ」
そんなことは出来ない。理力を流すことは理王の最大の仕事だ。
前にもそういわれたことがあった。すぐに自分の邪念を否定したけど遅かった。一瞬心が揺らいだせいで、理力の流れが変わって、一部の精霊が不相応な力を付けてしまった。それが自称側近だったかもしれない。
「……違う。こんなの望んでない」
争いを増やしたいわけではない。
もう理王を辞めたい。でも辞めたら次を育てなければならない。その自信もない。
「今まであなたを理王にするためにどれだけの精霊が犠牲になったと思っているのですか。あなたが力をつけなければ意味がないのですよ」
身内の顔が浮かぶ。仲の良かった妹を最後に見たのはいつだったろう。
「理力を止めなさい」
「嫌だ」
これ以上犠牲を増やしたくない。一瞬理力の流れが止まっただけでも大変だったのに、完全に止めたらもっと酷いことになる。
「……なら用済みです」
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